ナイチンゲールの杞憂
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保須総合病院の静かな談話室。
月明かりが差し込む窓辺で、飯田天哉は包帯が巻かれた自身の両手をじっと見つめていた。その背中はあまりにも小さく、重い罪悪感に押し潰されそうになっている。
「……飯田くん」
柔らかく静かな声が聞こえ、飯田が弾かれたように振り返る。
ヒーロースーツから着替え、肩に羽織りをかけたフローラが立っていた。
「み、Ms.フローレンス……! こんな夜遅くに、お身体は大丈夫なのですか!? 先生もヒーロー殺しとの戦いでかなりの負担が……」
「ふふ、私の心配はいいのよ。それより、少し隣に座ってもいいかしら?」
フローラは優しく微笑み、飯田の隣に腰かけた。
飯田はぎゅっと拳を握りしめ、悔しさと情けなさで歪んだ顔を伏せる。
「……すみませんでした……! 俺は、兄の復讐という個人的な情動に呑まれ……ヒーローとしての本分を忘れ、緑谷くんや轟くん、そして先生まで死の危険に晒してしまった……! 俺は……ヒーローになる資格なんてない……ッ」
ポタポタと、膝の上に涙がこぼれ落ちる。
そんな飯田の震える肩を、フローラは包み込むように優しく撫でた。
「……悔しかったわね。お兄さんが傷つけられて、許せなくて、頭が真っ白になってしまったのよね」
「……っ……!」
「怒るのも、恨むのも、人間として当然の感情よ。それを全部『間違いだった』なんて否定しなくていいの」
フローラは自身の両手を重ね合わせ、遠い目をした。
「でもね、飯田くん。ステインは私にこう言ったわ。『無差別の救済という甘さが社会を腐らせる』って。……だけど、私はそうは思わない。誰かを憎む力よりも、誰かを助けたいと願う手の方が、絶対に強いはずだから」
フローラは飯田の包帯だらけの手を、両手で温かく包み込んだ。
「あなたのお兄さんも……きっと、あなたが誰かを憎むためにその腕を使うことなんて望んでいないわ。目の前の人を救うために走るあなたの背中を、一番誇らしく思っているはずよ」
「……先生……っ……うああああっ……!」
温かい言葉と手に残る温もりに、飯田の緊張の糸が途切れ、彼は子どものように声を上げて泣き崩れた。フローラはその背中を、彼が落ち着くまで何度も、何度も優しくさすり続けた。
——それから暫くして、泣き疲れた飯田を病室へ送り届けた帰り道。
誰もいない病院の廊下で、フローラは壁にそっと手をつき、小さく息を吐いた。
(……はぁ……っ……)
生徒の前では決して見せなかったが、自分にはバフをかけられない中での激しい体術、そして緑谷たちへ施した【治癒】の急激な体力消費による反動が、どっと全身の倦怠感となって押し寄せていたのだ。
「……だから言っただろ。自分の限界を弁えろと」
不意に陰から現れた影が、倒れそうになったフローラの肩をしっかりと支えた。
全身包帯姿のまま、深くため息をつく相澤消太だ。
「相澤、先生……起きていらしたんですか……」
「お前が怪我人の生徒に付き添って、そのまま倒れるんじゃないかと見張っていたんだ」
相澤は呆れたように言いながらも、支える手に込められた力は決して緩めない。
「……あいつ(飯田)の顔、少しはマシになっていたな」
「ふふ……はい。飯田くんはもう大丈夫です。ちゃんと、前を向いて走れます」
誇らしげに微笑むフローラを、相澤は複雑な眼差しで見つめ、不器用にごしごしと彼女の頭を撫でた。
「……人のケアもいいが、自分の身体のケアも怠るな。俺に二度も『教え子を失う恐怖』を味わわせるな。……お前はもう立派なプロで、俺の副担任だ。だがな、俺にとってはいつまで経っても『目が離せない教え子』なんだよ。少しは自分を自愛しろ。……帰るぞ、手を出せ」
「……はいごめんなさい……心配かけて」
「……フン。反省したならいい。それと……生徒たちのフォロー、ありがとうな。特に飯田は、お前がいてくれて救われたよ」
相澤の差し出した手を握り返し、二人は静かな夜の廊下をゆっくりと歩き出すのだった。
月明かりが差し込む窓辺で、飯田天哉は包帯が巻かれた自身の両手をじっと見つめていた。その背中はあまりにも小さく、重い罪悪感に押し潰されそうになっている。
「……飯田くん」
柔らかく静かな声が聞こえ、飯田が弾かれたように振り返る。
ヒーロースーツから着替え、肩に羽織りをかけたフローラが立っていた。
「み、Ms.フローレンス……! こんな夜遅くに、お身体は大丈夫なのですか!? 先生もヒーロー殺しとの戦いでかなりの負担が……」
「ふふ、私の心配はいいのよ。それより、少し隣に座ってもいいかしら?」
フローラは優しく微笑み、飯田の隣に腰かけた。
飯田はぎゅっと拳を握りしめ、悔しさと情けなさで歪んだ顔を伏せる。
「……すみませんでした……! 俺は、兄の復讐という個人的な情動に呑まれ……ヒーローとしての本分を忘れ、緑谷くんや轟くん、そして先生まで死の危険に晒してしまった……! 俺は……ヒーローになる資格なんてない……ッ」
ポタポタと、膝の上に涙がこぼれ落ちる。
そんな飯田の震える肩を、フローラは包み込むように優しく撫でた。
「……悔しかったわね。お兄さんが傷つけられて、許せなくて、頭が真っ白になってしまったのよね」
「……っ……!」
「怒るのも、恨むのも、人間として当然の感情よ。それを全部『間違いだった』なんて否定しなくていいの」
フローラは自身の両手を重ね合わせ、遠い目をした。
「でもね、飯田くん。ステインは私にこう言ったわ。『無差別の救済という甘さが社会を腐らせる』って。……だけど、私はそうは思わない。誰かを憎む力よりも、誰かを助けたいと願う手の方が、絶対に強いはずだから」
フローラは飯田の包帯だらけの手を、両手で温かく包み込んだ。
「あなたのお兄さんも……きっと、あなたが誰かを憎むためにその腕を使うことなんて望んでいないわ。目の前の人を救うために走るあなたの背中を、一番誇らしく思っているはずよ」
「……先生……っ……うああああっ……!」
温かい言葉と手に残る温もりに、飯田の緊張の糸が途切れ、彼は子どものように声を上げて泣き崩れた。フローラはその背中を、彼が落ち着くまで何度も、何度も優しくさすり続けた。
——それから暫くして、泣き疲れた飯田を病室へ送り届けた帰り道。
誰もいない病院の廊下で、フローラは壁にそっと手をつき、小さく息を吐いた。
(……はぁ……っ……)
生徒の前では決して見せなかったが、自分にはバフをかけられない中での激しい体術、そして緑谷たちへ施した【治癒】の急激な体力消費による反動が、どっと全身の倦怠感となって押し寄せていたのだ。
「……だから言っただろ。自分の限界を弁えろと」
不意に陰から現れた影が、倒れそうになったフローラの肩をしっかりと支えた。
全身包帯姿のまま、深くため息をつく相澤消太だ。
「相澤、先生……起きていらしたんですか……」
「お前が怪我人の生徒に付き添って、そのまま倒れるんじゃないかと見張っていたんだ」
相澤は呆れたように言いながらも、支える手に込められた力は決して緩めない。
「……あいつ(飯田)の顔、少しはマシになっていたな」
「ふふ……はい。飯田くんはもう大丈夫です。ちゃんと、前を向いて走れます」
誇らしげに微笑むフローラを、相澤は複雑な眼差しで見つめ、不器用にごしごしと彼女の頭を撫でた。
「……人のケアもいいが、自分の身体のケアも怠るな。俺に二度も『教え子を失う恐怖』を味わわせるな。……お前はもう立派なプロで、俺の副担任だ。だがな、俺にとってはいつまで経っても『目が離せない教え子』なんだよ。少しは自分を自愛しろ。……帰るぞ、手を出せ」
「……はいごめんなさい……心配かけて」
「……フン。反省したならいい。それと……生徒たちのフォロー、ありがとうな。特に飯田は、お前がいてくれて救われたよ」
相澤の差し出した手を握り返し、二人は静かな夜の廊下をゆっくりと歩き出すのだった。
