ナイチンゲールの影にキス
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全面戦争編・絶望の選択と深淵への失墜
崩壊する戦場と、死柄木の狂叫
「がはっ……っ……!!」
全面戦争の爆煙が舞う中、フローラの口から吐出された鮮血が、黒ずんだ地面を赤く染めた。
相澤消太の命を繋ぎ止めるためだけに放ち続けた【治癒(ドーピング)】。自分には一切のバフをかけられないその身体は、急激な細胞疲弊と心臓への過負荷によって、すでに指先一本まともに動かせないほど衰弱していた。
その眼前で、壊れかけた身体を無理やり繋ぎ止めながら歩み寄ってくる男——死柄木弔。
彼の瞳は、世界への激しい憎悪と、目の前で倒れ伏すフローラへの壊れた執着でドロドロに濁っていた。
「……あは……あははっ! なんでだよ……なんでそこまでして、イレイザーを庇うんだ……!?」
死柄木は首筋を強く掻きむしり、血を撒き散らしながら絶叫する。
「俺の痛みを消してくれたあの温かい手で……! なんでそいつの命を繋いでる……!? ヒーローだからか!? 俺を拒絶して、そっちの味方をするのがヒーローなのかよ……っ!!」
彼から発せられる崩壊の波動が、周囲の瓦礫を、そして倒れている相澤消太のすぐ足元までを粉々に砕いていく。
死柄木はもう止まらない。自分が一番欲しかった温もりを他人に注ぎ続けるフローラへの「裏切られたという思い」と「底なしの独占欲」が、世界も、相澤も、そしてフローラ自身をも巻き込んですべてを無に帰そうとしていた。
(ああ……この人を、もう一人にはできない)
かすむ視界の中で、フローラは死柄木の表情を見つめていた。
そこにいたのは、世界を滅ぼす邪悪なヴィランの首魁などではない。
かつて雨の路地裏で、誰からも手を差し伸べられず、自分の個性の痛みに耐えかねて孤独に泣いていた「傷だらけの少年」そのものだった。
『目の前に傷ついている人がいたら、手を差し伸べる』
自分が信じてきたヒーローの原点。
あの日、中途半端に彼の痛みを止めてしまったことへの激しい罪悪感。
相澤先生を守りたい。生徒たちを守りたい。けれど……この悲しい魂を突っぱねて殺し合うことしかできないこの世界は、あまりにも残酷だった。
(私が……この人の痛みを止めなかったから……。私が……逃げ出したから……)
相澤先生への想いは、命を共にする絶対的な信頼と敬愛。だからこそ、相澤なら……プロヒーローとしての自分のこの「最悪の選択」の意味を、いつか理解してくれるかもしれない。
「……死柄木……くん……」
血の混ざった途切れ途切れの声で、フローラは静かに彼の名を呼んだ。
ピタリと死柄木の動きが止まる。
「……もう、いいの……。だから……相澤先生や……みんなを壊すのは……やめて……」
フローラは震える腕を泥の中から持ち上げ、ゆっくりと死柄木の方へと差し伸ばした。
命を削り尽くし、真っ白になったその華奢な手を。
「私は……どこにも行かないわ……。あなたの痛みを……治すから……。だから……もう誰のことも……壊さないで……」
——自ら死柄木の手へ落ちる。
それはプロヒーローとしての敗北であり、同時に「一人の人間」として死柄木という悲劇を受け入れる、あまりにも過酷な犠牲の選択だった。
奪われた光と、鬼神の覚醒
「……っ!? フローラ……やめろ……!! 下がるんだ……っっ!!!」
伏せっていた相澤消太が、かすれた血吐く声で叫ぶ。
だが、動かない身体では彼女の裾すら掴むことができない。
死柄木は信じられないものを見るような目をしてから、一瞬で顔を歪ませた。
歓喜と、狂気と、狂おしいほどの愛着が混ざり合った、凄惨な笑み。
「……あは……あははははっ!! 誓ったんだね……!? 俺だけのものになるって……選んでくれたんだね……っ!!」
死柄木は倒れ込むフローラの身体を強烈に抱き寄せ、五本指を触れさせないよう慎重に、けれど逃がさないように固くその腕の中に閉じ込めた。
フローラの頬に自分の顔を押し付け、何度も何度も貪るようにキスを重る。
「あは……温かい……痛くない……! 戻ってきた……俺の『救い主』……!!」
死柄木は黒霧のワープゲートを呼び出し、フローラの身体を抱えたまま、ゆっくりと闇の渦へと下がっていく。
「——死柄木ッッ!!!!」
片足を失い、血の海に這いつくばる相澤消太が、片目で二人を睨みつけながら虚空へ手を伸ばす。
その眼光から溢れ出ていたのは、教員としての責任や正義感などではなかった。
自分の一番の理解者であり、大切な存在を奪われた男の、暗くドロドロとした血の滲むような『殺意』と『絶望』だった。
「返せ……! フローラを……返せぇぇぇぇッ!!」
ワープが閉じる直前、死柄木は相澤を見下ろし、冷たく嘲笑った。
「二度と渡さないよ、イレイザー。彼女は僕を選んだんだ。……俺のためだけの『聖女』として、永遠に俺の腕の中で壊れていくんだからさあ……!!」
暗闇が完全に塞がり、戦場には相澤消太の凄絶な絶叫だけが残された。
