ナイチンゲールの杞憂
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全面戦争の激闘から数週間。
ICUでの死線を超え、驚異的な生命力と病院の懸命な治療によって、フローラは一般病棟へと移動していた。
生命の危機を脱し、意識もすっかりクリアになった病室。
点滴の落ちる音の中、窓際の椅子にはいつも通り書類をめくる相澤消太の姿があった。
「……フローラ、今日の分の栄養ゼリーと水だ。喉は渇いてないか」
「あ……はい。ありがとうございます、相澤先生」
相澤は至っていつも通りの、低く淡々とした声で問いかけてくる。
右脚の治療を続けながらも、相澤は教員としての書類仕事をこなし、時間を見つけてはフローラの付き添いを続けていた。
……そう、あまりにも「今まで通り」なのだ。
(……え? ……あれ??)
ベッドの上でストローを咥えながら、フローラはパチパチと瞬きをした。
あのICUで、死の淵を彷徨っていた時の記憶。
相澤先生が冷たい自分の手をギュッと握り締め、涙を流しながら『愛してる』と魂を削るように叫んでくれた、あの奇跡のような瞬間。
(……もしかして……あれって、私が死にかけた時に見た『都合のいい走馬灯』だったのかしら……!?)
フローラの脳内で、ぐるぐると激しい疑念が渦巻き始める。
(だって……! 相澤先生、あれから『愛してる』なんて一言も言わないし、抱きしめてもくれないし、触れ合う手もいつも通りの『体調管理の先生と生徒(副担任)』の距離感じゃない……ッ! 告白されたと思ってて私ただのイタい勘違い女じゃん……やだぁぁぁッ!!)
あんなに感動的な告白だと思っていたものが、ただの「死にかけの自分の願望が見せた幻覚」だったのではないかという恐怖と羞恥心で、フローラの顔がみるみるうちにリンゴのように真っ赤に染まっていく。
「……? フローラ、顔が赤いぞ。また熱でも上がってきたか」
相澤が書類から目を離し、立ち上がってベッド脇へ歩み寄ってきた。
「いえっ!! な、何でもありません! 熱もありません! 平気です!!」
過剰にテンパって布団を頭までかぶろうとするフローラ。
その様子をじっと見下ろしていた相澤は、ハァと短くため息をつくと、かぶろうとした布団をすっと手で押さえて遮った。
「……お前、何を一人でパニックになってるんだ」
「だって……その……っ! 私、あのICUでちょっと、自分に都合の良い走馬灯とか夢を思い出して……っ」
恥ずかしさのあまり目元に涙をためて消えそうな声で呟くフローラ。
その言葉を聞いた瞬間、相澤は一瞬呆れたように目を見開いたが、すぐに口元にフッと低い笑みを浮かべた。
「……走馬灯、ねぇ」
相澤は逃げようとするフローラの顎にそっと指をかけ、上を向かせた。
そして、逃げ場を無くすように顔を近づけると、彼女の唇に、触れるだけの優しく、けれど確かな熱を帯びたキスを落とした。
「ん……っ!?」
不意打ちのキスに、フローラの思考が完全にフリーズする。
ゆっくりと顔を離した相澤は、赤い目を楽しそうに細め、耳元に直接響くような低い低音で囁いた。
「……夢で、こんな唇の感触が残るか?」
「っ……ぁ……」
「俺が言った言葉も、お前が『わたしも』って泣いて返してくれたのも、全部現実だ。忘れたとは言わせん」
相澤の手が、フローラの頬を包み込む。
相澤消太という一人の男性からの、逃がす気などサラサラない本気の愛と温度。
「……あの時はお前が死にかかってたからな。意識が戻って落ち着くまで、なるべく興奮させないように普段通り振る舞ってやってたんだが……余計な心配をさせたみたいだな」
「あ……あい、ざわ……先生……っ」
顔が破裂しそうなほど真っ赤になり、目がぐるぐる回るフローラ。
「これでもまだ走馬灯だと思うか? ……なら、夢じゃないってことを、お前が嫌っていうほど体に教え込んでやってもいいんだぞ」
相澤は意地悪く口角を上げると、彼女の額にそっと自分の額を押し当てた。
「……もう『先生』はおしまいだ。……俺のフローラ」
「〜〜〜〜〜ッッ////!!」
「スパルタ指導」や「お説教」という勘違いの壁が完全に崩れ去り、相澤先生からのストレートすぎる愛を突きつけられて、病室で一人照れ死にそうになるフローラなのでした——。
