ナイチンゲールの杞憂
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ピッ……ピッ……ピッ……。
規則的だが、どこか頼りなく細い機械音が、静まり返った集中治療室(ICU)に響いていた。
酸素マスクを装着され、無数のチューブとモニターに繋がれたフローラ。
心拍数を示すモニターの数値は、いまだに危険域を彷徨い、いつ停止してもおかしくない危うい状態が続いていた。
そのベッドの脇で、右脚に処置を受け、全身傷だらけの相澤消太がパイプ椅子に腰掛けていた。
自分の体の激痛など視界に入っていない。相澤の赤い眼光は、青白く冷たくなったフローラの顔だけを一直線に見つめていた。
(……また……守れなかったのか……)
脳裏をよぎるのは、かつて目の前で失った大切な親友の姿。
そして、自分のために痛覚を絶ち、自らの命を限界まで削って自分を救ってくれたフローラ の倒れる瞬間。
あの時、息を吹き返してくれと必死に胸を押し、AEDを叩きつけた感覚が、相澤の手のひらにまだ残っている。
もしこのまま彼女が目を覚まさなかったら——その圧倒的な恐怖と絶望が、相澤の胸を強く締め付けた。
相澤は震える手で、ベッドの上に置かれたフローラの氷のように冷たい手を、両手で包み込むようにギュッと強く握り締めた。
「……おい、フローラ」
掠れた声が、静かな部屋に落ちる。
「俺は……帰ったら話があると言ったはずだ。……勝手に一人で完結させて逃げるな……ッ」
相澤は額を彼女の冷たい手に押し当て、噛み締めながら、溢れ出る感情を抑えきれず言葉を紡いだ。
「――このまま、死ぬなんて許さないからな……。俺の隣にこれからもいて欲しいんだ。……フローラ、愛してる。」
指導でも、正担任としての命令でもない。
一人の男として、大切な女性(ひと)を失いたくないという、命の底からの心切な愛の告白。
その時だった。
(……ッ)
相澤の大きな手の中で包まれていたフローラの指先に、かすかなピクリという動きが生まれた。
「……!? フローラ……!?」
相澤が思わず顔を上げると、相澤の手を握り返すように、キュッとほんの僅かな力が込められた。
「……、」
酸素マスクが白く曇る。
何か喋ろうとするフローラ。
「無理に話すな!今、医者を呼ぶ!」
ゆっくりと、本当に重そうに開かれたフローラの目から、ポロポロと大きな涙の粒が溢れ落ち、頬を伝った。
相澤の叫びが、あの真っ暗な死の淵にいた彼女の魂を引き戻したのだ。
『スパルタ指導』の仮面の裏にあった、相澤先生の本当の気持ち。命が消えかける中で届いた「愛してる」の言葉が、フローラの胸を強く撃ち抜いていた。
「……わたし……も……っ」
かすれ切った、消えそうな声。
けれど、そこには明確な意思と、ずっと胸に秘めていた相澤への愛が込められていた。
「……っ、大バカ野郎が……!」
相澤は溢れ出る涙を隠すこともせず、目覚めたフローラの額へそっと自分の額を押し当てた。
繋ぎ止めた生命の温もりを確かめるように、握りしめた手を二度と離さない強い力で握り直して——。
「……おかえり、フローラ!よく、頑張ったな!!」
「……、……っ」
死線を超え、無数のすれ違いを経て、二人の想いが本当の意味で一つに結ばれた瞬間だった。
