ナイチンゲールの杞憂
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全寮制の導入に伴い、雄英高校の敷地内に建てられた教員寮。
夜、誰もいない静まり返った廊下で、フローラは自室のドアに手をかけていた。
「……フローラ」
背後からかけられた低く掠れた声に、フローラは肩を跳ねさせた。
振り返ると、首に捕縛布を巻いた相澤消太が立っていた。しかし、いつもと様子が違う。いつもなら直視して合理的な言葉を投げてくる彼が、どこか気まずそうに視線を横へ逸らしていたのだ。
「相澤、先生……? お疲れ様です、引越し作業……大変でしたね」
「……ああ、……少し、いいか?」
相澤はポケットに手を入れたまま、珍しく口ごもっている。
何かを言おうとしては唇を閉じ、頭を少し掻いてから、思い切ったように重い口を開いた。
「……家庭訪問も終わり、これで生徒の安全は確保された。……ただ、その……お前のことなんだが」
「私……ですか?」
「……神野でのことだ」
相澤は視線をフローラの足元あたりに落とし、言葉を選び直すように途切れ途切れに言った。
「……体の傷は治せても、精神(こころ)の摩耗はそう簡単には戻らないぞ」
「?はい。大丈夫です」
「『大丈夫』なんて言葉を聞くために呼んだんじゃない。神野のあの惨状を見て、無事でいられる奴なんて居ねえんだ。……怖くなかったと言ったら嘘になるだろ
あの現場で……お前が、死柄木に……その……抱きしめられたり、顔や唇に触れられていたのを……俺も見た」
「ッ……!?」
フローラの心臓がドクンと跳ね上がり、一瞬で顔から火が出そうになる。
相澤はフローラの反応に配慮するように、さらに声を低くし、心底聞きづらそうに頭を掻いた。
「……男から……ああいう強引な触られ方をされたんだ。……怪我とか個性の反動とはまた別の……女性として、精神的に……その、嫌な思いやトラウマになっていないかと思ってな。……非常にデリカシーのない問いだとは分かってるが……正担任としても、その……お前を守れなかった身としては、放置できなくてな……」
言葉を濁しながらも、フローラを「一人の女性」として傷つけてしまったのではないかと、心底申し訳なさそうに、かつ不器用に気遣う相澤。
息が詰まるような沈黙が流れていました。
死柄木にされるがままになっていた、あの惨めで屈辱的な時間。それをよりにもよって相澤先生に見られてしまったという事実が、胸を押し潰しそうなほどの恥ずかしさと情けなさとなって、押し寄せていたのです。
(……や、やだぁぁぁぁぁっ!!)
相澤先生のその「気遣い」と「繊細な優しさ」が、かえってフローラの乙女心を直撃した。
(トラウマとか被害のショックとかじゃなくて……っ! 密かに想いを寄せている相澤先生に、ヴィランにされるがままになっていた無防備で情けない姿をバッチリ見られていたことが……そして今こうして『唇に触れられてたろ』なんて面と向かって意識させられていることが……恥ずかしすぎて死にそう……ッ!!)
「……っ、あ……はい。……だい、じょうぶ……です」
フローラは視線を落としたまま、消え入りそうな声で答えるのが精一杯です。相澤の顔を見るどころか、まともに目を合わせることすらできません。
「そうか」
「……あ、あの……その……っ」
何か言い訳をしなければ、あるいは謝らなければと思うものの、頭の中がぐちゃぐちゃで言葉がうまく紡げません。死柄木の冷たい指先の感触や、その時何もできなかった自分の無力さが思い出され、顔にカッと熱が昇ります。
(あんな姿……見られたくなかった……)
指先を握りしめ、身を縮こまらせるフローラ。その強張った空気と葛藤を、相澤が見抜かないはずもありませんでした。
フローラは真っ赤になった顔を隠すように両手で覆った。
「……おい、顔が真っ赤だぞ。……やっぱり、思い出すだけでも苦痛なのか。」
相澤は彼女の真っ赤な顔を見て、「相当な精神的苦痛(トラウマ)を思い出させてしまった」と激しい罪悪感を覚え、慌てて一歩引いた。
「……無理に話さなくてもいい……、思い出させて悪かった。今夜はゆっくり休んでくれ」
(ち、ちがうの相澤先生……! 恐怖を思い出したんじゃなくて、先生のことが好きだから、あの現場を見られてたことと『触れられてただろ』って先生の口から言われたのが恥ずかしすぎて爆発しそうなだけなの……ッ!!)
「ち、違います相澤先生……! 嫌だったとかトラウマとかじゃなくて……その……っ」
顔を真っ赤にしてオドオドと手を振るフローラ。
相澤はそんな彼女の様子を、眉をひそめて痛々しそうに見つめている。
「お前が無事で戻ってきたのは何よりだ。だがな、自分の限界を過信して心が潰れたら元も子もない。……いいか、今は休むのもヒーローとしての仕事だ。頼むから、一人で抱え込むような非合理なマネはするなよ」
「……は、はい! 私のことは本当に心配いりませんから! おやすみなさいッ!!」
耐えきれなくなったフローラはやけくそに返事をし逃げるように自室へ飛び込み、バタン! とドアを閉めて鍵をかけた。
ドアに背中を預け、ずるずると床にへたり込むフローラ。
一方、取り残された廊下で、相澤は深くため息をつき、自らの不甲斐なさに頭を抱えていた。
「……もっと上手く聞けなかったのか俺は……。相当傷ついてるな……」
完全に「重度のトラウマ」だと勘違いして思い悩む相澤と、一人部屋で純情すぎる照れと悶絶にのたうち回るフローラでした。
全寮制の導入に伴い、雄英高校の敷地内に建てられた教員寮。
夜、誰もいない静まり返った廊下で、フローラは自室のドアに手をかけていた。
「……フローラ」
背後からかけられた低く掠れた声に、フローラは肩を跳ねさせた。
振り返ると、首に捕縛布を巻いた相澤消太が立っていた。しかし、いつもと様子が違う。いつもなら直視して合理的な言葉を投げてくる彼が、どこか気まずそうに視線を横へ逸らしていたのだ。
「相澤、先生……? お疲れ様です、引越し作業……大変でしたね」
「……ああ、……少し、いいか?」
相澤はポケットに手を入れたまま、珍しく口ごもっている。
何かを言おうとしては唇を閉じ、頭を少し掻いてから、思い切ったように重い口を開いた。
「……家庭訪問も終わり、これで生徒の安全は確保された。……ただ、その……お前のことなんだが」
「私……ですか?」
「……神野でのことだ」
相澤は視線をフローラの足元あたりに落とし、言葉を選び直すように途切れ途切れに言った。
「……体の傷は治せても、精神(こころ)の摩耗はそう簡単には戻らないぞ」
「?はい。大丈夫です」
「『大丈夫』なんて言葉を聞くために呼んだんじゃない。神野のあの惨状を見て、無事でいられる奴なんて居ねえんだ。……怖くなかったと言ったら嘘になるだろ
あの現場で……お前が、死柄木に……その……抱きしめられたり、顔や唇に触れられていたのを……俺も見た」
「ッ……!?」
フローラの心臓がドクンと跳ね上がり、一瞬で顔から火が出そうになる。
相澤はフローラの反応に配慮するように、さらに声を低くし、心底聞きづらそうに頭を掻いた。
「……男から……ああいう強引な触られ方をされたんだ。……怪我とか個性の反動とはまた別の……女性として、精神的に……その、嫌な思いやトラウマになっていないかと思ってな。……非常にデリカシーのない問いだとは分かってるが……正担任としても、その……お前を守れなかった身としては、放置できなくてな……」
言葉を濁しながらも、フローラを「一人の女性」として傷つけてしまったのではないかと、心底申し訳なさそうに、かつ不器用に気遣う相澤。
息が詰まるような沈黙が流れていました。
死柄木にされるがままになっていた、あの惨めで屈辱的な時間。それをよりにもよって相澤先生に見られてしまったという事実が、胸を押し潰しそうなほどの恥ずかしさと情けなさとなって、押し寄せていたのです。
(……や、やだぁぁぁぁぁっ!!)
相澤先生のその「気遣い」と「繊細な優しさ」が、かえってフローラの乙女心を直撃した。
(トラウマとか被害のショックとかじゃなくて……っ! 密かに想いを寄せている相澤先生に、ヴィランにされるがままになっていた無防備で情けない姿をバッチリ見られていたことが……そして今こうして『唇に触れられてたろ』なんて面と向かって意識させられていることが……恥ずかしすぎて死にそう……ッ!!)
「……っ、あ……はい。……だい、じょうぶ……です」
フローラは視線を落としたまま、消え入りそうな声で答えるのが精一杯です。相澤の顔を見るどころか、まともに目を合わせることすらできません。
「そうか」
「……あ、あの……その……っ」
何か言い訳をしなければ、あるいは謝らなければと思うものの、頭の中がぐちゃぐちゃで言葉がうまく紡げません。死柄木の冷たい指先の感触や、その時何もできなかった自分の無力さが思い出され、顔にカッと熱が昇ります。
(あんな姿……見られたくなかった……)
指先を握りしめ、身を縮こまらせるフローラ。その強張った空気と葛藤を、相澤が見抜かないはずもありませんでした。
フローラは真っ赤になった顔を隠すように両手で覆った。
「……おい、顔が真っ赤だぞ。……やっぱり、思い出すだけでも苦痛なのか。」
相澤は彼女の真っ赤な顔を見て、「相当な精神的苦痛(トラウマ)を思い出させてしまった」と激しい罪悪感を覚え、慌てて一歩引いた。
「……無理に話さなくてもいい……、思い出させて悪かった。今夜はゆっくり休んでくれ」
(ち、ちがうの相澤先生……! 恐怖を思い出したんじゃなくて、先生のことが好きだから、あの現場を見られてたことと『触れられてただろ』って先生の口から言われたのが恥ずかしすぎて爆発しそうなだけなの……ッ!!)
「ち、違います相澤先生……! 嫌だったとかトラウマとかじゃなくて……その……っ」
顔を真っ赤にしてオドオドと手を振るフローラ。
相澤はそんな彼女の様子を、眉をひそめて痛々しそうに見つめている。
「お前が無事で戻ってきたのは何よりだ。だがな、自分の限界を過信して心が潰れたら元も子もない。……いいか、今は休むのもヒーローとしての仕事だ。頼むから、一人で抱え込むような非合理なマネはするなよ」
「……は、はい! 私のことは本当に心配いりませんから! おやすみなさいッ!!」
耐えきれなくなったフローラはやけくそに返事をし逃げるように自室へ飛び込み、バタン! とドアを閉めて鍵をかけた。
ドアに背中を預け、ずるずると床にへたり込むフローラ。
一方、取り残された廊下で、相澤は深くため息をつき、自らの不甲斐なさに頭を抱えていた。
「……もっと上手く聞けなかったのか俺は……。相当傷ついてるな……」
完全に「重度のトラウマ」だと勘違いして思い悩む相澤と、一人部屋で純情すぎる照れと悶絶にのたうち回るフローラでした。
