ナイチンゲールの杞憂
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「——それと、今年度の1-Aは副担任としてもう一人つく」
相澤の低い声が教室に響いた瞬間、生徒たちの間に小さなざわめきが広がった。
教壇の脇、ガラリとスライドドアが開き、一人の女性が入ってくる。どこか落ち着いた雰囲気を纏ったプロヒーローだ。
「初めまして。今年度、1-Aの副担任を務めさせていただきます、Ms.フローレンスです。よろしくお願いしますね」
彼女が穏やかに微笑み、軽く一礼したその瞬間——。
教頭席付近の最前列で、緑谷出久の体がビクッと跳ね上がった。
緑谷の緑の瞳が限界まで見開かれ、顔中から滝のような汗が吹き出す。
「え……ええええええっ!!? み、Ms.フローレンス……!!? ほ、本物……!!?」
ガタッと激しい音を立てて椅子から立ち上がりかけた緑谷に、隣の麗日お茶子が目を丸くする。
「デクくん……? 知ってる人なん?」
「知ってるどころじゃないよ麗日さん!!」
緑谷は両手を震わせながら、まるで聖遺物を目の前にした巡礼者のような眼差しでフローラを見つめた。
「 Ms.フローレンスといえば、あえて個人事務所を持たず、複数の大手ヒーロー事務所を『フリーのサイドキック』として掛け持ちしている超優秀なサポート専門ヒーローなんだ!
彼女の真骨頂は『治癒(ドーピング)』の個性だけじゃない……! 豪快な武闘派から繊細な頭脳派まで、どんなにクセの強いトップヒーローと組んでも完璧に相手の戦術やタイミングに合わせられる驚異的な柔軟性と状況判断力! 業界では『彼女と相性の悪いヒーローはこの世に存在しない』とまで言われていて……!
メディア露出を極限まで控えているから世間一般の知名度こそ控えめだけど、プロヒーローの間や救急医療の最前線じゃ『奇跡の生還率を叩き出す伝説の支援ヒーロー』として有名なんだ!
でも、公に出る活動記録が急に減っていたからどうしたのかと思ってたら、まさか雄英高校に……!」
「……うっせえぞ!クソナード!ブツブツ声がデカい」
爆豪勝己が忌々しそうに舌打ちをするが、一度スイッチの入った緑谷のオタク特急は止まらない。ノートを取り出し、猛烈な勢いでペンを走らせながら口を高速で動かし続ける。
「個性を自分にかけられない制約がありながら彼女はそれを克服するために、個性に頼らない徹底した体術と捕縛布の技術を叩き込んだんだ! あの捕縛布の使い方はイレイザーヘッド……相澤先生の指導によるもののはず……! つまり相澤先生の一番最初の教え子であり、実戦において最も信頼されている一人……!世間やメディアには一切公表されてなかったのに、まさか僕たちの副担任になってくれるなんてーーー!!」
一息にそこまで捲し立てた緑谷の言葉に、教室中の視線がフローラと相澤へ集中した。
「へぇ……相澤先生の教え子なんだ……」
「捕縛布使えるって、マジで相澤先生の弟子って感じじゃん!」
「治癒系の先生が副担任にいてくれるとか、めちゃくちゃ心強いな!」
生徒たちが口々に感嘆の声を上げる中、フローラは少し困ったように苦笑いを浮かべ、頬をかいた。
「あ、あの……緑谷くん……だったかしら。凄いわね、私のことそこまで調べてくれていて……少し恥ずかしいけれど」
「は、はいっ! 昔の救助記録の端っこに写っていた写真を見てから、ずっとお聞きしたいことがあって——っ!」
興奮で鼻息を荒くする緑谷の前に、影が落ちた。
「……緑谷」
低い、地獄の底から響くような声。
相澤がジロリと赤い目で緑谷を睨みつけていた。
「着任早々、副担任の手の内をペラペラと晒すな。合理性に欠ける」
「ひぃっ!! す、すみません相澤先生っ!!」
一瞬で直立不動になる緑谷を見て、クラス中にくすくすと小さな笑いが漏れる。
相澤ははぁと小さくため息をつくと、隣に立つフローラへ視線を送った。その瞳には、一瞬だけ柔らかい信頼の色が宿っている。
「……というわけだ。こいつの個性と体術は本物だ。怪我をした時は当然だが、体術の指導においても容赦なく扱かれると思え」
「相澤先生、言い方が怖いです……生徒みんなが引いちゃってますよ」
苦笑しながら小声で突っ込むフローラに、相澤はふんと鼻を鳴らした。
「事実だ。……よろしく頼むぞ、フローラ」
「はい。任せてください、相澤先生」
二人の間に流れる、長年の絆と絶対的な信頼感。
その密やかな空気感に、緑谷はノートの端に『イレイザーヘッドとMs.フローレンスのコンビネーションは完璧』と付け加えながら、胸を熱く躍らせるのだった。
