無題
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情事、というにはお粗末で、交尾という方がぴったり合ったその行為を終えた後の体はひどく重く、立ちあがろうと床に貼り付けた手は、腕は、わなわなと震えていた。
ずっと床に押さえつけられていた手首は真っ赤なあとができており、ああ、これは後でひどいあざになるなぁなんて、他人事のように考える。実際他人事だ、こうなったあとは当事者意識なんかずっと薄くて、ゆっくりと稼働する自分を上からぼんやり眺めているだけ。
あそこもここもあざになってる。うわ、腿なんかひどいぞ、と指摘しても己の肉体から声が出ることはなく、自分が幽霊にでもなったかのような錯覚を覚える。
いつもこうだ。図書館にでも行って調べてみたら自分の状態がなにかわかるかな、なんて考えもした。
なんでいつもこうなんだろう。そんな諦念と憎しみと悲しみが混じった感情が己の口から吐き出されたのは、アレから約1時間後だった。
父が消えた自宅は侘しいほどに静かで、その静けさに安心と寂しさを感じながら、汚れた体を清めるためにシャワーを浴びる。
消毒されたような気分になるので、熱湯に近しい温度のシャワーを浴びるのが好きなのだけれど、肌は乾燥するしあざ予備軍の箇所たちが苦痛だと喚くのでひどく煩わしくもあった。
「気持ちわるい」
と、父に言われた。腕の傷のことだ。いつもは気にならないのだけれど、最近黒崎に見られてしまっていたので、正直その言葉はいつもよりも堪えた。俺は行為の最中、何も言わないようにしていたのに、その言葉を浴びせられた瞬間動揺してしまって。いっそうひどく叩かれたことを思い出す。
気持ち悪いのはどっちだよ。息子を抱いてるお前だろ、なんて反論ができればよかったのに、俺はいつまで経ってもそれができなくて。父が出て行ったこの時間にこうやって悪態を吐くだけだった。
黒崎が見たら、助けてくれただろうか。なんて思考が脳裏をよぎって、頭を横に振る。どちらかというと、黒崎には絶対に見られたくない。見られるくらいなら、いっそのこと死んでしまった方がマシなんだ。
翌日の学校。朝いつもの通りに腕を切って登校する。黒崎のやってくれた手当てを見よう見まねでやってみたので、この前より随分とマシになったように思えた。
学校は今日も平和で、俺に話しかける者も居なく(俺には友達がいない。作ろうとしているわけではないし、これはいいわけでもない)、いつものように席に座って、本を読む。本を読むはずだったのに。
「よう、みょうじ」
なんて、聞き覚えのある声が俺に挨拶なんかするから。びっくりして、うっかり読んでいる本を栞も挟まずに閉じてしまったのだ。
「みょうじ、一緒に昼飯食おーぜ」
さっさと机の上を片付けて、そろりと教室を抜け出そうとしていた俺に衝撃の言葉が掛かる。先ほどいつものメンバーに断りを入れているのが聞こえたと思ったら、俺か。
後ろから黒崎のいつものメンバーが一緒でいいじゃんと文句を言いながら移動していくのを見届けて、「ほら、みんな行っちゃうぞ」と退去を促した。
「俺はお前を誘ってんだよ」
「俺昼飯食わないよ」
「はあ?なんで」
育ち盛りの男子高校生、そんなんだからお前背低いんじゃねーのか。と文句をつけられて、なんだかんだで隣の席に座られる。昼時の教室は案外静かで、また珍しいことに俺たちの周りは人が捌けて、ふたりきりの空間が出来上がっていた。
「金ないの」
「一銭も?」
曖昧に肯定を返して、バイトもしてないしねと笑うと、黒崎は不機嫌そうに眉を寄せた。どうやら、弁当も用意せず金も無いということを異常事態と見做したらしく、俺に少しだけ顔を寄せる。
こういう気遣いは少しありがたい。人が捌けたにしろ、あまり聞かれたい話題ではなかった。
「家で飯は」
「あんまり」
彼の眉間の皺が、深くなる。
「そんなに……、貧乏なのか?」
「そういうわけでは」
また一つ、深く皺が刻まれる。あまり親と仲良くないんだ、と付け足せば、俺をじっと見つめていた視線がふと横に逸れて、机の上にパンが差し出された。
焼きそばが挟まった、炭水化物と炭水化物。糖質と糖質の組み合わせ。
「食え」
「いや、いいよ。黒崎のだろ」
「いいから」
遠慮がちに首を振れば、バリバリと音を立てて焼きそばパンの包装が剥がされていく。それを鷲掴んで、逃げる俺に半ば押し付ける形で食べさせようと。
なあ、少し強引すぎるよと苦笑いを浮かべれば、黒崎はまた視線を落として小さく謝った。
「そんな急に食べなきゃ死ぬわけじゃないし」
「いや。細すぎて死ぬんじゃねぇかって俺はこの前思ったけどな」
「この前?」
腕握った時。言われて、ああ、と思う。黒崎の手が大きいんじゃないか?なんて言って誤魔化したけれど、彼の反応は芳しくない。
「身長は」
「159」
「ちっせぇな。体重は?」
これでも小さいのを気にしている。言われたくないな、と頬が膨らんだ。
「うーん、いくつだったっけ。30……なんとか」
「もうその時点でおかしいだろ!150あって30台は痩せすぎなんだよ!」
いちいち覚えてないけど、前回の健康診断ではそんなものだった気がすると答えれば、黒崎は立ち上がってビシッと俺を指差した。
おそらくツッコミ体質の彼は俺が正直に答えようが嘘を言おうが突っ込まざるを得ないんだろう。苦労してそうだな、と内心苦笑いを溢す。
「そんなこと言われても胃下垂かもしれないじゃんか」
「さっき飯食ってねぇって言ったばっかだよな!?」
「"あんまり"な」
ふい、と横を向きながら訂正すれば、どすの利いた声で鋭いツッコミが入ったが、なんだかもうどうでも良くなったので(いくら指摘したところで俺の食生活も体重も変わらない)話を聞かずに終わった。
俺が興味なさそうにしたのを察したのか、黒崎もまた椅子に座って「でもまあ」と話を続けている。
「今日はそれ食え」
「……そんなに言うなら」
再び差し出された焼きそばパンをまじまじと見つめてから齧り付いた。黒崎はそんな俺を、頬杖をついて眺めていた。
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