無題
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ぼんやりと窓の外を眺める。世界を焼き尽くさんとする夕焼けは、しかしその色に見合う温度を持つことなく、ただただ俺の眼を、教室を、世界を、焼き尽くしていた。
はあ、と盛大に溜息を吐いては机につっぷして、そのまま寝るわけでもなく、けど、ただ眼を閉じる。
放課後の喧騒は耳に心地よく、外での部活動をしている連中の声や吹奏楽の連中の練習音楽が聞こえたりして。そのどこにも所属しない俺を、何者でもないただひとりの人間に仕立て上げてくれるような気さえしていたのに。
──足音。が、こちらへ向かってくる。
このまま通り過ぎたらいい、なんて願いは到底届くことなく、ガラリと教室の戸は開け放たれた。
侵入者の顔を一目見ようと上体を起こせば、夕焼け色に染まった教室に似合いの髪色をした彼が、キョトンとした顔でこちらを見ている。
「みょうじじゃねぇか。まだ帰ってなかったのか」
「それはこっちのセリフだぞ」
曰く、忘れ物を取りに戻ったらしい。黒崎らしくもない、と思いながら逆に黒崎らしいとはなんだろうと考える。
ついこの間初めて会話をしただけの俺が、彼のひととなりを理解できているのかについては甚だ疑問だ。最近では怪我もたくさんくっつけてきて、やはりどう見ても優等生のそれではない。それではない、はずなのだけど──優しかったあの日の彼も、黒崎一護であったのだ。
窓から差し込む光に反射する彼の髪が眩しくて、思わず眼を細める。
「アンタこんなとこでなにしてんだ」
「何って……暇つぶし?」
はあ?と、ため息とも取れる大きな疑問符飛び出す。確かに、人っ子一人いない教室で暇つぶしとは何だろうとは思うかもしれない。そこそこ不審に映っているだろうけれど、でもそれももう今更だ。あんな傷を見られているのだし。
「部活は」
「お前と一緒」
誤魔化すように言えば彼はまたひとつため息を吐いて、ずかずかと教室に入ってくる。自分の席へついて、ごそごそと机の中身を漁って。
そしてあろうことか、俺にこんな言葉を投げかけたのだ。
「ほら、帰るぞ」
と。
黒崎一護との下校は奇妙な沈黙に支配されていた。まあ、お互い知った仲というわけではないのだから、話に花咲かせているほうがおかしいといったところではあるけれど。
結局、あのあと黒崎は俺と一緒になって下校時刻を待っていた。とは言っても、俺が彼からの提案を飲み込みあぐねていると、勝手に下校時刻を知らせるチャイムが鳴っただけの話だ。
住宅街を曲がって、歩いて、曲がって、歩いて。歩いて。歩く。帰る方向が同じのところを見ると、案外ご近所さんなんだな、なんてぼんやり思ったりもしていた。
「……あの傷」
先に口を開いたのは、黒崎だった。ただ、そこまで言ってそれから先は何も言わなかった。黒崎自信、問うていいのか悩んでいたようで、結局、問う術は見つからなかったらしい。
「自分でやったのかって?」
だから、代わりに俺が口を開く。気遣われるのはなんとなく憚られたし、きっとどうせ、彼の中で答えは出ているのだろうと思うから。ただ、それを確信に変える鍵が存在しないだけのこと。であれば、俺が用意してやればいい。そうすればどうせ、彼の興味も消えるだろう。
自分で自分の体に傷を埋め込むような奴なんかと関わるのは、面倒くさいことがわかりきっている。目に見える地雷だ。
黒崎は何も言わずに、ただ歩いている。背の低い俺に歩幅を合せて、ただ、歩いていた。
「そうだよ」
「なんで」
「いまは言いたくない。悪い」
笑って謝れば、黒崎も「そりゃそうか」と笑った。彼の笑顔はなんとも不器用で(あるいは器用でもある)、少しおかしくなって吹き出してしまう。また不機嫌そうに(笑ったときも不機嫌そうではあったけれど)眉が寄って、なんだよ、とすねたような声が漏れ出て、やっぱり俺は、それにずっと笑っていた。
「おい、笑いすぎだろ!一体なにがそんなにおもしれーんだよ」
「お前の顔」
「てめぇ!」
牙を剥くように俺を見て、腕を振り上げる。身が竦んで、足が止まる。違う。違うから。ああ、この空気を壊したくない。どうしよう、どうしよう。
俺を守ろうとする反射がひどく恨めしい。殴られることには慣れているんだから、どうされようが平然と居られればいいのに。
鈍い殴打音は響かなかった。異変を感じたのか、それとも最初から殴る気なんかなかったのか、黒崎はその手を止めて、また歩き始める。俺より前を行くものだから、表情は、伺えなかった。
「……にしても、思ったより笑うんだな、お前」
「うるさいな、当たり前だろ。いままで会話したこともないくせに」
雰囲気からして怒ってないことを察する。声色からして、先ほどと変わっていないことを理解する。それから彼に並ぼうとぱたぱた足音を立てて追いかければ、いつもの不機嫌そうな顔で彼は言った。
そこでやっと、彼は多分、いつもこんな顔なんだろうと言うことを理解する。苦労しているのか、癖なのか、あるいは視力が悪いのかは知らないけれど。
「それもそうか。いや、人の顔見て笑うのは失礼だろ」
「だって黒崎、ずっと眉寄せてんだもん。笑う時も」
「俺はもともとこういう顔なんだよ」
嘘つけ、癖になってるだけだろ、とは言わなかった。元々眉間にこんなに皺が寄っている人間がいたら、俺とて流石に同情してしまうよ。
そんな雑談をしながら歩けば、どうやら分かれ道が来たようで。お互い気付けば顔を見合わせて、ここまでだななんて呟いた。
「じゃあな」
「うん。じゃあね」
黒崎との別れは酷くあっさりしていた。それもそうか、なんて思いながら足を進める。
帰りたくない。
足取りは先ほどと比べ物にならないくらい重くて、苦しくて、億劫だった。