パフェとぼいんは使いよう

奥州の長い冬は終わりを告げ、雪解けの雫を煌めかせながら、新緑が蘇る。
奥州山脈を種々に化粧する花の息吹は、ようやく里にも降りてきた。

待ちに待った春の到来である。


陸奥屈指の名門、蘆名家を滅ぼした伊達軍は出羽米沢より南下し、会津若松城を本拠地に構えてから、始めての春を迎えていた。

書院にて仮眠から目覚めた政宗は、庭で半刻あまり剣を振り、温かい朝餉を摂りながら、うず高く積まれた書状に今一度目を通し、自らの沙汰に不備がないか最終確認をする。


気がつけば時刻は五つ半。

書状の束を文机に置き、こっそりと厨へ向かった。
前以て人払いの指示を出しておいたそこは、隅々まで拭き清めてあって、気分が良い。
前垂れを締め、手拭いで髪をまとめると、さっそく調理に取りかかった。


小鍋に豆乳、生クリーム、白砂糖を入れて一煮立ちさせ、ふやかしておいたゼラチンを加えた。蜜色の塊が熱で完全に溶けたら、金物の深い鉢に移し、
氷水を張った一回り鉢に浮かべ、掻き混ぜる。
冷えるにつれてゼラチンが凝り、全体が緩く固まったところで氷水から上げ、台の上の桐の箱を開けた。二十寸四方の箱には大鋸屑が敷き詰められており、氷室から切り出された氷の塊が埋められている。
氷を大鋸屑で包んでおくと、長い時間溶けずに保管できるのだ。固まりかけのパンナコッタに蓋をし、氷と氷の間に置いて、桐箱を閉じた。

粒餡とカステイラは昨日の朝のうちに作っておいた。
棚に仕舞ったわらび餅も、そろそろ桐箱に移しておくか。
パンナコッタは直前まで寝かせ、白玉を冷やしている間にアイスクリームを作る。もう一品、何か足したい。果物があればなお良いのだが、今の季節に抹茶や小豆に合う物はない。
予め取り寄せておくべきだったと後悔しかけるが、それは次回への反省に留めておくことにした。

アイスクリームと白玉は昼過ぎに作り始めても、八つ時には充分間に合う。それまでは書院で、政務の続きをしなければ。億劫な気分で煙管に火を落とし、連子窓に向かって煙を吐き出していると、懐ですまほが振動する。開くと、愛から文書が届いていた。
『本日もお勤めご苦労様です。
少しだけ休憩にしませんか?』


労いの一文とともに、居室の前の桜の画が添えられている。
最後に見た時よりも、幾分花が鈴生りに開いている気がする。どうやら一緒に花見がしたいらしい。
枝に向かって、背伸びをしてすまほをかざす愛の姿を脳裏に描き、不覚にもにやけ面になる。

行きたいに決まっている。
しかし今は断らねばならない。


『Oh, I’m afraid……sorry,
今年は無理だ。花見はまた来年な』


文を打ってから、これは少々大袈裟かと思ったが、落胆すればする分だけ、贈り物が来た時の喜びも大きくなるというものだ。
返書をし、火皿の中の煙草が燃え尽きるのを待ってから、片づけを始める。調理器具を洗って布巾で拭いていると、戸の外から名を呼ばれた。

「ねぇ、ちょっと。火ある?」

窓の格子の間からしなやかな手首が現れ、煙管が差し伸ばされる。


「Self serviceだっつってんだろ」


鍋を磨く手を休めずに素っ気なく返すと、声の主はからりと木戸を開けた。
長身の猫は、木枠に頭をつかえそうになりながら颯爽と入って来て、竈の前に屈むと、残り火の中から炭の欠片を火箸で摘み、火皿の中に押し込んだ。


「離れて吸えよ」


政宗が顎をしゃくると、毛を逆撫でされた猫よろしく、鬱陶しそうに鼻に皺を寄せて、調理台から腰を上げた。


「これ蒟蒻?」


猫は当然のように桐箱の蓋を開け、わらび餅に目を留めた。
政宗は鼻を鳴らす。


「Where’re your eyes?猫の
割に鼻も利かねぇな。ま、料理のいろはも知らねぇ女なら当然かもな」


猫は眉をそばだてる。


「いちいち能書き垂れなきゃ気が済まないとか、ほんっと了見の小さい男だよね。腹立つから愛ちゃんの声でも聞こっと」


言うと猫はすまほを取り出し、待ち受けの愛の顔をひらひらと政宗の鼻先で泳がせる。


「おい、ふざけんな」

「あぁ、可哀想な愛ちゃん。さぷらいずとかどうでもよくなっちゃったから、真実を詳らかにしてもいいよね。
いやぁ、でもこんなせせこましい男に嬉し泣きとかどうなんだろ。何ならあたしが花見に連れて行ってやろうかな。うん、それがいいわ」


「Shit!うるっせぇな。これでいいだろ」

政宗は仕方なしに、棚の奥に隠しておいたカステイラを猫の前に出した。猫は愉快そうに目を眇め、すまほを懐に戻した。

「厚めに切ってね」

「てめぇでやれよ」

「踊り食いするけどいいの?」


政宗は舌打ちをし、鮮やかな黄色の塊に包丁を立てた。
口止め料を含め、厚さ二寸の大盤振る舞いだ。
猫はよしよしと頷き、柔らかな生地を頬張る。


「ん~、美味い。流石、南蛮気触れは伊達じゃないね」


本当、器用な男だこと。
目的が達成されて満足したのか、猫は素直に政宗を褒める。
政宗は今更とばかりに、涼しい顔のまま別段照れも喜びもしない。


「愛はどうしてる」

「あんたからの返書見て、泣きそうになりながらヨガやってるよ」


カステイラを平らげた猫は、指についた蜜を舐めながら、非難がましい目で政宗を見る。
返書の効果は絶大だったようだ。

ちなみに天竺渡りのヨガは、昨今若い女達の間で美容法の一環として定着していた。
愛は全体的には華奢で小作りだが、胸乳が妙に豊満である。
その分形が崩れ易い、太ると余計に厚ぼったく見えるといった悩みがついて回るため、現状維持に必死になっている。

が、独眼竜の妻といえど、そこはやはり年頃の娘。体型に気を遣うも、甘い物を断つのは至難の業らしい。沢山体を動かしたのだから、少しくらい間食しても支障はないだろうとうそぶき、新鮮な果実をたっぷり使って作った政宗特製タルトやロールケーキの食べ比べに現を抜かし、また食べ過ぎてしまったと焦る。

そんな愛に、ならば菓子を作るのはこれきりだと言って追い討ちをかけ、萎れた顔を見る瞬間が、政宗の楽しみの一つであった。更に言えば、愛の乳を揉んだり摘まんだりして弄ぶのが至福なので、今後の触り心地のためにも、あまり痩せてもらっては困る。

愛くるしい顔の下で揺れる甘美な谷間こそが、忙殺された心を癒す、唯一無二の桃源郷なのだ。従って、菓子の供給を止める気は毛ほどもない。
乳が垂れたとしても夫として責任を持って、むしろ積極的に可愛がってやるつもりだ。

さて、米沢から会津へ大移動を終えて間もない伊達家。国造りにおいて裁断しなければならない庶事が山積している。行政関係の指示から、次の合戦を見越しての軍備、評定にと、席どころか床が温まる暇もない。そのように多忙極まりない男が、何故菓子作りなどに勤しんでいるのか。

たまには妻と二人きり、水入らずで過ごしたかった。
実は甘えるのが下手で、自分の気持ちよりも、周囲に足並みを揃えることをまず考える愛は、政務があるからと約束を反故にしてしまっても、嫌な顔一つ見せないのだ。
結局、政宗のほうが先に我慢の限界に達した。
愛を喜ばせたい。あわよくばその後の夜を、いつもより情熱的なものにしたい。
都合のよい展開に想像力を逞しくさせれば、俄然やる気に火がついた。鉄は熱いうちに何とやらで、政宗は電光石火の早さで仕事を片づけ、同時進行で菓子を作り、どうにかこうにか茶を喫するくらいの時間を空けた。当然愛には内緒だ。八つ時丁度に茶席に招待する予定である。今日が小十郎の非番でなければ、桜が咲いているうちの決行は不可能であっただろう。
猫は愛と遊びたいからと、世間話もそこそこに館へ帰った。

政宗は火の始末をして書院へ戻り、諸将に送る文に筆を走らせた。ついでに小十郎が編纂した、倹約令の式目集に嫌々目を通し、同じく小十郎による、浪費を控え質素に暮らせといった旨を、諄々と書き連ねた訴状を斜め読みしたあたりで気力が途切れ、潔く半刻の仮眠をとった。
眠って頭がすっきりしたところで、作業の続きをしに、再度厨へ足を運ぶ。

餅粉と水を合わせて捏ねて、一口大よりも少し小さな団子にし、沸騰した湯に次々と落としてゆく。浮かび上がった順に氷水に移し、冷やしている間に臼を挽いて、茶葉を粉にした。盥の中に大量の氷水と塩を入れ、牛乳、生クリーム、卵黄、砂糖、抹茶を合わせた
金物の鉢を置き、泡立て器で勢いよく攪拌する。
挽きたての上質な茶葉の香りが立ち昇る中、一瞬の休みもなく手を動かしていると、見る間に滑らかなアイスクリームが出来上がる。抹茶とバニラの他にもう一種作ろうと思い立ち、城下で買い求めた桜の塩漬けの封を開け、一匙分刻んでバニラの中に混ぜた。上品な薄紅色を一口掬って舌に乗せてみると、爽やかな香りが鼻を抜け、ほど良い塩気がこくを出している。
パンナコッタとわらび餅は十分に冷えた。アイスクリームを銀製の器に移して氷の台の上に置き、カステイラは大きめの乱切りにする。侍女を呼び、それをどこに置けいつ運べと指図をし、愛に外に出てみろと文書を送った。

居室で着替えをし、辻が花を散らした白い小袖と藍の袴という出で立ちで、庭伝いに愛の起居する館へ向かう。
政宗の姿を認めた愛は、いつものように額づいて挨拶をし、そわそわと顔を上げた。
猫は気を利かせてどこかへ出かけたか。微笑し、涼やかな歩き振りで愛を目指す。愛は打掛の褄を膝に引き寄せ、政宗がどこに座ってもよいように、居住まいを整える。
政宗は草履を脱いで、愛の対面に腰を下ろした。

愛は円らな双眸を頻りに瞬かせ、訝しげに、無防備にちらちらと政宗を盗み見る。
物問いたげな、桃色の口唇が妙に艶かしい。石竹色の小袖の上に羽織った純白の打掛に、見覚えがあった。花見の席で着たいからと、合戦のない冬籠りの時期に、愛が一生懸命になって仕立てていた物だ。
色糸を贅沢に使って、肩に桜、裾に牡丹が一輪一輪大きく縫い取られており、豪奢で、優雅で、また可愛らしい。
ぽっと朱の刷かれた頬を、濡れ羽の髪を、降りしきる小さな花弁が撫でる。
可憐な春の化身が現れ出たようで、目が眩んだ。いつもなら軽口を言いつつ、膝に抱いて恥ずかしがる様を楽しんでやるのだが、どうしてか無性に面映くなって、思わず顎を反らし、青空を透かす枝の連なりを見上げた。
太陽の下で直に会うのが、久し振りだからだろうか。


「あの、政務のほうは捗っていますか?」


明るい調子で先に口を開いた愛に、わざと無愛想に、さぁなと返した。
互いに落ち着きなくしている二人のもとに、ようやく盆を手にした侍女達が、縁側を渡ってやって来る。政宗は、背筋を正して座り直す。


「ま、政宗様?」


これは何ですかと尋ねる間も与えず、毛氈の上にずらり並べられてゆく皿に、愛は目を丸くする。銀細工の皿には、カステイラ、粒餡、パンナコッタ、わらび餅、三色のアイスクリームが、それぞれ山になって盛られている。
皿から皿へ、忙しなく視線を行きつ戻りつさせた愛は、弾かれたように政宗を見上げた。


「嘘、だって、いつの間に?」


喜びに一歩先立って、不意打ちの大きさに戸惑ってしまった様に、政宗は主導権を得たりとばかりににやりとし、ギヤマンの皿と匙を取った。パンナコッタを一杯、二杯と大きくよそい、粒餡を丸く盛り、白玉を並べた。


「あ、政宗様、そんなに沢山、あぁっ」


カステイラを何切れも添え、アイスクリームを惜しみなく乗せてゆく政宗に、愛は興奮を抑えきれず、皿に甘味が積み重なってゆく度に、小さく歓声を上げる。
白のバニラの上に賽の目に切ったわらび餅を置き、全体に波を描くように黒蜜を細く垂らした。若葉色、薄紅色、黄金色、小豆色。百花繚乱の山脈が、突如として皿の上にそびえ立ったようである。
東西の甘味を総結集させた最強の布陣、独眼竜必殺パフェが、ここに完成した。

「これは、食べてもよいのですか?」

「Obviously.誰のために作ったと思ってんだ。早くしねぇと溶けちまうぜ」


カステイラに匙を刺して崩し、パンナコッタと抹茶のアイスクリームと和えて、愛の口元に持ってゆく。愛は政宗と匙の上の小山を見比べ、意を決したふうにいただきますを告げた。


「んんっ、美味しい!とっても美味しい!」


愛は眉を八の字に寄せて、天を仰いだ。人間はどういう訳か、あまりに美味い物を味わった時、そのまま嬉しそうにはせず、一旦苦悶の表情を浮かべる生き物であると、愛を見ているとつくづく思わせられる。


「桜のFlavorのも食ってみろよ」

「はぁ、この綺麗な色は桜なんですか?うん、美味しい!小豆もこのお餅も全部美味しい!」


口の中が極楽になります。
愛の賛辞に、政宗は照れ笑いを呑み込んだ。粒餡以外は砂糖を少なめに作ってあるから、甘くてもくどくならないはずだ。
うっとりと口福に浸る愛の様子に満足しながら、鉄瓶から湯呑みに、熱い焙じ茶を注いだ。


「美味しいです。とっても」


愛はしみじみと息をつく。
そんなに感動したかと、湯呑みから目を上げた政宗は、ぎょっと目縁を押し開いた。
愛の水晶のような双眸からは大粒の雫が頬を伝い、顎から膝へ滑り落ちてゆく。
我知らずのことだったのか、愛は慌てて袖で顔を覆い、明後日のほうを向く。


「何泣いてんだよ、おい、愛」


政宗はにじり寄り、肩を掴んで振り向かせようとする。


「ご、ごめんなさい。あの、でも違うんです」

「いや、違わねぇだろ」


愛は折り畳んだ懐紙に顔を伏せ、息を詰めて押し黙っている。
矢継ぎ早に問い質したくなるも、何か言おうとする気配に、黙って次の言葉を待った。
暫しの無言を経て、愛は一つ鼻を啜った。
「今年は一緒にお花見が出来るなんて、思ってなかったから」


本当はもっと二人きりの時間を持ちたかった。しかし国替えをしてから半年も経っておらず、戦に政にと苦労をしているのは他ならぬ政宗なのだから、些細な望み無闇に口にして、煩わしいことを増やしてはいけない。だから我慢は当然だと思っていた。それなのにこんなに優しくされては、楽しい時間が終わった後のことが余計に寂しいものになってしまいそうで、悲しくなってしまった。
訥々と繋げる言葉を結ぶように、愛はもう一つ鼻を啜った。


「でも、もう大丈夫です。だって政宗様は、私のことを忘れてないってわかったんですもの」


目を赤くしながら微笑まれ、政宗は舌打ちをして、頭を乱暴に掻いた。自分と愛を隔てるものを失くすべく、小さな体を抱きすくめた。


「何でてめぇの女を忘れんだよ」


愛は政宗の厚い肩に顔を埋めて、童女のように忍び泣く。
つれなくして、驚かせて、大好きな甘い物を並べて、睦言を囁き合う。その時間が愛にもたらすものは、笑顔だけだと思っていた自分が、今更ながら信じ難い。軽躁な自信は一気に萎み、代わりにまだ当分寂しい思いをさせる
という、非常に心苦しい現実を、如何に愛に伝えるかで煩悶せざるを得なくなった。
あまり長くない時間、互いに何も言わないまま抱き合った。
涙が止まったのか、愛は政宗の腕から身をもたげ、どこか洗われたような面持ちで、大きく息をついた。


「政宗様の作ってくださるお料理は、いつもとても美味しいです。今日は折角のお花見ですから、一緒に食べましょう」

「Ah,作りながら味見したから、もう充分だ。いいから食えよ」

「いいえ、駄目です」


愛は、溶けたアイスクリームに浸っているカステイラと餡を一緒に掬って、政宗の口の前に運ぶ。絶対に退きませんと言わんばかりの愛に負い目も手伝い、政宗は黙って口を開けた。

「ね、美味しいでしょう」


愛は自慢げに胸を張る。舌の上に広がる味は、美味いが予想の域を超えず、退屈である。適当に何口か食べて湯呑みに手を伸ばすと、不意に愛が小さく吹き出した。
どうしたと聞く間もなく、愛の体が政宗に接近する。
白い手が政宗の頬に伸びたかと思うと、柔らかな指先が口唇の端を、優しく滑った。


「ついてます」


愛はクリームのついた人差し指を、そのまま口に含んだ。
あまりに無心な動作に反応が遅れた。潤んだ口唇から指が離れる音を聞いた瞬間に、胸の芯から燃え上がるように熱が広がる。
政宗が頓狂な顔で硬直しているのをどう受け取ったのか、愛は悪戯な目をして笑う。


「政宗様、お子様みたい」


夫の体に訪れた変調には気づかず、したり顔をする愛。自分の体に突発的に生じたそれの正体に、政宗は口角をにわかに引きつらせたかと思うと、勢いよく笑いだす。


「そうかい、Ok,ok」


中庭に、突き抜けるような哄笑が響く。愛も楽しくなってきたのか、頭上で風にそよぐ枝のように、くすくすと笑う。
弁解の言葉はまだ定まっておらず、反省をものともしない欲求の強さには呆れるばかりだが、はっきりしていることが一つある。

我慢は体に良くないということだ。
夕暮れ、上機嫌で書院に出向く政宗を、愛は湯当たりしたようにぼんやりと、赤らんだ顔のまま見送った。
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