随筆的な……
突然ですが!
2025/07/19 14:25日常
突然ですが。
随筆的なコンテンツを新設した訳ですが、自己啓発的なキラキラした書籍に中てられたわけではなくてですね、多角的に模索した所、随筆を書くのが今の自分に一番適したリハビリだと言うことに気がついたのですよ。
以下列記
・『ネタ探し=日常に興味を向ける』
毎日毎日同じことの繰り返しだとジャネーの法則が働いてしまい、一日があっという間に終わり虚無な就寝時間を迎えてしまうのを防ぐため。
・『認知機能のトレーニング』
これが最大の理由。今現在の脳みそのトラブルの根源。前頭前野の活動が低下しており認知機能全般を用いた活動が低下しているのを少しでも改善するため。
・『ミドルライフクライシスを軽減したい』
まあ、そのなんだ。この歳になると色々と考えることが多くなり人生の迷路に迷い込んだ気分になることが毎日ある。で、それを言語化して分析して、今現在の自分を受容と容認したいと目論んでいるため。
・『自己洞察力を鍛えるため』
正直、日内変動で自己洞察力が変化してしまうのは大きな問題だと思っている。で、日内変動程度ではブレない自己洞察力を保っていれば自己肯定感の低下が防げるのではないかと。
・『今小説が書けないことによる自己肯定感の低下の緩和、軽減、回復の促進』
これもまた大きな問題でして。今現在認知機能が大幅に低下しているのでSNSでもオモシロな一言すら放てない状態。認知資源を大量に消費する小説の執筆ができない自分の自己肯定感が低下しており、歯がゆい思いをしている。脳内物質のドーパミンとアセチルコリンの不足。それでもなにか書きたい! 書かねばならぬ! という認知の歪みに囚われて苦しい状態でも随筆という事実に対して感情を上乗せした著述なら認知資源の消費量が少なくても済むし、「なにか書いた」という小さな自己肯定の達成感を得られる。……それに、毎日とはいかなくともできる範囲でできるだけアウトプットしていればそのうち創作に必要な脳内物質も呼び水の如く出てくるだろうという考えもあり。
・『知識のアウトプットのため』
多分、インプットは十分なんだ。だけどインプットした情報はアウトプットしてフィードバックしなければ脳内に大量のノイズを溜めるだけになる。使わない知識はワーキングメモリを逼迫する原因だ。放置しておいても忘れてしまうが、そうなれば読書など金を払って得た情報はただの消費物として終わってしまう。元から貧乏性なのでお金を出して仕入れた知識はなんとしても身に着けたい欲張りな考えが強いのである。
・『脳の排水のため』
認知機能が低下してからというもの、それまでの習慣だったモーニングページが行えなくなって、脳内の本物のノイズが圧縮されて、海馬がどんなに頑張って顆粒細胞を製造しても追いつかないくらいにワーキングメモリが逼迫しているのを、一纏めにして垂れ流しにしてしまおうと目論んだ次第。脳にノイズが溜まり過ぎるとやがて脳疲労を招き、ただでさえ少ないワーキングメモリがたった一つの情報に占拠されて、しかも反芻思考に陥り何も考えが浮かばないし、作業のパフォーマンスも低下するので、正直、脳の排水は毎時間行いたい。
・『言語化を素早く行いたい』
文字書きさんなら理解してもらえるだろうか? 語彙や修辞技法が豊かだからあらゆる揶揄や暗喩や描写を使いこなせるかと思いきや、実際にはそうでない場合が多く。しかもそれが執筆とは関係ない日常生活の中での言語かともなると対人コミュニケーションである場合が多いので丁々発止に気の利いた小粋なやり取りをしたいと思うのが人情。格好つけるとか、好印象を持たれたいとかそんなのはどうでもよくて、自分の頭の中の曖昧模糊とした何かを素早く言語化して筆記なり発音なりして、こちらの真意を相手に正確に伝えたいのですよ。
・『事実と感情の切り分けの練習のため』
リフレーミングにも通じる話ですが、見たままを「見たまま」感じるのは難しく、大方の場合、そこには「見て感じたこと」が一緒くたに語られる場合が多い。で、事実と感情の切り分けができないと何が困るかというと、一方的な視点でしか物事を観察できない視野狭窄な人間が出来上がるのですよ。子供ならいざ知らず、いい歳こいた大人がどれが事実で、どれが感情なのかという切り分けができないのはまずいと思いまして……。認知機能が低下すると大脳辺縁系が脳を支配することが多くなるので、感情が先走り、怒りや悲しみが強く表面に出てしまい、相手を慮る余裕は微塵もなくなるのです。なので、大脳辺縁系にコントロールを奪われる前に大脳新皮質の能力を鍛えて事実と感情を切り分けて考えて、物事を考えたり見たりする能力を鍛えないと、と思った次第です。
・『アンヘドニアの緩和、軽減』
これが非常に厄介で、これまた日内変動で大きく変化するので対人コミュニケーションでは苦労しているのです。兎に角、喜怒哀楽が表出しない。どこに喜怒哀楽のポイントが有るのか分からない。そもそもこんな時どんな顔をすればいいのかわからないの状態なので、ドーパミン先制の力を借りてセロトニン、オキシトシンという幸福感と直結している脳内物質を誘引する目的で、先ずは身の回りのことに目を向けて、少しでも心が動いたことを針小棒大に膨らませて表現してみよう。文字で。と、考えが至り、どうせ随筆的なのを書くのだから、執筆は認知機能を多少使うのだから、認知機能と喜怒哀楽の感情は関係があるのだから、即ち、随筆的なのもアンヘドニアに何かしらの効果があるに違いない! と思って……。
と、まあ、こんな感じで大脳新皮質と前頭前野の不調を一気に解消したり正常に近くしたりする方法は無いものかと、脳科学に関する本を読んでいたら『随筆を書く』という一文があったので試してみようと思った次第。
勿論、脳に負荷がかかっている時は思考選択決断を放棄しますし、脳疲労回避のために連日の執筆はしません。ネタ探しはしますが脳疲労予防のためにメモ帳を最大限に活用する所存。
有り体に言うと随筆的なのを書くのが目的ではなく、随筆という手段で脳機能をリハビリするのが目的なので、何が何でも書かなければ! と思った時点でリハビリではないんよ。認知の歪みが発生してるのよ。
先ずは2000字前後の随筆的なのをそこそこ続けて書けるようになるまで挑戦してみます。
随筆的なコンテンツを新設した訳ですが、自己啓発的なキラキラした書籍に中てられたわけではなくてですね、多角的に模索した所、随筆を書くのが今の自分に一番適したリハビリだと言うことに気がついたのですよ。
以下列記
・『ネタ探し=日常に興味を向ける』
毎日毎日同じことの繰り返しだとジャネーの法則が働いてしまい、一日があっという間に終わり虚無な就寝時間を迎えてしまうのを防ぐため。
・『認知機能のトレーニング』
これが最大の理由。今現在の脳みそのトラブルの根源。前頭前野の活動が低下しており認知機能全般を用いた活動が低下しているのを少しでも改善するため。
・『ミドルライフクライシスを軽減したい』
まあ、そのなんだ。この歳になると色々と考えることが多くなり人生の迷路に迷い込んだ気分になることが毎日ある。で、それを言語化して分析して、今現在の自分を受容と容認したいと目論んでいるため。
・『自己洞察力を鍛えるため』
正直、日内変動で自己洞察力が変化してしまうのは大きな問題だと思っている。で、日内変動程度ではブレない自己洞察力を保っていれば自己肯定感の低下が防げるのではないかと。
・『今小説が書けないことによる自己肯定感の低下の緩和、軽減、回復の促進』
これもまた大きな問題でして。今現在認知機能が大幅に低下しているのでSNSでもオモシロな一言すら放てない状態。認知資源を大量に消費する小説の執筆ができない自分の自己肯定感が低下しており、歯がゆい思いをしている。脳内物質のドーパミンとアセチルコリンの不足。それでもなにか書きたい! 書かねばならぬ! という認知の歪みに囚われて苦しい状態でも随筆という事実に対して感情を上乗せした著述なら認知資源の消費量が少なくても済むし、「なにか書いた」という小さな自己肯定の達成感を得られる。……それに、毎日とはいかなくともできる範囲でできるだけアウトプットしていればそのうち創作に必要な脳内物質も呼び水の如く出てくるだろうという考えもあり。
・『知識のアウトプットのため』
多分、インプットは十分なんだ。だけどインプットした情報はアウトプットしてフィードバックしなければ脳内に大量のノイズを溜めるだけになる。使わない知識はワーキングメモリを逼迫する原因だ。放置しておいても忘れてしまうが、そうなれば読書など金を払って得た情報はただの消費物として終わってしまう。元から貧乏性なのでお金を出して仕入れた知識はなんとしても身に着けたい欲張りな考えが強いのである。
・『脳の排水のため』
認知機能が低下してからというもの、それまでの習慣だったモーニングページが行えなくなって、脳内の本物のノイズが圧縮されて、海馬がどんなに頑張って顆粒細胞を製造しても追いつかないくらいにワーキングメモリが逼迫しているのを、一纏めにして垂れ流しにしてしまおうと目論んだ次第。脳にノイズが溜まり過ぎるとやがて脳疲労を招き、ただでさえ少ないワーキングメモリがたった一つの情報に占拠されて、しかも反芻思考に陥り何も考えが浮かばないし、作業のパフォーマンスも低下するので、正直、脳の排水は毎時間行いたい。
・『言語化を素早く行いたい』
文字書きさんなら理解してもらえるだろうか? 語彙や修辞技法が豊かだからあらゆる揶揄や暗喩や描写を使いこなせるかと思いきや、実際にはそうでない場合が多く。しかもそれが執筆とは関係ない日常生活の中での言語かともなると対人コミュニケーションである場合が多いので丁々発止に気の利いた小粋なやり取りをしたいと思うのが人情。格好つけるとか、好印象を持たれたいとかそんなのはどうでもよくて、自分の頭の中の曖昧模糊とした何かを素早く言語化して筆記なり発音なりして、こちらの真意を相手に正確に伝えたいのですよ。
・『事実と感情の切り分けの練習のため』
リフレーミングにも通じる話ですが、見たままを「見たまま」感じるのは難しく、大方の場合、そこには「見て感じたこと」が一緒くたに語られる場合が多い。で、事実と感情の切り分けができないと何が困るかというと、一方的な視点でしか物事を観察できない視野狭窄な人間が出来上がるのですよ。子供ならいざ知らず、いい歳こいた大人がどれが事実で、どれが感情なのかという切り分けができないのはまずいと思いまして……。認知機能が低下すると大脳辺縁系が脳を支配することが多くなるので、感情が先走り、怒りや悲しみが強く表面に出てしまい、相手を慮る余裕は微塵もなくなるのです。なので、大脳辺縁系にコントロールを奪われる前に大脳新皮質の能力を鍛えて事実と感情を切り分けて考えて、物事を考えたり見たりする能力を鍛えないと、と思った次第です。
・『アンヘドニアの緩和、軽減』
これが非常に厄介で、これまた日内変動で大きく変化するので対人コミュニケーションでは苦労しているのです。兎に角、喜怒哀楽が表出しない。どこに喜怒哀楽のポイントが有るのか分からない。そもそもこんな時どんな顔をすればいいのかわからないの状態なので、ドーパミン先制の力を借りてセロトニン、オキシトシンという幸福感と直結している脳内物質を誘引する目的で、先ずは身の回りのことに目を向けて、少しでも心が動いたことを針小棒大に膨らませて表現してみよう。文字で。と、考えが至り、どうせ随筆的なのを書くのだから、執筆は認知機能を多少使うのだから、認知機能と喜怒哀楽の感情は関係があるのだから、即ち、随筆的なのもアンヘドニアに何かしらの効果があるに違いない! と思って……。
と、まあ、こんな感じで大脳新皮質と前頭前野の不調を一気に解消したり正常に近くしたりする方法は無いものかと、脳科学に関する本を読んでいたら『随筆を書く』という一文があったので試してみようと思った次第。
勿論、脳に負荷がかかっている時は思考選択決断を放棄しますし、脳疲労回避のために連日の執筆はしません。ネタ探しはしますが脳疲労予防のためにメモ帳を最大限に活用する所存。
有り体に言うと随筆的なのを書くのが目的ではなく、随筆という手段で脳機能をリハビリするのが目的なので、何が何でも書かなければ! と思った時点でリハビリではないんよ。認知の歪みが発生してるのよ。
先ずは2000字前後の随筆的なのをそこそこ続けて書けるようになるまで挑戦してみます。
