随筆的な……

仏教用語でいう「明らかにする」ようなもの

2026/05/21 07:49
日常嗜好品
 学ぶのはしんどい事だと、分からされた。

 それは唯の葉巻による酩酊が見せる錯覚だったのかもしれないが、数日過ぎた今でもこうして脳内にこびりついている。

 ただ、熟成が良い感じに仕上がった葉巻を試しに吸ってみようとニカラグアのロブストを吸っていた。
 当初はその熟成の出来栄えに自画自賛していた。
 そのうちアセチルコリンのニコチン受容体が活発になり、味わうステージから、内省へと深度を進めた。
 これが葉巻の魅力なのだが、独りで外部の情報を絶って葉巻を吸っていると、ここでは割愛するが様々な脳内物質の働きにより、脳内が静かにフル稼働する。それが私の場合は普段からの習慣で創作に活かされていただけだ。
 今回も創作に関する何かが浮かぶのだろうと、酩酊と倦怠感の中、高速回転する脳内を観察していた。
 時間の経過を忘れる深い満足感。その正体はニコチンの作用なのか、DMWの生み出すアハ体験に圧倒されている多幸感なのかは不明。

 そして本題。
 思考の方向が自分の内側の深い部分へと侵入してきた。
 ネガティブ・ケイパビリティとして放置していながらもツァイガルニック効果として気になっていた『誰もが心の片隅に持っている、解明したくないものが詰まった箱』に触れてしまった。
 ヤーキーズ・ドットソンの法則やヘッブの法則では解決できない、典型的なエメットの法則で固められた、山のような、部分的に黒い感情……というより触れたくない感情である『【自分の無駄】を認める』というモノを、結果的に解体して言語化してしまった。……今回の喫煙で得たものは幾つか有るが、本稿ではそのうちの一つだけに留めておこう。

 『私が学んできたことは全て創作のためというお題目でしかなかった』という事だ。
 作中のディティールを深めるために活かしているか否かは別として、それの解像度を自在に上げ下げするために様々な本を読んできた。本を読むだけでなく、狙撃のミル計算で三角関数や二次関数や微分積分が必要だからと、たかが数行のためにNHK講座を受けていたことも有った。
 葉巻を吸っている最中に大悟に近い感覚を覚えたのはソレのアンチ的思考だった。
 『そんなに覚えても創作以外で何も活かせていない。作中でも99%くらいは未使用の情報と知識でしかない』
 そんな脳内の囁きくらい、いつもなら創作のためにというお題目で習慣化した学びを貫くことを再度決意して笑っていただろう。
 だが、今回は違った。
 今年の2月にヒートショックで心臓が止まった時に、意識をなくす瞬間に「あんなに生きて創作をしたかったのに、イザという時が来たらこんなに簡単に生きることを放棄するんだ」と、自分の命を躊躇いなく手放した自分を笑いながら意識が落ちたのを思い出した。
 私ももういい中年だ。中年という部分だけを見れば唯のおっさんの仲間だが、今の寿命から計算した健康余命と平均寿命を鑑みるに、もう大した時間は残っていない。
 体でも頭脳でも、自分の弱点を克服することに躍起になってばかりだと、自分の強みを活かす時間がないのだ。
 人の顔色だの世間のニーズだの、界隈のムーブメントだのに構っている時間はない。
 それが作品として読めるか否かではなく、自分が書きたいものを──厳密にはテーマやアンチテーゼ──書きたい。
 そうなれば、今までのように頭でっかちのように知識だけを詰め込んでいるのは、弱点克服という名分が有っても、時間を有意義に消費しているとは思えない。
 恐らく、今が一番、肩の力を抜いて創作と向き合っているのではないか?
 もう本番の短編拳銃活劇を書けるだけの体力はない。一時はそれが原因で落胆していたが、習作や掌編を書くことを思いつてから少し考えが変わってきた。
 創作に前向きになり始めた時に……その矢先にヒートショックで救急搬送された。
 死にかけの状態で自分の覚悟や決意の脆さを笑い、自分を型に嵌めていた『自分で作った型』が壊れた。
 そして、今回の葉巻での内省。
 背負おうとしているものが多過ぎた。もうちょい噛み砕くと、データから情報へ、情報から知識へ、知識から知恵へと昇華させていくDIKWピラミッドで習得したいデータばかりで選別せずに記憶だけして、放置していたのだけど、それがネガティブ・ケイパビリティとしての許容量を超えてしまい、認知機能の何処かが常に悲鳴を挙げていた。
 覚えたからには磨かねばならんという貧乏性が仇になった。……で、喫煙中にソレに触れて寿命を逆算したところ──寿命を何故引き合いに出して計算したのかは未だに不明なのだが──自分が本当にしたいことをしている時間がないという事実に急激に焦りだした。
 問題というのは基本的に解決方法3つしかなく、「類似する他の問題を探す」「視点を変える」「問題を細分化する」のだけど、もっと根本に帰って、「その問題が有ることで発生する悩みは何だ?」とリフレーミングしてみた。経験上、世の中の殆どの問題は自力では解決できないが、それが元で発生する悩みは『自助努力でコントロールできる』事が多い。全てをコントロールするのは不可能だが、不快な度合いを100だとしたら90や80まで軽減させることが可能だ。自分で主体的に選択し、選択した方法で成功と失敗からフィードバックを得て改善し、問題が有ることで発生する悩みのコントロール率を上げていく。そのためには『自助努力でコントロール』を試みる必要が不可欠なのだ。
 それを踏まえて考えた場合、自分の価値と価値観が揺らいでいることがわかった。創作に関する価値と価値観は相変わらずだが(……だと思っている)、人生として考えた場合、価値と価値観が定まっていないのに気がついて、その歪が自覚できないレベルで侵食し、『問題と悩み』と『自分の残り時間』を紐付けて考えることができなかった。……主観と客観を自力でバウンダリーとして線引できていない部分があり、もしかしたら癒着していたのではないかと思う。
 それをたったの2時間──ニコチンが作用した時間はせいぜい1時間程度か?──の喫煙で整理できた。勿論、手元のメモ帳に重要なポイントを抜き出して殴り書きしながら。
 人生で初めて葉巻を吸ったときも、もう自殺をやめようと思った切っ掛けを直接与えてくれた時に吸った葉巻も、全て素晴らしいものだった。素晴らしい喫煙だった。
 で、現在。
 自分の可処分時間を惜しむ時期に入ってから、1250円で買ったニカラグアの葉巻によって、この先を決断する大きなピースを見つけることができたと思っている。
 葉巻を吸い始めてから30年。
 漸くここまで来た。生きてここまで来れた。多分葉巻がなかったら、創作意欲はなかったし、希死念慮が止まらず自殺企図はやめなかったし、執筆後の楽しみを見出すこともなかった。
 漸く、漸く、自分は本当に葉巻と生きてきたのだと実感できた。
 学ぶことはしんどいことだと悟ったからと言って、学ぶことを止めるとは一言も言っていない。
 寧ろ、VUCAの時代に学ぶことを放棄するのは認知的自殺行為だ。……ではどうするか? 学びにも種類が有る。そのタネは腐るほど脳内に有るしノートに書き留めている。
 それを個別性が低く再現性が高い、限りなく一般論に近いレベルの知識に落とし込んで体系立ててみる事にした。
 ……尤も、ノートに書き出してマニュアル形式で整理して脳内の棚卸しをするだけだが、「耳目にした情報は全て記憶せねばならん」という強迫観念の払拭も兼ねている。
 一般論というのは耳目にするまま、盲信するから思考停止だと笑われるのであって、一般論が生まれるまでの、或いは、それが必要だとされ、ここに至るまでの起源を掘り返せば、一般論はハイコンテクストな、時間によってバトルプルーフされた『フレーズレベルで説明できる知恵』ではないかと思う。本質──この場合の『本質』の定義は「シンプルである」「再現性が有る」「普遍性である」の3つを満たしていること──だけで成り立っている豆知識ではないか?

 要するに本稿はニコチンという薬物の力を借りねば何も分からなかったアホの回顧録的な話である。

 葉巻はいいぞ。

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