随筆的な……

読書のスタイル

2025/09/24 14:47
読書
 「私は教養がない」
 ……と、騒ぐ以前より、何か違和感が有って只管、能動的な勉強を続けていた。生来の頭の悪さがこれを招いているのだろうと思い、あまり深刻に考えずに何十年と放置してきた。
 で、結論から言うと、これは生来の頭の悪さは脇に置いて、持病の症状の一つだと知らされた。私の抱える病の首魁は様々な認知機能に様々に影響を与える厄介なものだ。その厄介な症状の一つに、『大量に情報をインプットしたくなるクセに、インプットした大量の情報が処理不全で上手く扱えない、記憶に定着し難い』というものだ。

 この事実を知ってからというもの、読書と能動的勉強に拍車が掛かった。
 今までのような、書いてあることをそのまま覚える、丸暗記の意味記憶では効率が悪い。脳内の伝達物質を用いたエピソード記憶を利用して記憶に深く定着させようと誓った。
 だが、アンヘドニアの私に喜怒哀楽が豊かに噴出できるわけも無く、煩悶とする想いを抱えながら読書を重ねる。そして気になったくだりだけを紙に書き出して読書ノートに纏める。……これくらいしか私の頭では思いつかなかった。その時は。

 世の中で言われるように、海馬に超短期的に一時保存された記憶は10日以内に3回アウトプットすれば記憶に定着するという方法も試した。
 今現在、この方法が一番しっくりくるような気がするので、通常はこの方法で読書と能動的勉強に勤しんでいる。
 
 という、長い前置きが漸く終わり、ここからが本題。

 ぶっちゃけ、読書ほど、コスパの優れたエンタメは無いのよ。

 実用書でもラノベでも漫画でも、自分が読んで気になったポイントを紙に書けるだけ書いて、自分と比較すればいい。
 すると真っ先に自分の弱点と直結したポイントやセリフやシーンが出てくる。人間のネガティブな感情が働くからだ。
 実用書でも創作物でも、自分の身につまされる事柄はあたかもカクテルパーティ効果の如く、選択的注意が働き、本を読むのをやめてもカラーバス効果が働き、その一文が忘れられない。
 「慄きは記憶にもっとも効果的な感情だよ」と、藍染惣右介のような顔になっている私。
 人間はネガティブに敏感だ。

 勉強には二つの種類が有る。
 短所克服と長所伸展だ。
 普通なら克服するのに時間がかかる短所克服よりも、手っ取り早くて楽で、その筋のナンバーワンに慣れる可能性が高い長所伸展を学ぼうと考えるだろう。
 私もそう考えていた時期が有りましたよ。
 ところが、私の場合、弱点だらけの人間なので実用書を読んでも漫画を読んでも刀のようなものでブッ刺される場面が多い。即ち、自分が今まで逃げ回ってきたツケを払う時が来たのだ! と悟った途端に、読書に於いて自分の弱点や欠点や低評価に抵触するポイントをやや多めに集めて紙に書き出して、読み返した。
 そして自分の行動と照らし合わせてその乖離を『観察する』。

 自分はどれくらい酷いか。
 自分はどんな人間なのか。
 自分は何ができるのか。

 やや認知行動療法的な手法で読書ノートを読み返して、読書ノートに書かれた『最も痛いポイント』を厳選して3~5個選んで、いつも持ち歩いているメモ帳に付箋で貼り付ける。その選んだポイントに注意して生活するだけで全く違う。背筋が伸びる思いになる。あたかもボケとツッコミのツッコミ担当が突っ込む機会を伺うように、自分が注意せねばならないポイントを『意識している』のだ。
 
 これが前述の『コスパが優れたエンタメ』なのよ。
 自分が少々のマゾ気質なのかもしれないが。
 読んで楽しんで、書き出して学んで。
 私がアマチュアとはいえ、小説を書く事を道楽としているからかもしれないが、ソースを加工する元ネタとしても流用できる点が多い。
 
 能動的勉強とはこういう事なのだと思う。
 学生時分の勉強はA9神経群を通過するために感情によって「快」「不快」のラベルが貼られて「教師や親に言われて勉強すればするほど」不快のラベルが勉強した情報に貼られていく。すると、テストが終わった途端に全てを忘れてしまうのだ。脳は快か不快かを判断するだけのために進化してきた臓器だ。一度でもネガティブなラベルを貼ると、脳は『排除せねばならない』と自動的に思考し、あらゆる伝達物質を使って不快の元凶を取り除こうとする。……これが受動的勉強の難点だ。余程その勉強が好きでないと脳はその情報を「重要である」というラベルを貼らない。
 私は能動的勉強として「馬鹿なのだから人一倍、勉強せねばならない」という考え方を改めて、徐々に、勉強をいかに楽しむか? という視点にチューニングしている。まだまだチューニングは終わっていないが、以前よりは海馬が超短期記憶として情報を覚えている時間が長くなったような気がする。
 私の場合、持病の面倒な症状の一つである概日リズム障害で時間帯によって認知機能のスペックが大幅に変動する。そのような難物の脳味噌でも最近は思考の多動や観念奔逸がやかましくとも、それらに阻害されまいと書き抜いた一文を読み返して、『読書という体験』から何かを拾っては、行動に移して実際に変容させ、『経験として蓄積』させる事を重視している。

 要するに自分を補うヒントを拾っては、それをTODOとしてまとめて実行しているだけだ。

 前にも書いたが、読書はお金を出して本を買ったのだからただの消費物としては勿体ない。お金を出して今の自分では到底思いつかない知識をたくさん拾った、実際に使って効果を実感した、何かしらの自己効力感を得た、と体感すれば実用書でもラノベでも漫画でも非常に『厚み』のある教科書だと思う。

 時間をおいて再読してもまた違った発見が有るから、それもまた楽しいものだ。

 まあ、エロ漫画と官能小説は今も昔も『非常に優れた実用書』だがな! ガハハハ!!

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