随筆的な……
傾倒
2025/09/10 15:37読書創作
実のところ、心の病の影響で永らく興味消失と感情鈍麻を拗らせておりまして。
感動の薄い毎日を生きているだけなので時間が飛ぶように早く、メリハリが無い。心の病にかかるとできないことが指数関数的に加速する。その中でも、どんなに『心に残るコンテンツ』を摂取しても、感動ではなく、情報や知識として蓄積されるだけで、ともすると非人間的な挙動とさえ自分で思ってしまう。
感情鈍麻と興味の消失。これらはアンヘドニアという一言で表すことができる。
昔からの長い心の病との付き合いだが、コイツとだけは仲良くなれる気がしない。
何しろ、創作家として必要なドーパミンとアセチルコリンを阻害するのだ。枯渇ではない。出るべくして出るはずの場面で、出ないので、優れた芸術に触れても無感動。本の感想文を書いても、感想文というよりも要約と論点をレポートしたような内容。……何より、感情や感動に影響するので対人関係に於いて非常に苦労している。
で、ここからが本題。
小説を書いておきながら人の心が汲み取りにくいので、キャラクターシートは文字で埋め尽くされるのだが、活用できない。
そうなってしまう原因の一つが、『感情を知識で上書きしてしまう』事が挙げられるだろう。
心の病に罹患にして初めて、『心』というものに興味を持った。
「心とは? 精神とは? 魂とは? 意思とは? 自我とは?」と、胃が痛くなってから初めて胃を意識したという話と同じで、心を病んでから心の働きに興味を持った。
まだ当時は認知機能はマシで、丸暗記の意味記憶も多少はできた。片っ端から脳科学や哲学や心理学や行動分析学や認知学の書籍を読み漁り、『心』という観測できないものを観測しようと躍起になった。
そのクセ、小説にはつい最近までフィードバックできなかった。……この件に関してはただ単純に創作の資料として転用する技術を習得していなかっただけだ。
前述のように、感情を知識が上書きしてしまうので、リアルに於いてはノンバーバルコミュニケーションで失礼にも相手を観察してしまい、しかも自分は自分で、自分のパーソナルスペースとコンフォートゾーンだけは死守したいという勝手な防衛機制が働き、実に冷めた人間に写ってしまっただろう。
……ただ、私の中のバイポーラルとも言える不安定な病は、毎朝目が覚めた時に『どうなってるか分からない』のが難点なのだ。
畢竟、その日の認知機能は毎日がおみくじ状態。
更に、セロトニンが仕事をしていないと、起床直後のコルチゾールを制御できないのでアドレナリンとノルアドレナリンは暴走し、一日中交感神経が優位なままで不安や焦燥に襲われる。創作に必要なアセチルコリンの分泌どころではない。勿論、お得意の作業興奮なんて絶対に無理。
そんな私だが、最近漸く、人の心の機微を理解……否、解析しようと躍起になって意味記憶していた脳科学や心理学諸々が創作に転用できるようになった。
これは成長なのか、アハ体験なのかは不明だが、これらの知識は小説の中だけでなくリアルでも活用できる知識だと知った。拳銃のスペックや操作方法はリアルでは全く役に立たないが、脳科学や心理学は自分で認知の歪みを正す認知行動療法にも有効だし、読書感想文を書くのにも使える。
一番の気付きは、『事実と感情の切り分け』『主観と客観の違い』が分かるようになったので生きていく上で非常に楽になったことだろう。
脊髄反射で発言することが少なくなり対人関係においてトラブルが少なくなった。(言うほど対人関係でトラブルはない。リアルで友人がいないから……)
人間の感情が理解できるか、コンテンツで感動するか否かは相変わらずおみくじ状態だが、空気を読むという曖昧な察し方を脳科学と心理学で解析すると思ったほど難解ではないので、感情・意欲・注意の調節を司る帯状回がストライキを起こしていても、脳内で言語化して相手の論理をゆっくりと理解することができる。……側坐核がドーパミン不足なので、知識を引用し、対人関係で丁々発止の小粋なやり取りができないのは悔しいところ。
いやー、それにしても何が役に立つか分からんもんスねぇ。
で、まあ、最近は少しばかりアセチルコリンも営業を開始したのか、「言語化=執筆」に近づいてきて、そのリハビリとして【随筆的な……】や習作をその日の体調次第で執筆しているのが現在です。
以前の記事でも書きましたが、今の自分はインプットは十分なはずで、アウトプットとフィードバックの機会が無いだけ。
もうこうなりゃ、質より量! 量がなければ質の高いものは生まれない! と、考えて、脳に適度な負荷をかけて毎日を生きています。日々是修行って本当だなぁ……。
どうせつらつらと書くのならnoteで書け! と言われたこともありますが……あそこはブルーオーシャンかもしれないけど、キラキラとギラギラが同数で混じっているので私のような覚悟のない人間が立ち寄るところではないと思い、アカウントを削除しました。(アカウントは興味本位で作って一時期、徘徊していた)
まあ、そんなわけでして、人の心がわからない冷血人間ではなく、人の心の機微を汲む能力が日によって落差の激しい人間が自助努力でどこまで社会生活を営めるかのチキンレースをしている限りでございますわよ。
感動の薄い毎日を生きているだけなので時間が飛ぶように早く、メリハリが無い。心の病にかかるとできないことが指数関数的に加速する。その中でも、どんなに『心に残るコンテンツ』を摂取しても、感動ではなく、情報や知識として蓄積されるだけで、ともすると非人間的な挙動とさえ自分で思ってしまう。
感情鈍麻と興味の消失。これらはアンヘドニアという一言で表すことができる。
昔からの長い心の病との付き合いだが、コイツとだけは仲良くなれる気がしない。
何しろ、創作家として必要なドーパミンとアセチルコリンを阻害するのだ。枯渇ではない。出るべくして出るはずの場面で、出ないので、優れた芸術に触れても無感動。本の感想文を書いても、感想文というよりも要約と論点をレポートしたような内容。……何より、感情や感動に影響するので対人関係に於いて非常に苦労している。
で、ここからが本題。
小説を書いておきながら人の心が汲み取りにくいので、キャラクターシートは文字で埋め尽くされるのだが、活用できない。
そうなってしまう原因の一つが、『感情を知識で上書きしてしまう』事が挙げられるだろう。
心の病に罹患にして初めて、『心』というものに興味を持った。
「心とは? 精神とは? 魂とは? 意思とは? 自我とは?」と、胃が痛くなってから初めて胃を意識したという話と同じで、心を病んでから心の働きに興味を持った。
まだ当時は認知機能はマシで、丸暗記の意味記憶も多少はできた。片っ端から脳科学や哲学や心理学や行動分析学や認知学の書籍を読み漁り、『心』という観測できないものを観測しようと躍起になった。
そのクセ、小説にはつい最近までフィードバックできなかった。……この件に関してはただ単純に創作の資料として転用する技術を習得していなかっただけだ。
前述のように、感情を知識が上書きしてしまうので、リアルに於いてはノンバーバルコミュニケーションで失礼にも相手を観察してしまい、しかも自分は自分で、自分のパーソナルスペースとコンフォートゾーンだけは死守したいという勝手な防衛機制が働き、実に冷めた人間に写ってしまっただろう。
……ただ、私の中のバイポーラルとも言える不安定な病は、毎朝目が覚めた時に『どうなってるか分からない』のが難点なのだ。
畢竟、その日の認知機能は毎日がおみくじ状態。
更に、セロトニンが仕事をしていないと、起床直後のコルチゾールを制御できないのでアドレナリンとノルアドレナリンは暴走し、一日中交感神経が優位なままで不安や焦燥に襲われる。創作に必要なアセチルコリンの分泌どころではない。勿論、お得意の作業興奮なんて絶対に無理。
そんな私だが、最近漸く、人の心の機微を理解……否、解析しようと躍起になって意味記憶していた脳科学や心理学諸々が創作に転用できるようになった。
これは成長なのか、アハ体験なのかは不明だが、これらの知識は小説の中だけでなくリアルでも活用できる知識だと知った。拳銃のスペックや操作方法はリアルでは全く役に立たないが、脳科学や心理学は自分で認知の歪みを正す認知行動療法にも有効だし、読書感想文を書くのにも使える。
一番の気付きは、『事実と感情の切り分け』『主観と客観の違い』が分かるようになったので生きていく上で非常に楽になったことだろう。
脊髄反射で発言することが少なくなり対人関係においてトラブルが少なくなった。(言うほど対人関係でトラブルはない。リアルで友人がいないから……)
人間の感情が理解できるか、コンテンツで感動するか否かは相変わらずおみくじ状態だが、空気を読むという曖昧な察し方を脳科学と心理学で解析すると思ったほど難解ではないので、感情・意欲・注意の調節を司る帯状回がストライキを起こしていても、脳内で言語化して相手の論理をゆっくりと理解することができる。……側坐核がドーパミン不足なので、知識を引用し、対人関係で丁々発止の小粋なやり取りができないのは悔しいところ。
いやー、それにしても何が役に立つか分からんもんスねぇ。
で、まあ、最近は少しばかりアセチルコリンも営業を開始したのか、「言語化=執筆」に近づいてきて、そのリハビリとして【随筆的な……】や習作をその日の体調次第で執筆しているのが現在です。
以前の記事でも書きましたが、今の自分はインプットは十分なはずで、アウトプットとフィードバックの機会が無いだけ。
もうこうなりゃ、質より量! 量がなければ質の高いものは生まれない! と、考えて、脳に適度な負荷をかけて毎日を生きています。日々是修行って本当だなぁ……。
どうせつらつらと書くのならnoteで書け! と言われたこともありますが……あそこはブルーオーシャンかもしれないけど、キラキラとギラギラが同数で混じっているので私のような覚悟のない人間が立ち寄るところではないと思い、アカウントを削除しました。(アカウントは興味本位で作って一時期、徘徊していた)
まあ、そんなわけでして、人の心がわからない冷血人間ではなく、人の心の機微を汲む能力が日によって落差の激しい人間が自助努力でどこまで社会生活を営めるかのチキンレースをしている限りでございますわよ。
