随筆的な……
抜けるような青い空
2025/08/05 15:15日常
夏空。
はて、『抜けるような青い空』とはなんぞや? と考えが及んだことから少し昔話を交えて書いていきたいと思います。
昔の夏空は本当に青かった。
空が青く見えるのは宇宙の色だと言われているが専門外なので各自調べてください。
それは兎も角、幼少の頃に見た青空は即ち、積乱雲とセットで夏空を表していたような気がする。
父上に尋ねたことが有ったが、その父上も「昔はもっと青かった」と言っていた。
今は常に空が霞んでいる。
大気汚染が叫ばれて久しい昨今。大陸の大気汚染がー、とか地球全体の温室効果ガスがーとかそんなスケールの大きな話を論じても、正直、手遅れなのだ。個人的には環境破壊に対しては不可逆的なイメージを持っており、部分的に可塑性が見られても、産業が発達する以前の地球の環境に戻すのは不可能だ。
だからと言って、今からでも先人の知恵に倣って自然派になろう! と盲目的に自然主義的誤謬に陥る気はない。
時代は不可逆だ。
40年以上前の空の青さを知っている私が幾ら、写真を携えて空の青さを訴えても『空の青さに価値や憧憬を見つけることができない人』には訴求力0なのだ。……これは空の青さに限った話ではないが。
夏になって空を仰ぐ度に子供の頃の空と比較する。そしてその度に、当時と違う空の色に寂寞を感じる。
もしかすると、私の言う美しいという意味の『抜けるような青い空』が、若年層の方には『違和感』や『不気味』とさえ捉えられかねない。
それだけ時代が進んだのだろう。
それくらい時代が進んでいても何も不思議ではない。
私が父上の言う「もっと青かった青空」を想像できないように……。
昔は良かったと懐古に浸りたい一方で、実のところ、これからの空はどんな風に変化するのだろうか? ということに興味があったりする。
午前中の散歩で天気の良い日の下、ふと空を見上げて心がほっこりする瞬間がある。皆さんご存知セロトニン的幸福を感じている瞬間である。もしも、幼少の頃に見た青い空の下だったらセロトニンはどれくらいの時間で分泌しているのか? これから先の時代、空の薄い霞がもっと濃くなったら何時間歩かないとセロトニンと体内時計の調整が完了しないのだろうか? などを考える。
更に、今は基本的に無料の青空。
空を見上げるだけでセロトニンが活性し自律神経が整って生活リズムが間接的に整い、続ければ睡眠障害すら治癒する。
そんな、無料で見上げても広告がポップアップしない空がもしかしたら、これから先の時代にはSF映画で観るように低空を飛行し巡回する擬似的なスクリーンで何処かの企業のCMが覆い尽くしているのかもしれない。……勿論、それに伴う法整備も進むはずだからSF映画の中のような、交通渋滞のような空は可能性としては低いだろう。……そうあってほしい。
はたまた、基本無料は変わらなくとも、日光が厳しすぎて特殊なサングラスが必須だったり、殺人的に暑くとも、皮膚がん予防のために長袖が推奨されるような時代が来るかもしれない。
憂慮や不安だけを並べるのは実に簡単だ。人間はネガティブを厭うくせにネガティブな思考や語彙は山のように生み出す動物なのだ。
扁桃体自体が『快か不快』しか判断しない上に、自動で不快だけを検出する機能をたくさん備えているので、畢竟ネガティブな話題や事柄に対しては必要以上に反応する。
そのHPA系からのストレス信号を感じてコルチゾールが分泌して扁桃体がノルアドレナリンを生み出し、不安や焦燥や身体症を加速させる。
……その扁桃体自体を調律して手綱を握るセロトニン。
『空が健康でないと』、セロトニンが活性する最大の根源が健康でないと、扁桃体はストレスにより、ノルアドレナリンに乗っ取られて心の病に罹患する人間が増えるだろう……。
と、ネガティブ訴求的恐怖管理的に煽っておいてなんだが、何度も言うが、環境は概ね不可逆なのだ。
今のこの環境、これはこういう事実なのだと受容して、さてこれからどのように何をするべきか? と、問うた方が余程建設的である。過去の思い出を軽く扱うのではなく、戻らない時代は心の隅で保管して、これからの時代に即した夏の青空の下での活動方法を模索したほうが、直接の恩恵に預かりやすいと思う。
今はまだ、日傘やクールリングのような対処療法のような器具を使うしか手段はないが、そのうち想像もしていないようなメガストラクチャー構想が実現して、快適なエリアが生まれるかもしれない。
もっと効率的な暑熱順化のトレーニング方法や更に高性能でカジュアルな空調服が登場するかもしれない。
そういった、必要に迫られた人類の底力的なのを見てみたい自分がいるのも事実。
夏の暑さなど元からコントロール率0%なのだ。おとなしくエアコンの効いた部屋で冷コーを飲んで暑気払いとし、『命を守る』しかできない。……『命を守る』しかできないと言いながら、『命』である葉巻が、直射日光が強すぎて自宅の庭で吸えないのは本当に勘弁してほしい。(自宅家屋内部は禁煙なので、割と本気で電子タバコの導入を考えている)
まあ、取り敢えず今は夏の空を見て随筆が書けるだけ頭の調子が安定していることを享受していよう。
『今ここにある』というマインドフルネスの精神で一杯一杯の冷コーを味わって、今日できることをできる範囲でできるだけやろうと思う。
こんな暑い快晴の日であっても今日は、長い時間の狭間に実在した一瞬なのだから大事にしたい。
はて、『抜けるような青い空』とはなんぞや? と考えが及んだことから少し昔話を交えて書いていきたいと思います。
昔の夏空は本当に青かった。
空が青く見えるのは宇宙の色だと言われているが専門外なので各自調べてください。
それは兎も角、幼少の頃に見た青空は即ち、積乱雲とセットで夏空を表していたような気がする。
父上に尋ねたことが有ったが、その父上も「昔はもっと青かった」と言っていた。
今は常に空が霞んでいる。
大気汚染が叫ばれて久しい昨今。大陸の大気汚染がー、とか地球全体の温室効果ガスがーとかそんなスケールの大きな話を論じても、正直、手遅れなのだ。個人的には環境破壊に対しては不可逆的なイメージを持っており、部分的に可塑性が見られても、産業が発達する以前の地球の環境に戻すのは不可能だ。
だからと言って、今からでも先人の知恵に倣って自然派になろう! と盲目的に自然主義的誤謬に陥る気はない。
時代は不可逆だ。
40年以上前の空の青さを知っている私が幾ら、写真を携えて空の青さを訴えても『空の青さに価値や憧憬を見つけることができない人』には訴求力0なのだ。……これは空の青さに限った話ではないが。
夏になって空を仰ぐ度に子供の頃の空と比較する。そしてその度に、当時と違う空の色に寂寞を感じる。
もしかすると、私の言う美しいという意味の『抜けるような青い空』が、若年層の方には『違和感』や『不気味』とさえ捉えられかねない。
それだけ時代が進んだのだろう。
それくらい時代が進んでいても何も不思議ではない。
私が父上の言う「もっと青かった青空」を想像できないように……。
昔は良かったと懐古に浸りたい一方で、実のところ、これからの空はどんな風に変化するのだろうか? ということに興味があったりする。
午前中の散歩で天気の良い日の下、ふと空を見上げて心がほっこりする瞬間がある。皆さんご存知セロトニン的幸福を感じている瞬間である。もしも、幼少の頃に見た青い空の下だったらセロトニンはどれくらいの時間で分泌しているのか? これから先の時代、空の薄い霞がもっと濃くなったら何時間歩かないとセロトニンと体内時計の調整が完了しないのだろうか? などを考える。
更に、今は基本的に無料の青空。
空を見上げるだけでセロトニンが活性し自律神経が整って生活リズムが間接的に整い、続ければ睡眠障害すら治癒する。
そんな、無料で見上げても広告がポップアップしない空がもしかしたら、これから先の時代にはSF映画で観るように低空を飛行し巡回する擬似的なスクリーンで何処かの企業のCMが覆い尽くしているのかもしれない。……勿論、それに伴う法整備も進むはずだからSF映画の中のような、交通渋滞のような空は可能性としては低いだろう。……そうあってほしい。
はたまた、基本無料は変わらなくとも、日光が厳しすぎて特殊なサングラスが必須だったり、殺人的に暑くとも、皮膚がん予防のために長袖が推奨されるような時代が来るかもしれない。
憂慮や不安だけを並べるのは実に簡単だ。人間はネガティブを厭うくせにネガティブな思考や語彙は山のように生み出す動物なのだ。
扁桃体自体が『快か不快』しか判断しない上に、自動で不快だけを検出する機能をたくさん備えているので、畢竟ネガティブな話題や事柄に対しては必要以上に反応する。
そのHPA系からのストレス信号を感じてコルチゾールが分泌して扁桃体がノルアドレナリンを生み出し、不安や焦燥や身体症を加速させる。
……その扁桃体自体を調律して手綱を握るセロトニン。
『空が健康でないと』、セロトニンが活性する最大の根源が健康でないと、扁桃体はストレスにより、ノルアドレナリンに乗っ取られて心の病に罹患する人間が増えるだろう……。
と、ネガティブ訴求的恐怖管理的に煽っておいてなんだが、何度も言うが、環境は概ね不可逆なのだ。
今のこの環境、これはこういう事実なのだと受容して、さてこれからどのように何をするべきか? と、問うた方が余程建設的である。過去の思い出を軽く扱うのではなく、戻らない時代は心の隅で保管して、これからの時代に即した夏の青空の下での活動方法を模索したほうが、直接の恩恵に預かりやすいと思う。
今はまだ、日傘やクールリングのような対処療法のような器具を使うしか手段はないが、そのうち想像もしていないようなメガストラクチャー構想が実現して、快適なエリアが生まれるかもしれない。
もっと効率的な暑熱順化のトレーニング方法や更に高性能でカジュアルな空調服が登場するかもしれない。
そういった、必要に迫られた人類の底力的なのを見てみたい自分がいるのも事実。
夏の暑さなど元からコントロール率0%なのだ。おとなしくエアコンの効いた部屋で冷コーを飲んで暑気払いとし、『命を守る』しかできない。……『命を守る』しかできないと言いながら、『命』である葉巻が、直射日光が強すぎて自宅の庭で吸えないのは本当に勘弁してほしい。(自宅家屋内部は禁煙なので、割と本気で電子タバコの導入を考えている)
まあ、取り敢えず今は夏の空を見て随筆が書けるだけ頭の調子が安定していることを享受していよう。
『今ここにある』というマインドフルネスの精神で一杯一杯の冷コーを味わって、今日できることをできる範囲でできるだけやろうと思う。
こんな暑い快晴の日であっても今日は、長い時間の狭間に実在した一瞬なのだから大事にしたい。
