つぶやき

2026.7.2②

2026/07/02 11:22
高度に安定した社会では、戦争や飢餓といった生存の危機が日常から排除されます。その結果、人々のリスクに対する感度は敏感になり、今までなら不運な痛みで済んでいた事象が、法的な責任や社会正義を問うべき大事件へと変化します。​生命や社会基盤を揺るがす巨視的な脅威がないからこそ、私たちは飲食の安全や娯楽の是非といった、微視的な『日常の何か』に社会の関心やエネルギーを注ぎ込むことができます。​食中毒や娯楽の不祥事が連日ニュースのトップを飾る現象は、裏返せば、その時代が極めて平穏であり、より高いレベルの安心を当然の権利として要求できる環境にあるという、逆説的な証明と言えます。

コメント

匿名ユーザーからのコメントを受け付けていません。