Nudge by Bullet

【9】
 左織は、直線の廊下を真っ直ぐに走るその男を背中から撃った。
 感情のこもらない、どこか興ざめした目だった。
 10m程離れた男の腰に命中。
 327フェデラルマグナムの弾頭は椎間板の辺りに命中したらしく、その男は上半身は全力疾走のモーションなのに、下半身は途端に脱力し、床に前のめりに転がる。
 床を滑りながら崩れ落ちた。負傷した男は、床を這いながら、腹の底から声を絞り出して通路の奥に向かって血の泡を飛ばしながら叫ぶ。
 椎間板近辺を負傷しての絶叫は想像を超える苦痛を産むはずだが、男が見せた『血の通ったアラート』はどんな無機質な警報装置のアラートよりも危機感を煽るのに役に立つ。
「助けてくれー!! 『来やがった!!』」
 彼は何度もその言葉だけを叫ぶ。警報装置のアラートよりも切迫度が迫る叫び。
 同じセンテンスを繰り返す。
 負傷による苦痛や被弾による心理的ショックを誤魔化すように、掻き消すように、忘却するように、逃避するように。
 単純な、たったそれだけの短い絶叫。
 人間の生存本能が凝縮されている。
 叫んでいる言葉の内容を問わず、短いセンテンスを繰り返す人間の心理というのは、生命の危機と直結している場合が殆どだ。
 思考停止寸前の認知機能では、理路整然とした複雑な状況報告を相応しい語彙を選んで文法に組み込み、言語化し、腹腔を用いて発音して言語的コミュニケーションを取るのは非常に難しい。
 彼はそれを知っていたのではない。最低限の仕事を果たすと誓い、実行することで存在証明としたのだろう。意識した認知活動としての存在証明ではなく、生存を渇望するだけの自己の表現とも言える。
 男の声が聞こえたのか無視したのか、返答しないことで肯定を表したのか、通路の奥の金属のドアは沈黙していた。
 この直線の廊下に他にはドアや曲がり角はない。
 椎間板を撃たれた男が死に物狂いで演技をしているのなら話は別だろうが、元は8人もいたのに、少なくなりつつある仲間の数に肝を冷やされない人間はいない。
 ドアの向こうでは重傷の仲間が叫んでいるのだ。
 誰も応戦したくはない。……左織は腕時計を見た。そろそろ増援が到着する。こいつらの仲間がやってくる。
 『この時間に到着するであろうと目算してストップスティックを山荘へ通じる道へばら撒いて時間稼ぎにしていたのだ。』まさか徒歩で来るまい。
 左織は地下室を後ろ歩きに後退しながら、天井に向かって発砲を繰り返す。
 発砲の数だけ、廊下を照らす蛍光灯が砕けて暗い面積が広がる。黒い空間が広がる。暗く黒い部分の奥へと沙織は後退していく……。
 闇の中に溶け、機械的な静寂を演じた。わざと床を蹴る足音を遠ざけ、327フェデラルマグナムの空薬莢を投げつけるように廊下の床に放り投げる。
 左織が……追う側が、最も警戒するのは、『窮地に追い込まれた獲物の反撃』だ。
 その逆に、獲物が最大の隙を見せるのは『脅威の消失』を確認した直後だ。
 警報装置のアラートが五月蠅い。耳栓をしているとはいえ、小癪にう五月蠅い。
 重苦しい金属扉の向こうで、張り詰めていた空気が抜ける音がした。そんな吐息が聞こえたように感じた。
 潜ませていた声がドアの向こうで、こちらを伺おうとする気配がする。
 銃声の音域をカットする耳栓は人の声なら問題なく拾えるが、気配は、気配だ。左織の感覚でしかない。
「……消えたか?」
 施錠が解かれる。ドアの向こうの闇からの声は、ドアの前で臥せったまま動けないでいる仲間を思いやる口調ではなく、自分の安全を確保するための質問だった。
 籠城していた1人が、掃きだされた泥のように廊下へ這い出してきた。出て来るなり扉の数m前で気を失っている仲間を見て目を剥く。凄惨な状況を直視していないので『まともな人間としての感覚が麻痺していない』反応だ。どれほど自分の手を汚していないかよく分かるというものだ。
 「!」
 廊下の奥にある黒い空間で左織は耳をそばだてた。
 足音。この地下への入り口から。複数。怒声混じり。十分な気力と戦意。ふっつりと切れる警報装置のアラート音。
 連中の増援だ。増援が到着した。耳障りな警報音をオフにしたのだろう。
 予想していた数より少ないのは、外で待機する運転手やここへ来るまでに見つけた負傷者の介抱や、闇医者の手配で人員が割かれているのだろうか。
 それとも侵入した戦力が1人と聞いて『たった5人で間に合う』と舐められたのか。
 増援の5人は、迷うことなく、籠城している連中のドアへ向かう。誰も歩みに迷いがない。歩幅も落ちていない。
 人間は不明瞭で不明確なものに対しては無意識のうちに警戒する。さっと見て、先が見通せない暗く黒い通路の奥へ勇んで飛び込むよりも、増援を要請した仲間が籠城している、ゴールが明確で、蛍光灯が機能している明るい通路を選んで大きな態度で歩みを進めるのは当たり前の行動だった。
 ……左織は子供っぽい悪い笑顔を浮かべる。
 撃鉄を静かに起こす。
 シリンダーが7分の1回転した。
「大丈夫か!」
「あのアマ、弾切れで逃げやがった!」
 ドアが開くとともに増援を見て安堵した男の声が聞こえた。
 勝手に自分の粘り勝ちを勝利宣言と同列に認識して狂喜している様子が声で理解できた。
 左織が床に投げつけた327フェデラルマグナムの空薬莢を見て勝手な、そして大外れの推測を『正当な見識から導いた正答』だと誤認するほど、安心して気が緩んでいる。
 籠城していた『アタマ』である男の顔に、死地を脱した安堵と、多勢という全能感が、混濁し、弛緩しきった笑みをこれでもかと浮かびあがらせる。
 生存本能が『危機は去った』と脳に誤報を送った瞬間。
 彼の理性は、今この時、完全に停止して、生存できた喜びと安堵の感情に完全に支配されていた。
 左織はその『平和な時間』の真ん中に音もなく滑り出した。ゆっくりと暗い通路の奥から静かに歩み出ただけだ。
 合計6人の男が、無事を喜び、安堵し、気が緩んでいる。
 そんな和やかな空気に包まれた空間。
 通路へと、左織は両手でルガーGP100を構えて、物音一つ立てず、しなやかな猛獣のそれと同じように、ゆるりとしかし素早く、音を置き去りにするほどの速度だった。
 左織は狭い通路のど真ん中に、まるで最初からそこにいたかのように躍り出た。……躍り出ていたのだ。
 手にした銃口は微塵も揺れず、『獲物の眉間』を冷徹に射抜いている。籠城していた『アタマ』の男。暫定リーダー格の男……の直線状にいる増援の男たちの一番手前側。
 先ほどの硝煙の匂いがまだ漂う静寂の中、死神の使命を帯びた指が引き金にかけられた。
 余計な呼吸も、迷いもない。少しばかり喉が渇き、鳩尾に冷たいものが感じられたが、今は気のせいという事で自分を宥めた。
 ただ獲物を仕留めるという純粋な意志だけが、冷たい鋼鉄の塊を通じて、静まり返った廊下の空気を凍りつかせた。
 1発目。先頭で腰椎を破壊された男に肩を貸していた男の頸椎を、327フェデラルマグナムの弾頭が正確に断つ。
 声にならない血の泡を吐く男が崩れるよりも速く、2発目、3発目が放たれた。
 高初速の弾丸は、安堵に緩んだ男たちの肉体を無慈悲に貫通する。
 胸骨を砕かれた者や舌骨に被弾した者が悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちて、狭い通路は瞬く間に肉袋の障害物で埋まった。
 4発目、5発目。逃げ場を失い、武器を構えることさえ忘れて固まる男たちの鳩尾や下腹を、次々と撃ち抜く。
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