Nudge by Bullet

【6】
 男の視界は激しくぶれ、まるで滝壺に放り込まれたかのように天地が混ざり合う。脳の芯を直接揺さぶられたことで、意識のスイッチはあっけなく跳ね上がり、思考は真っ白い霧の中に消えた。
 立っていることすら叶わず、男は深い泥の中に沈み込んでいくような、抗いようのない深い闇へと一瞬で突き落とされた。
 左織の銃口の先端……硝煙が立ち昇る銃口の先。
 もう一人の、後方で銃口を左右に振っていた男の胸骨を破壊した。フェデラルプレミアムパーソナルディフェンス。
 約6.7gのジャケッテッドホローポイントの弾頭が約457m/sで弾き出され、約710ジュールの初活力を4インチの銃身に潜ませて存分に破壊力をまき散らす。

 二つの重い肉塊が解け落ちるように床に崩れる。
 崩れ落ちた男たちは、とうとう反撃の余地なく、一人は急激な感覚失調による失神で目を回し、もう一人は具体的物理的な327口径のエネルギーをバイタルゾーンに叩き込まれて『沈黙以外の選択肢』を全て簒奪された。
 閉鎖的な空間に於ける銃火器の運用は『標的を撃つ』より一歩前の行動から優劣が決定する。先天的能力と後天的能力が作用するが、それらも磨かなければ意味がない。……左織は実戦で足りない部分を知恵で補った人間だった。
 ちらと、倒れた男に視線を投げ、再び廊下の奥に向かってフィストグリップで保持してアソセレススタンスで進む。
 耳元で発砲された男の顔面半分は、リボルバー特有のシリンダーの隙間から噴出する高熱のガスに晒され、酷い跡が残るであろう火傷を負っていた。そんなことに一々、感傷的になっていない。
 左織は息をのみ無言のままで暗い廊下を見る。
 人感センサーの働きで点灯する蛍光灯なので、その場所へ踏み込まないと灯りが暗い廊下の先を照らしてくれない。
 慌ただしい気配と怒声が空気を汚す。声のトーンや言葉のパターンから人数を割り出す。少なくとも事前の情報の通りに8人いる。そして、今までに、3人を仕留めた。
 甲高い耳鳴りに気が付き、今更ながらにパッシブ型のフィルター付き耳栓を両耳にねじ込む。狭い室内での耳栓を失念していた。鼓膜を守らなければ、今は良くても加齢とともに、老年になるよりも早く難聴などの様々な聴覚障害が現れる。
 歩き出そうと一歩踏み込んだ時、足元から伝わる硬い感触から脳裏に閃く物が有った。
 直ぐに振り向き、完全に『無力化』された2人の懐から自動拳銃の予備の弾倉を奪い、ルガーGP100を床に一度置き、親指を弾いて弾倉を全て空にする。
 フルメタルジャケットの9mmパラベラム弾を50発以上、自分のポケットに流し込んでから、再び愛銃を手に取り、両手で構え、今度こそ歩みを進める。
 このフロアから宿泊施設としての造りへと、山荘の基調を保ったまま変化する、廊下。直線約15m。
 その先で左右に折れる角。角に到達するまでに客室と思われるドアが3つ。
「…………臭い」
 あれほど激しかった怒声が、ふっつりと途絶えた。
 生存本能が危機を察知し、喉の筋肉を強張らせて強制的に口を閉じさせたのか。単なる何かの企みか。
 潮が引くように沈黙が現れたものの、壁の向こうに潜む動揺までは隠せていない。
 あたかも、激しい心拍と、冷や汗を伴う独特の熱気が、見えない気配となって廊下の空気を震わせているかのように感じ取れる。
 左織は自らの狭まる視野から、自分の意識が剃刀のように鋭くなっている錯覚をした。それを自覚するや否や、首を左右に2、3度振り、意識をストレッチして解しながら辺りを警戒し、視野狭窄の解消も図る。
 スキャン&アセス。
 神経が研ぎ澄まされることは何もいい事ばかりではない。自分の感覚を鈍麻させてしまう場合の方が多い。
 彼らは今、逃げ場のない極限状態で、必死に頭を回転させているはずだ。自分ならそうする。自分でもそうする。過大評価や過小評価は単なる認知の歪みだが、『相手は有象無象で徒党を組まなければ何もできない臆病者の集団』と言う思い込みはレッテル貼りとなり、思考の方向性を固定してしまう。……それを鑑みて、真っ先に取るであろうと想像できる行動の一つが、外部の仲間への増援だ。
 人間は、自分が絶対に安全だと思っている場所や空間が危険な場所だと認識を書き換えると途端に思考力が下がる。論理的思考よりも情動的な逃走本能の方が勝ってしまうのだ。
 それが左織の殆ど唯一のアドバンテージ。このアドバンテージに、彼女はこの場での全てを賭けたのだ。『連中を脅かす脅威は微塵も存在しない』という情報を鵜吞みにさせるために、左織は『自分の死』を偽装した。
 恐慌や焦燥に呑み込まれた人間の行動は恐ろしくシンプルだ。
 戦うか逃げるか? と判断する前に、一瞬だけ思考が途絶し次に、感情が「ここは危険」だと強く警戒する。その後に危険を払拭させる為に戦うか逃げるかを選択し、行動に移す。
 一番最後に、仲間の間で主観や客観の情報を共有する。恐怖をごまかすために。連携を強固にして生存率を上げるために。
 それは原始人の頃には有能だった古い脳が、現代人を今でも生物学的に束縛していることを表し、進化の過程で感情表現や対人交渉や言語、非言語による情報伝達と社会的構築を司る新しい脳が発達しても、尚、現役だった。
 連中の行動の可能性が高い順に『潰す』。
 先ずは外部への連絡。これはあらかじめ電線や電気ケーブルを切断するという物理的な工作はしなかった。単独での行動だと作業量が増える割に勘付かれる可能性が非常に高いので除外。連中に好きなだけ連絡させる。その為に、スーパーカブで山荘へ来る途中に背負ってきたストップスティックをランダムにばら撒いて来たのだ。……増援が来ることなど最初から想定内の出来事だ。
 しかし、あまりの恐慌と焦燥に脳が焼き付いて、正常な判断力は失われている。連中には程々の正気を保っていてほしい。
 命を失うことへの怯えが思考を麻痺させ、無理にアイデアを捻り出そうとする。
 その名案は大方の場合、出口のない迷路をぐるぐると回るだけの無意味な足掻きに成り下がっている。
 冷静さを欠いた思考では、状況を打開する答えなど、逆立ちしても出てくるはずがなかった。
 そうなるとヤケを起こす可能性が跳ね上がる。……追い込まれた人間のヤケの行動は変数の塊だけに全く想像できない。
 そのうち一番奥のドアの部屋が勢いよく開け放たれる。
 男が廊下を伺い、左織の影を見るや、同時に両手に持った自動拳銃で乱射し、姿をろくに確認していない闖入者に銃撃を浴びせる。
 全くのブラインドファイア。
 闖入者たる沙織を仕留める意図よりも、発砲している間だけは自分の命の保障がなされているというトリガーハッピー気味な、実に乱痴気な発砲だった。
 左織は彼と目が合う直前、左手でポケットから先ほど回収した9mmの実包を豆まきのように床に蒔きながら、ドアを盾にして陰に隠れる男の乱射に対抗するようにルガーGP100の引き金を引き続ける。
 ルガーの327フェデラルマグナムはリボルバーの宿命に逆らえずに、直ぐに弾切れになる。その間に……乱射しながらバックステップを踏んで後退しつつ、左織は恐怖を堪えられない悲鳴に似た甲高い叫び声を挙げる。
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