Nudge by Bullet

【4】
 近年のデジタルツールとそのソフトとプログラムの急激な技術的加速で人の顔を見ずとも、声を聞かずともアンダーグラウンドな仕事は可能になった。
 忽ちのうちに構築されてしまったのが、情報屋を含むアンダーグラウンド界隈の階層だ。ヒエラルキー。カースト。更にはクラス、ランク。
 以前は連環を為して存在していたそれぞれの職業。
 荒事師だけが華ではなく、闇医者も運び屋も地下銀行も伝達屋も護り屋も全てがサプライチェーンのように大きな環を成して存在し、同業者同士、パイを争いながらも危うい均衡を保ちながら淘汰を免れて生き延びてきた。
 だが、昨今のアルゴリズムに支配されたAIとSNSを始めとしたアテンションエコノミーを意識したアジェンダセッティングは、『使う者と使われる者』を明確にし、分断と対立を修復不可能にまで境界線を引き、『使う物と使われる者』は同じアンダーグラウンドでも違う階層での生存を謳歌し、また、押し付けられた。
 二項対立の構築による息苦しさが、アンダーグラウンドを見えない壁で仕切っているのだ。
 やがては淘汰されるであろう、アナログ主体の職業は情報だけでなく、荒事師や地下銀行も同じだった。
 AIに明らかに違法な医療的処置を或る程度、生成させることに成功したプロンプトが出回ったので、明確な敵が居なくて安泰だった闇医者でさえ、売り上げが落ちつつある。
 狙撃を生業にする殺し屋はもっと悲惨で、高度な計算アプリとAIの組み合わせで、初級程度の狙撃訓練を受けた素人がそれなりの狙撃銃を持っていれば、デジタルの計算と生成で、最適なミル計算のアンサーを弾き出し、指示してくれる。そうなれば長い時間をかけて磨いた職人技を極めた、単価が高価な狙撃手は不要になり、そこそこの値段でそこそこの仕事をしてくれる安い狙撃手に客が殺到する。
 左織が存在する階層は『使われる者』だ。
 自らを上位存在だと信じて疑わない『使う者』に対して、全ての『使われる者』が頭を低くしているとは限らない。
 一定数、例外やレアケースは存在する。
 それが左織のようなドグマを抱き、『アナログでの情報収集に価値や生き甲斐や存在意義を見つけた者たち。』
 上層と下層の中間層には、身の振り方が決まっていない、どっちつかずの人間が集まる。やがて上層か下層へと自ずと振り分けられていく。
 互いの層は反駁し合ってはいるが、皮肉にも、その反駁が発生しているからこそ力の均衡が成り立っている面もある。
 クライアントの思想が時代遅れのアナログ至上主義者だった場合、上層よりも下層の方が融通が利く場合が多い。
 その逆も然り。
 ゆえに、二項対立の構造ではあるが、殺し合いには発展していない。情報屋の世界では、殺害は一番の悪手だ。『生命が死んでしまった人』はそれ以上の価値がつけにくい。『死んだ』と言う情報は扱いに困るが、今回、左織はその『生命が死んでしまった人』というロジックを利用している。
 アンダーグラウンドの世界の覇者たちから安く見られるレネゲイドたる左織と主義を同じくする者たちではあるが、実のところ、自分の事をそのように――階層別闘争の駒の一つ――強く自覚していない。『自分の今日の命を守るので忙しいので、今日、敵対の意思を具体的に見せていない相手に構っている時間が惜しい』のだ。
 自分たちにも自分たちの矜持が有る。
 その矜持は共通認識で結ばれたものではない。
 左織と同じくする個人や零細組織が、『自分の恥と自分の負けは業界の恥と負け』という言語化されていない概念だけで、互いが互いを守り合っている。つまるところ、左織は自分の手が届く範囲のコンフォートゾーンを守る事ができればいいと思っている。
 敢えて言うのなら、舐められたら報酬を下げられるので商売ができなくなり飢え死にする。それを回避するために意地を見せているのだ。心理的リアクタンスの防衛が彼女のドグマの一つである。
 山荘の防犯体制はザル。
 それを看破した。
 それを鑑みた上で、実のところ、アドバンテージは一つしか手元にない。
 それを優位に運用するために、彼女は一人で乗り込んだ。
 情報屋らしく情報を用いて。
 ……左織はあの夜の野球場のグラウンドで負傷した傷が元で死亡したという、表層だけの情報を、強い紐帯に含まれる仲の良い情報屋に流布してもらった。『生命が死んだ人』として、自分の戸籍を改ざんしたのだ。それも不遇な頓死での死亡として。連中に落とし前を付けさせる電話を入れておきながら、頓死――『負傷の療養中に、就寝中の突然死』として偽装――したとあっては、連中にとってはいい笑い話だ。『存分に笑ってもらいたい。警戒心を忘れるほど笑ってもらいたい。』
 真実を知る者はごく少数。
 その真実は必ず広い外部へと広がる。弱い紐帯へと漏れ出す。その頃には様々な憶測が尾ひれ背びれとなり、『どうでもいい情報の一つ』として安く売買されているだろう。
 どんなに親密な恋人や親しい友人知人でも「これは内緒だよ」と意味ありげにウィンク一つでも投げかけて『君にだけ教える秘密』と匂わせれば、その人物は自己重要感をくすぐられながらも、自分だけが知る秘密を抑えきれずに『無償』で、どこかの誰かに『匂わせるように漏らしてくれる。』
 人間は「君にしか話せない内緒の話」だと言われれば、自尊心をくすぐられながらも自己の重要性をアピールする道具として『漏らしてはいけない情報』を「自分はこんなことも知っている」と、自慢げに話さずにはいられない。
 この方法を仕掛ける最初の相手が弱い紐帯に数えられる、知人や遠い友人だと効果はない。
 広まる情報の言葉が軽すぎて、直ぐに嘘だと判明するからだ。そうなれば安く売買される情報どころか、情報から意味を濾過されて、肯定でも否定でもないデータとしてアーカイブに埋まってしまう。誰の情報網にも引っかからない。
 その情報は、言い換えれば、得体の知れない自称巨大インフルエンサーよりも、その道の碩学の方が権威主義のフィルターが掛かって、情報の大元を信じるのと同じ。
 即ち、左織と非常に親しい人物が「左織は死んだらしい」といえば断定の口調でなくとも聞いた相手が勝手に勘違いする。
 小さな、嘘。
 それが左織のアドバンテージ。
 その証拠に自分達には何の脅威も存在していないと信じて疑わない自惚れの証として、山荘の周囲に歩哨も立たせていないし、山荘の出入り口付近の小屋には不寝番すら不在。
 山荘の正面玄関前まで堂々と直進できたのがその証左。
 避難所の機能を持つこの手の建物は、正面玄関は予算削減を兼ねた、『心理的な防犯装置』は幾らでも仕掛けられるが、物理的な防犯装置は殆ど無い。
 それゆえ、窓ガラスや裏手口の方がカメラや赤外線センサーや圧力感知センサーが充実している場合が多い。
 ピッキングするまでもなく真正面のマホガニーの重厚な両開きのドアはスムーズに開いた。
 ドアノブから何も違和感が這い上がってこなかった。
 その手応えに思わず笑みがこぼれる左織。
 足元見てさらに口角を上げる。足元のマットには大量の靴跡が残っている。ここが頻繁に出入り口として利用されている証拠だ。
 裏手口に物理的な防犯設備を集中させておいて、警戒心を高めさせておきながら、実は何のセキュリティも無い表の正面玄関のドア。……警備のための人員やモニターを見守る人員を確保する予算が無いのを大声で宣伝しているようなものだ。
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