Nudge by Bullet

【3】
 スライドが後退したままの軍用大型自動拳銃。左織の知識では9mmパラベラムを15発以上呑み込める装弾数。アンビのレバーが左右のフレームに配置された最新型モデル……のコピー。
 残弾ゼロでスライドが後退したままの拳銃を右手に下げて、恐怖を紛らわせるように辺りの6人の年上達と笑いを同調させている。喉仏の動きと胸鎖乳突筋の緊張で、『ズブの素人』だと分かる。
 その彼が突破口だった。
 具体的には彼を睨んだだけだ。
 喉笛を噛み切らんばかりの殺意を込めた目で、そういう演技の目で無言で睨みつけた。
「……!」
 反応した!
 彼だけが……左織の視線を直視した彼だけが、馬鹿正直に全身で反応した。
 他の仲間は安全な圏外から見守っているだけだ。自分だけは違う。この女が死に物狂いで飛びかかってくれば、真っ先に喉笛を掻っ切られるのは自分だ。
 仲間が彼女を蜂の巣にするのと、自分の命が尽きるのと、どちらが早いか。
 急激に彼の思考が狭められ、目の前から『選択肢』が次々と消えていく。
 人間がパニックを起こす時、パターンとして二つある。選べる選択肢が一つしかない時と、目の前で一つしかない選択肢が今にも消えそうになっている時だ。
 彼は他の6人に同調していた。他の6人は彼に同調していない。
 つまり、今すぐに彼の心境に理解を示してくれる人間はいない。
「……っ!」
 自分だけが損をする。被害を被るのは自分だけ。
 自分で恐怖を倍増させておきながら、その恐怖に耐えきれなくなった若者が、弾かれたように後ずさった。
 完璧だった円陣の一角が、たった一人の身勝手な生存本能によって崩れる。
 彼女は無理やりこじ開けた『隙間』を見逃すはずがなかった。
 
 小さな瓦解を見せた包囲網が壊滅したのはその十数秒後だった。

 そして……命からがら生き延びた左織は、復讐ではなく、『報酬の支払い』を請求するために、山荘の夜へと赴いた。
 
 ※ ※ ※

 山荘に居る連中は大型の軍用自動拳銃で武装しているが、恐らくそれ以上の火器は携行していない。それに今更、恐怖や躊躇や逡巡は寿命を縮める要素でしかない。
 連中の銃は種類がバラバラで、予備の弾を貸し借りすることすらできない『鉄火場での素人の集まり』であることを、彼女は以前の観察で既に見抜いていた。
 そもそもの話として、彼らが荒事に慣れた集団であるのなら、左織を生贄にする必要は無かった。自分たちが実力行使で押し切ればよかったのだ。
 その心理は、被害を最小に抑えて、最大の利益を得たいという経済学的な計算ではなく、自分だけは楽をしたい、怪我はしたくない、リスク回避の為なら手段を選ばないという生存欲求が根底にある本能的な恐怖の裏返しだった。
 徒歩で進みながら駐車場から山荘へと続く整備された道を歩く。
 横銜えにしたハーフコロナが暗い道の中で幽鬼が纏う人魂のようにぼうっと寂しく浮かぶ。
 まだまだ吸えるハーフコロナを足元に吐き出して、爪先で蹂躙して火種を消す。足元から、葉巻を揉み消した時の特有の苦い悪臭が立ち昇る。悪臭に僅かに顔を顰めながら、パーカーのポケットに押し込んでいたワイリーXのタクティカルグラスを取り出して装着する。サングラスに似た、マズルフラッシュや返り血などから目を守る防具だ。
 左織は山荘の裏口から音もなく侵入した。迷わず真っ直ぐに通路に沿って歩いて、やってきた。
 罠も防犯設備もここまで何も無い。
 ここに誘われたのではないかと普通は考えるが、それを誘うための……誤解する情報を与えるための『安全で、何も無い道順』だ。
 自分から危険に飛び込んだ時、視界に何も入らなければ、「何かなければ不自然だ」と過剰に警戒して余計な疲労をしてしまう。余計な疲労は、選択と思考と判断を低下させるだけでなく、身体能力も低下させる。体力の根底は気力で、気力とは脳が生み出す錯覚だ。中核たる脳の判断力が低下すれば、それだけで防犯としての効果が高まる。
 始終、侵入を目論む者に警戒を強いる。
 これほどコスパの良い罠や防犯設備はない。
 疑う。怪しむ。訝しむ。考え続ける。しかも前後左右を警戒しながら。目も耳も気温も気配も何もかもを加味して考え続けながら警戒し、歩みを進めなければならない。これが『重要な拠点に何も無い』という心理的な罠だ。
 この仕組みをレクチャーしたアドバイザーが居るのなら、この仕組みの理屈を経験で学んだ荒事師が居るのなら、左織がとるべき行動は「何もしない」が正解だ。何もしなければ、脳が疲れる度合いも軽減できる。
 その結果、こうして……駐車場から、山荘の正面玄関手前10mの飛び石を踏み、裏手へ廻る道へ進み、裏手口まで予想通りに何も無かった。何も起きなかった。
 山荘を見上げる。所々の窓に灯りが点いている。声は聞こえないが気配はする。
 3階建ての山荘。
 レジャー用の宿泊施設として土地を拓かれて建築されたが、この土地自体が……地権者自体が、転売物件としてロンダリングを繰り返し、格安で手に入れた『避難所』だった。
 この山荘のある土地へ来るまでの分岐点。
 そこを外れると、山の崖が迫る窮屈な地形になり、アウトドアアクテビティとしては不向きな条件が『揃い始める。』
 辺りを整備して観光客や行楽客を呼び込む努力は放棄。それらは元から計算されていない。
 この山荘自体が、「ここに建てたのは失敗だった。全く交通の便が悪い、見るべきところが無い負債だ」と、評価されることを見越して建てられた。更に役所へも、『近日取り壊しの旨を書いた書類を出してから、10年以上も放置している。』
 それもそのはずで、ここは左織を生贄に差しだした連中の快適な保養所――という扱いの『避難所』――なのだ。
 地権者にロンダリングに加担させて施工業者に宿泊が可能な程の大型の建築物を造らせ、ここに至るまでに『国道から反れた一般道』を引いている。
 一般道。表向きは国道を名乗っているが、国交省の直轄からは外れた、自治体の補助国道。管理も掃除も、地元の自治体が引き受け、足りない予算は国に頭を下げてせびる。……これだけで、左織は『得体の知れない大物』の末端構成員に囮として使い捨てにされたかよく分かる。地方の有力者に鼻薬が効く人間が背後にいるのだ。
 左織は自分を放置した連中に対しては単純な報復を目論見、次に、その連中から、報酬として支払われるべきだった、たった数枚の一万円札を正当に回収する為に連中の直属の上司――そんな組織図ならば上司らしき人物もいるだろうという左織の予想――に会い、正当な報酬を耳を揃えて払ってもらう。
 たった数枚の一万円札。
 それを回収する為に左織は左脇にスタームルガーGP100を呑み込んでここにやってきた。
 『自分を放置した連中が支払うことは許さない。支払うのは連中の上司だ。』
 落とし前の付け方を知っている人間から支払ってもらわねばメンツが立たない。
 それはごく単純な落とし前のつけ所だ。
 自分の部下の尻拭きをしてもらう。
 一万円札数枚の報酬を払ってもらえれば、またのご利用を期待して名刺を置いていく。
 舐められたらお終いの信用看板に泥を塗られたのだ。
 ここで黙って引き下がるのは自分だけの恥ではなく、自分が生業とする情報屋界隈が舐められる。
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