歪んだ弾道

 ……涼子が自身に言い聞かせて納得させている大義名分は、彼女が自力で至った行動の動機ではなく、マスコミが『犯人は尚も逃走中』という報道を聞いて、そこからストーリーを脳内で組み立てて自分に言い聞かせたのが始まりだ。
 『無実の証明のための逃避行』だと世間は思っている。警察は、事実は関係なく指名手配だから追いかけて来る。涼子は『憐れな弱者ゆえに道を間違えた犯罪者』という自分の世間での立ち位置を利用しているだけだ。自分の行いを正当化させるための拙い防衛機制だ。
 根底は『普通の怒りの感情』。
 何処の誰もが抱く喜怒哀楽の感情の一つ。
 その一つが認知の歪みを伴い、また、ネガティブな成功体験に強化され、更に自分の暴力衝動を何十倍何百倍にも増大してくれるブローニング自動拳銃との出会いで、事実と感情の切り分けができないほどに……『自分の感情が、この世の全ての事実である』というまでに増強され、今に至る。
 不幸にもそれが彼女の自己効力感を劇的に高めてしまい、発砲こそはしなかったが、今に至るまでに情報収集の上で恫喝する際に何度も銃を抜いた。
 危ういところで追っ手の警官を威嚇するために銃を抜いた。
 逃走資金を確保するために、強盗まがいだと分かっていても銃を抜いて金品を奪った。
 涼子の行動は破綻の一途を辿るのみ。
 そんな彼女が、今この瞬間に前非を悔悟するわけがない。
 『神崎を打ち倒せば全ての問題が消えてなくなる』という考えに、いびつに変形しつつある。

――――誰が止められるものか。
――――私には銃がある。

 涼子は下唇を舌先で軽く湿らせると、漸く食べられるご褒美のケーキを前にした子供のように無垢な微笑みを浮かべた。
 興奮による感情の混乱などではなく、今すぐに神崎に銃弾を叩き込める快感を想像して、感情が前借した多幸感に襲われている。
 ブローニング自動拳銃を握り直す。
 両手で構え、銃把の底部にあるボタンを押して残弾を確認する。六発、装弾されている。先ほどスライドを引いたので、薬室には一発。拳銃には全く素人の彼女には、薬室にあらかじめ一発送り込んで、再び弾倉に一発装弾するという知恵や知識は皆無だ。
 弾倉を差し込む。機械オイルを吹き付けただけのスライドと呼ばれる部分は軽く浅く引くとやや軋みながらも作動した。比較する銃を知らないので、自動拳銃とはそんなものだという感想しかない。そもそも、その状態でスライドを最後まで引けば、薬室に送り込まれている実包が無為に弾き出されるリスクが有るのを知らない。
「!」
 来た。
 取引とは関係の無い談笑が終わり、足音がこちらに向かってくる。こちらに向かってくる足音が複数聞こえる。
 さあ、ここで突然飛び出て乱射してやろうか?
 それでは神崎を確実に仕留められない。
 目的は全員の殺害ではない。
 目的は神崎一人。
 目的は神崎に確実に銃弾を叩き込む事。
 最悪でも、神崎の今わの際を鑑賞できたのなら、その直後に射殺されても思い残すことは無い。
 ……『神崎一人の殺害を完遂する』ことだけで頭が一杯なのではなく、それ以降を考える余裕が無いのではなく、神崎の不幸を見届けたいだけという思考の停止が、彼女の未来の選択肢を奪っているのだ。

――――ここまで来て引き返すのはナシでしょ!

 そんな囁きが心の中で聞こえたかと思うと、彼女の体はゆらりと幽鬼のように動き、それまで纏っていた緊張と興奮を脱ぎ捨てた顔と所作で、手を差し伸べるような滑らかな動きで、ブローニング自動拳銃を構えながら、男たちがたむろしている空間へと忍び込み、引き金を引き絞った。
 少し前に夜の海に向かって発砲した時と同じ反動を感じたのに、目の前に広がる風景や、鼓膜を貫く銃声は涼子を『ほんの僅かの間だけ』、正常な思考を取り戻させた。

――――あれ?
――――何してるんだっけ?
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