歪んだ弾道

 ポケットからブローニング自動拳銃を抜き、歩きながら安全装置を解除して、渾身の膂力を振り絞ってスライドを引く。ブローニングの三十二口径モデルは九ミリ口径モデルと比べるとスライドは軽いが、曾祖父が軍隊で居た頃に使っていた骨董品だ。クリーニングやメンテナンスの概念を知らない涼子は、分解して清掃などしていない。稼働するであろう部分に機械オイルのスプレーを吹き付けただけの処置しかしていない。三十二口径の実包に至っては、ホームセンターで売られている金属用研磨剤で浮いた錆を落としただけだ。
 廃工場に足を踏み入れて左右を確認。
 人の気配がする。直ぐ近く。
 目の前の階段を登り切った位置で話をしているのだろう。それほどに近い距離だった。
 喉が渇く。冷たいのか熱いのか分からない脂汗が背中や腋から滲みだす。今すぐにここで冷水を飲めないと思うと、冷水に対する渇望が強くなる。
 ブローニング自動拳銃を両手で構える。拳銃の構え方は動画サイトで見て覚えた。何という名前の構え方だったのかは失念したが、閉鎖的な空間で用いる拳銃の構え方らしい。似たような構えをアメリカのアクション映画の中で見たことが有るので、拳銃の構え方を選んだのは強ち、大きな間違いを犯しているとは思わなかった。屋外や距離別、用途別の拳銃の構え方や狙い方があるらしいが、それらを極めている時間はない。達人になってから戦場に出ていたのでは遅いのだ。
 それにたったの十発しか残弾は無い。弾倉を抜いて三発も注ぎ足しをさせてくれる時間を与えてくれるとは思えない。今夜、今ここで、速やかに、勝負を付けなければ涼子は死ぬ。死ぬだろう。死ぬしかない選択肢しか残されていないだろう。
 神崎一人ならば十発は釣銭が返ってくるほどの分量だが、『状況を鑑みて』それは望みが薄い。
 工場の二階。
 窓から差す月明りや外灯の明かり以外の光源に乏しい。
 崩れたコンクリートの壁の向こう側から、神崎と男、そしてその警護と思しき男たちの声が聞こえてきた。背中を壁に押し当てて耳をそばだてる。
「……これで最後だ。このデータさえ渡せば、俺は良い椅子に座れるわけだ」
 神崎の声には、興奮と僅かな震えが混ざっていた。
 今すぐにでも神崎の前に飛び出して、有りっ丈のタマを叩き込んでやりたかった。逸り猛る心を舌の根を噛んで自分を宥めさせる。
 尚も続く会話。
「分かっている。……だが、お前の尻尾はまだ掴まれたままだ。あの女はどうした? 『情報の一部』を握ったままだろ? いつ片付くんだ?」
 やや掠れ声の男の声が低く響く。
「あの女は今頃、警察に追われて身動きが取れない。もし出てきても俺の方の『身内』が片付ける。それに、だ。あの女には本物の情報なんて何も与えていない。如何にも大事そうな演技でSDカードを扱っていたら、俺のスケが妙な正義感を出して勝手に持ち出してくれた」
「酷い奴だな。お前の『身内』が殺した女だろ? 可愛かったんじゃないのか?」
「『こんな時の為に飼っているんだ。何人かいる』。使い捨ての一人だ。俺の読み通りに動いてくれたから色々と手間が省けたよ。同じ女でもワルばかりじゃ、考え方が似たり寄ったりになる。中には正義の味方気取りも飼いならしておいて損はない」
「本当に酷い奴だな。尊敬するぜ」
 じっと耳を澄ませていた涼子の歯を食いしばる音が、ひび割れたコンクリの壁に静かに吸い込まれていく。

――――私を…….. 片付ける……。
――――美咲は……こんなくだらないことで!

 やがて、埃と黴の臭いに交じって煙草の煙が漂い始める。連中は相変わらず談笑しながら、自分たちの作戦が順風満帆に進んでいることを褒め合っていた。涼子は頭に血が上る自分に気が付いた。深呼吸をして鼓動の鎮静のために酸素を送る。
 そばだてる鼓膜に異音が少し混じる。
 連中の足音がする。神崎。警護の二人。それと取引相手。合計4人の足音。会話や声の内容から、この壁一枚向こうに居る人間は全員男だと判明した。
 何も全員に銃弾を叩き込む必要は無い。
 理想を言えば、神崎だけを分離させて、誰も知らぬところで有りっ丈の三十二口径を叩き込むことができれば本懐を成し遂げられる。
 『本来の自分の無実の証明』は法的に証明されるだろうが、自分が非合法な銃で法律から外れた私的制裁を神崎に下した事実はどう考えても覆らない。
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