歪んだ弾道
弾が尽きれば、待っているのは逮捕か、或いは真犯人の手による口封じだ。それは想像に難くない。そもそも、この拳銃を手にしなければ無様に逃げ回ることしかできなかったろう。逃げ回ることもできなかっただろう。
この銃を威嚇のために何度か衆人環視の中で抜いた。
もう逃げられない。
彼女を撮影したのは街角の防犯カメラだけではない。その場に居た衆人のスマートフォンのカメラにも収まっているはずだ。
涼子は追われつつも、執念深く調査を続けた。……真犯人を探し出す調査は『美咲の親友である涼子だから簡単だった』。『真犯人と恋仲にあった美咲と親友であった涼子だから簡単だった』。逐一、涼子に情報を与えてくれたのは、友美だ。彼女は危ない橋を渡って買ったという飛ばしケータイを友美に手渡したり、自分の貯金から切り崩したという僅かな金額を陰ながら援助してくれた。社内の神崎の動向を分かる範囲で調べて知らせてくれたのも友美だった。……友美にとって殺害された美咲はただならぬ仲だったのだろう。ますますもってこんな形で仲良くなりたくなかった。
美咲が残したスマートフォン。それ自体は警察に押収されたが、美咲が殺される前日にスマートフォンから抜き取ったSDカードを涼子は受け取っていた。
その時は何の事なのか、何のためのSDカードなのか全く理解できなかった。
SDカードの中身の重要性を知ったのは、美咲が殺害されて、自分が重要参考人として警察にマークされているらしいという噂を聞いた時に、思い出したようにSDカードを自分のスマートフォンで再生し、中身を閲覧して『その重大性に気が付いた』。
SDカードに収まった十数枚のファイルに『首謀者』と思わしき人物の名前が確認された。それが、美咲との恋中であった人物――――神崎徹(かんざき とおる)。
涼子の元上司であり、社外秘の情報を横流ししようとしていた張本人だ。
美咲は――どのような経緯で知ったのかは今では不明だが――その横流しの証拠を掴み、神崎はそれを知って美咲を殺害し、涼子に罪をなすりつけた。
涼子を犯人に仕立て上げるために持たせた『証拠物件』として、偽物の社外秘の情報が収まったUSBメモリを現場に残した。
偽物のUSBメモリを用いて涼子を犯人に仕立て上げる計画が記載されたファイルもある。電子データの信憑性が法的に争う証拠となるのなら、それは偽造や改竄が容易な現代では勝訴に至る決定打としては非常に微弱だ。
美咲が自身の身の危険を感じて涼子に託したSDカードも偽物だというのなら完全な手詰まりだが、正直なところ、涼子の本心は違う動機によって突き動かされていた。
自分の経歴や身の安全などどうでも良かったのだ。
自身が何かの陰謀に巻き込まれた事実は認識しているが、それの規模は大して重要だと思っていない。
彼女はただただ、世間の悪意の奥底に潜む『普通の憤怒』の感情に飲み込まれていた。
自分を観察し、事実と感情を切り分けて、問題から生まれる悩みを解消するという理性的な思考を、容易く放棄していた。
何が重要で何が重要でないか? ……それを選別して順位付けするためには『感情』が必要だ。その上で目の前に数多ある、為すべき事を順位付けし、悩みを各個撃破する。
その理性的感情による判断はとうに捨てた。
『普通の憤怒』の感情。
これが決定的な動機として定まったのは、親友の美咲の死だ。
どこかの誰かが、自分の権益のために美咲を殺した。
それだけ。
たったそれだけの理由で涼子は『法的手続きでの解決を放棄して、純粋な暴力だけで自分の心に巣食う不快な感情を晴らさんと奮起している』。……彼女の背中を押したのは、偶然手に入れた中型自動拳銃だ。そして美咲の死後に涼子の逃走の手伝いを陰ながら支えてくれた友美の存在。
拳銃がどの程度の威力なのかは知らない。暗い海に向かって試し撃ちをしただけだ。
命中精度や威力は知らない。彼女の知識の外の話だ。
人間は自分の知識の範疇の中でしか喜怒哀楽を表現できない。涼子が観測できる世界では、銃声とはこんなもので、反動とはこの程度のものである、という主観的事実のみだった。そこに驚きも恐れも無い。
自分でも信じられないほどニュートラルな感情で、法治国家の日本では、違法アイテムのアイコンである拳銃を握っていた。
今から思えばそれはニュートラルではなく、余計な感情を切り捨てた瞬間の空白ではなかったのか? とさえ思う。
この銃を威嚇のために何度か衆人環視の中で抜いた。
もう逃げられない。
彼女を撮影したのは街角の防犯カメラだけではない。その場に居た衆人のスマートフォンのカメラにも収まっているはずだ。
涼子は追われつつも、執念深く調査を続けた。……真犯人を探し出す調査は『美咲の親友である涼子だから簡単だった』。『真犯人と恋仲にあった美咲と親友であった涼子だから簡単だった』。逐一、涼子に情報を与えてくれたのは、友美だ。彼女は危ない橋を渡って買ったという飛ばしケータイを友美に手渡したり、自分の貯金から切り崩したという僅かな金額を陰ながら援助してくれた。社内の神崎の動向を分かる範囲で調べて知らせてくれたのも友美だった。……友美にとって殺害された美咲はただならぬ仲だったのだろう。ますますもってこんな形で仲良くなりたくなかった。
美咲が残したスマートフォン。それ自体は警察に押収されたが、美咲が殺される前日にスマートフォンから抜き取ったSDカードを涼子は受け取っていた。
その時は何の事なのか、何のためのSDカードなのか全く理解できなかった。
SDカードの中身の重要性を知ったのは、美咲が殺害されて、自分が重要参考人として警察にマークされているらしいという噂を聞いた時に、思い出したようにSDカードを自分のスマートフォンで再生し、中身を閲覧して『その重大性に気が付いた』。
SDカードに収まった十数枚のファイルに『首謀者』と思わしき人物の名前が確認された。それが、美咲との恋中であった人物――――神崎徹(かんざき とおる)。
涼子の元上司であり、社外秘の情報を横流ししようとしていた張本人だ。
美咲は――どのような経緯で知ったのかは今では不明だが――その横流しの証拠を掴み、神崎はそれを知って美咲を殺害し、涼子に罪をなすりつけた。
涼子を犯人に仕立て上げるために持たせた『証拠物件』として、偽物の社外秘の情報が収まったUSBメモリを現場に残した。
偽物のUSBメモリを用いて涼子を犯人に仕立て上げる計画が記載されたファイルもある。電子データの信憑性が法的に争う証拠となるのなら、それは偽造や改竄が容易な現代では勝訴に至る決定打としては非常に微弱だ。
美咲が自身の身の危険を感じて涼子に託したSDカードも偽物だというのなら完全な手詰まりだが、正直なところ、涼子の本心は違う動機によって突き動かされていた。
自分の経歴や身の安全などどうでも良かったのだ。
自身が何かの陰謀に巻き込まれた事実は認識しているが、それの規模は大して重要だと思っていない。
彼女はただただ、世間の悪意の奥底に潜む『普通の憤怒』の感情に飲み込まれていた。
自分を観察し、事実と感情を切り分けて、問題から生まれる悩みを解消するという理性的な思考を、容易く放棄していた。
何が重要で何が重要でないか? ……それを選別して順位付けするためには『感情』が必要だ。その上で目の前に数多ある、為すべき事を順位付けし、悩みを各個撃破する。
その理性的感情による判断はとうに捨てた。
『普通の憤怒』の感情。
これが決定的な動機として定まったのは、親友の美咲の死だ。
どこかの誰かが、自分の権益のために美咲を殺した。
それだけ。
たったそれだけの理由で涼子は『法的手続きでの解決を放棄して、純粋な暴力だけで自分の心に巣食う不快な感情を晴らさんと奮起している』。……彼女の背中を押したのは、偶然手に入れた中型自動拳銃だ。そして美咲の死後に涼子の逃走の手伝いを陰ながら支えてくれた友美の存在。
拳銃がどの程度の威力なのかは知らない。暗い海に向かって試し撃ちをしただけだ。
命中精度や威力は知らない。彼女の知識の外の話だ。
人間は自分の知識の範疇の中でしか喜怒哀楽を表現できない。涼子が観測できる世界では、銃声とはこんなもので、反動とはこの程度のものである、という主観的事実のみだった。そこに驚きも恐れも無い。
自分でも信じられないほどニュートラルな感情で、法治国家の日本では、違法アイテムのアイコンである拳銃を握っていた。
今から思えばそれはニュートラルではなく、余計な感情を切り捨てた瞬間の空白ではなかったのか? とさえ思う。
