歪んだ弾道

 時刻が、昨日から明日へと切り替わる深夜。
 それまで仰いでいた黒い世界の向こうから、アスファルトに生えるように立ち尽くす自分に向けて激しい雨が撃ち込まれる。
 叩きつける雨粒が、身体を凍てつきで殺さんばかりの冷たい雨を彼女────高城涼子(たかぎ りょうこ)を叩きふせんとする。一定の心臓の鼓動に相反するように、土砂降りの大きな雨粒は絶え間なく、不規則なリズムを彼女の体に刻みこんでいた。
 二十六歳の涼子は、ほんの少し前……一ヶ月前までは市内の大手外資系企業で働く、どこにでもいるOLだった。
 今は違う。
 彼女は、親友である高宮美咲(たかみや みさき)殺害の容疑者として、全国に指名手配されている逃亡犯だ。
 美咲と同じ部署で、美咲の友人である三平友美(みひら ともみ)が自らの体を張って虚言で警察を混乱させている間に、友美の車で一時的な逃走が可能になった。
 友美は何も聞かなかった。友美は「美咲が信じた友人だから」と全てを理解した真剣な顔で涼子を見つめ返した。涼子はその真摯な眼差しを全く疑わなかった。疑う余地などない。美咲が以前から、「ウチの社内に仲の良い友達ができたから今度紹介するね」と楽しそうに話していた。その美咲が恃んだ友人が友美だ。美咲の友情に感謝だ。そして、それを知りながらも協力してくれる友美にも感謝。
 美咲が全幅の信頼を置いた友人。
 恐らく、美咲に迫る危機を知らされていたのだろう。
 友美も美咲の為に、美咲を守るために奔走していたのだろう。彼女が信じた友人の友美。こんな形で美咲を介さずに友美と知り合いになるのは寂寥の限りだが、同じ社内にも味方が居るのは心強かった。
 そして始まった逃亡生活。
 美咲の遺体発見現場で見つかった証拠の全てが、涼子が犯人であると指し示していた。────指紋、微かな繊維、そして決定的な動機である、美咲の持つ機密情報を巡る社外秘の情報が入ったSDカード。
 勿論、捏造された動機だ。警察は物的証拠だけで涼子を重要参考人として『断定』したが、涼子だけは知っている。
 真犯人は別にいる。
 そしてその犯人が涼子の人生、美咲の命、全てを奪った黒幕であることを。
 涼子の唯一の武器は、曽祖父の遺品である旧式の中型自動拳銃ブローニング M1910。
 ベルギーの当時のブローニング社が製造した、スリムで持ち運びやすい自動拳銃で三十二口径七連発だ。
 その小さな銃が涼子の掌で冷たく、重く存在を主張していた。
 涼子が逃走のために大型ボストンバッグを探すべく倉庫を漁っている時に、この銃が仕舞われた古ぼけた木箱を見つけて、『中身を手に取った』。
 それが涼子の逃走……否、闘争のために必要な覚悟を後押しする直接の導火線となった。
 この銃を偶然自宅の倉庫で発見していなかったら、『一ヶ月も追っ手の警察から逃げ切れないでいただろう』。
 まだ人に向けて発砲したことはない。
 潜伏先の倉庫街の鼻先にある、暗い海に向かって2発、撃った。
 それだけだ。
 照準の精度を確かめる発砲ではなく、百年近く前に製造されたらしい実包が使えるかどうか試しただけだ。
 脳裏に、冷たい雨の夜を思い出しながら……あの夜の土砂降りの中で空を見上げていた自分を思い出した。あの時に自暴自棄にならなかったのは拳銃を手に入れたお陰。
 涼子は今、古い倉庫の片隅で……パーテーションだけで仕切られた、窓の無い物置のような部屋で、弾倉を本体から抜きだし、残弾を数えた。
「七……八……九……十……」
 予備の実包も含めて残弾は、たったの十発。
 ブローニング M1910は装弾数七発。つまり、一発装填された状態でフルロードすると、弾倉に七発、薬室に一発の計八発の装弾が可能だ。残念な事に彼女にはフルロードという知識も知恵もない。
 現在、予備の弾薬は三発。
 合計十発で、涼子は黒幕を仕留め、自分が無実であることを証明しなくてはならない立場にいる。
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