昏いうた
ホテルに近づくにつれて、夏の気温で蒸されたようなカビ臭い熱気を孕んだ空気が巴の全身を舐めるように纏わりつく。
辺りを警戒。
右手に愛銃をだらりと下げて、正面玄関からホテルへと侵入。
薄暗く、湿度が高く、カビの臭いと埃が混じり、それだけで呼吸器系の病気になるのは想像に難くない、淀んだ空気が支配しているホテルの中に入る。
巴はフロントを過ぎて右手側へと進む。
大きなフロント。こんな採算の見込みが望めない場所でどれだけの集客を目論んで設計したのやら……。
廊下をゆっくりと進む。僅かに風化しかけの壁紙がケミカルな異臭を放つ。薄暗い。だが、まだ午前中の日光の光源が充分に窓から差し込んで視界に障害が発生するほどの不便さは感じない。
「!」
背筋や腋に冷たい汗が吹き出る。
現場で度々覚える、嫌な違和感。
「…………」
右手のS&W M10 FBIのグリップを強く握る。
突然振り向いたり、牽制の発砲はしない。巴は【運び屋】だ。荒事を生業にしているわけではない。即ち、慣れない事はするものではないと経験が囁く。……そもそも、巴のハジキの腕前は大した事がない。『走行する運転席から隣の車の人間に命中させる程度』の技能の習得は彼女の感覚で言うと『大した事がない』のだ。
必要にかられて実戦で鍛えた、覚えた、会得した……そんな技術でしか無い。何処かの誰かに師事して裏の世界の生き方を教わったわけではない。【運び屋】という仕事をハローワークで見かけたのではない。尤も最近ではハローワークに、転売された幽霊会社が人員を募集するための真っ当な企業として実務業績を残して、表の世界の住人を裏の世界へと引きずり込むという悪どい手段も横行しているらしいが。
耳鳴りがする緊張が全身を襲う。
甲高い耳鳴りが席巻する世界で、ノイズを掻き分けて、耳を澄ます。
足音が聞こえた。
複数。
話し声は聞こえない。
足音の運び方から全員男。
短機関銃を持っているような連中だ。
全員が武装していると思ったほうがいい。
追跡者たちが、ここまで追ってきたのだ。
それは半分、予想が当たっている。
『嫌な予想』が当たっている。
元から追跡されていた。
それも、依頼人のその上、上層組織が【運び屋】にブツを運ばせる算段を立てているという、依頼の根源からばれている。
巴とて、命が惜しい。所詮雇われた身なのだから、ここで連中と取引をしてブツの運搬に失敗したと報告すればいい。
だが……そんな舐めた考えは巴の頭の中にはない。
この世界の殆ど全ては信用商売なのだ。
命が惜しいから、割に合わないから、相手に買収されたからと風見鶏のような生き方をしている人間は真っ先に命を落とす。
その場は切り抜けても、同業者から信用に傷をつけたと後ろから刺される。生き延びても、二度と裏の世界で商売はできない。表の世界に戻ろうにも、見せしめのために、裏の世界での悪事諸々が表の世界で流布されて表の世界でも社会的に居場所がなくなる。そして裏の世界に戻れない中途半端な生き方を死ぬまで続けさせられる。一思いに死ねない状況ほどつらい物はない。
巴はS&W M10 FBIを握り締め、手近な物陰を遮蔽としてそこに身を潜めた。時々低い位置に頭を下げて、遮蔽の角から頭を半分突き出して辺りを伺う。
暫くすると、二人の男が廊下の向こうから現れた。辺りを警戒するように歩く。手には大型自動拳銃。一人は右前を歩き、もう一人は左後方を5m離れて歩く。身のこなしからして荒事に慣れた、それも連携の取れた『チーム』だと分かる。
巴の潜む場所から男たちまでの距離は直線距離で10m。男たちは銃口と一致する視線を左右に走らせて足音を急に小さくして歩く。
────拙い!
────バレてる!!
巴は二人の足音の変化で察した。
あの二人は近くに巴が潜んでいることを察知している。
足跡か気配か体臭か、何かで巴の潜伏を察したのだろう。
探るような歩幅、落ち着いた、静かな足音。
アドレナリンが再び沸騰する。
辺りを警戒。
右手に愛銃をだらりと下げて、正面玄関からホテルへと侵入。
薄暗く、湿度が高く、カビの臭いと埃が混じり、それだけで呼吸器系の病気になるのは想像に難くない、淀んだ空気が支配しているホテルの中に入る。
巴はフロントを過ぎて右手側へと進む。
大きなフロント。こんな採算の見込みが望めない場所でどれだけの集客を目論んで設計したのやら……。
廊下をゆっくりと進む。僅かに風化しかけの壁紙がケミカルな異臭を放つ。薄暗い。だが、まだ午前中の日光の光源が充分に窓から差し込んで視界に障害が発生するほどの不便さは感じない。
「!」
背筋や腋に冷たい汗が吹き出る。
現場で度々覚える、嫌な違和感。
「…………」
右手のS&W M10 FBIのグリップを強く握る。
突然振り向いたり、牽制の発砲はしない。巴は【運び屋】だ。荒事を生業にしているわけではない。即ち、慣れない事はするものではないと経験が囁く。……そもそも、巴のハジキの腕前は大した事がない。『走行する運転席から隣の車の人間に命中させる程度』の技能の習得は彼女の感覚で言うと『大した事がない』のだ。
必要にかられて実戦で鍛えた、覚えた、会得した……そんな技術でしか無い。何処かの誰かに師事して裏の世界の生き方を教わったわけではない。【運び屋】という仕事をハローワークで見かけたのではない。尤も最近ではハローワークに、転売された幽霊会社が人員を募集するための真っ当な企業として実務業績を残して、表の世界の住人を裏の世界へと引きずり込むという悪どい手段も横行しているらしいが。
耳鳴りがする緊張が全身を襲う。
甲高い耳鳴りが席巻する世界で、ノイズを掻き分けて、耳を澄ます。
足音が聞こえた。
複数。
話し声は聞こえない。
足音の運び方から全員男。
短機関銃を持っているような連中だ。
全員が武装していると思ったほうがいい。
追跡者たちが、ここまで追ってきたのだ。
それは半分、予想が当たっている。
『嫌な予想』が当たっている。
元から追跡されていた。
それも、依頼人のその上、上層組織が【運び屋】にブツを運ばせる算段を立てているという、依頼の根源からばれている。
巴とて、命が惜しい。所詮雇われた身なのだから、ここで連中と取引をしてブツの運搬に失敗したと報告すればいい。
だが……そんな舐めた考えは巴の頭の中にはない。
この世界の殆ど全ては信用商売なのだ。
命が惜しいから、割に合わないから、相手に買収されたからと風見鶏のような生き方をしている人間は真っ先に命を落とす。
その場は切り抜けても、同業者から信用に傷をつけたと後ろから刺される。生き延びても、二度と裏の世界で商売はできない。表の世界に戻ろうにも、見せしめのために、裏の世界での悪事諸々が表の世界で流布されて表の世界でも社会的に居場所がなくなる。そして裏の世界に戻れない中途半端な生き方を死ぬまで続けさせられる。一思いに死ねない状況ほどつらい物はない。
巴はS&W M10 FBIを握り締め、手近な物陰を遮蔽としてそこに身を潜めた。時々低い位置に頭を下げて、遮蔽の角から頭を半分突き出して辺りを伺う。
暫くすると、二人の男が廊下の向こうから現れた。辺りを警戒するように歩く。手には大型自動拳銃。一人は右前を歩き、もう一人は左後方を5m離れて歩く。身のこなしからして荒事に慣れた、それも連携の取れた『チーム』だと分かる。
巴の潜む場所から男たちまでの距離は直線距離で10m。男たちは銃口と一致する視線を左右に走らせて足音を急に小さくして歩く。
────拙い!
────バレてる!!
巴は二人の足音の変化で察した。
あの二人は近くに巴が潜んでいることを察知している。
足跡か気配か体臭か、何かで巴の潜伏を察したのだろう。
探るような歩幅、落ち着いた、静かな足音。
アドレナリンが再び沸騰する。
