昏いうた

 ごくありふれた、何の変哲もない小さな紙袋だ。クラフトペーパー自体も百円均一ショップで買えるような質で、逆に心配になった。
 巴はホチキスで簡易的に止められたポチ袋を開封せずに掌で確かめて、男に尋ねた。
「報酬は?」
「そちらについては、無事に届けば後金をすぐに振り込まれます。どうか、お願いします」
 男はそれだけ言うと、そそくさと喫茶店を出ていった。何も注文せずに出ていった彼の非礼を詫びるように、巴はアイスコーヒーをもう一杯注文した。
 巴は大きなウィンドゥ越しに、雑踏に紛れゆく彼の背中を見送りながら、ポチ袋をジャケットの内ポケットにしまった。
「さて……」
 シガリロを取り出して火を点けると、細く長く紫煙を吐きながら腕時計に視線を落とした。彼を確認して、彼が出ていって……まだ10分も経過していない。

 幼い頃、巴は正義の味方になりたかった。

 悪を懲らしめ、困っている人を助ける。
 そんなヒーローに憧れた。
 しかし、成長するにつれて、世の中は善と悪が単純に分かれるものではないと知った。
 そして、身に起きた不幸を切っ掛けに、裏の世界で【運び屋】として生きるようになった。

 正義とは程遠い仕事だ。

 それでも、幼い頃の憧れは、心の片隅にいつもあった。

 翌日早朝。
 今日も快晴らしい。まだまだ殺人的な猛暑は続くという。来月まで恵みの雨が期待できないとの予報に辟易した。
 巴は愛車の赤いホンダフィットに乗り込み、エンジンをかけた。
 目的地は、隣県の山間部にある廃墟となったリゾートホテル。
 ナビに住所を入力し、アクセルを踏み込む。

────!!

 その瞬間、巴の背筋に鋭く冷たい警告を感じた。
 直ぐに辺りを警戒する真似はしない。経験上、『こちらが何か勘付いた』と悟られると、相手は強硬な手段に出やすい。これは相手の正体や敵意の有無は関係ない。『必要以上に賢い人間』であることをアピールしない方が賢いと判断したのだ。

────誰かに見られている。

 自然な動作でシートベルトを確認しながら、『バックミラーに映る車』に注意を払う。
 一台の黒いセダンが、そこで待機するように停車していた。……『いつから其処に居た?』
 巴は何も気がついていないふりをして、フィットを走らせた。
 付かず離れずの距離を保って、巴の車を追跡している。巴も焦りを見せずに遵法精神を発揮して交通法規と速度を守る。
 巴は窓を少し開け、左手だけで器用にシガリロの紙箱を懐から抜き、迫り出させた一本を銜え、火をつけた。口腔に深く吸いむ。どうやら、今回の依頼はただの【運び屋】ではないらしい。
 【運び屋】を追跡する輩は大別すると2つ。
 クライアントの敵組織が監視している場合。
 もう一つはクライアントが【運び屋】が仕事を全うするかを監視している場合だ。
 前者の場合、依頼や計画がバレている可能性があるのでレジリエンス豊かな対応が求められる。
 後者の場合、授業参観の子供よろしく真面目に職掌に励んでいる姿を見せるだけだ。

────とはいえ……全く気づかないふりを通すのも、ねぇ。
────「私は愚鈍です」って言ってるみたいでヤだな。

 巴は追い抜き車線を使い、フィットの速度を上げた。
 黒いセダンも同じように加速する。冷たい目になっている巴はシガリロを咥えたまま、静かにデホーンドハンマーのS&W M10 FBIをジャケットの左脇から取り出した。
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