昏いうた

 何が先途だ?
 何が合図だ?
 何が号砲だ?
 二人の間を、重苦しく息苦しく、そして呼吸が冷たくなるような殺気が世界を塗り替えてしまう……そんな視線が交叉する。
 額から汗の粒がぬるりと伝って零れる。
 巴の右目蓋に汗の粒が触れて、刹那の時間、右手側の世界が暗くなった。生理的に瞬きをしてしまった。

 それが合図だった。

 銃声が轟く。
 連なった9mmパラベラムの銃声が38spl+Pの銃声を掻き消す。
 たったの一連射。
 たったの一発。
 それが全てで、それが最後だった。
「……」
「……」

 睨み合う二人。

 巴は歯を剥き出しにして男を睨んでいた。……背後のドアに自らの血飛沫を撒き散らして。
 自らは自力で立てなくなり、背後のドアに叩きつけられたと同時に、その場に腰からずるりと床に落ちた。
 『胸骨の真ん中から右肩にかけて9mmで縫われ、愛銃を衝撃で放り出し、無力化されてしまっていた』。
 一歩も……指一本も動かせず、ドアに凭れたまま。体に撃ち込まれた銃弾が体内で爆発したような圧迫のような痛みを生み出している。胸骨を砕かれても生きているということは、心臓への直撃はなかったということと、心臓近辺の大動脈にも破損はなかったということだろう。……『だが、バイタルゾーンだ』。
 呼吸が酷く苦しい。
 男を睨みつけると言う抵抗の意思表示で精一杯。
 不吉にも脳の片隅では、過去の経験や体験から『本当の危機を乗り越えた記憶』を検索している。
 目を閉じようものならすぐにでも走馬灯が見えそうだ。走馬灯とは死に対する、脳の最後の抵抗で、過去に同じ経験をしていないか? その時はどのように助かったか? と言った記憶を検索しており、その検索能力は普段は全く忘れていた幼少期の頃の記憶も思い出すという。
 巴の焦点がぶれ始めた目には、まるで獲物を追い詰める狼のような男の顔が映っていた。
「……ぐっ……」
 巴は呻き声を上げながら、歯を喰い縛って左手を男の顔に翳す。左手に抵抗の意思を表現させるだけで冷や汗が吹き出るほどの苦痛だ。全く無意味な抵抗のジェスチャー。
 血が溢れる負傷箇所を抑えようともしない。
 男はゆっくりと巴に近づき、UZIを握っていない左手で巴の懐からクラフトペーパーのポチ袋を奪った。ジャケットの内ポケットを好きに漁られているのに、その手を解く力も気力もなかった。
 巴の目に徐々に翳りが差してくる。
 男はクラフトペーパーのポチ袋を見つけると、指でポチ袋を押さえて探り、中身がUSBメモリであることを確認すると、それを自分の胸ポケットに押し込み、きびすを返した。
「命までは盗らない。『また会おう』」
 男は背を向けたまま、野太い声でそう言うと、巴に全く興味を持たずに廊下を歩き出した。

────へっ。
────ばーか。
────お目出度いヤツめ!

 巴は土気色になりつつある顔だったが、彼の背を見ながら壮絶な笑みをこぼした。
 あの男が持っていったのは、巴が自前で用意した家電量販店で買ったニセのUSBメモリだ。それを100円均一で買ったクラフトペーパーのポチ袋に入れたものだ。本来なこれを何処かに隠して連中を撹乱させるつもりだった。

―――最後の最後にドジを踏みやがったな、あいつ。ご愁傷さま。

 まさか外注の荒事師が機密が詰まったUSBメモリをこの場でパソコンに差して中身を確認する権限は与えられていないだろう。
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