野良学者の没論

 コンシールドキャリーの法律が正確に機能するというのは、同時に命を守ることができた被害者が、自ら負う必要のない傷を背負い込むことなのだと知る。
 警察署からの報告の締めくくりには、引き続き捜査を進めるという一文が明記されていた。
 地方版のネット新聞を見ても今回と似通ったケースが河原の石のように転がっており、今のところ、男たちの足取りは自分で掴むのは不可能だ。
 凶悪犯罪が多発する世の中では、こういった事件も日常の一部となりつつあった。
 ユキは事件以来、夜道を歩くことに恐怖を感じるようになっていた。
 アルバイトの帰り道も、常に周囲を警戒し、少しでも不審な気配を感じると、すぐに身を隠すようになった。
 揶揄無しで後頭部に目玉が欲しい。
 そんなある日、ユキは思い切って気分転換のために、一人で和喫茶を訪れた。ストレスが溜まった時の、『いつもの店』だ。
 お気に入りの店で、いつも注文する抹茶と和菓子のセットを前に、心を静かに落ち着かせようとする。
 昼間でも、衆人環視の中でも……傍に人がいるだけで、老若男女問わず警戒してしまう。それほど神経がすり減っていた。
 ユキは曝露療法のつもりで、いつも気分転換に訪れていた和喫茶に一人で来たのだ。
 何も怖くはない。
 自分は一人の暴漢を撃退したのだ。
 バッグには銃が入っている。
 落ち着け。
 不快な興奮は更に不快な興奮を増進させる。
 即ち、不安。
 不安は正体が分からないから不安という。
 正体が分かればそれは不安ではなく、恐怖へと名前が変わる。
 恐怖と名前が変われば具体性が増すので、物理的にも精神的にも打開策が見つかりやすい。
 今は曖昧模糊とした不安が渦巻いているから人前に出るのが怖いだけだ。
 安心しろ、ここに銃がある。この店にはあの男たちはいない。
 自分の脳内を、反芻思考に陥らないように、不安や焦燥の要点をバッグから取り出したメモ帳に思いつくまま書き殴り、扁桃体を鎮める。
 扁桃体の興奮が不安を呼ぶ。ストレスを生む。
 扁桃体は言語化された情報を取り入れると沈静化する。
 だからこそ、不安が暴走しないように、不安が前頭前野を支配しないように、言語化できていない不安の根源のさらに奥底を解析するようにペンを走らせる。
 人間の脳みそは単純だ。眼の前に明確に可視化された言語情報が有れば、更にそれを自らが思い出して、考えて、構築した文章ともなると、そのアウトプットした情報に価値を勝手に見出し、脳が優先するタスクを押しのけて最上位に『自分の書き出したもの』を位置づけてしまう。
 つまり、姿の見えないものに姿を与えて解析しやすいようにサルベージする。たったそれだけで人間の脳は鎮静してしまう。
 脳は本来、快か不快かしか、選択する機能しか持っていない。その選択機能を快に傾ける行為の一つが言語化だ。
 運ばれてきた抹茶。湯のみ茶碗を手に取り、温かさを堪能し、ゆっくりと一口。
 先ず、芳醇な青い香りが鼻を擽る。唇の奥あたりから喉の最奥にかけて、染み込むようにほろ苦さが行き渡り濃厚な茶の甘みを残すが、すっと切れて余韻が嫌味無く残らない。
 それは程よく、張り詰めた心にじんわりと染み渡る。良薬を飲んだかのように倦怠感を覚える脳が緩んだ感覚がする。触らなくとも凝り固まった頭皮が柔らかくなったような気さえする。
 茶道の作法としては菓子を先に口に入れて味わうのだが、ここはもっとカジュアルな場所だ。茶道も作法も関係ない。自分のペースで楽しみたい。
 今はただ、静かな座敷の空間を一人で満喫したい。
 ……けれど、心の奥底に沈んだ不安は、簡単に消えるものではなかった。まだまだ言語化されていない不安は多そうだ。

 S&W M351cの使用状況について補足が有るのでその旨を伝えたいから警察署に来て欲しいと警察官が訪れたその翌日。警察署内での噂話や会話に耳を傾けていた。
 拾った情報の断片から、警察の捜査状況が皆目見当がつかないことに、ユキは焦りを感じていた。もしかしたら、あの男たちは、またいつか自分を襲いに来るかもしれない。……そんな恐怖に意識が引っ張られている、悪夢のような想像が、頭から離れない。気を緩めれば次から次へと想像が広がる。
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