野良学者の没論
発砲したのだ、そのうち近隣住民が通報するだろう。
それにコンシールドのライセンスを持つ本人が発砲したのなら24時間以内に警察に通報する義務がある。
男たちの追跡はない。諦めたか? 巻いたか?
今度は、大きく迂回し、ただひたすらに、自宅へと弧を描くように路地を縫いながら走った。……自宅へと通じる路地を探しながら、息を切らし、走った。
どれくらい走ったのか? 誰とも出会うこと無く、自宅のハイツに辿り着き、玄関の鍵を閉める。
玄関ドアにもたれて背中からズルズルと座り込む。
安堵と恐怖で全身が震え、その場に崩れ落ちた。
持っていたS&W M351cが、乾いた音を立てて床に落ちる。まだ握ったままだった。銃を振りながら走っている最中に不審者と勘違いされて通報されなかったのは本当に運がいい。……つまり、誰とも出くわさない、危険な道を走っていたのだ。
トレーニングで十分に把握していたはずの引き金の重みが、今はただ虚しく感じられた。
壁にもたれかかり、ユキは膝を抱えてうずくまった。
冷たい脂汗が全身を伝う。
恐怖で視界が歪み、涙がとめどなく溢れ出した。
小さな身体で味わった、死ぬかもしれない恐怖。
コンシールドキャリーライセンスを取得していなければ、手元にS&W M351cが無ければどうなっていただろうか。
想像するだけで、吐き気がこみ上げてくる。
暗い玄関で、彼女はただ一人、声を殺して泣き続けた。
翌朝。午前6時。
ユキは重い身体を引きずるようにして目を覚ます。
昨夜の出来事が、恐怖の時間が夢ではなかったことを、心臓の奥に巣食う『鈍い痛み』が告げていた。枕は涙で濡れ、目蓋は腫れ上がっている。
寝室から出ると、廊下に落ちたままのS&W M351cと目が遭い、昨夜の恐怖に彩られた生々しい記憶を呼び覚ます。
網膜に、鼓膜に、肌に、背筋に、あらゆる恐怖が悍ましさをまとって全身を駆け巡る。
風邪を引いたように吐き気や震えを覚え、再び、ベッドに潜り込む。
コンシールドキャリーのライセンスは取得しているが、実戦で発砲したのは初めてだ。何より、実際に犯罪の被害者として銃を抜き、発砲したのは始めてだ。
銃弾が命中したか否かは別だ。
人に向けて発砲したという大きな負い目が、罪悪感が、正当防衛のもとに行った行為が彼女を苦しめる。
この精神的ショックで、折角取得したコンシールドキャリーのライセンスを返納する国民はかなり居る。
故に、コンシールドキャリーのライセンスを取得するまでに1年間かけて精神鑑定と毎月のカウンセリングを行い、その上で精神に異常がなければコンシールドキャリーにまつわる座学と実技を3ヶ月学んで試験を受けて合格する必要がある。
身を守る道具を手元に置く。……それだけのことに、これだけの時間と試験を課すのは、国が許可を与えて銃を持った人間が『間違い』を犯すのを防ぐためだ。
銃を護身目的で手元に置くにはさらに大きな法的制約がある。
そのうちの一つが、『正当防衛が立証される条件が揃ったときのみ、緊急での発砲が許可される』ことだ。
昨夜は明らかに男たちが先にユキの腕を掴んでいた。法的解釈では暴行の意図ありと見做される。それを証明するためにも発砲した場合、警察に通報し、検分が行われ、『本当に正当防衛だったのか?』という法的疑問点が解消されて初めて『正当防衛での発砲』が認められる。正当防衛の成立が認められた通達は、後日裁判所から郵送されてくる。
銃を拾い上げ、薬室を確認する。撃ったのは1発。残弾は6発だ。
昨夜、男たちに命中したかどうかは分からない。
ただ、ユキが知っているのは、男たちが怯んだこと、そして、自分がその場から逃げられたということだけだ。
「……通報、しなきゃ……」
震える声で呟く。義務とはいえ、警察に通報すれば、当然、銃を発砲したことについて詳しく事情を聞かれるだろう。
護身の為とはいえ、銃を使用したことは重い事実だ。コンシールドライセンスは自由に人を撃てる許可証ではない。
通報しなければ、ライセンスは取り消しになる。何より、あの男たちがまたやってきて自分に仕返しするかもしれない。
その場限りの発砲でこのような苦悩に陥ってライセンスを返納するケースが多いので、国民には思ったほど広くコンシールドキャリー法の恩恵は浸透していない。
それにコンシールドのライセンスを持つ本人が発砲したのなら24時間以内に警察に通報する義務がある。
男たちの追跡はない。諦めたか? 巻いたか?
今度は、大きく迂回し、ただひたすらに、自宅へと弧を描くように路地を縫いながら走った。……自宅へと通じる路地を探しながら、息を切らし、走った。
どれくらい走ったのか? 誰とも出会うこと無く、自宅のハイツに辿り着き、玄関の鍵を閉める。
玄関ドアにもたれて背中からズルズルと座り込む。
安堵と恐怖で全身が震え、その場に崩れ落ちた。
持っていたS&W M351cが、乾いた音を立てて床に落ちる。まだ握ったままだった。銃を振りながら走っている最中に不審者と勘違いされて通報されなかったのは本当に運がいい。……つまり、誰とも出くわさない、危険な道を走っていたのだ。
トレーニングで十分に把握していたはずの引き金の重みが、今はただ虚しく感じられた。
壁にもたれかかり、ユキは膝を抱えてうずくまった。
冷たい脂汗が全身を伝う。
恐怖で視界が歪み、涙がとめどなく溢れ出した。
小さな身体で味わった、死ぬかもしれない恐怖。
コンシールドキャリーライセンスを取得していなければ、手元にS&W M351cが無ければどうなっていただろうか。
想像するだけで、吐き気がこみ上げてくる。
暗い玄関で、彼女はただ一人、声を殺して泣き続けた。
翌朝。午前6時。
ユキは重い身体を引きずるようにして目を覚ます。
昨夜の出来事が、恐怖の時間が夢ではなかったことを、心臓の奥に巣食う『鈍い痛み』が告げていた。枕は涙で濡れ、目蓋は腫れ上がっている。
寝室から出ると、廊下に落ちたままのS&W M351cと目が遭い、昨夜の恐怖に彩られた生々しい記憶を呼び覚ます。
網膜に、鼓膜に、肌に、背筋に、あらゆる恐怖が悍ましさをまとって全身を駆け巡る。
風邪を引いたように吐き気や震えを覚え、再び、ベッドに潜り込む。
コンシールドキャリーのライセンスは取得しているが、実戦で発砲したのは初めてだ。何より、実際に犯罪の被害者として銃を抜き、発砲したのは始めてだ。
銃弾が命中したか否かは別だ。
人に向けて発砲したという大きな負い目が、罪悪感が、正当防衛のもとに行った行為が彼女を苦しめる。
この精神的ショックで、折角取得したコンシールドキャリーのライセンスを返納する国民はかなり居る。
故に、コンシールドキャリーのライセンスを取得するまでに1年間かけて精神鑑定と毎月のカウンセリングを行い、その上で精神に異常がなければコンシールドキャリーにまつわる座学と実技を3ヶ月学んで試験を受けて合格する必要がある。
身を守る道具を手元に置く。……それだけのことに、これだけの時間と試験を課すのは、国が許可を与えて銃を持った人間が『間違い』を犯すのを防ぐためだ。
銃を護身目的で手元に置くにはさらに大きな法的制約がある。
そのうちの一つが、『正当防衛が立証される条件が揃ったときのみ、緊急での発砲が許可される』ことだ。
昨夜は明らかに男たちが先にユキの腕を掴んでいた。法的解釈では暴行の意図ありと見做される。それを証明するためにも発砲した場合、警察に通報し、検分が行われ、『本当に正当防衛だったのか?』という法的疑問点が解消されて初めて『正当防衛での発砲』が認められる。正当防衛の成立が認められた通達は、後日裁判所から郵送されてくる。
銃を拾い上げ、薬室を確認する。撃ったのは1発。残弾は6発だ。
昨夜、男たちに命中したかどうかは分からない。
ただ、ユキが知っているのは、男たちが怯んだこと、そして、自分がその場から逃げられたということだけだ。
「……通報、しなきゃ……」
震える声で呟く。義務とはいえ、警察に通報すれば、当然、銃を発砲したことについて詳しく事情を聞かれるだろう。
護身の為とはいえ、銃を使用したことは重い事実だ。コンシールドライセンスは自由に人を撃てる許可証ではない。
通報しなければ、ライセンスは取り消しになる。何より、あの男たちがまたやってきて自分に仕返しするかもしれない。
その場限りの発砲でこのような苦悩に陥ってライセンスを返納するケースが多いので、国民には思ったほど広くコンシールドキャリー法の恩恵は浸透していない。
