野良学者の没論

────本当に役に立つとは思っていなかった……。

 ユキの雨合羽の腹部に突き刺さったままの包丁。
 ユキは辺りに視線を走らせる。
 もうそろそろ、近隣住民に通報される時間だろう。
 そんなことよりも……。
「!」

────よし!

 ユキの視線の先には防犯カメラ……を映す防犯ミラーが有った。
 コンシールドキャリー法の大前提は防衛のための発砲で、正当防衛が立証されなければ過剰防衛やオーバーキルで裁判に負けてしまう。
 それを防ぐために、人気が少ないながらも、あらゆる角や辻に設置された防犯カメラや防犯ミラーを介して、男たちの犯行の一部始終がカメラに収まるように位置を移動していた。
 実際に身を守るために『襲われてから』発砲したという明らかな証拠が必要だ。
 その証人として一台の防犯カメラを映す防犯ミラーから姿を消す真似はしなかった。
 これらも全て、脳内に叩き込んだ近隣地図を精査した賜物だった。
 その際に大量に生み出すことになったコピー用紙や走り書き用のメモパッド。これらを集めて束ねると実に厚さ4cmにも達していた。
 その燃えるゴミでしかない使用済みのコピー用紙やメモパッドをガムテープで束ねて繋げて、A3サイズの大きさにして腹部全体を守る即席の防具として衣服の下に仕込んでいた。
 ユキが行動に出る日に掃除を思いつかなかったら、この防具のアイデアにはつながらなかった。
 更に、自分が窮地に陥るのは計算してあったが、どのような状況でどのような反応をすれば『自分よりも力が強い男はどのような暴力を行使するか』も十分に検討を重ねていた。
 ユキは腹部に刺さった……コピー用紙の束に刺さった包丁を抜いて静かに地面に置く。
 S&W M351cにはまだ2発の22マグナムが未使用のまま収まっている。コンシールドキャリー法では携行弾数にも制限があり、激しい銃撃戦が行いにくいように考案されている。
 正当防衛成立。
 『拠点型』の男の方を中心にプロットを立てて正解だった。
 犯罪者が全国的に増え、この地区も例外ではなかったが、特殊な性癖と性的嗜好を同じくする2人組の男の犯罪者はかなりレアなケースで、寧ろ、高度なプロファイリングよりもデータ解析に頼らない古典的なプロファイリングのほうが当て嵌めやすかった。
 その証左が、今、ユキが生きている証拠だ。
 何もかもがユキの掌の上ではなかった。統計と確率に頼った、それこそ『精度の高い博打』に頼った危うい部分もあった。
 終わってしまえば何ということはない。
 この通り、犯人たちは伏せたまま動けないでいる。

 こうして、ユキは勝利と満足感に包まれながら、パトカーのサイレンを聴いていた。
 パトカーのサイレンすら祝福のBGMに聞こえていた……。

 ユキのプロットは大雑把な割り出ししかできないプロファイリングで、特定の嗜好と思考を行動教義にする犯人を警察に引き渡すという、華々しい成果を残した。
 犯人が同じ狩り場で獲物に対して、不確定性を求めるある種のドーパミン的依存に酔うタイプでなかったら……こうは上手く進まなかっただろう。

 そして、ユキは自らの自惚れを思い知ることになる。
 
 連続犯罪とはいえ、性犯罪と傷害のみの犯罪者は服役期間が短く、中毒性が高い故に再犯の確率も高い。

 この後、ユキが出所した男たちに復讐を計画されるのは想像に難くなかった。
 これもまた、コンシールドキャリー法が生み出した闇の部分であった。
 犯罪者を捕まえて恨まれるのは警察官だったのは今は昔になりつつある。
 コンシールドキャリー法を行使した民間人が復讐の対象となり、今度こそ本当に一生物の心の傷を負わされ、一生、影に怯える社会問題が生み出された。……これは後年に成立する『民間警察法』の萌芽となる。

 日本国内での拳銃所持の解禁はまだ尚早だったと国会で屡々議論に上がったが、その頃には後戻りできない惨状が国内を席巻していた。

《野良学者の没論・了》
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