野良学者の没論

 次の瞬間が永遠に思えるほどに長かった。

────『自分ならこうする』と考えてはダメ。『自分はこうされたら嫌だ』と考えて!

 脳内ではその問答が超高速で反芻思考している。時間感覚があやふやになる錯覚がする。
 訪れる『次の瞬間』に対して、ギャンブル的な享楽を感じてドーパミンサイクルが回ろうとしてる。
 ほんの数秒。
 ……長かった。
 ユキは左肩を強く掴まれた。
 全身が過剰に跳ねて、それを待っていたのにも関わらずに、酷く驚愕した表情で素早く振り向いた!
 しかし、その左肩を押さえつけられ、完全に振り向くことができない!
「よお……」
 もう一人の男の声が粘っこく耳の奥に侵入してくる。 
 生理的反応でユキは体を反対側へと捻ろうとするが、男の力は強力で、ユキを自分の方へと向けた。
 今しがた目の前で仲間の男が拳銃で撃ち倒されたというのに迷いがない!
 敵意や殺意というより憎悪を気配で感じる。散々恐怖を与えてから息の根を止めてやろうと考えているのか。
「!」
 ふと、男は抑えていたユキの左肩を解放した。
 ユキは筋肉の強張りから反跳するように、自ら進んで体を右回転させるように彼の真正面に体を向けてしまう。逃げなければならないはずなのに、彼に自身の真正面を向ける。筋肉のこわばりが生む反跳運動による不随意な動作だ。

────しまった!

 男の考えが分かっていながらも、このままでは右手を封じられて致命的な負傷を与えられる! ……と感じながら、ユキは呆然と男の黒い使い捨てマスクの顔を見た。そして視線を右手首に落す。……銃を握る右手首は男により、がっちりと掴まれており、振り解くのは絶望的だった。
 しばしの沈黙。
 見つめ合う2人。
 一方は恐怖に怯み。
 一方は完全な優位性を初めて誇った目をしている。
 ユキの右手はこの男によって手首付近を掴まれて、男に銃口を向けることができない。男の屈強な膂力で銃口が明後日の方向に向けられている。
 男の目に勝利とその先の陶酔が浮かぶ。
 ドス……。
 男は右手にいつの間にか握っていた包丁をユキの腹部に突き刺していた。
 男の目は狂喜に見開かれる。……が、すぐにその顔には焦りと怪訝が浮かぶ。
 ユキは、男の完全な勝利を確信した顔を確認してから、『行動を起こした』。
 右手首を内側へと大きく捻り発砲。銃口は男の方とは全く関係ない方向を向いている。
 この角度なら銃弾は空を穿つ。だが、目的は銃弾の命中ではない。
「ギャッ!!」
 男は怪鳥のような叫び声を挙げた。
 ユキの右手を掴んでいた男の左手首にはS&W M351cのシリンダーギャップから発砲時に発生する、高熱の凄まじい圧力のガスが叩きつけられて大火傷を負う。
 男は堪らずユキから体を離し後ろへ大きく後退りする。『火傷の部位を両手で押さえながら』。
 ユキの『腹には包丁が垂直に突き刺さったままだった』。
 その光景が信じられないと言う顔を顔面に貼り付けたまま、2m向こうからユキの22マグナム弾を臍下辺りに叩き込まれて、プツンプツンと糸が切れていく操り人形のように地面に沈んでいく……。
 この男も先程の男のように地面に伏したまま呻き声を上げる。時折呪詛を含んだ言葉が聞こえるが、腹膜付近に穴を開けられているのでまともに声が出ない。
「……」

────危なかった……。
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