床に沈む硝煙
彼、裕太郎は、舞衣が滑り落とした拳銃を握って両手で構えていた。銃口から紫色の煙が薄く登っている。
数秒後、裕太郎は緊張の糸が切れたように大きな呼吸を激しく繰り返し、過呼吸を起こしかける。
「裕太郎! しっかりして!」
裕太郎は何かを伝えようとしているが、呼吸がままならないのでまともに喋れないでいた。
代わりに彼は拳銃の、親指で操作するらしいボタンを押し込んでシリンダーを振り出すと、激しく震える右手で銃を保持し、左掌で飛び出た棒状の部分を押し込んだ。
「……!」
────6発!
────裕太郎は『知っていたんだ』
裕太郎は『気がついた舞衣の顔』を見て、過呼吸で苦しむ中、無理をして口角を吊り上げて返答代わりの笑顔を作った。
先程、裕太郎が泣きながら枚に抱きついてきた時に、彼が舞衣に伝えたかったことは、『連中は弾の勘定』を間違えている事を知らせたかった……。何故なら、裕太郎は、この拳銃の装弾数を知っていたからだ。
「まだ1発、余裕があるよ。おねえちゃん!」
それに最後まで気が付かなかったばかりか、尻餅を搗いて銃を手放してしまい、舞衣は睨み返して床を尻で這いながら後退するだけだった。
そこへ、誰からも注目されていなかった裕太郎が落ちていたリボルバー拳銃を拾って発砲し──後に分かったことだが──侵入した最後の一人を仕留めて危機を脱した。
やがて遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
誰が通報したのか些末な問題だ。もしかしたらこの山荘のセキュリティが外部からの侵入を検知して警察に通報したのかもしれない。
しばし呆然とする舞衣だったが、直ぐにリボルバー拳銃を自分のパジャマの生地で拭う。
自分の指紋は兎も角、裕太郎の指紋が残っていると彼の今後に大きな不都合が発生する。
慌てる舞衣に対して、過呼吸から回復しつつある裕太郎は細長い空薬莢を摘んで言う。
「やめときなよ、おねえちゃん……。空薬莢に浮いた指紋は……拭いても取れないんだし……それにこの指紋はパパの指紋だろうから……きっとパパが揉み消してくれるよ……」
少し血色が戻った顔で、掠れる声で裕太郎は舞衣に説明する。
確かに大山巌ほどの人物なら、事件の揉み消しなど簡単なことだろう。
守らねばと思っていた少年に最後は守られた。
少年は彼女が思っている以上に大人だった。……『大人の悪い知恵の使い方』を知っている少年だった。
きっと『彼がか弱い少年の振りをして舞衣に泣きじゃくりながら抱きついた』のも演技なのかもしれない。
舞衣は裕太郎を疑っているのではない。
可愛いだけの弟分だと思っていた少年が、土壇場で見せた度胸に、不覚にも、胸が高鳴ったのだ。
こうしてこの夜の出来事は幕を閉じる。
到着したパトカーは意外にもたった1台。警官2人が山荘内部に踏み込んだが、男2人が倒れて、『床にリボルバー拳銃が転がっている』のを見ても特に顔色を変えなかった。
脱力しきって気が抜けそうな舞衣は警官の話し声が耳に聞こえていたが、それを処理して理解する気力が残っていなかった。応答するのも面倒臭い。
やがて、警官の聴取の最中に、彼女の意識は遠のき、その場で倒れて、深く眠ってしまう。
※ ※ ※
大山巌所有の山荘での出来事は裕太郎の言葉の通りに、地方新聞の片隅にも掲載されない小事として片付けられた。
恐らく、この惨劇は『元から発生しなかった事件』なのだろう。
あの夜、警官はリボルバー拳銃と6個の空薬莢を見て「いい腕してるな」と呟いたらしいが、舞衣は眠りの国に堕ちていた。
裕太郎が助かった事実を分析すれば、舞衣が最初から38口径5連発の小型拳銃だと思いこんで疑っていなかったのが生き延びることができた要因だ。
実際は32口径のマグナムで6連発の小型拳銃で、ダブルアクションオンリー。
カタログではS&W M632cと呼ばれているモデルだった。
たった1発の計算違い。
それが勝因だった。
そして、今日も舞衣は裕太郎のゆく先々で家政婦として働いている。勿論、本来の職掌である清掃要員として活躍中だ。
《床に沈む硝煙・了》
数秒後、裕太郎は緊張の糸が切れたように大きな呼吸を激しく繰り返し、過呼吸を起こしかける。
「裕太郎! しっかりして!」
裕太郎は何かを伝えようとしているが、呼吸がままならないのでまともに喋れないでいた。
代わりに彼は拳銃の、親指で操作するらしいボタンを押し込んでシリンダーを振り出すと、激しく震える右手で銃を保持し、左掌で飛び出た棒状の部分を押し込んだ。
「……!」
────6発!
────裕太郎は『知っていたんだ』
裕太郎は『気がついた舞衣の顔』を見て、過呼吸で苦しむ中、無理をして口角を吊り上げて返答代わりの笑顔を作った。
先程、裕太郎が泣きながら枚に抱きついてきた時に、彼が舞衣に伝えたかったことは、『連中は弾の勘定』を間違えている事を知らせたかった……。何故なら、裕太郎は、この拳銃の装弾数を知っていたからだ。
「まだ1発、余裕があるよ。おねえちゃん!」
それに最後まで気が付かなかったばかりか、尻餅を搗いて銃を手放してしまい、舞衣は睨み返して床を尻で這いながら後退するだけだった。
そこへ、誰からも注目されていなかった裕太郎が落ちていたリボルバー拳銃を拾って発砲し──後に分かったことだが──侵入した最後の一人を仕留めて危機を脱した。
やがて遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
誰が通報したのか些末な問題だ。もしかしたらこの山荘のセキュリティが外部からの侵入を検知して警察に通報したのかもしれない。
しばし呆然とする舞衣だったが、直ぐにリボルバー拳銃を自分のパジャマの生地で拭う。
自分の指紋は兎も角、裕太郎の指紋が残っていると彼の今後に大きな不都合が発生する。
慌てる舞衣に対して、過呼吸から回復しつつある裕太郎は細長い空薬莢を摘んで言う。
「やめときなよ、おねえちゃん……。空薬莢に浮いた指紋は……拭いても取れないんだし……それにこの指紋はパパの指紋だろうから……きっとパパが揉み消してくれるよ……」
少し血色が戻った顔で、掠れる声で裕太郎は舞衣に説明する。
確かに大山巌ほどの人物なら、事件の揉み消しなど簡単なことだろう。
守らねばと思っていた少年に最後は守られた。
少年は彼女が思っている以上に大人だった。……『大人の悪い知恵の使い方』を知っている少年だった。
きっと『彼がか弱い少年の振りをして舞衣に泣きじゃくりながら抱きついた』のも演技なのかもしれない。
舞衣は裕太郎を疑っているのではない。
可愛いだけの弟分だと思っていた少年が、土壇場で見せた度胸に、不覚にも、胸が高鳴ったのだ。
こうしてこの夜の出来事は幕を閉じる。
到着したパトカーは意外にもたった1台。警官2人が山荘内部に踏み込んだが、男2人が倒れて、『床にリボルバー拳銃が転がっている』のを見ても特に顔色を変えなかった。
脱力しきって気が抜けそうな舞衣は警官の話し声が耳に聞こえていたが、それを処理して理解する気力が残っていなかった。応答するのも面倒臭い。
やがて、警官の聴取の最中に、彼女の意識は遠のき、その場で倒れて、深く眠ってしまう。
※ ※ ※
大山巌所有の山荘での出来事は裕太郎の言葉の通りに、地方新聞の片隅にも掲載されない小事として片付けられた。
恐らく、この惨劇は『元から発生しなかった事件』なのだろう。
あの夜、警官はリボルバー拳銃と6個の空薬莢を見て「いい腕してるな」と呟いたらしいが、舞衣は眠りの国に堕ちていた。
裕太郎が助かった事実を分析すれば、舞衣が最初から38口径5連発の小型拳銃だと思いこんで疑っていなかったのが生き延びることができた要因だ。
実際は32口径のマグナムで6連発の小型拳銃で、ダブルアクションオンリー。
カタログではS&W M632cと呼ばれているモデルだった。
たった1発の計算違い。
それが勝因だった。
そして、今日も舞衣は裕太郎のゆく先々で家政婦として働いている。勿論、本来の職掌である清掃要員として活躍中だ。
《床に沈む硝煙・了》
9/9ページ
