床に沈む硝煙

 裕太郎。
 彼が、出会ったばかりの、まだ17歳だった舞衣を物珍しそうに付きまとっていたのを大山巌が目撃していなかったら、舞衣は裕太郎の専属の家政婦として雇われていない。
 舞衣はそれまでは路地裏で空腹を凌ぐためにドブネズミのような生活をしているだけの痩せた獣だった。
 痩せた獣が、いつでも捨てられる下女として大山巌の会社の3次団体に拾われてから……全てが一転したのだ。
 決して出会うはずのない、ドブネズミの舞衣とグループの頂点の一粒種の裕太郎。
 大山巌は人見知りをする当時6歳の裕太郎の子守代わりにと、3次団体から舞衣を家政婦として大山家にスカウトした。
 勿論、舞衣の身辺は洗いざらい調べられた。
 舞衣の家庭は既に崩壊しており、家庭に居場所がない舞衣は高校を中退し、繁華街の路地裏でスリや置き引きをして生計を立てていた。
 その頃に大山の3次団体の会社──という体の反社会組織のフロント企業──に清掃員として拾われて、『本当に雑用と掃除をこなすだけのバイト』として舞衣は日々の糊口を凌いでいた。
 路地裏での生活を比べれば天国のような待遇で、彼女はこの職場を追い出されないように奮起した。
 そして、厳つい顔ばかりが並ぶ社会で裕太郎は、鼻歌を歌いながら自宅の廊下を掃除する舞衣と出会い、直感的に、自分を取り囲む男たちとは違った雰囲気に興味を覚え、舞衣の後を追いかけるようになった。
 舞衣は裕太郎のことは、自分の雇い主の長男だから大事にしなければいけないと義務的に敬う態度で接していたが、その義務での態度が、弟を見るような目に変わるのにそう時間はかからなかった。
 
 その裕太郎が、5年も同じ屋根の下で過ごしてきた11歳の少年が、命の危機に瀕している!
 舞衣は大山巌の書斎に来ると心の中で「社長! 失礼します!」と叫んで、ドアノブを捻り、室内に滑り込んだ。
 心臓の鼓動が五月蝿い。
 喉が渇く。
 瞬きの回数が多くなっているのを実感する。
 舞衣は五月蝿い鼓動と戦いながら、緊張と恐怖で震える指先を意思の力で抑え込み、クローゼットや戸棚を開け放ち、『武器』を探した。
 電気は断線させられているので照明は勿論使えない。窓から差し込む月明かりの中、探索する。
 焦りを代弁するかのように、珠のような汗が額から流れてくる。
「!」
 執筆用の、小型だが重厚な雰囲気のデスクの足元を調べていると、デスクの裏側にダクトテープで貼り付けて固定された小型の拳銃を見つけた。
 見つけるなり、ダクトテープを剥がす。小型拳銃を手に取り、右手で握ってみる。
 一般的にリボルバー拳銃と呼ばれるものらしく、舞衣のあやふやな知識では38口径で5発の弾を装填できるらしい。
 ……残念ながら、反社会勢力の総本山で家政婦をしていても本物の拳銃を見るのは今夜が初めてなのだ。
 その小型拳銃のシルエットになにか違和感を覚えながらも、デスクの足元から立ち上がる。
 その時だ。
 背後で何かを聞いた気がした。
 或いは気配を感じたのかもしれない。
 とにかく、意識していない挙動が彼女の身体に発生した。
「!」
「!」
 彼女は振り向きざまに腰に構えていた拳銃を発砲した。
 狭い空間──8畳間ほどの書斎──の壁や天井に銃声が染み込んでいく。
 目を固く瞑っていた彼女は、恐る恐る目を開けると、目前4mの床で大型ナイフを握った男がうつ伏せに倒れて低く呻いていた。彼は彼女に対して呪詛をぶつけるかのような低い呻き声を挙げることでしか抵抗できなかった。
 やがて彼の体の下から血液が染み出してくる。
 初めての発砲で。
 初めて致傷させた。
 人は、銃を初めて人を撃つと何を感じるか? と訊かれると、詩篇的に感傷的な答えを返す人間は少なく、「反動を感じた」「銃声が五月蝿いと思った」のどちらかを答える確率が非常に高い。
 舞衣も例外に漏れず、反動を感じた。それも、片手で十分に制御できる軽便な反動で手首から伝わる反動は心地よさすら感じる。
 目の前で倒れている男を見て、背筋をブルリと震わせる。
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