床に沈む硝煙

 彼女は振り向きざま、腰に構えていた拳銃を発砲した!
 狭い空間──8畳間ほどの洋風の書斎──の壁や天井に銃声が染み込んでいく。
 目を固く瞑っていた彼女は恐る恐る目を開けた。目前4mの床で大型ナイフを握った男がうつ伏せに倒れ、低く呻いていた。
 彼は彼女に対して呪詛をぶつけるかのような低い呻き声を挙げることでしか抵抗できなかった。
 やがて彼の体の下から血液が染み出してくる。
 いわゆる、致命的な部位にでも命中したのか?
 拳銃を生まれて初めて握って、5分も経過していない彼女には、残念ながら彼に対して手加減してやれるだけの技量はなかった。

 大山巌(おおやま いわお)。
 還暦を迎えたばかりの調停役。昨今風に言うのであればフィクサーと呼ばれる地位にいる。
 彼が指を差せば、そこの人が消え、新しい場所に経歴不詳の新人が生まれる。
 彼が一声挙げれば万年、膠着していた議会が天啓を得たように活性化する。
 彼がその道を歩いて風景が気に入ったと一言こぼせば、その道を中心に観光地が整備される。
 ……金や権力を保持して奮うからにはそれに見合う危険も十分に自覚している。
 親類縁者の中でも、『敵対勢力に囚われると彼自身が精神的に弱体化してしまう』ような、重要な人物には何人もの警護をつけた。
 言い方を変えれば、彼に警護をつけられなかった親類縁者は人質としての価値が低い事を意味した。
 結果として、親類縁者の中でも大山巌の派閥に取り入ろうと目論んでいた沢山の、『自分こそが大山巌の右腕』だと自負していた、郎党は裏切られたと感じ、また、そんなに軽く見られていたのかと落胆して鬱屈した精神に支配されていた。

 その大山巌の一粒種。……言うまでもなく、大山巌の最大の泣き所である、一人っ子で長男の裕太郎は小学校が春休みに入ると、家族の誰よりも早く大山財閥所有の山荘へと『旅行』へ出かけた。
 表向きは『旅行』。
 実際は大山巌が海外での、のっぴきならぬ会議のために、出張に随行させるには裕太郎が危険だと考えて、彼を山荘へ押し込めたのだ。
 大山巌専用の山荘とまで言われるだけあり、山荘内部には核シェルター並みに堅牢なパニックルームが造作されていた。

 3月某日。深夜1時。新月。

 4人の警護とともに山荘で働くことになった織部舞衣(おりべ まい)。
 住み込みの家政婦として働いて5年になる。他にも家政婦が1人、居る。
 家政婦専用に割り当てられた3階の寝室で、物音を聞いた気がして、意識が眠りの世界から引き揚げられる。
「……?」
 もう一人の家政婦は隣のベッドにいない。トイレにでも行ったのだろうか。
 再び目蓋が下がり始めて眠りの国へと旅立とうとしていると、今度こそはっきりと物音を聞いた。
「!」

────裕太郎!

 舞衣は自分に懐いている大山の息子の名前を心の中で叫ぶ。何故叫んだのかは分からない。叫ばなければならない気がした。
 毛布を跳ね除けて飛び起きる。
 ドアを勢いよく開け放ち、左右に視線を走らせる。
 舞衣が居るフロアは3階建ての山荘の中でも3階南東側。山荘は大きく¬の字型をなす構造だ。
「!?」
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