♯001『純金と鉛の査定』
倉庫のステンレス扉の向こう側で、複数の足音が急に停止した。
三訓は葉巻を咥え直すと、右手のS&W ガバナーを扉の高さ、正確には人間の大腿部から腹部を狙う位置に固定した。
そのまま大股でズカズカと裏手口の扉に向かう。
4粒の散弾がどんなに強力でも、丸玉ゆえに空気抵抗を受けて15m以上離れると急激にエネルギーは逓減する。ある程度距離を詰める必要がる。
【鴉】の安田が連れてきた、屋外で待機させている人員は2名。
笠野が連れてきた連中は資料が正しければ合計4人。倉庫内の警護2人と運転手2人。
負傷した笠野は除外。
笠野の仲間と安田の仲間が結託して、倉庫内部に吶喊してきても倉庫全体を制圧するだけの人員は居ない。十重二十重と囲む人員も居ない。そして、それだけの人数を外注で雇う金が有るのなら彼らはここまで苦境に立たされない。或いはコスト的に三訓一人を片付けるのに、元から頭数を揃える必要は無いと考えていたか。
戦術的なセオリーだと、待機させられている人員は防弾ベストか長物を携行している可能性が高い。
三訓も鉄火場を想定して行動する。
口に銜えたままの葉巻の味が苦くなったような気がした。
「突っ込め!」
外から怒号が響くと同時に、ステンレス扉が勢いよく蹴り開けられた。
現れたのは、フルフェイスのヘルメットを被り、H&Kのサブマシンガンを構えた二人組だ。彼らは電気ランタンの中で床に倒れ伏すリーダーの惨状に一瞬だけ視線を奪われた。(かのように見えた。)
三訓は威勢よく吶喊してきた2人の青年のオリエンティング――予期せぬ凄惨な光景への直面による、僅かな認知遅延――を見逃さなかった。この隙が、戦術的な勝機を確定させるに至る。
「そこまでにしなさい!」
腹の底からの獰猛な警告。土壇場での彼女の警告は、実のところ、彼女の優しさなのか、何かの意図があったのかは分からない。
彼女とて鉄火場を経験したことが無い処女ではない。
荒事師に混じってハジキの腕前を磨いていた時期もある。それゆえに、気性の荒い連中の挙動や所作の変化は十分なほどサンプルが有る。この場合もそれを利用した。フルフェイスのヘルメットを被っていても、全身にマイクロジェスチャーが現れる。
三訓は躊躇なく引き金を引いた。
410番の独特の銃声。低くくぐもるような爆発音。薄暗い倉庫内部にオレンジ色の美しいマズルリングが咲く。
十分なコローン――散弾が広がりきる前の、一塊の破壊力――を形成することなく410番のワッズから放たれた4粒のペレットが、狭い裏手口付近で肩を押し合うように突入してきた2人の青年に命中した。
先行する1人の防弾ベストを叩いた。防弾性能を存分に発揮して貫通こそ防がれたものの、9mmショート弾3発分に相当する衝撃エネルギーは、男の肋骨、数本に罅を入れて、内臓に響く激痛を突き刺した。
直ぐ後の1人はもっと深刻だった。たった1粒のペレットが左頸部の動脈を深く傷つけて、拍動の度に夥しい鮮血が噴き出る致命的な負傷を負った。頸動脈までカバーする防弾ベストは用意していなかったようだ。
「ぐふっ……!」
男達が踏まれたウシガエルのような声を挙げて、前のめりに崩れた。三訓は流れるような動作で2射目を、その後ろで控えていた2人へ放つ。
その2人こそ、本当に仕留めたかった。……その2人はPDWかと思う程に短いカービンを構えていた。5.56mm30連発。ARクローンの何れかのカスタムモデルだろう。
銃声。S&W ガバナーの。それも2発。
それぞれの粒玉はその雪崩れ込んできた男たちの胸元を狙った。防弾装備のど真ん中だったが、狙いはそこではない。
「ぎゃ!」
男たちが見えないハンマーで殴られたように軽く吹っ飛びながら尻餅を搗く。
自分達が負傷していないのを知ると、すぐに体勢を整えて立ち上がり、PDWのように短いカービンを構えた。……だが、そこまでだ。
「!」
「え!」
男2人は期待した銃火が咲きほこらない事実に『世界を疑った』。
自分達が、目の前、8mの位置にいる女を蜂の巣にしたはずなのに! 目の前、8mの位置にいる女は蜂の巣にならず、短い銃身の凶悪な大型リボルバーの黒い銃口をこちらに向けていた。
男たちは自分達が手に持っている銃の機関部と、その周囲が散弾で破損――大きく内側へ凹む程度――させられてしまい、撃発ができないことに気が付いた。
「ま、待て!」
男の一人が三訓に両手を挙げて叫ぶ。
もう一人の男は大慌てでチャージングハンドルを引いて銃の機能を取り戻そうと必死になっている。無情にも軋む金属音を奏でる一方で、凹んでしまった部位は元に戻らなかった。
「待たない」
三訓は火が消えている葉巻を横銜えにして、2回引き金を引いた。
その散弾の行く末は見届けない。否、散弾の仕事の成果を検分しない。
下腹に8mの距離から短機関銃一連射分に相当する粒弾を叩き込まれ、重症の状態に陥らない人間はいない。予算が無かったのか、想定外だったのか、彼らの防弾装備は昔ながらのデザインをしたプレートキャリアで胸と腹部を守るだけで、鼠径部を守る物は何もなかった。
三訓は特に感情のこもらない目で彼らの健闘ぶりを視認した。
けっして安くない全自動火器を、気前よく2挺も投入しているのだから、本当にこの場で……この取り引き現場の『記録』で状況を覆そうと思っていたのだろう。
三訓は彼らを笑いはしない。
追い詰められた人間や、起死回生を狙うしか手段がない人間の視野狭窄は、時に恐ろしい行動力を発揮する。
今回はたまたま、ボスの笠野の能力不足だっただけのことだ。それと共同戦線を張った【鴉】の安田に対して、最後まで不信感を抱き、敵意を持ち続け、『自分の陣営がキャスティングボードを握っている』と思い込んでいた笠野が最初に脱落したのが運の尽きだ。
S&W ガバナーのシリンダーをスイングアウトして空のシェルを全て排莢した後、45ロングコルトのスピードローダーを押し込んでその尻を捻る。
カチリ、という微小な、しかし重い金属音が指先に伝わる。
装填した弾薬はバッファローボア・アンチパーソネル。225グレイン(14.58g)の鉛製ワッドカッター・ホローポイントを弾頭に採用し、ショートバレルでの使用を想定した弾薬で、3インチ以下の銃身で 毎秒290m、 初活力610Jを誇る。
一発で大の男を黙らせるのに十分な威力を持っている。十分でないのは、この弾薬を合計12発しか携行していないという事だ。
三訓の頭の中では早くも経済的合理性についての算盤がぱちぱちと弾かれている。国内の【独自の販路】の価格で410番1発180円。45ロングコルト1発85円。
弾薬費、清掃代、そして彼らの『商品価値』。
これ以上肉体を損壊させることは、【大塔商事】にとって不利益でしかない。その最終的な査定が怖い。
この世に金に換えられないものはない。人間の死体も書類を細工すれば偽装死体として売買できる。勿論、そんな『使用期限が短いナマモノ』の商品は、販路が限られている上に用途が限定されているので大した実入りにはならない。
「動かないで。両手を頭の後ろへ。その場でじっとしてて。ねぇ、安田さん?」
三訓の声は、硝煙が立ち込める中でも驚くほど透き通っていた。フルフェイスのヘルメットを被って防弾装備に身を包んだ連中の呻き声が、床を這い、三訓の足元まで届く。
安田は体勢を立て直して、折角意を決して立ち上がったのに、こちらを一瞥することも無く冷たい声を叩きつけられて、再び冷たい床に尻を搗いた。
三訓は、左手首の純金製ロレックス・デイデイトへ目を向けた。2時52分。
「……清掃人を呼ぶには、少し早すぎるかしら」
三訓は右手のS&W ガバナーの銃口を左右に振り、窓の外よりも、ブリキの壁の向こうに意識を集中させた。
『自分が襲撃する』のなら馬鹿正直に姿を現して銃弾をばら撒かない。自分なら相手が想像していない場所から奇襲をかける。
自分の常識を襲撃者に対して当て嵌めているのではなく、『自分がこの状況で、先手を打たれると一番嫌な事』を想定しているのだ。
火の消えた葉巻に早く火を点けたい。葉巻は火が消えると数分以内に再着火しないとニコチンが沈着して、酷い味に変わり、とてもじゃないが吸えなくなる。
気配や呼吸や足音をブリキの板で拵えられた壁越しに探るが、気配は変化がない。つまり、逡巡ばかりで『思い切った行動』に出る情報――足音、呼吸、移動の方向――が拾えない。
――――いや……。
――――この気配は……!
本当にたった一つの冴えたやり方に今夜の計画を全てを賭けていたというのなら、この作戦を考えた『どこかの誰か』の頭の中を疑ってしまう。
――――まるで試し撃ちね。
「安田さん、警察に通報しようなんて思わないことね。ここは『聖域』よ。もしも、あなたが通報すれば、あなたの組織を潰すための口実として【大塔商事】に通報を利用されるだけだから」
ジャケットの内ポケットに手を伸ばそうとしていた安田は、その手を引っ込ませ、ただ、ガタガタと震えながら首を縦に振ることしかできなかった。
三訓は、倉庫の奥の暗がりに向かって声をかけた。
「……ねえ。報告書に必要なデータは取れたかしら? それとも、そんなに私が信用できない?」
コツリと革靴の爪先と踵が、冷たい床を叩きながら影の中から静かに、男があらゆる影をコートのように纏って姿を現した。鎌を持っていない死神のように眼窩がくぼんで痩せこけた長身の男。中年の一歩手前。
【大塔商事】の『監視役』と呼ばれる役目を与えられた男。
三訓は葉巻を咥え直すと、右手のS&W ガバナーを扉の高さ、正確には人間の大腿部から腹部を狙う位置に固定した。
そのまま大股でズカズカと裏手口の扉に向かう。
4粒の散弾がどんなに強力でも、丸玉ゆえに空気抵抗を受けて15m以上離れると急激にエネルギーは逓減する。ある程度距離を詰める必要がる。
【鴉】の安田が連れてきた、屋外で待機させている人員は2名。
笠野が連れてきた連中は資料が正しければ合計4人。倉庫内の警護2人と運転手2人。
負傷した笠野は除外。
笠野の仲間と安田の仲間が結託して、倉庫内部に吶喊してきても倉庫全体を制圧するだけの人員は居ない。十重二十重と囲む人員も居ない。そして、それだけの人数を外注で雇う金が有るのなら彼らはここまで苦境に立たされない。或いはコスト的に三訓一人を片付けるのに、元から頭数を揃える必要は無いと考えていたか。
戦術的なセオリーだと、待機させられている人員は防弾ベストか長物を携行している可能性が高い。
三訓も鉄火場を想定して行動する。
口に銜えたままの葉巻の味が苦くなったような気がした。
「突っ込め!」
外から怒号が響くと同時に、ステンレス扉が勢いよく蹴り開けられた。
現れたのは、フルフェイスのヘルメットを被り、H&Kのサブマシンガンを構えた二人組だ。彼らは電気ランタンの中で床に倒れ伏すリーダーの惨状に一瞬だけ視線を奪われた。(かのように見えた。)
三訓は威勢よく吶喊してきた2人の青年のオリエンティング――予期せぬ凄惨な光景への直面による、僅かな認知遅延――を見逃さなかった。この隙が、戦術的な勝機を確定させるに至る。
「そこまでにしなさい!」
腹の底からの獰猛な警告。土壇場での彼女の警告は、実のところ、彼女の優しさなのか、何かの意図があったのかは分からない。
彼女とて鉄火場を経験したことが無い処女ではない。
荒事師に混じってハジキの腕前を磨いていた時期もある。それゆえに、気性の荒い連中の挙動や所作の変化は十分なほどサンプルが有る。この場合もそれを利用した。フルフェイスのヘルメットを被っていても、全身にマイクロジェスチャーが現れる。
三訓は躊躇なく引き金を引いた。
410番の独特の銃声。低くくぐもるような爆発音。薄暗い倉庫内部にオレンジ色の美しいマズルリングが咲く。
十分なコローン――散弾が広がりきる前の、一塊の破壊力――を形成することなく410番のワッズから放たれた4粒のペレットが、狭い裏手口付近で肩を押し合うように突入してきた2人の青年に命中した。
先行する1人の防弾ベストを叩いた。防弾性能を存分に発揮して貫通こそ防がれたものの、9mmショート弾3発分に相当する衝撃エネルギーは、男の肋骨、数本に罅を入れて、内臓に響く激痛を突き刺した。
直ぐ後の1人はもっと深刻だった。たった1粒のペレットが左頸部の動脈を深く傷つけて、拍動の度に夥しい鮮血が噴き出る致命的な負傷を負った。頸動脈までカバーする防弾ベストは用意していなかったようだ。
「ぐふっ……!」
男達が踏まれたウシガエルのような声を挙げて、前のめりに崩れた。三訓は流れるような動作で2射目を、その後ろで控えていた2人へ放つ。
その2人こそ、本当に仕留めたかった。……その2人はPDWかと思う程に短いカービンを構えていた。5.56mm30連発。ARクローンの何れかのカスタムモデルだろう。
銃声。S&W ガバナーの。それも2発。
それぞれの粒玉はその雪崩れ込んできた男たちの胸元を狙った。防弾装備のど真ん中だったが、狙いはそこではない。
「ぎゃ!」
男たちが見えないハンマーで殴られたように軽く吹っ飛びながら尻餅を搗く。
自分達が負傷していないのを知ると、すぐに体勢を整えて立ち上がり、PDWのように短いカービンを構えた。……だが、そこまでだ。
「!」
「え!」
男2人は期待した銃火が咲きほこらない事実に『世界を疑った』。
自分達が、目の前、8mの位置にいる女を蜂の巣にしたはずなのに! 目の前、8mの位置にいる女は蜂の巣にならず、短い銃身の凶悪な大型リボルバーの黒い銃口をこちらに向けていた。
男たちは自分達が手に持っている銃の機関部と、その周囲が散弾で破損――大きく内側へ凹む程度――させられてしまい、撃発ができないことに気が付いた。
「ま、待て!」
男の一人が三訓に両手を挙げて叫ぶ。
もう一人の男は大慌てでチャージングハンドルを引いて銃の機能を取り戻そうと必死になっている。無情にも軋む金属音を奏でる一方で、凹んでしまった部位は元に戻らなかった。
「待たない」
三訓は火が消えている葉巻を横銜えにして、2回引き金を引いた。
その散弾の行く末は見届けない。否、散弾の仕事の成果を検分しない。
下腹に8mの距離から短機関銃一連射分に相当する粒弾を叩き込まれ、重症の状態に陥らない人間はいない。予算が無かったのか、想定外だったのか、彼らの防弾装備は昔ながらのデザインをしたプレートキャリアで胸と腹部を守るだけで、鼠径部を守る物は何もなかった。
三訓は特に感情のこもらない目で彼らの健闘ぶりを視認した。
けっして安くない全自動火器を、気前よく2挺も投入しているのだから、本当にこの場で……この取り引き現場の『記録』で状況を覆そうと思っていたのだろう。
三訓は彼らを笑いはしない。
追い詰められた人間や、起死回生を狙うしか手段がない人間の視野狭窄は、時に恐ろしい行動力を発揮する。
今回はたまたま、ボスの笠野の能力不足だっただけのことだ。それと共同戦線を張った【鴉】の安田に対して、最後まで不信感を抱き、敵意を持ち続け、『自分の陣営がキャスティングボードを握っている』と思い込んでいた笠野が最初に脱落したのが運の尽きだ。
S&W ガバナーのシリンダーをスイングアウトして空のシェルを全て排莢した後、45ロングコルトのスピードローダーを押し込んでその尻を捻る。
カチリ、という微小な、しかし重い金属音が指先に伝わる。
装填した弾薬はバッファローボア・アンチパーソネル。225グレイン(14.58g)の鉛製ワッドカッター・ホローポイントを弾頭に採用し、ショートバレルでの使用を想定した弾薬で、3インチ以下の銃身で 毎秒290m、 初活力610Jを誇る。
一発で大の男を黙らせるのに十分な威力を持っている。十分でないのは、この弾薬を合計12発しか携行していないという事だ。
三訓の頭の中では早くも経済的合理性についての算盤がぱちぱちと弾かれている。国内の【独自の販路】の価格で410番1発180円。45ロングコルト1発85円。
弾薬費、清掃代、そして彼らの『商品価値』。
これ以上肉体を損壊させることは、【大塔商事】にとって不利益でしかない。その最終的な査定が怖い。
この世に金に換えられないものはない。人間の死体も書類を細工すれば偽装死体として売買できる。勿論、そんな『使用期限が短いナマモノ』の商品は、販路が限られている上に用途が限定されているので大した実入りにはならない。
「動かないで。両手を頭の後ろへ。その場でじっとしてて。ねぇ、安田さん?」
三訓の声は、硝煙が立ち込める中でも驚くほど透き通っていた。フルフェイスのヘルメットを被って防弾装備に身を包んだ連中の呻き声が、床を這い、三訓の足元まで届く。
安田は体勢を立て直して、折角意を決して立ち上がったのに、こちらを一瞥することも無く冷たい声を叩きつけられて、再び冷たい床に尻を搗いた。
三訓は、左手首の純金製ロレックス・デイデイトへ目を向けた。2時52分。
「……清掃人を呼ぶには、少し早すぎるかしら」
三訓は右手のS&W ガバナーの銃口を左右に振り、窓の外よりも、ブリキの壁の向こうに意識を集中させた。
『自分が襲撃する』のなら馬鹿正直に姿を現して銃弾をばら撒かない。自分なら相手が想像していない場所から奇襲をかける。
自分の常識を襲撃者に対して当て嵌めているのではなく、『自分がこの状況で、先手を打たれると一番嫌な事』を想定しているのだ。
火の消えた葉巻に早く火を点けたい。葉巻は火が消えると数分以内に再着火しないとニコチンが沈着して、酷い味に変わり、とてもじゃないが吸えなくなる。
気配や呼吸や足音をブリキの板で拵えられた壁越しに探るが、気配は変化がない。つまり、逡巡ばかりで『思い切った行動』に出る情報――足音、呼吸、移動の方向――が拾えない。
――――いや……。
――――この気配は……!
本当にたった一つの冴えたやり方に今夜の計画を全てを賭けていたというのなら、この作戦を考えた『どこかの誰か』の頭の中を疑ってしまう。
――――まるで試し撃ちね。
「安田さん、警察に通報しようなんて思わないことね。ここは『聖域』よ。もしも、あなたが通報すれば、あなたの組織を潰すための口実として【大塔商事】に通報を利用されるだけだから」
ジャケットの内ポケットに手を伸ばそうとしていた安田は、その手を引っ込ませ、ただ、ガタガタと震えながら首を縦に振ることしかできなかった。
三訓は、倉庫の奥の暗がりに向かって声をかけた。
「……ねえ。報告書に必要なデータは取れたかしら? それとも、そんなに私が信用できない?」
コツリと革靴の爪先と踵が、冷たい床を叩きながら影の中から静かに、男があらゆる影をコートのように纏って姿を現した。鎌を持っていない死神のように眼窩がくぼんで痩せこけた長身の男。中年の一歩手前。
【大塔商事】の『監視役』と呼ばれる役目を与えられた男。
