♯001『純金と鉛の査定』

【2】

 笠野がジャケットの内に手を滑り込ませた瞬間、三訓の脳内では全ての情報が数値化され、最適解が弾き出された。

――――コイツは真っ直ぐ来る! 『警護より早く動く!』

 彼の右肩の僧帽筋――肩を引き上げる動作の起点――が、銃を抜くための予備動作として0.2秒早く収縮を開始した。三訓は葉巻の吸い口をギュッと噛み締める。
 三訓の動きに逡巡の色を見せる笠野の警護たち。
 警護として連れてきたというよりは、人数を揃えて数で圧倒するだけの木偶の坊だろう。腕っぷしは強いのだろうが、連携が皆無だ。そう思えばお揃いの作業用ブルゾンジャンパーで登場したのも、三訓の読み通りの演出といえた。
 笠間の瞳孔が急速に散大。口を開き歯を食いしばる。攻撃の意志が脳から末端神経へ横溢している。瞬きの回数がゼロになったのは、標的を視覚的に固定した証拠だ。
 その標的が取引相手の安田ではなく、『立ち合い人』の三訓に向けての殺気というのは非常に拙い。
 自分の立場を感情で簡単に捨て去ることができるタイプの人間だ。この手の人間は扱いは簡単だが、アドレナリンが沸騰するままに暴力衝動を巻き散らかそうとする、目の前の大男である笠野を、言葉やジェスチャーで今すぐに制止するのは不可能だ。
 怒りの感情は、肉体という物理エネルギーをアドレナリンで沸き立った感情の爆発力だけで突き動かしているのだ。
 三訓はパイプ椅子を蹴り、ビジネススニーカーの優れたグリップ力を利用して横へ跳んだ。踵が床に焦げ跡を刻む。
 それと同時に、左脇のショルダーホルスターからS&W ガバナーを抜き放つ。
  ハンマーが削ぎ落とされたデホーンドハンマーのそれは、衣服に一切干渉することなく、滑らかに三訓の右掌に収まった。
 笠間が1911のコピーと思しき45口径のオートマチックを抜き、その銃口が三訓の残像を捉えるよりも速く、三訓の指が重いダブルアクションのトリガーを絞った。
 銃声。耳を聾するレベルの。
 膨らんでから破裂するシーケンスが容易に想像できる爆発音。
 倉庫内の空気を一瞬で押し潰すような轟音が無機質な世界を席巻する。
 装填されているのは、『フェデラルパーソナルディフェンス410』。 直径9.1ミリの鉛弾、000バックショットが4粒。
 銃口から放たれた瞬間に円錐状に拡散し、笠野の右半身を『面』で捉えた。15m以下の距離では1粒辺りのエネルギーは9mmショートに相当する。それが4粒とも近距離から十分なエネルギーを維持したまま命中した。
 散弾ゆえに狙撃には向かないが、咄嗟に抜いて、兎に角目の前の脅威を排除したい時には、どんな賛辞を並べても足りないほど、頼りになる。
「が、あ、あああぁぁぁ!!」
 笠野の絶叫が倉庫の天井まで反響する。
 至近距離から放たれた4粒の鉛の塊は、笠野の右半身の肉を耕すように抉り、そのうち1粒が手首の骨を複雑に粉砕した。
 一粒一粒が9mmショート弾相当のエネルギーを持つ、それ。残りの3粒は右胸部や右心窩部にめり込む。それが肉体という脆弱な器を不均等に叩き潰したのだ。彼が握っていた銃は、千切れかけの手首から零れ落ちて床へ叩きつけられた。
 一般的な9mmパラベラムでは、1発でアドレナリンに支配された人間を即座に停止させられない。だが、散弾による凄惨な『面』の破壊と、視覚的な損壊情報は、情報過多から一時的に認知機能を麻痺させて、大脳へ強制的な機能停止を命じる。
 一般的にショック・アンド・オーと呼ばれる、相手の抵抗意志を物理的、心理的に粉砕する戦術で、瞬間的な大火力や圧倒的な武力差を見せつけることで、戦意を挫く。
 三訓はS&W ガバナーの銃口をゆらりと右側へ振り、まともに狙わず、2射目を放った。
 狙いは、大男の背後で銃を抜こうとしていた部下2人の足元だ。
 目の前で自分のボスが崩れ落ちたのを直視したのが運命の分かれ道だった。
 笠野の凄惨極まりない被弾による負傷をまともに見てしまい、視線が縫い付けられたように離せないでいる。その手には抜きかけた自動拳銃が握られていたというのに、完全に抜き放ち、素早く三訓に銃口を向ける意思は感じられなかった。
 2人の間の足元に2射目の後に一拍おいて3射目を叩き込む。
 2人共警護の役目を果たさないのを体現した。つまり、『足元に短機関銃の一連射を撃ち込まれたかのように、間抜けな踊りを見せたのだ』。
 耳を聾する発砲音が倉庫内を制圧し、発砲の数だけ、倉庫内部を銃火で一瞬だけ明るく照らした。
 連続する衝撃波が倉庫の床を爆ぜさせる。8粒の鉛弾が火花と共にコンクリートを削り、跳ね返った破片が男たちの脛や足首を浅く削り、靴下を裂いて皮膚を小さく切り裂く。
 凄まじい爆発音と、下半身から跳ねあがる粉塵に目を硬く閉じて醜態をさらす以外に何もできなかった。
 その場に崩れ落ちてのたうち回っている笠野は、罵詈雑言を喚き散らしていたが、その呪詛は最初は安田や『立ち合い人』三訓を罵っていたが、三訓の組織や、その組織に買収された地方の警察や、自分の境遇や、育った環境や、助けてやった仲間や、腐敗した地方自治体やそれを生んだ政治家や、遂には国政や首相や東西の盟主や国連にまで及んだ。
 笠間を無表情で見下ろす三訓。
 決して彼を笑ったり憐れんだりしない。
 そして彼の警護の2人に対しても同じだ。
 『こうなるように、発砲したのだから、このような結果になって当然なのだ』。
 目を白黒させていたのは安田だ。三訓は彼にかける言葉が思い浮かばない。顎からようやく力を抜き、葉巻をゆるく噛む。
 三訓は、呻き声を向こうに聞きながら手元でS&W ガバナーのシリンダーをスイングアウトし、空のシェルをエジェクターで掻き出し、床に捨てる。金属薬莢とは違う樹脂製シェル特有の軽い音がコンクリートの床の上で跳ねる。
 その微細な音にすら反応する、ボスが無力化された警護の2人。手にした大型軍用自動拳銃――タウルス社のM92のコピーと思われる――が、誰を撃つべきか……ではなく、いつ、銃をホルスターにしまうか? で悩んでいるように彷徨っていた。
 彼女は一発ずつ、新しいシェルをシリンダーへ装填し直した。
 その手つきは、まるで冷徹な外科医がメスを消毒するかの如く、事務的な正確さに満ちていた。……という演技を見せつける。「次の犠牲者はお前らだ」というメッセージ。
 圧倒的な暴力の後に提示される『静寂』と『再装填の動作』は、対象に次の『罰』を予感させ、心理的圧力を強いる。オペラント条件付けの応用だ。行動とその結果――報酬や罰――を結びつける学習プロセスで、ここでは『抵抗=死より辛い痛み』を警護の2人に「自分はハジキのプロだ」と学習させている。
「【鴉】の安田さん。ケースはそのまま、ゆっくり私の方へ滑らせて。あなたが余計な動きをすれば、あなたの足元にも散弾が降ることになるわよ」
 それを聞いた安田は腰が抜けたように床にへたり込んだ。
 彼の顔色は土気色に変じている。彼は這うようにして自分が持参した大型のアタッシュケースを三訓の足元へ押し出した。中身が取引材料の武器のサンプルだが、商品を自分を守るための道具にしないとは限らない。
 笠野が涎をまき散らして、吠える。
「……『分析屋』、おめぇ、狂ってる!」
「狂っていないわ。合理的なの。笠野さん、あなたの右手はもう、まともに機能しない。でも安心して。命は奪わない。死体を作れば『清掃人』の手配で私のボーナスが飛ぶ。生きていれば、あなたは組織への賠償金代わりの『情報源』として、あるいは……そうねぇ、【大塔商事】のルートで治療費と引き換えに『現物資産』として役に立てる。社会学的に言えば、死は終止符だけれど、負傷は継続的な経済的価値を生むの」
 三訓は、左手首の純金製ロレックス・デイデイトを確認した。
 2時45分。
「予定より早めに片付いたわね。曜日表示が『土曜日』に変わる前に、報告書の下書きを終えたいところだけれど……」
 三訓が、この2人が『聖域』を荒らす目的で一時的に共闘している間柄だと分かったのは、「笠野さん。あなたの足元のカバン、すり減り方が不自然よ。歩幅と接地面積から計算すれば、中身は空か、あるいはただの緩衝材。【大塔商事】を舐めるのは、経済的に見て極めてハイリスクな選択だと思うけれど?」と警告を放った時だ。『立ち合い人のセオリー』なら、明確な違反をわざと相手に起こさせてから処罰するが、それよりも早く三訓は警告した。
 何故なら、安田と笠野。彼らの知識には、知る限りそのような『親切な立ち合い人』は存在しないはずだ。【大塔商事】の広報が、『立ち合い人とその制度』がどれくらい冷酷非情なのかを宣伝しているか知っているはずだ。
 弱小組織をぶつけさせて共倒れさせることで外敵を屠ってきた【大塔商事】の手口やマニュアルやルールを守っていない三訓の台詞に、次に打つ行動が制された。
 即ち、自分達のシナリオが破綻して、宣告が終わる前に、笠野は動いた。その末に出たセリフが「……クソガキが! ぶち殺せ!」、なのだ。
 彼らにとっては最も冴えたやり方は『聖域』ではグレードの低い商品でも、取り引きでも、空の財布でも取り引きできるという、評価の低下だ。今の時代は指先一つで何とでも評価されて世間の審判が下される。
 彼らの目的は悪評のマッチポンプ。
 実に呆れた話だが、この手のSNSやネット記事のコメント欄を介した悪評の拡散が、どうしようもない低ランク組織の常套手段で最高最良の攻撃手段なのだ。
 この手法で倒れる反社会組織が大量に実在するのだから、画面の向こうのフォロワーは、それだけで構成員以上の戦力で、ライバルの事務所にカチ込みを仕掛ける鉄砲玉よりも、インフルエンサーとしてフォロワーを味方につけた方が情報戦としての戦闘力は高い。
 社会悪が社会の悪として、カタギが正義の棍棒で正当に殴れると分かると、画面の向こうの有象無象は正義に酔い痴れて、特定の個人や集団を攻撃する。
 相手が政治家だろうが小学生だろうが関係無く、攻撃の糸口を与えれば、正義の執行者の顔をした大多数が……『自分達の組織の構成員よりも圧倒的に大多数』が、巨大な存在を執拗に執念深く『攻撃』してくれる。
 命知らずなインフルエンサーが殺害される事件は今では珍しくない。日々炎上ネタを探し回っている、元アンダーグラウンドの情報屋が多数いる。
 彼ら情報屋も時代の波に迎合すべく、商売相手をアンダーグラウンドの世界の住人から、堅気の世界の住人に鞍替えしているのだ。アンダーグラウンドの情報屋として活躍し、表の世界では人気インフルエンサーの二足の草鞋を履く者も珍しくない。
 非日常の世界の住人であるアンダーグラウンドの世界を暴露することで生計が立てられると分かれば、情報屋は喜んで宗旨替えでも二足の草鞋でも二重スパイでも働く。
 ネットを使う情報屋は昔からいたが、SNSを端に発する人間の承認欲求を利用した情報の漏洩や流出――勿論のこと、故意――は日陰者の情報屋からすれば正にブルーオーシャンだ。
 アンダーグラウンドの住人が、最後に頼る戦力が表の世界の住人、それも世論輿論に対して情緒で訴える正義感だというのだから、古式ゆかしい任侠ヤクザは早々に家を畳んでしまい、その威厳を与る後継者も今では町内会レベルの版図しか持たない。
 時代は新しい局面を迎えたわけだが、生まれたときからデジタルが有り、ネットビジネスが有り、指先だけで顔も本名も知らない人間とパラソーシャルな関係になれる土壌が揃っていた世代の三訓からすれば、旧き良き時代を語る古老の話には、ロマンは感じられても実存的で具体的なライフハックは何も拾えないので退屈な話だった。
 安田……【鴉】と【笠野商店】は普段からパイの取り合いで仲が良くなかったのだろう。
 お互いが反目しあっているとジリ貧で潰れるのが予想できたからこそ、お互いの敵意を押し殺して――お互いがいがみ合っているのは三訓にはとっくに看破されていたが――手を結んで、『聖域』を荒らして『世間に向けた、この地方の暗部を暴く方針で拡散させてSNSやネット記事経由で世論輿論を味方につけて【大塔商事】の弱体化を狙った』。……大方そんなところだろう。
 『子供っぽい作戦でも、教えを授ける大人として』それは看過できない。
 三訓の外観把握が偏桃体に警報を出すように命じている。再び、葉巻を強く噛む。火は消えている。吸い口からニコチンを含んだ苦い汁がジュッと染み出る。
 路傍の石同然の弱小組織が締結してネットを煽ったところで、【大塔商事】には微々たるダメージしか与えられない。寧ろ、人柱としての見せしめ効果を狙う意味で『派手な粛清の対象』になる可能性の方が高い。
 それでも尚賭けに出たか、賭けに出ざるを得なかったか……それとも彼らを扇動した何者かが存在するのか?
 それらは三訓が解析して解決する事柄ではない。
 三訓は取り引き現場で立ち会うだけの『立ち合い人』だ。自分の職掌以外の出過ぎた真似は越権行為とみなされて給料の査定に響く。
 三訓が今即座に行動を起こすべきは……。
 彼女の右頬と右唇が小さくひきつる。微表情。≪嫌悪≫。
 彼女は再び純銀のデュポンを鳴らし、火を葉巻に点けた。 紫煙が笠野が撒き散らした血の臭いを包み込んでいく。
 三訓の横顔にやるせなさと面倒臭さが同居した、難しい微表情が浮かぶ。
 三訓の無言の挙動を、恐れのあまり呆けたように見ていた笠野の警護の2人は、笠野を放置して倉庫の裏手口――通常はこのドアより出入りしている――へ向かい我先にと遁走を計る。
 彼らを背中から撃つ事はしない。彼らを含む、【鴉】と【笠野商店】はもはや何処にも逃げ場所は無くなったのだ。この街で【大塔商事】の意向に反する意思表示をしただけで、その運命は決定済みだ。
 次に訪れるとすれば。
 次に訪れる展開が有るとすれば。
 裏手口向こうに待機している【笠野商店】の待機要員――名目は車の運転手――は2名。その人員は『立ち合い人』があらかじめ知るべき情報として、【笠野商店】に申請させた。警護の数に齟齬が有れば即座に【大塔商事】に叛意ありと見做して粛清の対象になる。
 倉庫外で移動する足音の幅やリズムに焦燥を読み取る。
 先ほど逃走した2人から得た情報で彼らのタイムテーブルは完全に崩れたことが共有されただろう。
 三訓は、葉巻を深く吸い込み、溜息のように大きく紫煙を吐いた。
 裏手口の扉をじっと見つめた。
 倉庫の外側から、複数の足音が近づいてくる。S&W ガバナーは、先ほど補弾したばかりだ。……とはいえ、純粋な戦闘員ではないので長丁場の銃撃戦に耐えられるだけの弾薬は所持していない。
「安田さん、そこから動かないで」

――――ここから先は、私のプライベートな査定に関わる仕事になるわね……。

 【鴉】の安田は笠野と手を結んでいた謀反人の一派だが、完全に戦意を喪い、そればかりか何の遮蔽も無いがらんどうのような倉庫の中心で放り出されているようなものなので、『何も自分を守る物が無い』という環境的要因から、足腰が立たなくなるほど震えていた。
 つまり、安田を脅威として評価するに値しないと三訓は判断した。安田は、戦力として期待していた笠野がとんでもないコケ脅しでさぞかし落胆しただろう。
 少なくとも、ここでの取引やその顛末は動画か録音で記録されているはずなのでそれを速やかに取り押さえて、火消しをしなければならない。
 同時にそれは非常に困難な事を意味していた。
 今の時代、全てのデジタルデータが外付けのメモリに一旦、保存されて持ち帰って加工や編集をするとは限らない。
 クラウドという便利なモノが浸透したおかげで、『ライブ配信さながら』に、情報は広く拡散する。それこそ光の速さで。……その為に……ネット工作の為に提携を結んでいる海外のマフィア――事実上の国営企業。スパイのフロント企業の顔をしている――に大枚をはたいて削除要請するだろうが、それもまた、三訓の職掌の範囲外だ。
 三訓の職掌の範囲内で今すぐにできる事は、唯一つ。
 右手のデホーンドハンマーのS&W ガバナーの銃口を、今は地面に向けたまま、左手を腰に回し、予備の45ロングコルト弾が収まったスピードローダーの感触を指先で確かめた。
 今装填している410番を6発とも撃ち放てば、今度は45ロングコルトを装填して応戦するつもりだ。尤も、その45ロングコルト弾も合計でたったの12発しか携行していない。
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