♯003『裏側俯瞰図』
私は彼の横を通り抜ける時に心の中で呟いた。
あなたは私を最後まで理論で動いて解決してしまう人間だと信じてくれていたんだね。そこまで私を信奉してくれていたんだね。だけど私はどうして自分であんな不合理な自爆をしたのか今でも分からないんだよね。私の為に作った、あなたの捧げる勝利を受け取れば安泰だったのにね。
『実行だけができる』。『書き換えはできない』。
これをコウが態と仕組んだのは私が土壇場で何を選択するのかを見たかったからだ。人間は目の前で危機から脱する方法が消えようとしたり、その数が減っていのを直視し続ける事が出来ず、最後には本心を無視して全く論理的でない手段を選ぶ。
彼は、私が窮した時に選ぶであろう『幾つもの今まで以上に酷いコード』を打ち込んでいたのだろう。だが、私はそれを確認しつつも無視して、自前の自爆装置のボタンを押した。
ボタンを個別の罠にそれぞれ一個ずつ仕掛ける理由は、彼が特等席で、私の狼狽と脊髄反射的に選んだ最高に冴えた方法を観戦したかったのだ。人の方法を選ぶか。神の方法を選ぶか。
コウは観察者を気取り過ぎた。
生憎、戦場に特等席はない。
※ ※ ※
1ヶ月後。
場末の雑居ビルの地下にある、煙草の煙が立ち込める非合法ポーカー賭場。
私はパイプ椅子に深く腰掛け、手元のチップを軽く指先で弄んでいた。
警察の捜査網からは、特に劇的でもない逃走劇を繰り広げて抜け出し、名越率いる【八坂通運】は主要幹部が全員逮捕されて実質的に壊滅した。
共有住宅の住人たちは、何も知らぬまま今日も平穏な(そして貧乏な)日常を送っているはずだ。コウはどうなっただろうか? 彼の存在や行く末は興味の外にある。彼を脳内に置くのは、自分の悪行と常に相対しているようなものだから。……黒い歴史の直視は良くない。
自分の手で一人の人間の心を弄んでおいて、張本人の私だけが生き残り、被害者のコウは被害者を自認せず、『高位の犯罪者』に敗れた犯罪者として自分の評価を改める事を願う。彼は決して興味の外に私を置かないだろう。全ての元凶は私なのだから。
……で、私は指名手配犯として全国を転々とするハメになった。家もなく、金もなく、以前よりも遙かに過酷で、いつ後ろから刺されるかわからない薄暗い日常の中に居る。
ポケットから取り出したのは、安煙草の代名詞、ショートホープ。
ライターで火をつけると、濃く苦く甘い煙が喉を焼き、右手の親指に残る小さな火傷の痕が、かすかに疼いた。
「おい、アンタ。チェックか? レイズか?」
向かいに座る、入れ墨だらけのプロレスラーみたいな大柄な男が、威嚇するように卓を叩く。トライバルをイメージしたような入れ墨に、黒いタンクトップ。
男の表情、瞳孔の開き、チップを握る手の汗。私の脳は相変わらず、勝手に相手の心理状態を勝手に読み取り、勝てる見込みを弾き出してしまう。人間は相変わらず自分の認知の癖からは逃れられない、愚かで、小癪で、自分のアルゴリズムの奴隷だ。……この男と対戦する前に遠くから観察して様々な癖をサンプリングしてある。
今勝負するかどうか、男に声をかけられた私だが、態と大きく息を吸う。『この局面で大きく息をして、新しい酸素を欲するのは生理的に大きな決断をする確率が高い』と言うジェスチャーだ。
私は手札を伏せ、短くなったショートホープの煙を天井へ向かって吐き出した。まあ……たまには、計算通りにいかない『バグ』みたいな存在が、世界のどこかで目を覚ますこともある。ポーカーの演技として眉根に刻みを深くしながら、脳内では時々反芻し、コウの顔を思い出す。
あの共有住宅で出会った未知の恐怖。
予測不能な一手に直面した時の、あの燃えるような脳の熱感。
世界はまだ、私の知らないバグと狂気に満ちている。そう思うだけで、この酷く醜い現実も、悪くないと思えるようになった。
「コール。勝負しましょう!」
私は口角を僅かに上げ、煙の向こう側にある未知の盤面へ、静かにチップを押し出した。
≪♯003『裏側俯瞰図』・了≫
あなたは私を最後まで理論で動いて解決してしまう人間だと信じてくれていたんだね。そこまで私を信奉してくれていたんだね。だけど私はどうして自分であんな不合理な自爆をしたのか今でも分からないんだよね。私の為に作った、あなたの捧げる勝利を受け取れば安泰だったのにね。
『実行だけができる』。『書き換えはできない』。
これをコウが態と仕組んだのは私が土壇場で何を選択するのかを見たかったからだ。人間は目の前で危機から脱する方法が消えようとしたり、その数が減っていのを直視し続ける事が出来ず、最後には本心を無視して全く論理的でない手段を選ぶ。
彼は、私が窮した時に選ぶであろう『幾つもの今まで以上に酷いコード』を打ち込んでいたのだろう。だが、私はそれを確認しつつも無視して、自前の自爆装置のボタンを押した。
ボタンを個別の罠にそれぞれ一個ずつ仕掛ける理由は、彼が特等席で、私の狼狽と脊髄反射的に選んだ最高に冴えた方法を観戦したかったのだ。人の方法を選ぶか。神の方法を選ぶか。
コウは観察者を気取り過ぎた。
生憎、戦場に特等席はない。
※ ※ ※
1ヶ月後。
場末の雑居ビルの地下にある、煙草の煙が立ち込める非合法ポーカー賭場。
私はパイプ椅子に深く腰掛け、手元のチップを軽く指先で弄んでいた。
警察の捜査網からは、特に劇的でもない逃走劇を繰り広げて抜け出し、名越率いる【八坂通運】は主要幹部が全員逮捕されて実質的に壊滅した。
共有住宅の住人たちは、何も知らぬまま今日も平穏な(そして貧乏な)日常を送っているはずだ。コウはどうなっただろうか? 彼の存在や行く末は興味の外にある。彼を脳内に置くのは、自分の悪行と常に相対しているようなものだから。……黒い歴史の直視は良くない。
自分の手で一人の人間の心を弄んでおいて、張本人の私だけが生き残り、被害者のコウは被害者を自認せず、『高位の犯罪者』に敗れた犯罪者として自分の評価を改める事を願う。彼は決して興味の外に私を置かないだろう。全ての元凶は私なのだから。
……で、私は指名手配犯として全国を転々とするハメになった。家もなく、金もなく、以前よりも遙かに過酷で、いつ後ろから刺されるかわからない薄暗い日常の中に居る。
ポケットから取り出したのは、安煙草の代名詞、ショートホープ。
ライターで火をつけると、濃く苦く甘い煙が喉を焼き、右手の親指に残る小さな火傷の痕が、かすかに疼いた。
「おい、アンタ。チェックか? レイズか?」
向かいに座る、入れ墨だらけのプロレスラーみたいな大柄な男が、威嚇するように卓を叩く。トライバルをイメージしたような入れ墨に、黒いタンクトップ。
男の表情、瞳孔の開き、チップを握る手の汗。私の脳は相変わらず、勝手に相手の心理状態を勝手に読み取り、勝てる見込みを弾き出してしまう。人間は相変わらず自分の認知の癖からは逃れられない、愚かで、小癪で、自分のアルゴリズムの奴隷だ。……この男と対戦する前に遠くから観察して様々な癖をサンプリングしてある。
今勝負するかどうか、男に声をかけられた私だが、態と大きく息を吸う。『この局面で大きく息をして、新しい酸素を欲するのは生理的に大きな決断をする確率が高い』と言うジェスチャーだ。
私は手札を伏せ、短くなったショートホープの煙を天井へ向かって吐き出した。まあ……たまには、計算通りにいかない『バグ』みたいな存在が、世界のどこかで目を覚ますこともある。ポーカーの演技として眉根に刻みを深くしながら、脳内では時々反芻し、コウの顔を思い出す。
あの共有住宅で出会った未知の恐怖。
予測不能な一手に直面した時の、あの燃えるような脳の熱感。
世界はまだ、私の知らないバグと狂気に満ちている。そう思うだけで、この酷く醜い現実も、悪くないと思えるようになった。
「コール。勝負しましょう!」
私は口角を僅かに上げ、煙の向こう側にある未知の盤面へ、静かにチップを押し出した。
≪♯003『裏側俯瞰図』・了≫
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