♯006『文筆家は夜警の一人』(全3話/現在2話まで公開中)

【♯003「染み出す死」5/5】

「どういうことだ!」
「声をもう少し小さくしてください。『我が国の根幹を揺るがしてしまいかねない事態が起きているのでしょう?』」
「まさかガフラン子爵がその尖兵だったとでも? いや首魁か! いや、何故その事を!?」

 ライデの表情に驚きと焦燥の『微かな表情』が明確に浮かぶ。喉仏が上下し、瞳孔が開き気味になる。更にその視線は真っ直ぐイヅの目を捉えている。普通の状態の人間は、好意や他意のない他人と3つ数える以上の時間、見つめ合うと圧力を感じ取ってしまい、自然と視線を逸らす。
 その視線がブレない。
 イヅは今度は溜め息を隠さない。

「では一つずつ説明します」
「ぜひ頼む。事細かく! 『私にでも解る』ようにな!」

(あ、ライデ様、ご自分のオツムの能力を把握するだけの自己洞察は終えているんだ)

 妙なところで感心してしまうイヅ。ライデはイヅがいつ話すのかと、手帳にペン先を添えてじっとこっちを見ている。

「では僭越ながら」

 形式の前置き。会話の真意を語る前に、錨を下ろすように、分かりやすい『会話の開始地点』を会話に潜ませると、聴く側の注意力は跳ね上がる。ライデのように所々で残念にも聞き漏らしたり曲解してしまう人間に対して用いるのは有効な話術だと言えた。

「まず、この金魚鉢のゴミですが2種類の甲虫と1種類の羽虫の残骸であることが分かりました。そして、金魚鉢で飼われていたのは観賞用の魚ではありません」
「猫が食べた線は否定するのだな?」
「はい小鳥も魚も忍び込んだ飼い猫が食べたものだと、現場を見た人間が勘違いしてその証言や状況を調書に書いたのでしょう」
「……それで飼っていたのは魚でない根拠は?」
「これも金魚鉢のゴミですが、花瓶の花と同じ花びらが一枚……。これが決め手でした」
「『壁向かいのマントルピースの花瓶の花』が風で飛んだとか?」
「いえ、『関係のある第三者』が、殺害現場を作るために小細工を幾つか弄した……その一つです」

 突如として現れた、容疑にも上がっていない人物の登場にライデは眉をひそめる。ガフラン子爵を真正面から刺せて、更に彼の親しい人間など家人や使用人の証言からは誰一人浮上してこなかった。

「商売敵の差し向けた……というわけでもなさそうだな。それならガフラン子爵は力のかぎり抵抗するだろうし、大声で助けも呼ぼう」
「はい。なので、その『姿のない怪しい人物』が現れた時にはガフラン子爵は既に死亡していました」

 ピタッとライデのペン先が止まる。

「? 労働中毒による過労死は否定したよな?」
「はい。それも否定しました。問題はその直前です」
「つまり、ガフラン子爵の死因か」
「ガフラン子爵の検視報告と後に僕達が治安府の死体安置所で検視を行ったときに照会して分かったのですが、ガフラン子爵の口の中の奇妙な形の炎症跡です。細長い何かを舌下や頬と唇の間場に挟んだような感じで炎症痕がありました」

 ライデはイヅの手元を見る。
 イヅは折りたたんで作った小さな懐紙のメモ帳を観ながら言う。
 少年の口元に逡巡がうかがえる。……きっと今から言いにくいことを言うのだろう。『彼の表情の陰り』だけは、鈍感なジーロ家当主でも解る。

「現場検証の写しを読み返したのですが、ライデ様はご自分で書き写しておきながら何も不可解を覚えられていないようですが、花瓶に活けられた花は『生きている花』でした。だから水が花瓶に入っており、『不逞の輩』はそれを利用して金魚鉢の水を確保できました」

(私の記帳の写し……花瓶? 何か書いたか?) 

「部屋には3個、花瓶がありました、そのいずれもが、水が満ちていなかったのです」
「花瓶の水を金魚鉢に入れた……? じゃあ、金魚鉢の水は?」

 イヅの顔はやや精彩を欠く。
 いつもの謎解きをしている顔ではない。いつもなら滔々と話すはずなのに言葉を選んで話しをしている。

「金魚鉢は元から空です。家人の証言では鳥籠の存在は知っているが金魚鉢の存在は知らなかったと。……これは飽くまで推測ですが、ガフラン子爵は普段は金魚鉢を人目が付く場所に置いていなかったのではないでしょうか」
「……凶器か?」

 イヅの言葉が閉じた瞬間にライデは口を挟む。
 イヅは目を伏せて浅くこうべを垂れて肯定した。

「当たらずしも遠からずです」
「なるほど」

 ライデは腕を組んで天井を見た。長椅子で何度も座り直し、顎先を掻く。

(中毒死か……。この先、あまりイヅに喋らせない方がいいかもな)

 ライデは長椅子から立ち上がり、近くの燭台の火を咥えた葉巻に移す。
 細長く煙を吐きながら、一瞬、カミソリのように鋭い視線をイヅに向ける。
 イヅはそのカミソリで喉を掻っ切られるのを待っているようにライデの顔をじっと見つめていた。
 イヅの視線はライデの視線と交わる。
 人間同士は3つ数える以上の時間、見つめ合うことはできない。物を見透かす目が自分を見ている、観られているという気まずさが大きな心理的負担となるのだ。……愛し合う者同士ならいざ知らず。

「いつ気がついた?」
「昨日、ライデ様が僕の家から帰宅された後にお見送りしようと表へ顔を出したときに観賞魚専門の業者が使う樽を積んだ馬車が通りまして。その時にこの仮説が浮かんだのです。……後は仮説を『証明』するだけですが……」

 イヅはわざと含みを持たせた言い回しをした。
 ライデは行儀悪く、つかつかとイヅの前に来ると、彼の手から折りたたんで作ったメモ帳をひったくり、目を通す。
 彼の目は厳しかった。

「その通りだ。ここに書かれている通りだ。……他にこの事を知る者は?」

 あたかも、他に知る者はいないと答えれば神速の速さで剣を抜き、この場でイヅの首を切り飛ばさん殺意が膨れ上がる。
 今の彼は、感情と事実の切り分けができていない。

「いえ。誰もいません。仮説は証明しないと気がすまない性分ですので」

(知ってる。お前はいつもそうだ。仮説は証明するまで私がどんなに頼んでも何も教えてくれない)

「この件に関しては仮説の証明はするな」
「はい。そう仰られるのなら」

 ライデの刃物のような視線を浴びせられながらも、顔色も声も変えずに、仰せのままにと頭を下げるイヅ。

 犯人はいるが殺害していない。
 金魚鉢で飼われていたのは、ヤモリの一種だ。そのヤモリを金魚鉢で飼っていた。ヤモリに餌として与えていたのが甲虫や羽虫だった。
 生きたヤモリはそれ自体には毒はない。だが、特定の餌の食べ合わせを長時間続ければ、ヤモリの体質は変化し、天敵から逃亡する際に放つ、分泌液の質も変化する。
 それを人間が手で掴んでもせいぜい被れるか微かな炎症が起きるだけで到底、死には至らない。
 その変化した分泌液こそが問題だった。
 人間が変質したヤモリを咥え、分泌液を口内の粘膜から摂取すれば、強い覚醒と緩やかな興奮や多幸感を覚える。
 『仕事の疲れも吹っ飛ぶほどに』作用する強力な覚醒作用だ。
 毎日が長時間労働で休む間も無かったガフラン子爵が『脱法的』に手に入れることができる麻薬だった。
 だが、本当に疲労が回復するわけでなく、過労で倒れる苦しさを麻薬で誤魔化していただけで、最終的にはヤモリの分泌液の作用に耐えられなくなった心の臓か脳が卒中を起こし、倒れたまま亡くなった。
 
 これが事件の大まかな全貌だ。
 ガフラン子爵の腹に突き立てられたナイフは賊……おそらく、秘密裏に彼へ餌とヤモリを届けていた密売人が、自分たちの組織や販路がバレるのを防ぐために所持していたであろうナイフを突き立て、証拠物件として差し押さえられる前に金魚鉢で飼われていたヤモリと餌を回収し、あたかも、昔からここにあったと思わせるように金魚鉢を人目のつくところに置き、3つの花瓶から水を少しずつ空になった金魚鉢に注いで、観賞魚を飼っていたと思わせた。
 その際に、室内の鳥籠を床に置き、ドアを内側から少し、開けた。邸宅内部を我が物顔で歩く飼い猫が鳥籠を襲撃すれば、水だけの金魚鉢を観ても魚は先に食べられたのだろうと誰もが思い込む。
 賊の侵入経路は窓だ。当初は綺麗に拭き取っていたのだろうが、悪逆非道な賊が押しいった形跡を演出するために窓の枠に出入りした形跡の足跡をわざとつけた。

 賊……それはライデが治安府の上級府より密命を受けて捜査している麻薬密売組織の手のものだ。
「それが事件のあらまし……いや、『不可解な出来事の正体』といったところでしょうか」

 イヅはライデから視線を外すと、そっと、彼の手の中にある自分の折り畳んだメモ帳を見た。
 ライデは反論せず、眉目を険しく顰めている。その顔から仮説が証明されたことを知る。

 ライデの脳裏ではこの事件の捜査に関する資料が記憶の奥底から次々と引き揚げられている。
 その途中に、ふと、甘いものを食べるのは控えようと自分に言い聞かせる。
 ヤモリでさえ食べるもので体質が変わり麻薬を分泌させてしまうのだ。甘いものばかり食べている自分もいつか必ず飲水病になって、辺りを不快にさせる匂いを出すかもしれない。……イヅに、甘いものを食べると飲水病になってしまうと注意されていたことが思い出されて心にきつく刺さる。

「ガフラン子爵の『落とし所』としては……殺人事件ではなく、麻薬の中毒死で、それを隠そうとした密売人が殺人事件の現場を作り出して偽装した。という筋書きで終わらせるか……?」

 ライデはイヅに同意を求めるように大きな独り言を漏らした。
 イヅははっきりと聞こえていたが、沈黙を選んだ。
 ここでは不用意な発言は命取りだ。ライデだから必ず守ってくれるという保証がない世界の話をしているのだ。

 我が帝国は建国前、争乱にあった。
 吸収合併する前の近隣諸国ではごく普通の嗜好品として流通していた、今では麻薬に分類される薬品や生薬に悩まされていた。
 麻薬は国力を下げるので自軍内部からは絶対に撲滅したい。
 それだけでなく、疲労を軽減し、恐怖を紛らわせ、不眠不休空腹でも戦い続けられる上に痛覚が麻痺しているので、死ぬまで立って歩き、戦う兵士が幾らでもいた。
 後に帝国を建国する、若かった国父は麻薬の有用性を認めながらも、麻薬に頼りすぎた国が自滅する様を誰よりも見てきたがために、国父の領土が広がる一方で、領土内部では徹底的に麻薬の撲滅に血道を上げた。
 当時はまだ群雄割拠だった。麻薬撲滅には程遠い。
 然し、領土拡大の末に帝国を建国し、貧乏な周辺諸国を戦時賠償の質として吸収すると、一時期、徹底した鎖国主義を貫き、その間に麻薬撲滅を喫緊の課題として取り上げて、対策に乗り出した。
 対策……麻薬で収入を得ていた麻薬農家の農民に代替品を育てさせて、その方が実入りがいいと税率の調整で錯覚させて、麻薬よりも田畑で野菜や穀物を作ったほうがいいと時間をかけて『意識の変遷』をした。
 暴力や拷問を用いた取締はイタチごっこが続くだけだと分かっていた皇帝は、領土内の人間の価値観を数字や言葉の錯覚を用いることで、巧妙に主題をずらし、人民があたかも『自分で考えて、悩んで導き出した答え』を用いてそれを選択したと、思考を誘導した。
 人間は自分で考えたものを過大評価し、自分の見つけた答えを真意だと錯覚する性質を持っている。それを利用したのだ。

 国父皇帝は戦争が集結して勝利したとは言え、戦乱で国力が低下した状態では麻薬という最も安価で最も手軽に快楽を得られる嗜好品を領土内から放逐するために、国庫の数分の一を投入したと噂されている。
 吸収合併された元他国の人民からすれば、自分たちを救うために、同じく再建せねばならない元敵国の帝国が、元敵国だった下々の者を救うために大変な出費をしてくれた、とストーリーが流布されて皇帝の支持率を上げるのに一役買った。
 その際に多用されたのが、手書き新聞や公示人といった、情報を伝達する事を生業とする職業の者たちだ。

 麻薬を何ものよりも嫌う。
 この国では現在でも麻薬とそれに類するものは所持使用製造問わずに厳罰が課せられる。

 それがこの国の社会通念の一つとなっている。
 その社会通念の根底を破壊しかねない事態が水面下で蠢いている。

 国内で違法な……否、法に触れない巧妙極まりない方法で様々な形の麻薬が侵入しつつある。
 ライデだけでなく、地位のある選抜された治安府の役人は密かに麻薬密売組織の洗い出しの任務を請けたのだ。

 『皇帝が嫌うものは臣民の嫌うもの』。

 この言葉はそっくりそのまま治安維持のスローガンとなっているほどだ。

 ライデが、この事件の捜査が進むにつれてイヅが気付き始めたのを知った時、本当に切り捨てるかどうか悩んだ。
 だが、イヅは聡い少年だ。
 彼は何も知らぬ顔で、自分は命じられたまま『やらされた』だけの哀れな下男です、という姿勢を崩さなかった。
 何も知らぬのならライデはイヅを職掌の上で口封じをする必要がない。

 ライデは知っていた。否、後で腑に落ちた。
 ライデが苦しい選択をしないように、或いは、イヅが保身のために、イヅが進んで、真相は何も知らない事を言葉の端々に仕組んで、彼の思考を誘導し、あたかも、ライデが自分でガフラン子爵の一件の『落とし所』を発見させていた。……人間は自分で見つけたり選んだりした事柄を重要視する傾向がある。

 麻薬の密売組織が日常の水面下で活動している。正体も規模も不明。

 麻薬は時として国を転覆させる力を発揮するため、我が帝国では国外からの薬やそれに相当する材料や技術、生成器具などの持ち込みに対しては非常に厳しい。
 ゆえに、今回のように、どこでも手に入り、誰も見向きしないようなヤモリとその餌の組み合わせ次第では、多少の手間はかかっても麻薬の生成が可能だということが証明された。

 ガフラン子爵殺害の件に関しては金品目当ての賊が忍び込んで、鉢合わせしたガフラン子爵が刺されて倒れた際に後頭部をぶつけて死に至ったと『修正』された報告で調書は締めくくられ、逃亡した犯人は目下捜索中とガフラン家の家人たちに伝えられるだろう。
 当初、爵位は同格とは言え、資産でマウントを取られたのを悔しがりながら、同じ爵位のよしみで引き受けた事件だったのに、結局犯人は逃亡したと伝えるしかなくなったライデは、暫くはガフラン家の人間に気まずい思いをすることになる。

 ライデにとっての関心事で重大事はイヅを捜査に連れ回した結果、治安府の人間や麻薬密売組織に要注意人物だと注目されないかということであった。

 事件を解いたのは、書類上はライデ。
 実際はイヅ。

 イヅは仮説の証明をしただけだが、事情を知るものはそうは見做してくれない。
 

「ライデ……様?」

 ふと背後からライデに大きな胸で抱かれてしまい、彼の葉巻の匂いがした。

「すまないとは言わない。お前も夜警団で働く一人の男だからな」

 言い訳のような口ぶりでライデはイヅの耳元で囁く。
 不快感はしない。彼が積極的に身体的距離を縮める時は全く何も考えていないときか、これ程なく事を重大に考えているときだ。
 今回は……きっと前者だろう。

(だいたい、物覚えがいいだけで応用が思いつかない、任務でやらされてる感が強い子爵様が本質の在り処を探って謝罪するような真似をするわけがない)

 大変失礼にも、イヅは彼の背後からの抱擁を非常に軽く考えていた。

 これが選ばれた民の貴族と、掃いて捨てるほど居る庶民のいのちの重さに対する見識だった。
 イヅは今すぐどこかの誰かに殺されても攫われても、庶民だから仕方がないという後ろ向きな諦観で生きている傾向がある。
 自分の価値はその程度……ではなく、庶民の命はその程度という認識だ。

 イヅは自分が『途中まで解決しかけていた』事件の『真相を想像して』、非常に暗い気分になった。

(やんごとなき方々が気に掛ける違法なものが流入すると……夜警団の活動も盛んになるなー。代筆屋が本業なのに臨時休業の看板を出さないといけないかな?)

 少年は欠伸を噛み殺す。何事か知らんが、敬愛する子爵様が抱きかかえたまま離してくれないのに欠伸でもしようものなら、どんな受け取り方をしてヘソを曲げるか分かったものではない。

「言いたいことはそれだけだ。『これからも頼むぞ』」

 そう言いながら、彼は少年から離れた。

 少年はゆっくりと振り向く。今にも泣きそうに潤んだ瞳。赤くしている双眸が子爵に何かを乞うように見つめる。

 思わず、ライデは息を呑む。……何か別の受け取り方をしていないか!? と、焦りの色を隠さない。
 イヅはついと、顔を戻すと取り出した手巾で目を押さえる。涙が止められなかったのだろうか? 私はそんな非道な重責を追わせてしまったのか……?
 と、悩むライデをよそにイヅは再び欠伸を噛み殺した。

(あー眠てぇー。早く帰って寝たいけど夜警団の仕事があるんだよなー。眠過ぎで目がしょぼしょぼするー)


 こうしてガフラン子爵殺害事件は犯人逃亡として有耶無耶のままに終わった。
 
 後日、ナル社の記帳を束で差し入れられたイヅは上機嫌のあまり凡ミスを繰り返し、本業にも兼業にも支障が出たために、ナル社の記帳は嫁入り道具のごとく、ハレの日の道具としてタンスの奥に防腐剤とともに仕舞ったのだった。

《第3章・了》
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