♯006『文筆家は夜警の一人』(全3話/現在2話まで公開中)

【♯003「染み出る死」2/5】

 翌日、治安負の門扉の前でイヅはいつも通りに待っていた。
 間接的に治安府の関係者であっても、庶民であるイヅは『貴族社会のためにある』治安府をはじめとした役所に勝手に出入りすることはできない。このままライデ・ジーロが建物の中から迎えに来るのを待つ。

(早く事件を解決したい自分と、ここで更に恩を吹っかけてライデ様を都合のいい財布にしてやろうと目論んでいる自分が居る……)

 相変わらず意地が汚い人間だと自分をさげすむイヅ。
 あの、物覚えはいいが応用が絶望的に利かない子爵を掌で転がすのは簡単だが、それを心のどこかが制止させてしまう。恐らくそれは、身分というより、人間として超えてはいけない一線に触れてるからだろうと推測している。

 そう考えているうちにライデが背筋を伸ばして治安府の門扉まで出てきた。
 疲労の色は抜けていないが、部下が居る手前、庶民の前に出るのに景気の悪い顔は作れないという彼なりの意地なのだろう。……ふと思うが、彼は他にやりたい事が有るのではないか? 今の仕事は世襲制だから仕方なしに業務をこなしているだけで、町や国や人々を守り、皇帝陛下の良き臣民として仕えることに思うところが有るのではないか? と、疑ってしまう。

 勿論の事、イヅの話術を幾つかけしかけて、『微かな表情』を読み取るだけで本心に近い部分を探ることもできるだろう。……だが、彼の深層心理に触れるような真似はしない。表層心理だけに触れていればいい。 
 今はそれでいい。大事な金づるを無くしたくないしな……。

「おはようございます。ライデ様」
「おはよう。早速来てくれ」

 敬愛すべき子爵様は、疲労を隠す作り笑顔で少年と挨拶を交わし、すぐに踵を返して治安府への入舎を促した。
 
(ああ……。こりゃ、昨夜もまともに寝ていないなー)

 ライデの動きに無駄がない。意識して無駄を省いた動きをしているのではなく、疲労にあっても身分にふさわしい行動や姿勢を維持せねばならんという意気込みが、無意識のうちに彼から無駄な行動を省かせている。
 つまり、具体的な無駄を省いて力を温存している。それはある種の生理的反応で、過集中と脳疲労の境目によく見られる。
 ここで彼に「よくお休みください」と声を掛けるのは人間として正しいが、彼の職掌としては邪魔な一言になるので差し控える。
 疲労の最中にある人間の脳味噌は認知能力が低下し、感情も不安定だ。
 それだけ、消費する力も膨大なものになる。その力の根源を余計な雑談で割かせてはいけない。

「ガフラン氏の遺体はここだ」
「……」

(流石貴族ともなると、ご遺体も氷で冷やしますか……)

 壁際に氷柱が並ぶ死体安置室。
 ガフラン家の『特別出資』で遺体を氷の冷気で腐敗を遅らせているのだ。
 それだけガフラン家の人間はムルド・ガフランを殺した犯人が許せないらしい。「貴族を手にかけるとこうなるから怖い」と思っていても、絶対に口には出さないでいるイヅ。

 ライデの手配した検視官が遺体を前に検視報告する。時折、ライデが検視官に質問をする。
 イヅはその報告を聞きながら、許可をもらって遺体の創傷を見る。

(? ……これは)

 昨日の記帳の内容を脳内で反芻する。
 確かに、脳内の記述と眼の前の創傷は一致する。

 この部屋は冷たいので、腐敗が少し遅れている遺体。
 その遺体は見事な太鼓腹をしたムルド・ガフラン子爵で間違いないらしいが、イヅが気になったのは、この遺体が『ムルド・ガフラン子爵であってもなくても問題だ』ということだ。 

「ライデ様、このご遺体は……腹部にしか外傷がなかったのですよね?」
「ああ。家人が見たときは腹にナイフが突き刺さっていたという。現場に踏み込んだ警吏も同じ証言をしている。それがなにか?」

 イヅは鼻と口に手巾を当ててまじまじと創傷を見る。
 そして何度か、顔を遠ざけて全体を見る。

「…………」

(ライデ様の調書の写しが本当だとして……。面倒を嫌った担当の警吏が早く事件を解決するために、手抜きの調書を作成したか?)

 イヅはライデに近づくと、懐紙を取り出し、近くのテーブルのインク瓶を開けて「少し失礼します」と声を静かに漏らして葦ペンで何やら書き始める。

「? 私の写しに落ち度でも?」

 ライデは自分の調書の写しに漏れはないと胸を張っていただけに少し、むっとした声で少年に避難の色を見せた。

(この辺りが子供っぽいんだよな。それと、視野狭窄気味だな。『写しの作成』が目的になっていて、『何故、写しを書く必要があるのか?』という問題の所在を見失っている)

 などと思いながらも、イヅは走らせたペンを胸ポケットに差すと、何かを記した懐紙を一礼してライデに差し出した。

「……分かった」

 彼は紙を一瞥すると、肯定を意味する『微かな表情』を一瞬だけ浮かべて、待機していた検視官を呼んだ。

 彼に呼ばれた中年の検視官は何度か頷くと、すぐに遺体に近寄り、あらかじめ用意しておいた解剖道具のトレイを引き寄せる。

 イヅは表向きはライデの雇われ従者という体で付き従っているだけで、検視官に命令できる立場にない。
 治安府内部で発揮できる才能は持っていても、奮ってはいけないのだ。
 それは越権行為どころの問題ではなく、身分格差が生み出す不敬に直結し、イヅの命など吹き飛ばされてしまう。

 目の前では検視官が黙々とライデに言われた通りの作業をしている。

 遺体の腹部にある創傷に、傷の深さを計る細長い鉄の棒が差し込まれる。

「?」

(驚き。否定。驚き。驚き。焦り……)

 首を小さく傾げる検視官の横顔からイヅはその検視官の『微かな表情』を次々と読み取る。

(やはり。これは長引く事件になるな……)

 イヅは口元に手巾を当てたまま検視官の作業を見守る。
 検視官が検めているのは、全てライデに指示した通りの部位。
 と、すれば自ずと、最も気になる部分も検査する。

 検視官は頭部を引き上げて顎を開けさせると平たく細長い鉗子で舌や唇をかき分けて、ライデが見ても解るような大きな動揺を見せた。

「ジーロ子爵! これを御覧ください!」
「!」

(『上の口』で良かった。『後ろの口』だと面倒この上ない)

 イヅは予想通りの展開に驚きはしなかったが、今後の展開が読めなくなってしまうことを危惧した。

 ※ ※ ※

「何故分かった?」
「腹を一突きだったからです」

 治安府を後にして近くの食堂の露店でイヅはライデの質問に様々な説明を省いて答えだけを言った。

「お前なぁ……」
「お怒りはご尤もです。では……」

 と姿勢を正し、真っ直ぐな目でライデを見た。
 唐突に静謐な瞳で見つめられたライデは心が小さく跳ねた。やや湿度を帯びた少年の視線から逃れられないでいた。

 イヅが彼をまっすぐに見据えて何かを言い放つときは決まって、聞き逃してはいけないことばかりのような気がする。

「調書の写しが正しいという前提で話をします」
「あ、ああ」
「あの立派な体躯のガフラン子爵を真正面から『短い刃渡りのナイフ』の一突きで絶命させるには無理があります。あの腹は筋肉では有りません。脂肪です。腹が張るほどの脂肪はちょっとした鎧です」
「『刺される前に』殺されていた?」
「……話が早くて助かります。『ナイフの一突き』は偽装で、『検視官様が調べてくれたとおり』に口の中の炎症じみた赤紫の……幾つもの細長い『小動物か鳥の足』のような跡が原因で死亡したか、間接的な死因となったのでしょう」
「では、他殺……怨みのある者か?」
「仮説では幾つか候補がありますが、いずれも証拠としては『弱い』です」

(ライデ様が焦るのもわかる。殺害にしても『内部』と『外部』では意味が大きく違う。そりゃ、慎重になるよな。貴族のお家同士の衝突になりかねない。……間違えても不用意なことをは喋らないでおこう)

 イヅは腕を組んでもげそうなほど首をひねっている、美貌の若き子爵を見ながら冷めた茶を飲んで、口渇を鎮めた。
「口の中の炎症と言ったが……」

 美しい容貌の子爵は少し険しい視線を少年に投げつける。

「毒。の、可能性が高いですね。検視官はライデ様が指示した通りに、体中の粘膜を調べました。その中で不審な部分は口の中の炎症痕と思われる変色だけです」
「ますます分からん!」

(ええ、ええ。僕にも分かりません)

「この事件は忍び込んだ敵意ある誰かが刃傷沙汰で殺害した、という現場を作り上げて、『事件が穏便に済むように』工作した可能性も探ったほうがよろしいかと」
「……そこからなんだよ。この件の面倒なところは。賊の目的が不明なのが一番の悩みどころだ」

 ライデ・ジーロが自分で作成した調書の写しを睨みながら顎をかく。

 調書によれば、犯人は執務室でガフラン子爵がいる時間帯に、『まっすぐやってきて、悲鳴を上げる間も与えずに腹を一突きし、ごく短時間で脱出を図っている。侵入経路と脱出経路は窓。犯行時間は家人や使用人が寝静まった深い時間。ガフラン子爵が執務室で書類整理をしていたようだ』。と、記されている。
 これだけを見れば行きずりの犯行で終わりそうだが、家人や使用人が聴取で証言したとおりなら、寝静まった時間に侵入できても、殺害は無謀だろう。
 相手がどんな親しい人物でも、真正面から刃物を、深く一突きで仕留められるのは無理がある。

(極めつけは……室内から何も無くなっていないことなんだよなー)

 家人や使用人の証言によると、金品や美術品や金庫は執務室にはなく、仕事をするためだけの棚と机が有っただけ。目の保養に数個の花瓶の花を愛で、小鳥を飼っていたという。

(ただ……気になるのは……)

 金魚鉢だ。恐らく飼い猫に金魚か何かの観賞用の魚は食べられたのだろう。水だけが張られた空の金魚鉢が有ったのだが、家人や使用人の記憶ではその金魚鉢は知らない間に置かれていたらしく、彼彼女らの記憶にはない。

(このゴミはなんだろう?)

 イヅは記帳を睨む子爵を放置して、小さく折りたたんだ懐紙を開いた。
 そこには最初の現場検証で金魚鉢の水面に浮かんでいた小さなゴミを集めた物が点々としていた。

(なんの魚を飼っていたのだろう?)

 懐紙の小さなゴミをペン先でいじる。
 小さな甲虫の足や羽の破片らしき物が幾つか見られる。

(観賞用の魚は与える餌で健康の度合いが極端に変わる。ガフラン氏が練りエサではなく生きた餌を与えていてもおかしくはないが……事件との関連性が見えない)

「?」

 ふとイヅはライデを見る。
 二人は治安府の近くで開いている食堂の露天席でいるのだが、いつのまにか、彼はまたも給仕に砂糖漬けの乾燥果物と濃厚な茶を注文していた。

「ライデ様。いくら疲労が溜まっていても、そんなに砂糖ばかり摂取していると飲水病になりますよ」
「分かってる。分かってるが、な……」

 イヅの小言を面倒くさそうな顔をしてそっぽを向く。

(痛いところを突かれるとすぐに不貞腐れる……)

 実のところ、ライデとしては、表情を緩めて泣き言や弱音の欠片を漏らしても、軽く受け流してくれるイヅという少年の存在は精神的にありがたかった。

 この少年にならば貴族らしからぬ素顔を見せても貴族としての矜持に邪魔されずに自由になれる気がした。
 ライデ自身もこの少年の前でだけは『何故か』心が開放的になってしまう自分に戸惑っている。

 ただ、まともに字が書ける人間。

 それだけの存在なのに、都合のいい従者の代わりなのに、この少年の『何かを手伝ってあげたくなる』。

 この少年はここで埋もれていい存在ではない。貴族階級だけでまつりごとが年中行事のように巡る世界で、朽ち果ててもいい存在ではない。

 この少年は自分の能力を韜晦している節がある。
 本人は一人で自由に静かに読書をしていたいだけだと言っているが、ならば、何故その読書で得た知識を学者のように頭に叩き込んで実践しているのだ?

 それが『何か』の企みでも、希望でも、イヅが自由に実力を振る舞える世界に連れ出せるなら、こんな国などいつでも……。

(!!)

 そこまで思考が及んで思わずライデは左手で右頬の口元を覆う。

(? ……驚き。不安。焦燥。……ライデ様は何をお考えなのやら……)

 眼の前で百面相を作っている美貌の子爵を見ながら、イヅは淡々と彼の感情の変化を読み解いていた。

 尤も、読み解けるが、起点がわからないので答えも出ない。

「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまない。気にしないでくれ」

 彼はそう言って反体制思想に走りそうになったバカな自分を諌めるように、手元の茶を取って喉を潤し、口渇を鎮めた。

※ ※ ※

(観賞魚……)

 イヅは夜警の任務が終わって帰路に就いた時に、道ですれ違う荷馬車を何気なしに見送る。
 荷馬車の積まれた樽には水が波々と張られて、観賞用の、あるいはその餌の活餌が詰め込まれているのだろう。
 樽の中身を覗かなくとも、樽に押された焼き印のマークで、観賞魚を運ぶ業者の荷馬車だと分かった。

(夜明け前からご苦労なことです)

 その荷馬車を見てすぐにガフラン子爵の殺人事件を想起した。

 特に直接の関わり合いがあるとは思えないのですぐに視線を帰路に戻す。
 この帝国首都の城下町で金に物を言わせた貴族や豪商は唸るほどいる。

 どこかの国で一日数枚の小銭と引き換えに命がけで捕らえた小動物が買い主に届けられ、客の手に届けられるときには莫大な金額になっている。
 昔から『物は下(庶民)から上(王)へ。金は上(王)から下(庶民)へ』と言われる所以でもある。

 ガフラン子爵はどんな観賞用の魚を飼っていたのだろう? ……それを食べてしまったらしい飼い猫に聴取できれば少しは楽になるかな? とやや胡乱な考えが脳裏をよぎる。

(いかんいかん! ライデ様のことが言えないぞ! 自分も疲れているらしい)

 顔を振って目を覚ますと、そのまま歩みを進めて早朝から開店している食堂へ行く。
 朝食をここで食べてから帰宅し、少し寝て、本業である文筆業に戻る……。

 ……と、食堂で眠気と戦いながら、本日の用件を懐紙に書き出して整理する。
 左手で匙を掴んで雑穀を香草と塩で味付けしただけの粥を掻っ込む。

「……?」

(この匂いは……)

 食堂の奥、厨房から鼻腔の奥が痒くなりそうな匂いが漂ってきた。
 イヅは興味を示さず、懐紙に視線を落として、右手のペンを走らせる。

(もう少し虫よけの香を抑えてくれないかな……)

 厨房の奥から漂ってくる独特の匂いに対して心の中でそう思いながらも、懐紙に書き出された用件に、片付ける順番を意味する数字が振られていく。

 今日も仕事で忙しくなりそうだ。

※ ※ ※

 治安府でライデと検視官を交えてガフラン子爵の遺体を検分して2日後。

 昼次刻(夕方4時)。今夜は夜警の任務は非番で、自宅にこもって溜まっていた著述作業を行おうと早めの夕食を食べていた。
 イヅは食べながら考えることは避けたいと思いつつも、観念奔逸のごとく溢れ出す思考を制御できないでいた。
 彼自身の脳が疲労を覚えると必ず現れる症状だ。脳味噌が早く仕事を片付けて早く休みたがっているのかもしれない。

(容疑者がいない。いや、ガフラン子爵の職業上のライバルを洗えば……。それはもうライデ様が真っ先に行っているはずだ。あの人の性格からして、疑いの濃い人物が見つかれば、黙っておくなんてことはできない。黙っていても本人の『微かな表情』や『なだめる行動』は制御できない)

 目の前の器に盛られた煮魚と野菜の濃厚な羹を啜りながら時折、水分の少ない粥を口に押し込む。

(この事件の『登場人物』……もしかして、極端に少ないのではないか?)

 家人と使用人……積極的な協力者たち。
 爵位持ちの仲間が多く仕事柄、顔も広い。
 誰も彼もが容疑者だと全方位に向かって疑っている治安府とライデ様。
 
 捜査のセオリーとして、ガフラン子爵が亡くなって一番喜ぶ人間が怪しい。その線から逆に考えると、寧ろ、ガフラン子爵の商売敵全員が公平に得をする。
 公平に得をする中で衡平分配の法則に則って『誰が得の配分を指示しているか?』という点から考えてみるが、ガフラン子爵は金融業の円環の一部分に『組み込まれている』。そうでなければ、家人や使用人が積極的に操作の協力を申し出たりはしない。
 
 何故なら、家人はガフラン子爵の後光で収入を得ている。敵討ちと言うより、犯人を詳らかにすることで、子爵の名のもとに賠償金をせしめる魂胆もうかがえる。家人たちは他の貴族の手の者が放った刺客が殺害したに違いないと信じている。

 欲の皮の厚さはこの際関係ないので放置。

(これだからフィクサーは面倒だ……)

 イヅは傾きつつある太陽の日を浴びながら、無言で胃袋を満たしていく。
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