♯006『文筆家は夜警の一人』(全3話/現在2話まで公開中)

【♯001「喋らぬ者とその者共」6/6】

「ガチガチに警戒して緊張してくれていたから、子爵が読み上げてくれたカマかけや嘘に咄嗟に反応できなかったのです」
「ほう?」
「人は心が緊張するとその強張りが体の末端にまで現れてしまいます」
「……」

 子爵は取り調べの様子を思い出しながら葉巻の煙を吐く。

「貿易船に乗り込んで警護をしているガラという人物が行く先々の港の港湾やその隣接する街並みを熟知している可能性は低いのです」
「そりゃあ、次回はもう来ないかもしれないし、自分が死んでいるかもしれないからな。船乗りはそれだけに危険だ」
「なのに、あたかもこの一体に関しては馴染のように詳しく、緊張状態でも脳内で整合性を探って当て嵌めようとする思考が働いていました」
「普通の心理じゃないのか?」
「はい。普通の心理です…。ただそれは、この街の界隈を知っている人間の思考なのです」

 ライデ・ジーロ子爵は少し苦い顔をした。葉巻が不味かったわけではなさそうだ。

「予めこの街を知識として知っていたのです。この街の地図を見せた時にガラの握り拳は固くなりました。今までと違う取り調べが始まると思ったのでしょう。彼の脳内では急遽、『事前に叩き込んでいた情報と手順にない取り調べにどう対処するか』を考え始めました。彼の目が地図を見ながら左右に泳いでいました。そして地図に貼り付けた僕の紙切れが余計に気になったのでしょう」
「んー…そんな事したら、あの男は混乱しないか? 正確な情報が引き出せないかも」

 イヅはそれを聞いてほんの少しだけ悪い微笑みを唇の端に浮かべる。

「たくさんの情報、手順通りでない取り調べ、目の前の地図は知っているが紙切れの意味はわからない、さらに『何も喋らなくてもいい』と前置きされる……彼が用意周到なのは分かっていましたから、用意周到を揺さぶって心構えに隙といいますか、ひずみを生ませました」
「その結果が火と時間と距離か。『紙切れを貼った位置に規則性はない』と取調室に入る前に懐紙に書いてあったな? それも適当に指をさせとも書いてあった……」
「その幾つかは宿屋と西の外れの倉庫も含まれています」

 子爵は葉巻を挟んだ指で顎を掻きながら自らも脳内で情報を整理している、かのような顔をする。

「つまり、宿屋と西の外れの倉庫に突然指が止まって、何かの表情が『視えた』のか」
「はい。その間の距離はかなり離れています。子爵と僕たちでさえ乗合馬車に乗らないとスムーズに進みません」
「……おい」

 子爵の顔に影が差す。
 嫌な想像に到達した顔だ。

「馬車の手配が必要です。或いはもう一人の協力者の登場です」

 頭を掻く子爵に対して、イヅはサッパリと切り捨てる。

「協力者の存在は、この際は留意しておきましょう。情報過多だと今度はガラのように我々が惑わされるだけです」
「……そうか。分かった。お前がそう言うのなら、何か『あるのだろう』。だが、宿屋の2人以外の協力者の存在は報告としてまとめさせてもらうぞ」

 子爵は再び葉巻を銜える。
 彼もまた、執務室で籠もって書類とにらみ合う職掌なのだ。彼自身がイヅの正確な報告書を気に入ったのと同じく、自らも正確な報告書を記すことに誇りを持っている。

 イヅは彼には街中に協力者が最初から潜んでいることは明確に教えなかった。

 この街の情報を予め詳しく教えることができる人間が居たからこそ、テイ人のガラはこの街で正確に行動することが出来たのだ。
 船旅の途中で寄った港湾部とその近辺の街に最初から詳しい人間は居ない。
 ガラは下船の後、協力者からこの街の最新の情報を聞かされて覚えたのだろう。
 それもドル氏を拉致するのに必要な最低限の情報と警吏や治安府の動向程度。
 
 イヅの違和感は確信に変わりつつある。
 ガラは使い捨ての駒だ。
 犯人だが、真犯人ではない。

 素直に口を割っていれば既に暗殺されているだろう。捕えられた時点で暗殺されていても不思議ではない。

 これだけ大掛かりな事件の割に問題のドル氏の背後はルーフン公爵と取引しているただの商人以上の情報がない。
 ドル氏が帝国が放った諜報員だという前提で捜査を続けるのなら、全てが丸く収まると同時に、自分や子爵も口封じされるだろう。
 我が帝国の諜報員の練度は不明。規模も不明。
 何もかもが不明ならば、何もかもを知らぬ顔で行動したほうが身のためだ。

 ゆえに、今はルーフン公爵からの命令で交易商ドル氏の行方を追う警吏高官とその従者として振る舞ったほうがいい。

 ドル氏の諜報員疑惑は正確な判断を狂わせる材料なので今まで違和感として覚えていたが、黙っていた理由はそれだった。情報の肥大化が招く陰謀論は子爵もろともの口封じに繋がりかねない。

 時には愚鈍を演じるのも知恵の一つだ。
 子爵が勉強のできる馬鹿でなければ彼はとっくに窓際送りで若くして隠居だろう。

 何事もそうであるように、違和感の輪郭がはっきりしてくると2つの意味でイヅは自動で働く癖のように或る種の思考を遮断する。
 一つは推測でしかものを考えられなくなる癖が付くので遮断。
 もう一つは歴史上、どのような階層のどのような『識る者』も例外なく非業や悲運を遂げるので遮断。

 好奇心が旺盛でも触れてはいけない事は確かにこの世に存在する。

 イヅはただの庶民として、庶民が頑張った範囲で手に入る知識を吸収して細く長く生きていたい人間なのだ。

 ……あの、顔を思い出すのも名前を口にするのも虫酸が走る大嫌いな人間にだけはなりたくないと心に誓っている。

「これからどうする? 取り調べは形の上では続けるつもりだ」
「そうですね。ライデ様、警吏を何人か動員してくださいませんか?」
「別働班か…。火事の現場はすぐにでも動員できるが、時間と距離とは? どうやって計る?」
「厳密には事件発生時間とその間にガラが移動した距離ですが、矛盾がないか調べてほしいのです。……『子飼い』は僕だけでは無いはずだと思っていますが、ライデ様?」

 イヅはニヤリと粘着質な笑いを浮かべる。
 痛くない腹を痛くなるように探られた顔でライデ・ジーロ子爵は眉間にしわを寄せる。イヅが言う通りに彼にも心当たりはある。
 治安府に務める捜査員なら、誰でも自分だけの情報網や情報屋を飼っている。
 イヅは情報屋ではなく、情報を解析する懐刀だ。その懐刀が突然、此方の腹を刺したのだから知らぬ存ぜぬの態度をとると不自然だ。……そもそも、この少年に隠し事は通用しない。

「分かった。今から手配する」
「有難うございます」

 イヅは頭を下げてから懐紙を出して彼の手下の警吏に伝えてもらう内容を書き始める。

 もうたっぷりとガラに休憩時間を与えたはずである。
 子爵は銜えていた葉巻を廊下に落として爪先で蹂躙する。

「さあ、取り調べの再開と行こうか」

 そう言いながらライデ・ジーロは取調室のドアを開け放った。

   ※ ※ ※

「矛盾がなかったので、『こうだと思ったのですよ』」

 イヅは語りだした。

 サルバル・ドルの右膝下のない死体を前にして。

 死体は西の外れの倉庫で発見された。

 主に乾物を蓄えておく倉庫で首のない鶏の大量の焼け焦げた死骸が見つかった辺りから、時間を疑い出した。
 そして脳裏の端に一旦保留した宿屋での犯行現場の惨状と宿屋の2人の協力者を必要とした理由。

「矛盾は無かった。確かに調書のとおりに移動している。距離も供述と合う」

 ライデ・ジーロ子爵は調書の束をドルの死体脇で読みながら言う。

 ここは治安府の検視所で、レンガと瀬戸物で組み上げられた検視台の脇に2人は立っている。

 煙で燻されているかのようにイヅの目が細くなる。
 死体の直視に慣れていないのだ。

 何度も探したと報告書にある火事に遭った倉庫の床下から見つかったドルの死体。
 新しく判明した状況としては、数列の床板がはがせるようにるように釘を抜いていた。彼の死体をその床下へ押し込んでから釘を差した。

 と、簡素に書かれていた。こんな時ほど人間は保身に走るものだ。
 いつもは雄弁に大袈裟に大層に記している報告書なのに、『自分たちの失態を小さく見せるために』いかにもありのままを報告しましたと言わんばかりの文章だ。

 その数列のはがせる床下の上にまだ片付けられていなかった大量の鶏の焼死体と切り口の首から漏れる血液を精神的に嫌悪忌避して誰も、鶏をどけてまで血で汚れた床下の板を調べようとしなかった。

 ガラの移動距離とその時間に矛盾がなかったからこそ、火災現場に何かしらの鍵があると思った。
 なぜなら、その火事の遭った日、イヅは夜警団の事務所で報告書を書いており、火事を報せる半鐘を聴いていた。

 その日の火事はその一件のみ。
 
 その時には既にドル氏は殺害されていた。

 ガラが犯行を行うのに正確に道をたどったお陰で火事の発生時刻が分かり、彼はそれ以外に誰にも接触していないのが目撃者の証言で幾つも証言されている。

「情報が錯綜していましたね」
「今更だな。何がどうなっているのか分からない……宿屋のあの血痕はなんなんだ? ドルを移動させる意味は?」

 苛つきを抑えるように懐から取り出した葉巻を銜えたが、検視所の係員に禁煙だと言われて口をへの字に曲げる子爵。

「僕は今回の事件で幾つか省略した疑問があったのですが」

 イヅは話しながら全裸にされた死体の周りをゆっくりと歩いて体に浮いた創傷を目測する。
 どれもこれも拷問として有効な部位に拵えられた傷だ。それでいて致命傷には遠い。

「省略した…疑問? 私にはどれもこれも省略してはいけない事柄ばかりに見えたがね」

 葉巻を吸えないいらだたしさなのか事件の真相が皆目見当もつかないいらだたしさなのか、彼は気付け薬としてポケットに忍ばせているフラスコを取り出して呷った。
 フラスコでの飲酒には係員も文句は言わなかった。

「……」

 イヅは死体から離れて大きく息を吸う。

「ライデ様、検視官にこの死体の腑分けをお願いできますか?」
「!?」

 思わず口に含んだ気付け薬を吹き出すライデ・ジーロ子爵。

「な、何を言ってるんだ! ドルが毒でも飲まされたか?」

 顔を青くしたり赤くしたりで憤慨する子爵に対して、イヅは無表情で冷たく言い放つ。

「右足は殺害後に切断されたものです。全身の刃物の傷は拷問の痕です。……そして、ドル氏は縊り殺されています。…見てください。舌骨が凹んで首の周囲が黒い輪のように変色しています。手は強く縛られた痕が見られません足首はしっかりと痕が付くほど縄か何かで結ばれているのに」
「…つまり、なんだ?」

 イヅの表情の変化を見て自らも感情を抑えようと務める子爵。

「手を、左手は手首で結ばれた痕があります。右手にはない。刃物の傷からみて、生きている間に拷問されて、とどめは首を絞められたのでしょう」
「ちょっと待て!」

 すかさずライデ・ジーロ子爵は異を唱える。

「ガラの押収品に確かにガラの国で作られた短剣が有った。何故それでとどめを刺さない?!」

 イヅはようやくそこまで訊いてくれたかという思いを無表情の下に隠してこう言った。

「縊り殺したのは結果です。ガラは止めたかったのでしょう。……ドル氏が何かを嚥下するのを」
「じゃあ……」

 視線がゆっくりと死体に向けられた子爵の顔が青ざめる。
 いわずもがなだ。

 イヅはうなずく。

「なのでこの死体を解剖してほしいのです。特に喉から肺といった呼吸に関する臓器を」

 顔が青ざめた子爵は今度こそ、気付け薬としてフラスコを呷る。
 
「まいったな…。しかし、色々と繋がってきた」
「だと思います」
「宿屋の惨状はわざとこしらえたもので、撹乱が目的……か……」

 ライデ・ジーロ子爵は独りごちるように呟く。

「ええ。予め西の外れの倉庫で生きた鶏の首を落として血を抜きとり、その血を宿屋でまいたのでしょう。宿屋の2人の協力者も顔色を悪くするのも当然でしょう」

 イヅは青い顔ながらも必死で思考を回転させて推理を固めようとしている子爵のつぶやきを拾って補足する。

「しかも鶏は死体の隠蔽の小道具にも使われた…あの倉庫までドルを運んだ協力者は」
「…その協力者のお陰で移動距離が計算どおりに合致しています。しかし、今は『敢えて余分な情報は思考の範囲外』に措いておきましょう」
「何故だ? それこそが分からない! お前は何を隠している! 何を知った!」

 ライデ・ジーロ子爵は気付け薬の勢いもかったのか、苛つきと怒りを含んだ強い語気でイヅに怒鳴った。
 イヅは視線を右下に落としてキュッと握り拳を作る。

「仮説は実証されてこそ価値があるんです。それがもうすぐ僕たちの目の前に現れます…それまで、新しく現れた協力者の存在は『触れない方がいい』……それが…それが、僕の仮説なんです」

 悔しさとも悲しさとも思えるか細い声でイヅは唇を噛む。
 その姿が酷く頼りなさそうに見える。ランタンをかざせば消えそうな雰囲気をまとう彼は小さな少年そのものだった。

 八つ当たりをぶつけてしまった子爵は奥歯を噛んですまん、と沈痛な声でイヅに謝罪する。

 イヅはも仮説が仮説でなくなったらと考えると、仮説に至る論拠を全て開陳するわけにはいかなかった。

 彼自身、子爵が自ら推理したのを口に出してくれたのでそれに乗じて補足するという形で今回の事件の全容を『示唆』することで襲いかかる『何か』から身見を守ろうとした。

 その結果、彼を怒らせてしまい、爵位持ちなのに庶民に謝罪をさせた。
 普通なら、無礼極まりないと、彼が腰に佩いた剣でイヅの首は切り落とされているだろう。

 到底、本を買う駄賃がほしいために支払う危険ではない。
 子爵の信頼よりも子爵の陰りのない笑顔を見たい思いが……無いと言えば嘘になる。
 ……ような気がする。

「ガラが実行犯で間違いないと思われますが、検視報告のとおりだと、殺害されてから右足を切り落とされたのは正しいと思います」
「…それは報告書に書いてあったな。お前も言った」
「ただ、ガラや姿のない協力者にとってはドル氏を殺害する予定は無かったと思います」
「生きているから使える駒、の可能性です」
「!」

 ライデ・ジーロの美しい顔が引き攣る。
「予定外が予定外の場所で発生したために予定外の行動をしたのではなく、予定通りの場所で予定外の行動をしたのです。その結果、筋書きの最後だけ変更した」
「それがドルの死、か」

 イヅはうなずく。

「分かった。兎に角、腑分けしないとダメなんだな」
「はい」
「すぐに解剖医を呼ぶ」

 それから四半刻(30分)ほど経過して死体の解剖が始まったが、イヅはその場には立ち会わなかった。

 立ち会うことになった子爵にこう言った。

「『何が出ても』それは僕には言わないでください。『何も出なかったら』、僕に言ってください」

   ※ ※ ※ 

「怒鳴ってしまってすまなかった。お前が気を使って『守ってくれてたんだな』」

 子爵は露店でいつもの粥を啜っていたイヅにぼそりぼそりと話しだした。
 イヅの対面に子爵が座っている。
 子爵は濃厚な風味の茶を目の前にそれが冷めるままにしている。

 検視解剖の結果、イヅが聞きたくなかった展開となった。
 『何かが出た』のだ。

 それが何であるのかは子爵は言わない。

 今回の駄賃だ、と辺りに聞こえない声で話して、テーブルの上に布で包まれた四角い何かを置く。

 まだ昼時だ。
 何処で誰の目が光っているかわからない。何処の誰が聴いているかわからない。

 ドル氏の解剖から3日経過した。

 イヅの顔には疲労と報われないモヤが浮かんでいる。豚肉と野菜の切れ端が入った麦主体の雑穀粥の味がしない。
 
「さて、今日は報奨金が出たので朝から飲んでいるので気分がいい。だから独り言を言うかもしれないが、それは酔っ払いの戯言なので忘れてくれ」

 子爵は隠す気のない前置きを言う。

「僕は連日の代筆業と夜警の副業と何処かの誰かさんの手伝いで疲労困憊です。ましてや耳目を立てて集中するのを放棄してます……子爵様の麗しいお顔も蜂蜜のようなお声も記憶に残せるわけがあろうはずが有りません」

 平凡な声の見事な棒読みを返答として置くイヅ。
 子爵は茶を少し口に含んで少年の真正面に座りながらも左肘をつき、そこへ顎を乗せて目は左を向けて聞いた噂話をするように話し出す。

「テイ人は宿で商人に麻痺毒の入った酒を飲ませて宿の下男下女に、警吏を混乱させるための細工…なんだったかなぁ、窓際に傷跡とか、床に血糊とか? をさせてから主人の居ない時にテイ人と一緒に商人を裏手口に運び出して未だに警吏にも知られていない御者にそいつを運ばせたようだ」

 イヅは今日の粥は豚肉が多いので助かると思いながら鉢に匙を差す。

「で、倉で密輸している商品の品目を言え、俺たちにも上がりを寄越さないと治安府に訴えるぞと脅したそうな」

 イヅの匙が鈍る。子爵は筋書きの大きな改変をしたらしい。彼の声のハリと抑揚の変化で分かる。大きく息を吸う呼吸も聞こえる。

「断った商人は一番価値がある商品を飲み込んで喉をつまらせて死んだそうな。それをみた犯人連中は驚いて死体を隠そうと思ったが…運悪くそこが夜警団が巡回するコースだと知るやいなや、焼いて証拠を消そうと油をまいて火を点けたそうな」

 一番価値がある商品…それがドル氏が飲み込んだ『何か』だろう。流石にそれが何なのか具体的に聞きたくはない。聞く気もない
 『何か』の正体が分かると同時に仮説が証明されるが、それは同時にイヅの生命的な意味での破滅を指す。

 ルーフン公爵子飼いの商人が消え去っただけでは一方的に犯人側が疑われるので、子飼いの商人が裏切った形跡を宿に残し、西の外れの倉庫で『一番価値がある商品』を奪って生きたまま開放する算段が崩壊したのだ。

「まあ、帳簿と帳簿を読む符牒が無いと商人は何もできないな」

 イヅの目が細く鋭くなる。

 帳簿と符牒。

 子爵の声がここで少し淀んだ。

(飲み込んだのは……暗号に対応した解読表!)
(仮説の裏付けが証明されたな……ということはガラは……)

「犯人は捕まったし、何処かの貴族様御用達の商人を強請って自死させたのだからすぐに処刑台送りだろうな」

 氏が裏切り者の汚名を被ったまま逃走する役を押し付けて、ガラは大手を振って船に乗り海外へ逃亡のはずだった……のか。
 ドル氏を各地に連れ回しては人目に付く場所でわざと警吏に見せつけてさらに各地を転々とする。そうなればあたかもドル氏は逃げているかのように見えるので裏切り者の商人ドルとして指名手配される。

 最後まで姿形のわからない協力者は…姿形が有るのかどうか、大きいのか小さいのかのかも判然としない不気味な存在だった。

 否、存在たちだった、だろう。
 テイ人のガラも帝国内部に放たれた何処かの国の諜報部員なのだろう。それは想像に難くない。決死の思いで任務に臨み、断頭台に露と消える。

 処刑されず生きていれば二重スパイとしての使い道もあるだろうが、それはイヅが考えることではない。

 イヅは脳内で仮説を思い出して子爵から得た情報と『それまでの違和感を打ち消す仮説』を付け加えて犯行現場を整理する。

 ドル氏は西の外れの倉庫で暗号表を何処に隠したのかと拷問に遭っていた。右手が自由だったのは暗号表の在りかや暗号表そのものを筆記させるつもりだったのだろう。隙を見てドル氏は隠し持っていた暗号表を飲み込んで窒息死。
 犯人のガラは飲み込んだものを吐き出させようと首を手にかけたが結果的に縊り殺すことになった。
 かねてからの通りにこの場で『情報が錯綜する混乱した犯行現場を作り上げて逃亡したと見せかけるためにドル氏は自分の足を切り落とした』……と、普通なら常軌を逸した行動をドル氏に演じさせるつもりだったのだろうが、先にドル氏が死亡し、死体をどうするか考える暇もなく、夜警団の気配が近づいてきたので考え付いたのが死体の隠蔽。
 あとで死体を回収するつもりだったのだろう。血痕を作るのに用いた鶏の生々しい死骸を整列させて、床板の下に隠したドル氏の真上の床板に並べていかにも乾物倉庫らしい配列と見せかけた。
 その後に放火して夜警団や消防団が破壊消火してほとぼりが冷めた頃にドル氏の死体を回収するつもりだったのだろうが、ガラの背後で居る姿の見えない協力者は、焼け跡にルーフン公爵が配置させた警吏が現場で隙間なく居るので手出しできなかった。

 おおかたはその通りだろう。仮説の段階にやや希望的観測や推察を交えただけのイヅの見解だが、それで以て反論したり上申したりするつもりはない。
 事件に関与しているであろう、姿の見えない協力者と同じく『名前しか分からない、姿形が分からない、何処に住む、何処の誰の与りであるかも分からないル―フン公爵自体』も恐ろしい存在だった。

 世の中には知らなければ知らないでいる方が幸せな事の方が多い。

「……と、そんな与太話を考えついたので戯曲でも書こうと思ったのだが、誰も相手にしてくれないのでこのネタを才気あふれる文筆屋に買い取ってもらおうかと思ったのだが?」
「断固拒否です」

 才気あふれる文筆家の部分は否定せず、イヅはつんとした顔で言った。

「たまには優しくしてくれてもいいだろ?」
「優しいにも料金表がありますので今度お持ちします」

 2人は軽口を飛ばしているが、少なくともイヅは背中に脂汗が浮いている。
 バザーで見た、あの【南方動物稀譚】にこの帝国に潜む外敵の影がちらつく展開になるとは。

 結果として、予想通りに知りたくない展開になりそうなので考えるのをやめた。

 市井たちが思っている以上に深く敵味方が入り乱れて日夜、諜報活動が行われているとは……。

 子爵の戯曲ネタの通りに創作の産物だからこその平和の享受なのであって、背中合わせで亡国につながる戦いが繰り広げられているとは……。

 ただの庶民である。シラフで考えたい話ではない。
 子爵の懐からフラスコを一口いただこうかと本気で思った。

「それでさっきの戯曲の話だけど」

 イヅはまだ続くのかと眉を歪める。

「原稿を書いたのだけど、あ、それだ」

 イヅが2人の間に置かれていた布で包んだ四角いものを見る。子爵が最初にここへ置いたものだ。

「『話が読み解けなくなった』のでお前に進呈。受け取ってくれ。有望な若者に投資だ」

 そういうと子爵様は言いたいことは全て言ったという顔で満足して席を立った。

 恐る恐る、布をめくると、そこには【南方動物稀譚】そのものが有った。
 暗号表こと【南方動物稀譚】だ。

 目の前で大砲の弾が炸裂したかのような衝撃を受けたが、よく考えれば……。

「あ……」

(そうだよな、そりゃあそうだ)
(ドルとルーフン公爵しか知らないから価値がある暗号表と解読表も、それ以外に暴露してしまえば暗号そのものとして役に立たなくなる……たとえ治安府務めの子爵でも)
(ドル氏の死体を腑分けした時にこの『暗号表』に対する『解読表』を見ていれば本当に僕は今頃墓の下だ)

 イヅは暗号表の役目を果たす予定だったであろう【南方動物稀譚】の表紙を撫でる。もうこの本は人畜無害な翻訳書だ。

 この一冊のために海の向こうの同郷人は暗号を作ったのだろう。
 この一冊だけを運ぶ密使としてドルは危険な船旅を繰り返したのだろう。
 この一冊とその秘密を奪うために、見上げるのか覗き込むのかわからない『喋らぬ者とその者共』が命がけで生きているのだろう。 

 これが今回の駄賃ならば知識欲と同時に国の趨勢すらも占ってしまう推測をしそうだと眉をハの字に下げて悩んだが、本の間に子爵の字で「中身はただの学術書だから安心して読んでくれ」と書かれた紙が挟まれていた。

 本を手に取りページをパラパラとめくると、ふわりと彼の葉巻の匂いがした。中身を丁寧に検分してくれたのだろう。

 子爵の……イヅを思う心が手元に一つそっと置かれた気分になった。

 この本は安心して読んでもいいぞ。

 そんな彼の声が今にも背後から聞こえそうだった。

 《第一話・喋らぬ者とその者共/了》
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