♯006『文筆家は夜警の一人』(全3話/現在2話まで公開中)

【♯001「喋らぬ者とその者共」5/6】

 翌日の陽が昇る頃に夜警団としての勤務が終わった。

 事務室で大きなあくびを放つ。

 事務室とは名ばかりで、夜警団が出払って誰も居なくなったら空いたスペースに放置されているテーブルで紙を広げて報告書を書く。

 夜警団は自警団という大きなくくりの民間防衛組織の一部門で、夜間の町の警備を治安府のお墨付きをもらって代行している。
 治安府の警吏の数だけでは広大な首都を守ることが出来ないので末端の警備を委託している状態だ。
 警備や巡回を任せてはいるが、捜査や逮捕の権利はない。
 血の気が多く気が早い男衆で構成された自警団全体の論調では、怪しいやつは犯罪者だからとにかく犯罪を防ぐために取り押さえて閉じ込めた、という不法がまかり通っている。
 それでもなお治安府が自警団やその下部の夜警団などに一部の職掌を任せるのかというと、『怪しいやつは本当に後ろ暗い人間である場合が多いのが、警吏の尋問で判明しているからだ』。

 自警団やその下部の夜警団は割の良いボランティア活動で、手柄次第では名誉市民に格上げの道も開けると約束してくれており、血気にはやる若者や訳有って退役した元兵士が中心となって活動している。
 単純に喧嘩がしたいだけの腕自慢や合法的に人を殴りたいだけの特殊な趣味をした人間も多い。……自警団員と犯罪者は紙一重だと陰で笑われているのも事実だ。

 警吏に同行し、犯罪者の現行犯逮捕や治安維持の活動の手伝いなどで治安府からの金一封で生計を立てようと目論むものも多い。
 そんな腕っぷしに自信がある自称最強がさらに名誉市民になれる道をちらつかされてやる気が出ないわけがない。

 夜警団が事務所となっている町の集会所に集まる時は巡回開始時刻と大きな事件が有ったときで、その度にイヅが報告書を書きながら、『聞き取り対象』からの取り調べの調書を紙に記すのだ。

 腕っぷしに自信のある男連中のことなので、ただの酔っ払いや寝転がっているだけの浮浪者や宿賃が払えなくて適当な場所で雑魚寝している異邦人を片っ端から尋問しては、少しでも歯向かったり夜警団の体に触ろうものなら即座に公務執行妨害の疑いでひっ捕まえて集会所に戻ってくる。

 そして、イヅに対して、あたかも世紀の大悪党を俺がお縄にしたと書けと言わんばかりに圧力をかけて、イヅもその要望を聞き入れたふりをして報告書を書く。

 文筆を表の生業としているイヅとしては事実のみを欲しがる依頼者の治安府に対して、盛りに盛ったり嘘八百を並べた報告書を『自作』しろと言われるのは心外どころか個人的な信用問題に関わるので、顔と口だけはニコニコと頷いているが、実際には修飾や形容のない事務用の書式で文字を並べて報告書の完了としている。
 元から欺瞞と宣伝が盛り込まれた手書き新聞を丸写しするのとは全くわけが違う。
 手書き新聞の責任所在は新聞の情報源を供給している人間や会社にあるが、報告書に嘘を考えて記すのは明らかな背信行為だ。
 
 イヅの感情論としては、人を殴るのに理性が働くのが当たり前で、その形状が文字をなしただけ……つまり、報告書一枚で人の命が左右される重責を担っているという矜持がある。

 幸か不幸か、彼が働く夜警団の事務所では字の読み書きができる団員は皆無だ。従って、彼が無機質な書類を書いているとは誰も気が付いていない。

 荒くれ者しか居ない夜警団が挙げる報告書など見飽きていた治安府警吏副官長のライデ・ジーロ子爵は膨大な、どうでもいい報告書の中にどうでもいいことを要点を押さえてかつ、正確に正しい文法で『読める字』で書いている報告書が届き始めてからイヅを知った。

 イヅは以前に覚えめでたいジーロ家の当主である子爵様がなぜ自分ごときに興味を持つのか聴いたことがあるが、それが理由の一つらしい。

 理由の一つということは他にも何かあるのだろう。
 イヅとしても文筆業以外で目立ちたくはないので子爵様の心にはできるだけ深入りしないでおこうと思った。

 その時は。

 気がつけばも2年も経過し、知らぬ間に本の駄賃で餌付けされている自分が居たのだった。

(慣れとは怖いな……)

 窓から差し込む朝日を浴びながら大きなあくびをする。

 昨夜、意気軒昂とやってきた子爵は、何かを強く抑える……『緊張』『抑制』『恥』『焦燥』の小さな表情や仕草を大量に降りまいて事務所を出ていった。

 あれだけ言えば、あとは容疑者が犯人に切り替わるのを待つだけだろう。

 警吏の取り調べは殆ど拷問だ。隠し立てしていると死ぬ。
 ルーフン公爵の密命が末端の警吏まで深く通達されれているはずだが、組織や集団への通達の確実性と、個々人の通達内容の理解度は別物だ。

 彼は、容疑者のテイ人であるガラなる人物が素直に自白してくれることを願った。

 ガラが犯人ならば。……だ。

 おそらく違う。仮説なので口にはしないが、ガラは行動が目立ちすぎる。犯人ではあるが真犯人ではないといったところだろうか。
 その仮説の段階を出ない根拠が、誰かからの教唆なのか彼が利用されただけなのかを決定づける証拠が皆無だ。
 理屈だけで考えても、一人の人間が一人の人間を殺害するのに手間暇がかかりすぎている。
 あたかも……余計な情報をばらまいているかのような情報の錯綜を見せているのだ。

 ガラというテイ人はあまたいる書籍貿易商の中でも、他にも同じものがあるに違いないだろうに、ドル氏の扱う【南方動物稀譚】だけを狙っていた。

 その理由を探るのはイヅの仕事ではない。
 それこそ我らが子爵の仕事だ。

 これ以上、関連する人物を脳内に張り巡らせても推測の域を出ない仮説ばかりが生まれる。

 推測の繰り返しを、繰り返しだけで終わらせるとそれはその人間の習慣となり、何を見ても暗躍や陰謀や思い込みで物事を推し量ろうとする癖がつく。

 推測は仮説まで昇華した後に実証して検証し、その母数を増やした後に多角的に、確率と統計を比べて解析せねば実用的と言える段階まで信頼度は上がらない。

 イヅは知識の蒐集を何よりも楽しみしているが、その楽しみを一番妨害しているのが勝手な推測だと思っている。

 好奇心と勝手な推測は紙一重だ。

 認知が歪んだ目で世界を見たくない。

 青臭い理想論だと思っていても、自分も既に認知が歪んでいるとしても、誰も自分の正気を保証してくれない。同時に誰も自分の狂気を保証してくれない。

 庶民だから『正しい見識を持つな』という考え方に囚われたあいつだけは……あの人間だけは許せないと思っている。
 憎くて仕方がないあいつに逆らうために『正しい眼』を求めているというのなら、イヅも既に歪んだ認知の世界で生きている暗い心の住人だと言える。

  ※ ※ ※

 子爵の疲れ気味な顔を見たのはテイ人のガラが捕縛されてから2日後だった。

「これはまた随分とお疲れのようで」
「疲れてしまったよ…」

 覇気のない声が子爵の虚ろな顔の洞穴の口から絞り出される。

 食堂の軒先のテーブルで独りで朝食を食べていたイヅの前に幽霊のように現れた彼は胆力も使い切ったと言わんばかりに、椅子に座り、つんのめるようにテーブルに顔を伏せた。
 彼はひょろひょろと右手を挙げて店員を呼ぶと、砂糖を多めに溶いたお茶と季節物の果物を注文した。

(糖分の塊か…この疲労感というか……へこたれ方は何かに詰まっている状態だな)

「なあ……イヅ。私の知り合いの話を聞いてくれ…どうしても聞き出したいことがあるのになかなか話してくれない人がいるらしくて」
「……」

(うわ、面倒臭っ!)

 イヅは露骨に頬を歪める。
 生まれてこの方一度も体を洗っていない犬を見るような目で心が折れそうなライデ・ジーロ子爵を見る。

 野菜や肉の切れ端で水増しした雑穀粥が口の中で味が消失した気がする。

 テーブルに顔を伏せたまま寝たのかと思うほどの時間が経過した。

 朗らかな朝だと言うのに、手書き新聞の収入を得たばかりで朝食を張り込んだのに、こんな覇気のない姿を見せられると気が滅入る。
 何かお困りごとですか? と声をかけたくなる気すら失せてしまう。

 身分の高い人間は格下の庶民に話しかけるのにも相当の言い分が揃っていないと何も話しかけられないのか。
 イヅは子爵の頭部を見ながら女々しい奴め! と罵りたくなったが、本当に寝息を立てているらしい子爵の顔を確認すると、ため息を吐いて椅子に座り直し、彼に暫しの眠りを提供した。
 
(よくもまあ、こんな五月蝿い街中で眠れるものだ)
(……それだけ、手を焼いているのだろうな)

 粥を咀嚼しながら子爵の頭部を見る。
 疲労で寝入った美人の顔はこんな時でも龍顔が崩れないのだから本当に恐ろしい。

 女衒に売り飛ばせば家一軒くらい買えるのではないか?
 子爵様には悪いが、美人のやつれ顔とは絵画のモチーフになるくらいに需要が高いのだ。

 そんな子爵の値千金の寝顔は彼のもとに運ばれてきた茶の芳醇な匂いで終わりを告げる。

 爵位持ちのマナーとして、彼は店員に『慰労の小銭』を渡すと、目の焦点を合わせる薬でも飲むかのように、熱い茶を飲む。
 その傍に置かれた皮が剥かれていない半生の乾果を齧る。
 爵位ある立場としての振る舞いを忘れるがっつき方にイヅは閉口したが、『決して馬鹿ではない彼がここまで疲労するとは何事だ』とやや緊張する。

 糖分の補給を強引に済ませた彼は自らポットから茶をカップに注いでそれを飲み干す。後追いに干した果物を齧る。

 やや生気の戻った彼は、朝食が終わったばかりのイヅを眠気で耐える目で見て、こう言った。

「私の友人の話だが」
「はいはいはい、分かりました。話が進まないので要点を話してください」

 今度こそ本気で殴ってやろうかと思ったが、テーブルの下で握り拳を作って堪える。
 敢えて、彼をぞんざいに扱った。
 こうでもしないと話が進まないのと、彼も思考力が低下した状態で状況を『誰かに置き換えて』話を構築して伝達するのは脳味噌の負荷が大きいと悟ったからだ。

 目の前の少年が無礼な口をきいても咎める様子も見せずに彼は話だした。
 子爵としても友人の話として話すのは大層な労力を使うから助かったことだろう。

「捕えたテイ人の男だが、何も吐かない」
「この街の治安府には『尋問が得意』な部署があるのでは? 大通りに面したここでは言えないような方法を取ればどうでしょう」

 イヅ自身も非人道的なこと言っていると自覚は有った。
 色々と話しを短くするために極論からの二分探索でどの程度の行き詰まりをしているのか探るつもりだった。

「『流血するほど殴りましたか?』『器具を使いましたか? 精神的苦痛を与えましたか?』『薬物を使いましたか?』『睡眠を与えましたか?』『実行犯だと決めつけましたか?』『【真犯人を言え】と迫りましたか?』『動機とアリバイを最初に聞きましたか?』『事件関係者との面通しはしましたか?』」

 イヅは次々と、しかし、少し声のトーンから感情を抑えた事務的な口調で質問した。
 ほんの少しばかりの甘い息を含ませた湿度のある声で……。

 その声は疲労で思考力が低下している人間には聞き取りやすいように調整されているはずだ。
 訓練した声の使い分けではなく、知識で得た声の使い方を夜警団の取り調べで実践して身につけた技能だ。

 子爵は少年の言葉に『小さな表情』を織り交ぜて返答する。どれもこれも素直な反応だ。
 イヅの声は彼には心地よい子守唄に似た声として認識されているはずだ。

 子爵は頷きを繰り返す。
 その頷きの前に見せる『小さな表情』や仕草にも隠し事や嘘の気配はない。
 
「分かりました。兎に角、ライデ様はお休みください。そして、ライデ様と同じ時間だけテイ人の男にも水や食料とともに休息を与えてください。怪我の治療もしてください」
「え? それはどういう?」
「人間は疲労していると必ず、脳が記憶を捏造します。その捏造は事実だと錯覚して言葉や態度に出てしまいます。そうなっては証拠としては使えませんし、大前提のドル氏の件が迷宮入りしてしまいます。ほとんど唯一の手がかりはテイ人の男だけです。そろそろ珠を扱うように待遇して懐柔の姿勢を見せるのも手かと」

 イヅは目を瞬かせている子爵の顔を見てやはり、と思った。

(ああ、この顔はテイ人の男を自白させれば全てが解決すると思い込んでいるな)
(『度が過ぎた拷問での死』で以て完成する迷宮入りを想定していない……)
(テイ人の男が鍵なのは理解しているが、多分子爵は訊く方向を間違えている!)

「ライデ様。兎に角、あなたは寝てください。容疑者も寝かせてください。……『ルーフン公爵はドル氏の件』で困っているのですよ」

 そこまで言うと鈍くなっていた彼も気が付いたのか、テイ人の男の価値と本来の密命を思い出して気恥ずかしそうに口元に茶を運ぶ。

「分かった…これで『友人』にも助言できる。助かる」

 彼が視線だけで礼をすると、イヅは頭を下げてからテーブルに代金を置いて退席した。
 先ずは、と、イヅは懐紙を広げて胸ポケットから葦ペンを抜き、インクを浸けてから書き始める。

 ここは治安府の警吏の休憩所で街の大型食堂くらいの広さがある。
 休憩所とドアにはそのような文字が書かれた札がかかっているが、都合の良い多目的室として使われている。

 その休憩所の片隅にあるテーブルでイヅとライデ・ジーロ子爵は顔を突き合わせていた。

 イヅが子爵とテイ人の男に休憩を促してから丸一日。

 泥のように眠ったという子爵の顔色は昨日と比べるとだいぶ疲労が回復していて声色も気力が感じられる。

 テイ人の男にも十分な食事を与えて傷の手当もして、毛布を与えて休ませたとのことだ。

 犯罪者同様のテイ人の男にそこまで手厚く扱う意味がわからないと治安府内部でも子爵と対立する派閥は気炎を上げていたが、この件に関して……この街でのドル氏殺害の件に関してはライデ・ジーロ子爵主導で行われているので強い語気で堂々と非難する者は少なかった。
 子爵に反論することはルーフン公爵に反意を見せるのと同じだと解釈されるのが怖かったのだ。

 早朝の手書き新聞の仕事を終えた直後に露店で朝食を掻っ込んで、真っ直ぐ、乗合馬車に乗って治安府までやってきた。
 自宅から一刻(一時間)もかかったが、押し合いへし合いの狭い馬車の中でスリと戦いながら脳内を整理するのに余念がなかった。

 乗合馬車が停車して降りた所で子爵が直々に出迎えてくれる。
 治安府の荘厳な門扉の前で待っていてくれたのだ。
 そもそも、庶民は通報者か出入り業者か犯罪者でもない限り自らこの門をくぐることはできない。大方は門番が訪れる人間の要件を聴いて、門扉の外側で待たされる。

 子爵が付いていてくれないと門前払いは確実なのだ。たとえ夜警団や自警団であっても庶民は庶民だ。庶民が爵位持ちと気軽に公的機関の敷地内で触れ合うことは状況が揃わないと無理である。

 ゆえに、彼のエスコートでイヅは治安府の休憩所へやってきてテーブルにつき、彼の希望に応えるべくテイ人の男に対する攻略方法を伝授していた。

「と、まあ、攻略方法というか作戦というか、大まかな流れはこのとおりです」
「おいおいおい、これ全部を覚えるのか?」
「はい。ライデ様の美貌が加わればこその作戦にございます」
「改めて言われるとなんかイラッとくるな……」
「滅相もない。本心にございます」

(というか、この人、自分の顔の良さだけは否定しないのよな) 
 
 愛すべき子爵は唇を尖らせながらも今し方書き上げられた紙を手に取り目を走らせる。
 少年とは軽い口調で話をしているが、視線は真剣そのものだ。

(与えられた仕事しかできないのではなく、与えられた仕事ならば完璧にこなすのがこの美人の怖いところなんだよな)

 テイ人の男に関する疑問を晴らすために練られた作戦だ。

 ルーフン公爵の指令の要点はあくまでドル氏が中心だ。その捜査と捜索の線上にテイ人の男であるガラが浮上して捉えることが出来ただけ。
 ドル氏と関係はあるだろうが、決定的証拠も自白も何もない。状況だけで推測や思い込みが混じった尋問を続けていればやがて、死ぬ。

 ここはそういうところだ。

 子爵がブツブツと懐紙に描かれた内容を読んでるうちに、イヅも再確認するように疑問点を問題が大きい順に脳内に浮かべる。

 何故、宿屋でドル氏に暴力を働いたかのような痕跡を残した?
 何故、西の外れの倉庫でドル氏の右膝下を残した?
 何故、西の外れで鶏の血を抜いた?
 何故、ドル氏の持ち込んだ【南方動物稀譚】が必要なのか?
 何故、西の外れの倉庫で火事を起こした? ここに人を集めるようなものではないか。ひっそりと犯罪を遂行したいのではないか?

 何かが多いような気がする。
 必要のない情報が多いような気がする。
 いや、必要でなくなった情報が混じっているような違和感というべきだろう。
 無闇な推測は意味のない選択肢を増やすこともあるので、目をきつく閉じて思考を遮断する。

 検証のしようがない仮説ばかりが推測と混ざり合って脳内で雑音のように広がる。

 今は思い浮かんだ疑問だけで解いてみよう。
 イヅはよし、と小さくひとりごちる。

「ライデ様。お忙しいところ申し訳有りません」
「?」
「この街の地図と糊を分けてもらえますか?」

 構わないが、とライデ・ジーロ子爵はその席で座ったまま右手を挙げて、下っ端の警吏を呼んでこの街の地図と糊を持ってくるように命令した。

 イヅは新しい懐紙を取り出して、折り畳みナイフの刃を起こした。

 四半刻(30分)後。
 
 子爵は従者然とした少年を連れて取調室にいた。
 血とカビの匂いとそのシミで染め上げられた狭い部屋で3人…警吏を含めると4人いた。

 椅子に座った子爵。少年は子爵の右手側後方に経つ。テーブルを挟んで椅子に足を縄で結ばれたテイ人のガラが座っている。

 部屋の出入口では万が一に備えた警吏が鋲が打たれた棒を持って獰猛な眼光で取調べ対象者を見ている。
 それはそういう意匠をした置物だと思わないと気が散って仕方がない。

「さて…聴取の再開だ。なに、お前は何も喋らなくてもいい」

 ライデ・ジーロ子爵は横柄にそう言いながら席に座り直す。
 目の前にこの街の地区一帯を記した地図を広げる。

「『もうお前には何も訊かない』。もう殴ったり絶食したりなどはさせない。寧ろ、喉が渇いているのなら水でも酒でも飲ませてやるし、好きな時に寝かせてやる」

 彼はゆっくりとテイ人に話す。
 テイ人はその言葉を全く信用していない顔で睨みつける。

(お。いい反応だ)
(今のところ、素直に表情に出るタイプだと分かった)

 イヅはテイ人のガラなる人物の顔を見る。確かに、バザーで遭った男だ。今は顔に傷や痣を作っているが、骨格が変わるほど殴られてはいないので簡単にわかる。

 緊張、不信に反感に僅かな恐怖。

 ガラの両手はテーブルの下で枷を嵌められたまま握り拳を作っている。
 両膝頭の間隔も小さい。
 やや顎を引き気味の前傾姿勢。
 完全に警戒している姿勢だ。

「さあ、『最初からお前の』心に問おう。港の15番桟橋から下船したな?」
 
そういうと、子爵は細い指で地図の上に突き立てるように指す。

「……」

 ガラは黙ったままだ。従者のようにライデ・ジーロ子爵の右後方で控えているイヅはガラの目や唇や全身の挙動を見ている。

「調書のよると…」

 子爵は左手で書類をめくりながら感情を抑えてゆっくりはっきりと読み上げる。

「15番桟橋から東大通りの居酒屋へ入り、半刻(1時間)ほど酒を飲んだ後に店を出て、陶器屋の角の路地に入り……えーと、雑貨屋で買い物。…だな」
「……」

 子爵は調書を読み上げながら読み上げた場所をたどるように指先を地図の上にゆっくりと這わせていた。 
 ガラは頷いた。彼の母国語で肯定するつぶやきが聞こえる。

(頷くまでに小さな余白。つぶやく前に唇の端が小さく震える。……否定をするつもりはないが…『この場合の答え』? を探している?)

 ガラは地図上に新しく貼られた小さな四角い紙を不審に見ていた。視線が、新しい小さな四角い紙切れの貼られた位置を何度も往復する。
 それはイヅが休憩所で地図を受け取ってから懐紙を小さくナイフで切って糊で貼り付けた紙切れだった。
 紙切れには葦ペンによって黒い十字の印が描かれている。
 
「……で、少し時間をここで費やした後に…『現場の宿屋の前』を、通過、した、のだな……」

(! …『動いた!』)

 イヅは明後日の方向に向かって咳払いをした。

 子爵の指がドル氏が拉致された現場の宿屋の前を通過しようとした時に貼り付けられた紙を撫でた。

 その紙に触れたときに、ガラの頭頂部が一瞬早く吊り上がった。……再び聞こえたイヅの咳払い。

 子爵は貼り付けられた紙の十字の上で指先をぐりぐりと押し付けていたが、ゆっくりと、指を宿屋前から移動させて、間延びした声で調書を読み上げながら、指先を移動させる。

(宿屋の裏路地から通りへ……この通りは夜は確かに真っ暗だ。角を幾つか曲がっているようだが、嘘が3つと本当が2つ……『調書にない』ことに反応しているな)
 
 イヅは顔を背けて咳払いや鼻を短くすする。

 その度にライデ・ジーロ子爵の指は突拍子もなく、貼り付けた紙の十字の上に移動していた。その指の動きに法則性はない。少なくともガラにはそう視えているだろう。

 それを何度も繰り返し、時折、調書を間延びした声で読み上げる。貼り付けた紙の上に子爵の指が止まる度に、ガラの小鼻が小さく膨らむ。下唇を内側に引き込む。

 やがて西の外れの倉庫に指が止まる。

 ガラは気が付いているだろうか?
 子爵は最初は正確に調書を読み上げてその通りに指先を動かしていた。
 やがて子爵は調書に書かれていない些細な嘘を発言しながらも指先をを動かしていた。
 その嘘に最初は怪訝な顔や不審な顔や不満な顔などの移り変わりを見せていたガラだったが……。

「っくしゅん」

 イヅは小さなくしゃみをして、少し失礼と言い残し退室した。

「風邪か? ちょっと待て、いい薬があるんだ……あ、すまん、こいつを見張っていてくれ!」

 ライデ・ジーロ子爵は先程の取り調べの時とは打って変わって、ハキハキとした声で部屋の隅で見守っていた警吏を呼んで、ガラを見張るように命令し、風邪気味の少年の背中に手を回しながら部屋を出る。

「あ、いけません。風邪がうつってしまいます」
「気にするな、朝から辛いところすまなかったな」

 警吏は、子爵が囲っている稚児の少年に食い扶持を与えるために、従者として雇っているに違いない! と勘違いしたであろう。
 あれだけの美丈夫でありながら女性関係での浮いた噂の一つも聞かない子爵で有名だったので、清廉なイメージを保つためかと思っていが、そうでもなかったのだな、と警吏の男は勝手な推測で想像を広げて、少年が趣味の対象らしい上司の子爵を心のなかで鼻で笑った。

 2人は取調室を出ると、壁に背をあずけて、はーっとため息を吐いた。

 子爵は懐から細巻きの葉巻を取り出して銜えながら、薄暗い廊下の唯一の光源である壁に打ち込んだ蝋燭の火で先端を炙りながら吸う。

「火事のあった西の外れの倉庫、再調査が必要です。現場での調査と、移動時間の調査です」

 イヅは不意に喋りだす。

「現場と時間? 現場だけではダメか?」
「嘘を混ぜた調書を読み上げてもらいましたが、火と時間帯と距離に関する言葉にだけ異常に反応して防御の顔をしました」
「確証はないのか?」
「今はまだ…。確証を固めるためです。子爵や警吏が彼を散々痛めつけてくれたおかげで分かり易い表情を見せてくれました」
「どういうことだ?」
「これから恐怖の時間が始まる。十分に休ませてから再開。今度はもっと厳しいだろう。しかし、今度は喋らなくてもいいときた。…それだけで不審に思うでしょう。警戒を強めるでしょう。さらに最初だけ正確な調書の読み上げ。これが僕としては決め手にかかるヒントだと思います」
「ん? ただの『事実』だぞ?」
 
 子爵はシガリロの煙を遠くに吐いてからイヅに向き直り顔に疑問符を浮かべる。

「調書は正確。予め用意していた返答も間違いない。そのうえで拷問を受けてなおかつ、休憩を与えて同じ質問をしているのに今度は簡単なカマかけに次々と引っかかってボロを出しました」
「……そんな話は事前に聞いていないぞ」

 子供が拗ねたようにむっと膨れる子爵様。

「あなたは正直すぎるので必要以上の芝居は無理だと思ったので、【芝居ではなく、アドリブをしてください】と懐紙に書いて教えておきました」
「お前なぁ、不敬で素っ首を叩き落される危険性も考えてくれ……」

 子爵は肩を落として呆れ返った。怒るを通り越して、傲岸不遜にも見える少年の思考と口調に軽い疲労を感じた。

 この少年を不敬で罰する時は直命で指揮しているライデ・ジーロ子爵が直接、処刑台送りにするのだ。それは高い可能性。……爵位を持つものに怒りや反感を抱かせただけで処罰の対象だ。
 不敬だと憤慨する一方で、ライデ・ジーロ自身も彼がどんなびっくり箱を持ち出すのか楽しみだったので怒鳴りつける気力が湧いてこなかったのも事実の一部だ。
 寧ろ、貴族を転がすその機転と策謀を褒めねば懐の小さい男として笑われるような気すらした。
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