♯006『文筆家は夜警の一人』(全3話/現在2話まで公開中)

【♯001「喋らぬ者とその者共」3/6】

「僕としてはドル氏のあの立派な体躯では鈎爪を結わえた梯子や縄でこの窓から降下するのは無理だと思います」
「それは何故かな? 勿論、宿屋の店主や従業員にも聞き込みをしたが、誰も何も見ていないと証言している。各部屋に鍵までつけて安全を売り物にしたいこの宿の印象が悪くなるから黙っているとか?」

 イヅは子爵に向き直ると、2つ疑問がありますと前置きして、蔀窓の下辺に突き立てた自分のナイフの跡を見せた。

「1つ目の疑問です」
「? これがどうした? 鈎爪の痕が残るのだからナイフでも瑕は残るだろう」
「はい。そうです。残り過ぎるんです」

 そこまで言うとランタンに影が揺れる子爵の顔にあっと驚いた色が浮いた。

「大したことのない僕の力でも深くナイフを突き立てることができるほど、この窓枠は脆いのです。雨風や気温湿度に晒され続ければどんな木造でもこうなります。ナイフを突き立てて抉ればそこから割れそうですよ」

 ライデ・ジーロ子爵は思わず舌打ちした。恐らく彼の手元には精緻に欠けた連絡書と報告書だけが集まり、現場の質感が無視されていたのだろう。

 伝達のための書類は無味無臭で無機質であっても、事細かに記していなければ、その書類を受け取った上層は判断する方向を間違えてしまう。

 ライデ・ジーロなる人物は決して馬鹿ではない。
 適切で相応しい資料が有ればそこから現場を読み取る能力がある。
 
 だからこそ治安府より夜警団のスポンサーとして居座りながらも、自らの権限が及ぶ範囲で捜査に協力してくれる。
 
 彼も爵位持ちだ。
 それに、様々な理由が混在しているだろうが、領民に好かれるためには何でもするし、何でもしたがるタイプの馬鹿正直な人間だ。

 その彼は判断を誤る伝達を何よりも嫌っている。

 ゆえに、針小棒大に膨らませて記さない書類を常に提出する夜警団の副業事務員であるイヅをいつも頭の隅に置いているのだ。

 懐刀としての少年が2つ目の疑問ですが、と続けて喋る。

「もう、お察しの通り、僕よりも頭一つ高い男が何かしらの方法で窓から降りたとしても、鈎爪に全体重がかかれば、窓枠はもろくも崩れ去って、地面に落下でしょう。2階の高さなので大した怪我はしないでしょうが、それにしてもこの部屋に2人居たのを否定する根拠にはなりません」
「兎に角2人いた……。ドルとの関連は不明だが2人いないと成立しないのだな……」
「或いはそれ以上の人数です」

 少し考えて黙る子爵。
 その間にイヅはこの宿屋のあらゆる部屋の鍵が束ねられた鍵束を手に取り、鍵穴にこの部屋の鍵を差したり捻ったりしている。

(これは随分と簡単な鍵だな)
(鍵でなくとも2、3本の針金が有れば解錠できる)

 鍵穴を除く。貫通型の鍵穴。
 ドアノブとは連動していない。
 ただ、鍵が付加価値として取り付けられただけの簡単なドア。
 他の宿屋との差別化を図りたくて兎に角、取り付けたのだろう。
 夜警団が見回る街なのだから、防犯対策の導入は大きな宣伝効果になる。

(まあ、残念ながら……子爵様の想像するような密室ではないのは確かだな)

 イヅは胸のポケットから葦ペンを取り出して懐から懐紙と小さなインク瓶を取り出し、この部屋のテーブルで何事か筆記し始める。

「それは?」

 背後から覗き込むジーロ子爵。彼の衣服からは煙草の匂いがした。締め切った執務室やサロンで染み付いた匂いなのだろう。
 これが子爵の匂いなのだと錯覚しているので嫌悪感はない。
 そもそも普通は爵位のある人間が庶民に対して顔同士が触れそうな距離まで接してくれるはずがないのだ。

「ライデ様。お手数ですが、ここに記した内容を覚えてください」
「?」

 彼は馬鹿ではない。馬鹿ではないが、馬鹿なのだ。
 与えられたことならば完遂せねば気が落ち着かない性分で、だからといって大局を見誤る人間ではない。

 切れは鈍いが物覚えのいい、良くも悪くも貴族のエリートだと言えた。ゆえに馬鹿正直に皆の期待に応えたがる。

 基本はできるが応用と利用と展開と変化に昇華させる能力が今一つ低いだけの、心の良い貴族だ。

 貴族階級は新しい学問を教育される機会に恵まれるが、新しい学術や理論を考え出す人材が少ない。裕福であれば高い給金を出して名のある学者を家庭教師として雇う貴族階級は多い。
 研究資金が欲しくて金で爵位を買って平民から貴族になる学者もいるくらいだ。

(……いかん! あいつの顔が浮かぶ)

 ふと嫌な記憶が湧き上がってきたのでイヅは雑念を振りほどくように目の前の子爵に説明を続ける。

「この宿屋ではもう集められる情報はありません。床の血痕にしても『誰の血なのか、どうしてそこに有るのか』が不明…というよりも、不自然です」

 葦ペンを腰布で拭いて胸ポケットの差しながら話す。

「鈍器や刃物などの凶器で危害を加えていたとしても、『床に真っ直ぐに熟した果実が落ちたような血痕を作る』のは無理ですし、部屋の5分の1近い面積に転々と広がっているのも不思議です」

 インク瓶のコルクをしっかり填めながら感情を意図的に抑えながら話し続ける。

「人間の失血量なら致命的な量です。ドル氏が被害者だとして、死体に近い人間を移動させる意図も分かりません。死体だとすればそれの隠蔽の意味も分かりません…『部屋に忍び込んで』まで犯す危険ではないからです」

 ジーロ子爵はイヅに手渡された紙を黙読してやがて顔を上げる。
 視線を窓へ移し、再び少年に向く。

「つまり、ドルは…」

 頼もしい夜警団の副業事務員は子爵の台詞を継ぐようにこう言った。

「『鍵がかかったこの部屋から消えた時間』に『生きていて、『その後も生きていた』のなら、窓辺の鈎爪は捜査撹乱のための目眩ましだと言えます」

 イヅの顔は表情が消えている。目に精細がない。
 子爵は彼のその顔が嫌いだ。
 彼がその顔をする時は決まって、悲惨な何かを掴みそうだからだ。

 子爵は少年が脳内で浮かんだ嫌な結末を否定したいために声や表情に抑揚がなくなるのだと察している。

 少年は以前、子爵に「どこの国のどんな民族でも、表情と仕草は繋がっていて、それは人類共通らしいですよ」と雑談交じりに話したのを覚えていた。
 
 そしてそれは忘れられない。
 それこそが少年の最も……。

「さあ、ライデ様。行きましょう! 僕は捜査権を持っていないのであなたが頼りなんですよ!」

 反転させたように明るい少年の声がライデ・ジーロの耳に届く。

「あ、ああ。行こう。この紙の、これは覚えた」

ライデは懐紙をひらひらさせながらイヅに返す。

「さすがライデ様です。どうして治安府の警吏長官の試験に毎回落ちるのか不思議です」
「試験官に見つめられると妙な気分になるからさ」

 子爵とその従者という胸の張り方で軽口を叩きながら部屋を出た。

 階下に降りると、ライデ・ジーロは胸を勇ましく張ってやや顎を突き出し気味にする。
 その目は猛禽類の目を埋め込んだかのように獰猛で鋭くなっていた。

 背筋を伸ばし、左手を左腰に佩いた細身の剣の柄にもたれさせる。

「店主。鍵を返す前に聞きたいのだが」
「へえへえへえ! なんでしょう?」

 カウンターの奥から中年店主と下男か丁稚かわからないが従業員と思われる青年が出てきた。さらに遅れて女の従業員も出てくる。

 イヅがドルの部屋へと行く前に確認した顔と同じ顔ぶれだ。

「事件の日、本当に、知らぬ間にドルは居なかったのだな? ドアをノックしても返事がなかったのでドアノブをひねっても鍵はかかっていたと?」

 子爵と店主のやり取りを耳に叩き込む。

 ドル氏が不明になったのに気が付いたのは店主。

 要約するとこうだ。 
 日払いの宿代をもらいに行ったら鍵がかかっていたのでドル氏の外出を従業員に尋ねるも2人とも知らぬ存ぜぬ。
 窓から逃げて宿賃を踏み倒す気かと思った店主は何度もドアを叩いたが反応がなかったので鍵を開けた。
 そして血痕だらけの床を見て仰天した。

 これが子爵が受けていた報告の内容と一致し、何度もカマをかけて子爵が店主に対して凄みの利いた警吏の声色で尋ねるが、威圧されすぎて段々と店主のこうべが下がってくる。

「まあ、知らぬのなら仕方がない」

 突然、恫喝が交じる尋問じみた聞き込みは終了した。
 肩を落として安堵する店主。

「たまには違う酒も美味かったろう。久しぶりに高い街娼を買って気分がいいのも分かるが、今後のために多少は蓄えにしておくべきだ。税金で取られるからと、宵越しの金を恥じることもあるまい。それとも腕をさすりながら挑んだ闘鶏でスられたか?」
 
 唐突に目の前の美貌の子爵が聞き込みとは全く脈絡のない言葉を宙に放つように平静な声のトーンで話し出す。

 何がなんやらと聞き返そうにもそのタイミングが掴めないでいる店主は戸惑いの色を隠せず、逆に呆けたように口を開けて「あの」「その」と繰り返すのみだ。

「あー、いやいや。これは今思い出した話でな。ここにいる従者の少年が最近、良い稼ぎをしたのでその稼ぎをどうしたのか聞いてみただけだ」
「これは手厳しい。ライデ様には何も隠せません」

 イヅは従者らしくやや媚びへつらった声でへへへと笑う。

「邪魔したな。また現場を検分しにくる。日が昇ったら絵師を寄越すので現場の絵を描かせてやってくれ。その絵師の邪魔をするなよ? 絵師が残す絵は重要な資料として保存されるからな」
「し、承知しました!」

 店主はそれ以外何も言えないと表情に出して頭を深く下げた。
 先に繰り出した子爵の尋問が恐ろしく、その後の脈絡のない従者への大きな声の諌めごとの落差に思考が追いついていけないようだ。
 それまで従者然とした涼しい顔で彼の右手側で立っていたイヅが突然、子爵の右肘をつつく。

「ライデ様。後ろの…男性の方は直接何かを知っています。女性の方は間接的に何かを知っています」
「!」

 ライデ・ジーロとて様々な人間と交流を深める機会が多い故に顔を見れば多少の機微は分かるが、不思議だったのは、イヅは店主に対してだけ尋問して脈絡のない台詞を読み上げさせたていたことだった。

 ライデはてっきり、店主が何か訳知りだと思い、演技成分多めの尋問を店主に浴びせ続けていたのに、右手側背後で控える少年は全く気にしていなかった従業員を怪しいと踏んだのだ。

(共通する顔…不安。緊張。焦燥。恥……)
(『小さな表情』からして協力者はこの2人だろうな)

 店主からは表情の小さな動きや『癖以外の癖』から何も読み取れなかった。
 読み取れたのは怪訝と焦りが強く合致した混乱だけだった。

 本当に子爵が何を言っているのか分からないらしい。額に汗をかいているが、脂汗ではない。恐らく額に冷たい風が吹いていると錯覚しているだろう。

 イヅに指された2人の従業員は一様に驚愕の反応を見せる。
 男は喉仏を上下させて。
 女は筋張った肉でも噛んでいるようにこめかみの辺りが上下する。
 2人とも視線が急激に走り出す。

(拙い! 『逃走』に移る!)

「ライデ様! 後ろの男を止めてください!」
「よし!」

 イヅとライデは同時に大して高くないカウンターを飛び越えてそれぞれが、それぞれの標的に飛びかかった。

 目を白黒させる店主は逃げ場がないのを知っているのか、その場にしゃがみこんで頭を抱えた。

 ライデの右手が左腰の細身の剣の柄を握る。
 狭い空間でその長い剣を抜く空間的余裕はない。なのに彼の動作には迷いがなかった。何しろ、殴り合いができる距離で長物の剣を抜くと簡単に懐に入られて反撃されやすいのだ。

「う!」

 それを織り込んだ上で、子爵の右手の一閃は最後まで走らない。
 剣の柄尻が男の従業員の鳩尾にめり込んで、呻き声を短く吐き、折りたたみナイフのように体を折ってその場に倒れ込む。

 イヅもそれとほぼ同時に腰布に手を伸ばし、一端を握り強く引っ張って腰布のもう一端で女の顔をはたいた。
 その布の端では痛みは殆どない。しかし、彼女の次に行う動作……逃げる行動を一瞬だけ遅らせることが出来た。
 
 顔を手の平で覆う女の首に腰布を一巻して、背後に回り込み膝裏を蹴り、その場に強制的に膝まづかせる。

 イヅは店主だけが質問攻めに遭い、安心していたところへ脈絡のないような話題に『心当たりがあった』2人が虚を衝かれたように反応したのを見逃さなかった。

 空振りに終わるかどうかの賭けだったが、空振りでも誰も何も気を負わない。当たりなら事件の真相に一歩近づける。

 これこそがイヅの武器だ。
 
 人の表情の変化だけで感情や思考の変化がわかる。

 しかも彼は、【表情の変化は『心の負荷』と密接に繋がっていると記されている。それはどんな民族でも大差はない】という学説を元に記された本を頭に叩き込んだだけでなく、実用として実践しているうちに自身で証明してしまったのだ。

 尤も、それは嘘か本当か試してみたいという興味本位で始めた学習と検証だったが、人間の表情や仕草だけでその人物の内面が大方の場合、判断できるのは今となっては少し面倒な能力となっていた。

 出会う人間の嘘や真意が見えてしまうとその分絶望してしまう確率も跳ね上がるのだ。

 なのに……本を読んで知的好奇心を刺激されたのなら、それを体得して本当に通用するのかどうか試してみたいという欲望は抑えられない。

 その技術がどんなに危険でも有用でもそれらの観念は後回しだ。

 早く覚えた知識を実践して技術として蓄えたい。脳内で褪せない知識として磨きたい。

 イヅとはそんな少年だ。

 そのイヅが女に対して放った腰布を用いた体術も武芸書の中にあった護身術の一つだった。

 運動能力に関しては大して高くない彼は力づくの勝負なら簡単に負けてしまう。
 今しがた放った腰布の捕縛術も夜警団に入団してから初めて試して覚えていた基本的な技の一つでしかない。

(……焦った)

 その数少ない、覚えた捕縛術も技が決まる確率は半々程度なのだ。

 膂力で劣るので咄嗟に男の方は男爵に任せて、最悪、殴る蹴るならなんとかなりそうな女を標的に選んだのは、曲がりなりにも男であるイヅからすれば卑怯千万の誹りを受けても仕方がない。
 結果的に限りなく怪しい関係者を取り押さえることができたので、男爵からの追求は無かった。

 イヅとライデの視線が一瞬交差する。互いに心の中で頷く。

 次の瞬間、イヅとライデはそれぞれが捕えた関係者の後ろ手を捻り上げ、頭を抱えるのやめて、全く理由がわからぬ顔をしている店主に同時に怒鳴り気味に命令した。

「警吏を呼べ!」
「警吏を呼んで!」

 何事かも全くわからないままに宿を飛び出た店主の背中を見送りもせずにライデは早くもこの場で尋問を開始する。

「何故、逃げた? なにか疚しい事が有るのだろう? 『顔色が悪いぞ?』」

 ライデもイヅとの付き合いから多少は慣れたもので、当たり障りもなく、確信に触れない、それでいて心当たりがある人間が聴くと何でもかんでも吐いてしまいそうな鎌かけの言葉を浴びせる。

 男は驚いたから逃げたでは済まされない立場にいる。
 女も同様だ。

「ライデ様。手短にしたいので『いつも通りに指を一本づつ』切り落としましょう」

 イヅは呼吸を整えながらはったりを効かせる。勿論、指を切り落とすなど今までにしたことがない。

 肉体的苦痛が伴う拷問に近い尋問は苦痛から逃げるために、なかば混濁した意識が関係ない記憶を織り交ぜて自白したり、反射的に意識に反する文言を吐露しても本人は自白しているという認識なのでその場にいる誰もがその自白を信じてしまう場合があるという。
 過去に他国で諜報員が拷問で自白したとされる内容で作戦の方向性を誤り戦局が大きく左右された事例を聞いたことが有る。
 それでも尚、拷問と紙一重の尋問が横行しているのは、時間の節約と人材の教育の観念が皆無だからだ。
 イヅとしては少々の時間がかかっても懐柔を前提にした尋問が有効だと思っているが……今は思っているだけにしておこう、と決めた。

 指を守るために男も女も両方の手の指を強く握って拳を作るのを見たからだ。
 これなら子爵様が白刃を抜く素振りを見せるまでもなくなにか喋りそうだ。

「か、金をもらった! 男、そう、男だ! 背の高いテイ人の男でおやじの居ない時に」
「手引をしたのだな。金をもらって。ドルの部屋の鍵を渡したか?」

 ライデの尋問に脂汗を額に浮かべながら嘔吐するようにまくしたてる男。
 その男の隣で後ろ手に腰布で緊縛された女が続けて喚く。

「そこの、カウンター裏の出入り口から3人で運んだわ! 客が大男だったから重たかったの! 最初に約束していたよりも多くのお金を出してくれたから!」
「だから手伝ったのか。3人でこの奥の部屋の……?」
「裏の出口は路地に繋がっているの! そこで客の男を荷台に乗せたわ!」

(…ほう?)
(興味深いというか、恐ろしいことになりそうな予感……)

 イヅは足元に膝まづかせた女が逃げ出さないように背中を強く踏みつけながら唇を少し歪ませた。

 ライデが犯行時刻やその時の状況をさらに聞き出す。

「宵前刻(午後8時)を1刻(1時間)ほど過ぎた時だ! テイ人の男に渡された酒を、今日は開店記念日で祝いだからとその客の男に飲ませた! それから宵刻(午後10時)の鐘が鳴った時にテイ人の男が店に来て」
「その時には客の男は寝ていたのか? 眠り薬でも入れたか?」

 男の瞳孔が大きくなり、胸腔が膨らむ。奥歯を何度も強く噛む。

(……眠っていない。起きている? いや…恐怖? 焦燥か。不安もある……だんだん緊張してきたな……ああ、そうか)

 ライデの言葉に含まれるある種の部分にのみ反応する男の表情から一つの仮説を立てる。
 ドル氏は眠らされていない。起きていた。しかし、真っ当な状態ではなかった。慣れない者が見たら心臓に悪い状態になっていた。そんなところだろう。これはあくまで仮説なのでライデに伝えない。

「早く金をもらって見なかったことにしたかった、ということでしょうかね」
「……そうなのか?」
「そうだ…そうです!」

 女も激しく首を縦に振って肯定の意思を見せている。

 その時におっとり刀でやってきた3人の警吏にライデは自身の爵位と役職を明かして「ルーフン公爵の件にて一時捕縛。公爵の件で取り調べが終わるまで牢に入れておけ」と素早く命じる。

 恐らく、この場で収集した情報以上に何も聞き出せないだろう。それでも関係者には違いない。ライデ・ジーロとしても自分よりも爵位が上の人間の名誉に関わる事件かもしれないので逮捕と捕縛はできても独断で釈放とはいかない。
 司法と律法と行政が公平に分割されていても、そこで従事する人間の縦社会は往々にして司法も立法も行政も飛び越えてしまう。横紙破りにしてしまう。

 悲しいが、ライデ・ジーロ子爵は治安府の高官であっても爵位ではルーフン公爵に強く反対意見を述べるのは恐縮してしまうのだ。

 イヅは世界一嫌いなあいつは何故こんな面倒くさい世界に執着しているのか全く分からない。奥歯で舌を噛んですぐにあいつの話題を脳裏から消す。
 そして首をブンブンと横に振って、脳裏に浮かんだ嫌なあいつの顔を掻き消した。
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