♯4【昏いうた】(2025.8.13)
巴の精一杯の軽口。
軽口を放ちながらも僅かに視線を男の握るUZIに向ける。バレル下部に取り付けられた独特の銃剣が剣呑に鈍く光る。明らかに血を吸っている輝きだ。
二人の間に張り詰めた空気が流れる。
自ずと、メキシカン・スタンドオフが形成される。男が引き金を引けばその一連射だけで巴は蜂の巣になるだろう。巴はこの距離でデホーンドハンマーの重い引き金を引けば必ず、初弾で男の眉間に風穴を開ける自信があった。
同じ9mm口径でも単純な停止力や初活力は明らかに男のUZIの方が上。だが、当たらなければどうということはない。そして、男よりも早く引き金を引ききれば巴の勝ちだ。
窓ガラスを破って登場した男が窓枠にしゃがみこむように座り、時計の針は軽く一周した。
どちらかが、どんな小さな動きを見せても好転しない。
巴はこの男がここ、『警戒すべきポイント』を守護しているのなら、必ず打ち倒すべきだと考え始める。
交渉でどうにかなるわけがない。
お互いがお互いの職掌に矜持を持っている。
信用看板を守るために命を捨てるのは当たり前というのは共通認識だ。
……それを鑑みて。
この男が『ここで配置されているのは意味がある』。……『連中にはもうこれ以上に冴えたやり方はないのではなく、この男が居るから何も心配しなくていい』という絶対の安心感。
UZIの男がここに居るだけなのに、階下から増援が駆けつける足音は全く聞こえない。騒ぎ声は遠くに聞こえるが、それは負傷者を搬送している喧騒だ。手際の悪るそうな怒声に罵声。巴に仕留められた負傷者も生存する可能性が高くなったので先ずは良かった。
彼らには恨みはない。彼らが巴をどのように思っているかは不明だが。
彼らは二人を邪魔しない。
それが全てを物語っていた。
ああ、あの女は死ぬな。
そんな消化試合を見るような、何もかもが終わった気配すらする。
さあ、何が切っ掛けだ?
何が先途だ?
何が合図だ?
何が号砲だ?
二人の間を、重苦しく息苦しく、そして呼吸が冷たくなるような殺気が世界を塗り替えてしまう……そんな視線が交叉する。
額から汗の粒がポロリと伝って零れる。
巴の右目蓋に汗の粒が触れて、刹那の時間、右手側の世界が暗くなった。生理的に瞬きをしてしまった。
それが合図だった。
銃声が轟く。
連なった9mmパラベラムの銃声が38spl+Pの銃声を掻き消す。
たったの一連射。
たったの一発。
それが全てで、それが最後だった。
「……」
「……」
睨み合う二人。
巴は歯を剥き出しにして男を睨んでいた。……背後のドアに自らの血飛沫を撒き散らして。
自らは自力で立てなくなり、背後のドアに叩きつけられたと同時に、その場に腰からストンと床に落ちた。
『胸骨の真ん中から右肩にかけて9mmで縫われたまま、愛銃を衝撃で放り出し、無力化されてしまっていた』。
一歩も……指一本も動かせず、ドアに持たれたまま。体に撃ち込まれた銃弾が体内で爆発したような痛みを生み出している。胸骨を砕かれても生きているということは、心臓への直撃はなかったということと、心臓近辺の大動脈にも破損はなかったということだろう。……『だが、バイタルゾーンだ』。
呼吸が苦しい。
男を睨みつけるので精一杯。
不吉にも脳の片隅では、過去の経験や体験から『本当の危機を乗り越えた記憶』を検索している。
目を閉じようものならすぐにでも走馬灯が見えそうだ。尚、走馬灯とは死に対する、脳の最後の抵抗で、過去に同じ経験をしていないか? その時はどのように助かったか? と言った記憶を検索しており、その検索応力は普段は全く忘れていた幼少期の頃の記憶も思い出すという。
巴の焦点がぶれ始めた目には、まるで獲物を追い詰める狼のような男の顔が映っていた。
「……ぐっ……」
巴は呻き声を上げながら、歯を喰い縛って左手を男の顔に翳す。左手に抵抗の意思を表現させるだけで冷や汗が吹き出るほどの苦痛だ。
血が溢れる負傷箇所を抑えようともしない。
男はゆっくりと巴に近づき、巴の懐からクラフトペーパーのポチ袋を奪った。ジャケットの内ポケットを好きに漁られているのに、その手を解く力も気力もなかった。
巴の目に徐々に翳りが差してくる。
男はクラフトペーパーのポチ袋を見つけると、指でポチ袋を押さえて探り、中身がUSBメモリであることを確認すると、それを自分の胸ポケットに押し込み、きびすを返した。
「命までは盗らない。『また会おう』」
男は背を向けたまま、野太い声でそう言うと、巴に全く興味を持たずに廊下を歩き出した。
────へっ。
────ばーか。
────お目出度いヤツめ!
巴は土気色になりつつある顔だったが、壮絶な笑みをこぼした。
あの男が持っていったのは、巴が自前で用意した家電量販店で買ったニセのUSBメモリを入れた、100円均一で買ったクラフトペーパーのポチ袋だ。本当ならこれを何処かに隠して連中を撹乱させるつもりだった。
最後の最後にドジを踏みやがったな、あいつ。ご愁傷さま。
まさか外注の荒事師が機密が詰まったUSBメモリをこの場でパソコンに差して中身を確認する権限は与えられていないだろう。
あの男は偽物を掴まされた男として看板に瑕がつくだろうな。
そう思うと、巴の末期の表情が笑顔になるのも無理からぬことだ。
段々と足の爪先から寒気が登ってくる。夏の暑い時期なのにこの寒さは異常だ。
視界がフィルターをゆっくりと掛けられたように暗くなる。まだ昼だというのに、薄暗くなる。
9mmに開けられた幾つかの孔の痛みが鈍くなっている。
そう言えば、自分が放った38口径は命中しなかったのだな。
首が力なく、項垂れ始める。
────ああ。ここまでか。
────まあ、概ね、『いい人生』だった。
その時だ。
足音が聞こえる。
聴覚が五つの感覚の中で最後まで生きていると言われているが本当なのだな。と、十分に回らない頭で考えを巡らせていると、狭い視界に見知らぬ革靴の爪先が入る。
────? 誰だ?
────まさか、ダミーが見破られたか!?
どんなに焦っても体は動かない。
その人物は巴のズボンのポケットを漁り、本物のUSBメモリが入ったクラフトペーパー製のポチ袋を抜き取り、あろうことか、中身のUSBメモリを床に落とし、巴に「ご苦労さま」と好々爺のような声で労い、狭い視界から立ち去った。
その瞬間、巴の頭に閃く。垂れた左手の小指がピクリと動く。
────まさか……。
────本当のブツは……。
────ま、いいか。
やがて、正義の味方になりたかった自分をふと、思い出す。正義の味方は、こんな風に満身創痍になって死んでいくのだろうか。
巴は動けないまま、ただ虚ろな目で床を見つめていた。
巴は、好々爺の声の主の行動を見て、頭の中で何かが繋がったような気がした。しかし、それを言語化する気力はなかった。巴の意識は、ゆっくりと闇の中へと沈んでいった。
※ ※ ※
後日、裏の世界のとある組織が新型合成麻薬の生成図をライバル組織から奪ったと、裏の世界で噂になった。
そしてその合成麻薬を実際に生成し、販路に乗せて大量にばらまいたところ、一定濃度が体内で蓄積すると人体には致命的な猛毒に変じることが判明し、突如として、一大社会問題になった。
その組織は警察の激しく厳しい追及を受け、瞬く間に凋落し、壊滅した。
ポチ袋を無事に回収した組織は、その『ポチ袋本体に染み込ませていた本物の新型合成麻薬の溶液』を解析して量産体制に入り、莫大な儲けを得た。そして、今回の計画の中心人物であった依頼人の上層部は、監視役を放ち、巴が襲撃されるのを遠くから見届けていた。
元から新型麻薬を開発した事実は漏れていた。それを逆手にとって、ライバル組織に、尤もらしい腕利きの運び屋を雇い、わざと情報をリークして、巴を襲撃させた。『計画通りに巴は善戦してUSBメモリは奪われた』。
巴は、自分が単なる『使い捨て』であったことを最期まで知る由もなかった。……今わの際に何か気が付いたが、今生の別れに時間を割いて、事の真相を考えるのを放棄した。
巴はあの廃墟のホテルで薄れゆく意識の中で、幼い頃に憧れた正義の味方の姿を思い出し、静かに息を引き取った。
彼女の死は、誰にも知られることなく、闇の中に葬られた。
特に珍しくない、闇社会の日常だった。
《習作#4・了》
軽口を放ちながらも僅かに視線を男の握るUZIに向ける。バレル下部に取り付けられた独特の銃剣が剣呑に鈍く光る。明らかに血を吸っている輝きだ。
二人の間に張り詰めた空気が流れる。
自ずと、メキシカン・スタンドオフが形成される。男が引き金を引けばその一連射だけで巴は蜂の巣になるだろう。巴はこの距離でデホーンドハンマーの重い引き金を引けば必ず、初弾で男の眉間に風穴を開ける自信があった。
同じ9mm口径でも単純な停止力や初活力は明らかに男のUZIの方が上。だが、当たらなければどうということはない。そして、男よりも早く引き金を引ききれば巴の勝ちだ。
窓ガラスを破って登場した男が窓枠にしゃがみこむように座り、時計の針は軽く一周した。
どちらかが、どんな小さな動きを見せても好転しない。
巴はこの男がここ、『警戒すべきポイント』を守護しているのなら、必ず打ち倒すべきだと考え始める。
交渉でどうにかなるわけがない。
お互いがお互いの職掌に矜持を持っている。
信用看板を守るために命を捨てるのは当たり前というのは共通認識だ。
……それを鑑みて。
この男が『ここで配置されているのは意味がある』。……『連中にはもうこれ以上に冴えたやり方はないのではなく、この男が居るから何も心配しなくていい』という絶対の安心感。
UZIの男がここに居るだけなのに、階下から増援が駆けつける足音は全く聞こえない。騒ぎ声は遠くに聞こえるが、それは負傷者を搬送している喧騒だ。手際の悪るそうな怒声に罵声。巴に仕留められた負傷者も生存する可能性が高くなったので先ずは良かった。
彼らには恨みはない。彼らが巴をどのように思っているかは不明だが。
彼らは二人を邪魔しない。
それが全てを物語っていた。
ああ、あの女は死ぬな。
そんな消化試合を見るような、何もかもが終わった気配すらする。
さあ、何が切っ掛けだ?
何が先途だ?
何が合図だ?
何が号砲だ?
二人の間を、重苦しく息苦しく、そして呼吸が冷たくなるような殺気が世界を塗り替えてしまう……そんな視線が交叉する。
額から汗の粒がポロリと伝って零れる。
巴の右目蓋に汗の粒が触れて、刹那の時間、右手側の世界が暗くなった。生理的に瞬きをしてしまった。
それが合図だった。
銃声が轟く。
連なった9mmパラベラムの銃声が38spl+Pの銃声を掻き消す。
たったの一連射。
たったの一発。
それが全てで、それが最後だった。
「……」
「……」
睨み合う二人。
巴は歯を剥き出しにして男を睨んでいた。……背後のドアに自らの血飛沫を撒き散らして。
自らは自力で立てなくなり、背後のドアに叩きつけられたと同時に、その場に腰からストンと床に落ちた。
『胸骨の真ん中から右肩にかけて9mmで縫われたまま、愛銃を衝撃で放り出し、無力化されてしまっていた』。
一歩も……指一本も動かせず、ドアに持たれたまま。体に撃ち込まれた銃弾が体内で爆発したような痛みを生み出している。胸骨を砕かれても生きているということは、心臓への直撃はなかったということと、心臓近辺の大動脈にも破損はなかったということだろう。……『だが、バイタルゾーンだ』。
呼吸が苦しい。
男を睨みつけるので精一杯。
不吉にも脳の片隅では、過去の経験や体験から『本当の危機を乗り越えた記憶』を検索している。
目を閉じようものならすぐにでも走馬灯が見えそうだ。尚、走馬灯とは死に対する、脳の最後の抵抗で、過去に同じ経験をしていないか? その時はどのように助かったか? と言った記憶を検索しており、その検索応力は普段は全く忘れていた幼少期の頃の記憶も思い出すという。
巴の焦点がぶれ始めた目には、まるで獲物を追い詰める狼のような男の顔が映っていた。
「……ぐっ……」
巴は呻き声を上げながら、歯を喰い縛って左手を男の顔に翳す。左手に抵抗の意思を表現させるだけで冷や汗が吹き出るほどの苦痛だ。
血が溢れる負傷箇所を抑えようともしない。
男はゆっくりと巴に近づき、巴の懐からクラフトペーパーのポチ袋を奪った。ジャケットの内ポケットを好きに漁られているのに、その手を解く力も気力もなかった。
巴の目に徐々に翳りが差してくる。
男はクラフトペーパーのポチ袋を見つけると、指でポチ袋を押さえて探り、中身がUSBメモリであることを確認すると、それを自分の胸ポケットに押し込み、きびすを返した。
「命までは盗らない。『また会おう』」
男は背を向けたまま、野太い声でそう言うと、巴に全く興味を持たずに廊下を歩き出した。
────へっ。
────ばーか。
────お目出度いヤツめ!
巴は土気色になりつつある顔だったが、壮絶な笑みをこぼした。
あの男が持っていったのは、巴が自前で用意した家電量販店で買ったニセのUSBメモリを入れた、100円均一で買ったクラフトペーパーのポチ袋だ。本当ならこれを何処かに隠して連中を撹乱させるつもりだった。
最後の最後にドジを踏みやがったな、あいつ。ご愁傷さま。
まさか外注の荒事師が機密が詰まったUSBメモリをこの場でパソコンに差して中身を確認する権限は与えられていないだろう。
あの男は偽物を掴まされた男として看板に瑕がつくだろうな。
そう思うと、巴の末期の表情が笑顔になるのも無理からぬことだ。
段々と足の爪先から寒気が登ってくる。夏の暑い時期なのにこの寒さは異常だ。
視界がフィルターをゆっくりと掛けられたように暗くなる。まだ昼だというのに、薄暗くなる。
9mmに開けられた幾つかの孔の痛みが鈍くなっている。
そう言えば、自分が放った38口径は命中しなかったのだな。
首が力なく、項垂れ始める。
────ああ。ここまでか。
────まあ、概ね、『いい人生』だった。
その時だ。
足音が聞こえる。
聴覚が五つの感覚の中で最後まで生きていると言われているが本当なのだな。と、十分に回らない頭で考えを巡らせていると、狭い視界に見知らぬ革靴の爪先が入る。
────? 誰だ?
────まさか、ダミーが見破られたか!?
どんなに焦っても体は動かない。
その人物は巴のズボンのポケットを漁り、本物のUSBメモリが入ったクラフトペーパー製のポチ袋を抜き取り、あろうことか、中身のUSBメモリを床に落とし、巴に「ご苦労さま」と好々爺のような声で労い、狭い視界から立ち去った。
その瞬間、巴の頭に閃く。垂れた左手の小指がピクリと動く。
────まさか……。
────本当のブツは……。
────ま、いいか。
やがて、正義の味方になりたかった自分をふと、思い出す。正義の味方は、こんな風に満身創痍になって死んでいくのだろうか。
巴は動けないまま、ただ虚ろな目で床を見つめていた。
巴は、好々爺の声の主の行動を見て、頭の中で何かが繋がったような気がした。しかし、それを言語化する気力はなかった。巴の意識は、ゆっくりと闇の中へと沈んでいった。
※ ※ ※
後日、裏の世界のとある組織が新型合成麻薬の生成図をライバル組織から奪ったと、裏の世界で噂になった。
そしてその合成麻薬を実際に生成し、販路に乗せて大量にばらまいたところ、一定濃度が体内で蓄積すると人体には致命的な猛毒に変じることが判明し、突如として、一大社会問題になった。
その組織は警察の激しく厳しい追及を受け、瞬く間に凋落し、壊滅した。
ポチ袋を無事に回収した組織は、その『ポチ袋本体に染み込ませていた本物の新型合成麻薬の溶液』を解析して量産体制に入り、莫大な儲けを得た。そして、今回の計画の中心人物であった依頼人の上層部は、監視役を放ち、巴が襲撃されるのを遠くから見届けていた。
元から新型麻薬を開発した事実は漏れていた。それを逆手にとって、ライバル組織に、尤もらしい腕利きの運び屋を雇い、わざと情報をリークして、巴を襲撃させた。『計画通りに巴は善戦してUSBメモリは奪われた』。
巴は、自分が単なる『使い捨て』であったことを最期まで知る由もなかった。……今わの際に何か気が付いたが、今生の別れに時間を割いて、事の真相を考えるのを放棄した。
巴はあの廃墟のホテルで薄れゆく意識の中で、幼い頃に憧れた正義の味方の姿を思い出し、静かに息を引き取った。
彼女の死は、誰にも知られることなく、闇の中に葬られた。
特に珍しくない、闇社会の日常だった。
《習作#4・了》
