第二話:「やがて始まる路地裏オペラ」

 死んだ魚の目を連想させるガタイの良い男達が肩を揺らして「アイリス」に入店してきたのはほどなくのことだった。
 一度に2本の煙草を咥えている奴。
 顔面に何かの病気のように無数のピアスを穿いた奴。
 眉を剃り奇怪な本物の刺青を禿頭に彫った奴。
 シンナーの吸い過ぎで歯が鋸のように溶けた奴。
 大物極道を気取って白いスーツに身を包んだ奴。
 何れも実年齢は二十歳以下だろうが、外見が悪辣の塊なので10歳は老けて見える。
 美野里を拉致した連中が可愛らしく見えるほどに凶悪な面構えをした、外見を裏切らない腕利きだ。八重子が最も側近として手元に置いておきたい主戦力が「殆ど」揃っている。
 どいつも酔っ払いが道を空けて通りそうな殺気を香水のようにまとい、ギラギラとした眼光が常に獲物を窺う獣を連想させる。
 八重子は満足そうに煙草を咥えた。
「これからヤル相手はパンピーだ。だけどな、ウチの連中が9人もツラを揃えていながら2、3分で伸された。油断はするな」


「はあ……そうですか」
 美野里は半分事情を飲み込みきれていない顔で頷くしかなかった。
「んー。でも、どうかなぁー」
 腕を組んで可愛い仕草で頬を指先でポリポリと掻く。
「まぁ、そこまで言われるのでしたら協力はしますけど……」
 視線を外に向ける。
 ファストフード店の2階から猥雑な雑踏が見下ろせるだけで何も変わりはない。
 高津八重子はさっきから調子が狂いっ放しだ。
 顔だけが怖い三下連中に件のパンピーである円城真樹を誘き出す直接の切っ掛けとして樋浦美野里なる親しい級友の少女を拉致らせたのだが、「人質は体力勝負だから必ずゴハンを食べさせて」とか「自分が捕まったらせめてコレだけはさせて欲しいということを人質にはしてあげること」など、ジュネーブ条約の四条約に挙げられる「俘虜の待遇に関する条約」をクドクドと聞かされている気分になった……否、ジュネーブ条約を知っていれば必ずそう感じただろう。
 辟易気味に八重子が直々に真樹の情報を引き出すために美野里と顔を突き合せて話をしているつもりだが、この美野里という少女は、はっきり言って……慣れている。
 三下連中に声をかけられた時も遁走や抵抗は一切せず、「あなた達も大変だねぇ」と不憫な目で見られたと言う。
 八重子という悪性のカリスマを備えた人間を目前にしてもおじけることなく、ハンバーガーに齧りついている。
 事情は大して飲み込めていないらしいが、自分が真樹を釣るための餌にされたのは理解しているらしい。
 人質ともなれば自身の行く末を案じて青くなってガタガタ震えているのが相場だというのに、「私、逃げないから。何か食べさせて。何だったら、携帯と生徒手帳を置いていこうか?」などと放言し、「こちらが要求しようとしている脅し文句の出鼻をいきなり挫かれた」思いがした。
「何が原因でどうなるのかは知らない。でも……あなた、悪い人じゃなさそうだからイイコト教えてあげる」
「……」
 口の端にケチャップを付けたまま美野里は対面に座る八重子に言う。
「真樹ちゃんはね……ヒトが沢山いればいるほど、負けないよ……んー。例えば……何て言うの? あ、例えば『はじょー攻撃』とか言う、沢山の人間がちょっとずつ駆け込んでくる攻撃でも、真樹ちゃんにとってはただの一塊だから……そんな感じ。『短所、デメリッ、弱点、難点、泣き所の無い戦術や戦略や戦法なんて存在しない』っていつも言ってた」
「オイオイ。私はこれでも敵の大将ダゼ。そんなにベラベラ喋ってもいいのかい?」
 なんだか、逆に心配になってきた八重子。こんなお喋りが親友でありながら何一つ、作戦らしい作戦が浮かんでこない。元より、作戦を弄する気はないが、美野里を押さえておけば何かしらのカードになるかと思ったが、自分の考えが見当違いに向いていることが心配になってきた。
 先行させた5人の荒くれ者は残念なことに連携という概念を理解していない。


 同時刻、繁華街路地裏。
 学校の制服を着て歩いていたら、確実に補導される猥雑な街の裏手側。
「……」
 出来るだけ地味な服装で活動しやすい恰好の真樹。
 煮え繰り返る腸で腹が裂けそうだ。
 赤い薄手のトレーナーにグレイのチェック柄のスカート。スカートの下はスパッツ。それにファッション性と機能が兼ね備わった運動靴。目深にデニム生地調のハンチング帽を被る。眼鏡もいつものシルバーフレームではなく、野暮ったい黒のセルロイドフレームだ。
 できるものなら話し合いで解決し美野里を奪還したいところだが、2度も親友を標的にした姑息で卑怯な手段に自制を効かせるのが難しかった。
 美野里の首に手を掛けて待っている、と予告のあった場所へ脇目も振らず歩みを進める。
 指定された場所が街灯の灯りが届かない裏路地だろうと、違法建築物が押し合い圧し合いする窮屈な路地だろうと関係ない。
「……」
 夕陽の恩恵と程遠い路地に入る。
 初めて足を踏み込む空間だ。黴臭く埃っぽい。誰が回収にくるのか知らないが、テナントビルと思しき建物の裏手には回収日を無視したゴミ袋が放置されている。
 途中、ジョイント部分のダクトテープが捲れ落ちた外径3cm、長さ60cmほどの塩ビパイプを目線の高さで見つける。目で連結先を確認するが、雨樋の一部らしい。躊躇わず、アーミーナイフの鋸で切断し、全長60cmの塩ビの棒を入手した。片手で軽く振り回せる重さだった。鈍器としては大して役に立たないだろう。
 無秩序に放置されているゴミ袋の端から伸びている梱包用のビニール紐を4mほど回収し、鋏で切断する。エアコンの室外機の排気パイプに巻きつけてあるビニールテープを捲り、先ほど回収した塩ビパイプに巻き取る。
 これらは何に役に立つのか真樹にも解らない。単身で虎口に飛び込むのに幾らなんでも素手では不利だと突然思い出して、活用できそうな雑貨を集めているだけだ。
「!」
――――臭い!
――――煙草!
 正面の細い辻から微かに煙草の匂い。
 素早く屈んで3mの距離を走り抜け、足元に転がるジュースのアルミ缶を思いっきり踏みつけた。
 その軽く拉げる金属音を聞いたのか、待ち伏せていた男――似非ラッパーな服装に煙草を同時に2本咥えてる若い男――が飛び出して、ボクシングのクラウチングスタイルに似た構えを執るが、男の視界から消えるほど低く身構えていた真樹は、男の踏み出した右足とは反対側の軸足に塩ビパイプを捩じ込むように押し出して捻る。
 途端、バランスを崩された男はマサカリで切り倒される大木のように受身を取ることも出来ずにうつ伏せに体躯が沈む。
 間髪入れず、塩ビパイプを男の喉仏から頸部に宛がい梃子の原理で締め上げる。
 左腕を拉ぎ上げながら、右肩を右足で踏みつける。自分の体重のみを使う絞め技系捕縛術だ。膂力がなくとも使える。
 結果7、8秒間、男は腰を激しく揺さぶって下半身だけで脱出を試みたがやがて、ツェルマク・ヘーリング反射を起こして気を失う。ツェルマク・ヘーリング反射とは脳に循環する血流を鈍磨させて急速に失神する現象だ。
「……」
 素早く男の所持品を調べる。
 呆れたことに封を切っていない煙草が5個も出てきた。
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