第二話:「やがて始まる路地裏オペラ」
そんな美野里の仕草を愛でながら、平穏な日常を満喫している。
荒木田祐輔から貴重な情報を貰ったが今のところ、身辺に危険はない。だからといって美野里にも何らかの障害が発生している様子も感じられない。
ふと視線を左手首のタイメックス・エクスペディション・Eタイドテンプコンパスに落とす。
────あと10分で3時限目がおしまい、か……。
「あと10分で3時限目がおしまい、か……」
カシオのクロノグラフに視線を落としていた中柴和晃は咥え煙草のまま呟いた。
校舎の屋上、給水塔の陰で悪友とたむろしてニコチンの補給中だ。
悪友とつるんでいても心はここにはない。
今日まで高津八重子に関して彼の持つ限りの情報網を駆使して浚ったが、根拠に欠ける、或いは彼の理解の範疇に無い答えばかりがヒットした。
確実に高津八重子の脅威は円城真樹という生徒に伝わっている筈だが、何の動きも無い。高津八重子のアクションが不発に終わったのか円城真樹の肝が据わっているのか、丸で平行線を眺めているように接点が見当たらない。
自分の学校、曳いては自分のプラットホームで面白そうとも在り来たりともいえるイベントが発生しそうなのに手応えを感じない。
この一連の出来事が何らかの大事に到っても中柴自身は記事として書き立てるつもりは無い。唯の知的好奇心が働いているだけなのだ。「知りたい」「見守りたい」……簡単な動機。だが、怠惰なスクールライフに彩りを添えるには充分な甘い香り。
中柴和晃としての興味が見事に真っ二つに分かれているからこその憂鬱でもあった。
実力を韜晦しているとしか思えない素振りの円城真樹。
札付きのアタマを張っていながら昔気質な喧嘩屋・高津八重子。
果たして、毛色の違う両者が衝突するとすればどちらのフィールドでぶつかり合うのか? そして勝敗の行方は?
それともこれは自分が男だから勝負事に興味を持つだけで、一番だの最強だの無敵だのと言う単語に執着のない女性視点の競争では全く意味をなさない事柄なのか?
確かに、二人は魅力的だ。
性的にも好奇的にも興味が充分に惹かれる。
見てみろよ、あの胸と尻。
見てみろよ、あの可愛い顔。
見てみろよ、あの仕草。
この果実に肉欲の匂いを感じない男は真性のホモか治療不能のインポだ。
「……」
ポケットからリング綴じのメモ帳を取り出してページを捲ってみる。
ミミズかアリがのた打ち回っているような横の走り書きで埋め尽くされている。この文字は生憎と中柴にしか解読できない。中柴は携帯電話のテキスト機能やボイスメモを展開するよりも手帳に鉛筆で書き止めた方が遥かに早いのだ。
タブロイド的スクープの種。新聞屋の手帳。所謂、ブン帳だ。
中柴はどこぞやの新聞社や編集部で働きたいとは1パウンドも考えていないが、普段では見せることのない、人間の本性を少し覗いて「放送」して回るのが大好きなだけの噂好きだ。
元は新聞部の記事書き担当だったが、過激な表現と反体制な啓蒙活動で教師に弾圧されて学級新聞以下の制作費しか与えられていない第二新聞部に流れ着いた。第二新聞部は公明正大を謳い教師の顔色を窺う新聞部とは違い、学校内でも元から食み出し者が集まるアングラ活動部として認知されていた。文系で反体制でそれでも社会の枠で戦おうとする孤独な人間の集団のガス抜き場として、唯一認められたクラブだった。
言うなれば第二新聞部は集団生活や調和や協調性という言葉からドロップアウトした人間の療養所扱いだ。
幸いなことに第二新聞部では闘争心が掻き立てられ、メキメキと頭角を表し、「スクープ記者のエース」として君臨する。教師連中のおべんちゃらや太鼓持ちで部費を増額して貰う新聞部とは一線を画していた。その不公平な構図が今の中柴和晃を造り上げた。
その叩き上げの中柴のセンサーが今回の一件を感知したのだ。
初めは第二新聞部の1年生達の噂話から。
前々から円城真樹を単なるフォトジェニックとして眺めていた中柴は、実は彼女は何らかの才能……素質、特技、素養等言葉では巧く表現できない何かを持っていることに気が付き気になり始めていた。そこへ彼女絡みの噂話。単なる好奇心だけで噂話に乗っかると、この辺りの不良を束ねる高津八重子との明瞭でない話しに繋がった。
彼女の親友が拉致られた時、彼女が一人で救出したらしいと聞いて中柴の食指が激しく動いた。
「しかしなぁ……何も動いてないよなぁ。空振りか?」
短くなったピースフィルターを吐き捨て、爪先で蹂躙した。
喫煙の偽装工作のために買っておいた缶コーヒーを飲む。これで万が一、ニコチンに反応する試験紙を舐めさせられてもコーヒー色しか紙に乗らないのでニコチンを摂取していた事実が有耶無耶になる。
「……どっちでも良いから動いてくれよな」
顎先を掻いて呟いた時、3時限目の終了を報せるチャイムが鳴った。
※ ※ ※
「取り敢えず、今呼び出せる、腕の立つ奴を5人ほど揃えろ。大した数は要らない。ああ? お前らが油断しまくってたから9人も面揃えて伸されたんだろーが!」
高津八重子は苛立ちを隠そうともせずに後頭部を掻きながら携帯電話にがなり立てた。
場末のショットバーでの出来事だった。
ここは高津八重子一党のアジトとして使われているショットバーで、繁華街の路地裏に面した通りにある半地下の店舗だった。
店の名前は「アイリス」。可愛らしい名前とは裏腹に店内はメタルパンク調の内装で彩られ、二十歳未満の若年層が頻繁に出入りしていた。
この店を使うのは主に高津八重子率いる不良集団で、店主を始め、店員も真っ当な表街道を歩いている人間の顔をしていない。
店内の奥のボックス席で陣取っている集団が高津八重子と側近だ。
完全な実力主義の世界の住人である。
従って、高津八重子という人物も「物理的な暴力」ではこの中では最強の位置に君臨していることになる。
暴力にしか敬意を払えない能無し集団であると評価するだけなら簡単だが、そのごく限られた範疇で女の細腕でボスの座を守るとなると並々ならぬ度胸と腕っ節が必要だ。この集団を率いて博打を打つのは自由だが、必ず勝利しなければ途端に居心地の良い椅子は誰かに奪われる。
研ぎ澄ました刃の上を目隠しして笑いながら綱渡りする肝っ玉と何人であろうと一撃で打ち負かす解りやすい力の論理を極めていなければこれだけの数の社会不適格集団をまとめるのは難しい。
従って。
故に。
だからこそ。
彼女は神々しく美しい。
粗野で粗暴なポニーテールの天使。
勝利の女神がショットガンマリッジの末に産み落とした喧嘩番長。
荒んだ心を持っていても眼光は真っ直ぐで挫折を知らない。
刹那的快楽を実力主義の世界に見つけただけの悲しいだけの女なのかも知れない。
それでも彼女は征く。
どこの誰かは面識は無いが、噂を聞いて経験で判断するには奥ゆかしい性格の一般人が相手だ。
八重子が直接、手を下す前に、手勢の5人ほどを打ち倒すことも交すことも出来ない素人なら今夜限りで件の人物のことは忘れようと誓った。一般人を何百人もシメても何の箔にもならない。
「高津さん。お呼びで?」
荒木田祐輔から貴重な情報を貰ったが今のところ、身辺に危険はない。だからといって美野里にも何らかの障害が発生している様子も感じられない。
ふと視線を左手首のタイメックス・エクスペディション・Eタイドテンプコンパスに落とす。
────あと10分で3時限目がおしまい、か……。
「あと10分で3時限目がおしまい、か……」
カシオのクロノグラフに視線を落としていた中柴和晃は咥え煙草のまま呟いた。
校舎の屋上、給水塔の陰で悪友とたむろしてニコチンの補給中だ。
悪友とつるんでいても心はここにはない。
今日まで高津八重子に関して彼の持つ限りの情報網を駆使して浚ったが、根拠に欠ける、或いは彼の理解の範疇に無い答えばかりがヒットした。
確実に高津八重子の脅威は円城真樹という生徒に伝わっている筈だが、何の動きも無い。高津八重子のアクションが不発に終わったのか円城真樹の肝が据わっているのか、丸で平行線を眺めているように接点が見当たらない。
自分の学校、曳いては自分のプラットホームで面白そうとも在り来たりともいえるイベントが発生しそうなのに手応えを感じない。
この一連の出来事が何らかの大事に到っても中柴自身は記事として書き立てるつもりは無い。唯の知的好奇心が働いているだけなのだ。「知りたい」「見守りたい」……簡単な動機。だが、怠惰なスクールライフに彩りを添えるには充分な甘い香り。
中柴和晃としての興味が見事に真っ二つに分かれているからこその憂鬱でもあった。
実力を韜晦しているとしか思えない素振りの円城真樹。
札付きのアタマを張っていながら昔気質な喧嘩屋・高津八重子。
果たして、毛色の違う両者が衝突するとすればどちらのフィールドでぶつかり合うのか? そして勝敗の行方は?
それともこれは自分が男だから勝負事に興味を持つだけで、一番だの最強だの無敵だのと言う単語に執着のない女性視点の競争では全く意味をなさない事柄なのか?
確かに、二人は魅力的だ。
性的にも好奇的にも興味が充分に惹かれる。
見てみろよ、あの胸と尻。
見てみろよ、あの可愛い顔。
見てみろよ、あの仕草。
この果実に肉欲の匂いを感じない男は真性のホモか治療不能のインポだ。
「……」
ポケットからリング綴じのメモ帳を取り出してページを捲ってみる。
ミミズかアリがのた打ち回っているような横の走り書きで埋め尽くされている。この文字は生憎と中柴にしか解読できない。中柴は携帯電話のテキスト機能やボイスメモを展開するよりも手帳に鉛筆で書き止めた方が遥かに早いのだ。
タブロイド的スクープの種。新聞屋の手帳。所謂、ブン帳だ。
中柴はどこぞやの新聞社や編集部で働きたいとは1パウンドも考えていないが、普段では見せることのない、人間の本性を少し覗いて「放送」して回るのが大好きなだけの噂好きだ。
元は新聞部の記事書き担当だったが、過激な表現と反体制な啓蒙活動で教師に弾圧されて学級新聞以下の制作費しか与えられていない第二新聞部に流れ着いた。第二新聞部は公明正大を謳い教師の顔色を窺う新聞部とは違い、学校内でも元から食み出し者が集まるアングラ活動部として認知されていた。文系で反体制でそれでも社会の枠で戦おうとする孤独な人間の集団のガス抜き場として、唯一認められたクラブだった。
言うなれば第二新聞部は集団生活や調和や協調性という言葉からドロップアウトした人間の療養所扱いだ。
幸いなことに第二新聞部では闘争心が掻き立てられ、メキメキと頭角を表し、「スクープ記者のエース」として君臨する。教師連中のおべんちゃらや太鼓持ちで部費を増額して貰う新聞部とは一線を画していた。その不公平な構図が今の中柴和晃を造り上げた。
その叩き上げの中柴のセンサーが今回の一件を感知したのだ。
初めは第二新聞部の1年生達の噂話から。
前々から円城真樹を単なるフォトジェニックとして眺めていた中柴は、実は彼女は何らかの才能……素質、特技、素養等言葉では巧く表現できない何かを持っていることに気が付き気になり始めていた。そこへ彼女絡みの噂話。単なる好奇心だけで噂話に乗っかると、この辺りの不良を束ねる高津八重子との明瞭でない話しに繋がった。
彼女の親友が拉致られた時、彼女が一人で救出したらしいと聞いて中柴の食指が激しく動いた。
「しかしなぁ……何も動いてないよなぁ。空振りか?」
短くなったピースフィルターを吐き捨て、爪先で蹂躙した。
喫煙の偽装工作のために買っておいた缶コーヒーを飲む。これで万が一、ニコチンに反応する試験紙を舐めさせられてもコーヒー色しか紙に乗らないのでニコチンを摂取していた事実が有耶無耶になる。
「……どっちでも良いから動いてくれよな」
顎先を掻いて呟いた時、3時限目の終了を報せるチャイムが鳴った。
※ ※ ※
「取り敢えず、今呼び出せる、腕の立つ奴を5人ほど揃えろ。大した数は要らない。ああ? お前らが油断しまくってたから9人も面揃えて伸されたんだろーが!」
高津八重子は苛立ちを隠そうともせずに後頭部を掻きながら携帯電話にがなり立てた。
場末のショットバーでの出来事だった。
ここは高津八重子一党のアジトとして使われているショットバーで、繁華街の路地裏に面した通りにある半地下の店舗だった。
店の名前は「アイリス」。可愛らしい名前とは裏腹に店内はメタルパンク調の内装で彩られ、二十歳未満の若年層が頻繁に出入りしていた。
この店を使うのは主に高津八重子率いる不良集団で、店主を始め、店員も真っ当な表街道を歩いている人間の顔をしていない。
店内の奥のボックス席で陣取っている集団が高津八重子と側近だ。
完全な実力主義の世界の住人である。
従って、高津八重子という人物も「物理的な暴力」ではこの中では最強の位置に君臨していることになる。
暴力にしか敬意を払えない能無し集団であると評価するだけなら簡単だが、そのごく限られた範疇で女の細腕でボスの座を守るとなると並々ならぬ度胸と腕っ節が必要だ。この集団を率いて博打を打つのは自由だが、必ず勝利しなければ途端に居心地の良い椅子は誰かに奪われる。
研ぎ澄ました刃の上を目隠しして笑いながら綱渡りする肝っ玉と何人であろうと一撃で打ち負かす解りやすい力の論理を極めていなければこれだけの数の社会不適格集団をまとめるのは難しい。
従って。
故に。
だからこそ。
彼女は神々しく美しい。
粗野で粗暴なポニーテールの天使。
勝利の女神がショットガンマリッジの末に産み落とした喧嘩番長。
荒んだ心を持っていても眼光は真っ直ぐで挫折を知らない。
刹那的快楽を実力主義の世界に見つけただけの悲しいだけの女なのかも知れない。
それでも彼女は征く。
どこの誰かは面識は無いが、噂を聞いて経験で判断するには奥ゆかしい性格の一般人が相手だ。
八重子が直接、手を下す前に、手勢の5人ほどを打ち倒すことも交すことも出来ない素人なら今夜限りで件の人物のことは忘れようと誓った。一般人を何百人もシメても何の箔にもならない。
「高津さん。お呼びで?」