第二話:「やがて始まる路地裏オペラ」
「『三度炊く 飯さえ硬し 軟らかし 思うままには ならぬ世の中』って魯山人も言ってるわ。今更巻き戻せないコトをとやかく言っても仕方ないの」
真樹は席を立ち上がり、ガーデニングハンドブックを脇に挟むと、思い付いたように祐輔に振り返り、優しい笑顔を作りながらこう言った。
「有難う。今までで一番有意義な話しだったわ。新聞部の三文記事とは比べ物にならないくらいにね」
※ ※ ※
「そいつぁ、話が読めねぇなぁ」
私立北賀陽高校でも有数の悪名高いクラブの一つ。
第二新聞部。
主な活動はタブロイド紙を発行すること。面白おかしいネタとなるのであれば、深夜に、酔っ払ったPTA会長の立小便の後姿を撮影し続けたり、部費を稼ぐ名目で発刊した漫画同好会(研究部に非ず)の男性向け18禁同人誌の内容の殆どを紙面で公表したりと「悪評」は絶えない。
その第二新聞部の2年生にして副部長の中柴和晃(なかしば かずあき)はラフに着崩したブレザーの制服の内ポケットに手を突っ込んでクシャクシャに潰れたピースフィルターのソフトパックを取り出した。中身の、折れそうなまでに草臥れたピースフィルターを取り出すと一本口に咥えて、言葉を続けた。
「高津がウチの生徒一人を燻り出すのに態々、情報戦に持ち込んだ理由が見えねぇ」
荒い気性がそのまま容貌を形成する要因になったと言わんばかりの中柴の鋭い眼光が青褪めて横一列に並ぶ下っ端部員を一瞥した。
高津八重子は円城真樹を誘き出す作戦のつもりで動揺を誘わせたらしい。
それも嫌われ者集団の第二新聞部の部員に本命ともブラフとも思える揺さぶりだった。
頭を掻き毟りながら使い捨てライターで火を点す。ロッカー室と変わらない広さしかない第二新聞部部室に濃厚なピースフィルターの紫煙が充満する。
────高津という女の気性考えれば余りにも遠回りだ。
────その気になれば手勢を連れて直接学校に乗り込んで来ることも厭わない筈だが……。
────態々、信頼性に欠けるウチの部員に情報を撒き散らして……ちゃんと伝達できるか否かも解らないルートで揺さぶりを掛ける魂胆が読めねぇ。
「……少し、洗うか……」
中柴は独りごちた。特に美味いネタでは無かったが、詰まらないと切り捨てるには安くない情報だと勘が囁いたのだ。
※ ※ ※
「伸るか反るかは博打だね」
赤いポニーテールが揺れる。
高津八重子。
ウエーブの掛かったロングをポニーテールに纏めた女。
破千切れんばかりの豊かな胸を戒める赤いTシャツ、首にチョーカー。
右耳に垂れ下がるチェーン細工のピアス。
右手には手錠がモチーフのブレスレッド。
蓮っ葉に咥えるマルボロ。
腰の括れを必要以上に誇張する穴開きジーンズパンツ。
女性の持つ丸みを具現化させたような尻肉。
極めつけが、野性味を帯びた微妙な童顔。
女と少女の間を行く複雑な年頃を思わせるあどけなさが抜けきっていない。
身長160cmの体躯に宿る女の部分は充分に魅力的だが、性的魅力が必ずしも容貌と一致しているわけではなく、毎日を喧嘩で明け暮れる生粋の不良だった。
その、頭を使う面倒事を何より嫌う高津八重子という、今年19歳に成ったばかりの女は彼女なりに標的たる円城真樹なる人物を自分達のフィールドに引き摺り出したかったのだ。
八重子の取り巻き連中の話を聞く限りでは、真樹という少女は「頭の使い方を知っているらしい」。八重子の経験上、頭の回転より切れ味が鋭い人間の方が始末に悪い。解りやすく表現すれば、右脳が発達した本能的天才より知恵と知識の使いところを弁えた天然の方が怖いのだ。何が怖いかといえば、「怖いということを知っていることが怖い」。引き際と逃げ時を知っていてそのための経路も既に確保しており、尚且つ、追い駆ける人間の心理を逆に利用した周到さを併せ持つタイプが多い。
それらを総括して天才より天然が怖い。寧ろ、始末に困る。
ゆえに執った行動が、八重子的には博打気味な行動……天然が理解できない凡人以下の子供騙し。
無差別に餌をばら撒くのではなく、極限られた眉唾連中を用いて三面記事的情報を水面下で流布する。これならば喰い付く人間は限られる。発信源が高津八重子なら尚更振り分けられる。
幸い、八重子の取り巻きが先日、真樹の友人を通じて接触を持った。9人がたったの3分ほどで一方的に叩きのめされただけに終わった接触だったが、「何人か仲間を引き連れていた」だの「1日すれば痕も残らない怪我を負わされた」だのと情報の真偽を明確にするのが困難な程、奥ゆかしい性格の人物だと見た。
八重子は将棋や囲碁の先手を読み合うゲームは苦手だ。
出来ることなら今直ぐ乗り込んでガチのタイマンでカタを着けたいと願っている。
だが、八重子の経験が警鐘を打ち鳴らすのだ。
「真正面から喧嘩を仕掛けても絶対に勝てない」
だから、真樹自身が正面を向く方策を一考したのだ。
真樹に、「自分を狙っている何者かが居る。だから常に注意しろ」と、警告に似た宣戦布告を仕掛けたのだ。
頭の足りないことを自負する八重子には全くの博打だった。
「真正面から喧嘩を仕掛けても絶対に勝てない相手に真正面を向かせて思いっきり喧嘩をしたい」……それが全ての真意。捻りも謀りも無い。余人が聞けば出汁すら入っていない素うどんだ。
……故に、無用の混乱を招く結果になるのだが。
※ ※ ※
それから数日経過。6月初旬のこと。
中間テストも終わり、鬱陶しい梅雨到来。
この時期ともなると、折角教室内に設置されているエアコンの除湿機能を作動させろ云々で授業開始直後の5分ほどは教師と生徒の間で「微笑ましいコミュニケーション」が交換される。毎回のことながら、必ずと言って良いほど、生徒側は権力に挫かれるわけだが。
「蒸す……」
樋浦美野里のツインテールが元気なく項垂れている。不快指数の高さに真樹は口元をやや「ヘの字」に曲げて、教師が黒板でチョークを走らせている隙に前髪を分けてヘアピンで止める。乱暴な比較だが、中学生の夏休みに滞在したミシシッピーの森林の方が快適だ。元シールズという女性の教官からは「衛生に悪い。肌を見せるな! 精神衛生に悪い。男供に肌を見せるな!」とよく叱られたものだ。
「真樹ちゃーん。湿気と室温が苛めるよう。こんなんじゃ、地球の氷が全部溶けるよー」
と、書かれた紙切れが級友経由で窓際に座る美野里から送られてくる。
「……」
真樹もノートの最後のページを裂いてペンを走らせる。
「ゴメン。美野里までお願い」
隣の席に座る級友に片手拝みで紙切れを渡す。このような風景は珍しくないため、その級友もニコッと笑って頷くと幾つもの席を経由して美野里に真樹の紙切れが到着する。
「……んー」
思わず、素っ頓狂な声を挙げる美野里。
「え、そうなの!」
「なんじゃ! 樋浦!」
現国の男性教師がロイド眼鏡を光らせて美野里を一喝する。
「あ、何でもありませんス! どうぞお気になさらず」
顔を真っ赤にして慌てて首を横に振る。
美野里は「試算では地球上の氷が全て溶けたとしても、海水は今の1.7%しか増えない。と言っても水位は55m、高まる」と書かれた紙切れを後ろ手に隠した。
真樹は席を立ち上がり、ガーデニングハンドブックを脇に挟むと、思い付いたように祐輔に振り返り、優しい笑顔を作りながらこう言った。
「有難う。今までで一番有意義な話しだったわ。新聞部の三文記事とは比べ物にならないくらいにね」
※ ※ ※
「そいつぁ、話が読めねぇなぁ」
私立北賀陽高校でも有数の悪名高いクラブの一つ。
第二新聞部。
主な活動はタブロイド紙を発行すること。面白おかしいネタとなるのであれば、深夜に、酔っ払ったPTA会長の立小便の後姿を撮影し続けたり、部費を稼ぐ名目で発刊した漫画同好会(研究部に非ず)の男性向け18禁同人誌の内容の殆どを紙面で公表したりと「悪評」は絶えない。
その第二新聞部の2年生にして副部長の中柴和晃(なかしば かずあき)はラフに着崩したブレザーの制服の内ポケットに手を突っ込んでクシャクシャに潰れたピースフィルターのソフトパックを取り出した。中身の、折れそうなまでに草臥れたピースフィルターを取り出すと一本口に咥えて、言葉を続けた。
「高津がウチの生徒一人を燻り出すのに態々、情報戦に持ち込んだ理由が見えねぇ」
荒い気性がそのまま容貌を形成する要因になったと言わんばかりの中柴の鋭い眼光が青褪めて横一列に並ぶ下っ端部員を一瞥した。
高津八重子は円城真樹を誘き出す作戦のつもりで動揺を誘わせたらしい。
それも嫌われ者集団の第二新聞部の部員に本命ともブラフとも思える揺さぶりだった。
頭を掻き毟りながら使い捨てライターで火を点す。ロッカー室と変わらない広さしかない第二新聞部部室に濃厚なピースフィルターの紫煙が充満する。
────高津という女の気性考えれば余りにも遠回りだ。
────その気になれば手勢を連れて直接学校に乗り込んで来ることも厭わない筈だが……。
────態々、信頼性に欠けるウチの部員に情報を撒き散らして……ちゃんと伝達できるか否かも解らないルートで揺さぶりを掛ける魂胆が読めねぇ。
「……少し、洗うか……」
中柴は独りごちた。特に美味いネタでは無かったが、詰まらないと切り捨てるには安くない情報だと勘が囁いたのだ。
※ ※ ※
「伸るか反るかは博打だね」
赤いポニーテールが揺れる。
高津八重子。
ウエーブの掛かったロングをポニーテールに纏めた女。
破千切れんばかりの豊かな胸を戒める赤いTシャツ、首にチョーカー。
右耳に垂れ下がるチェーン細工のピアス。
右手には手錠がモチーフのブレスレッド。
蓮っ葉に咥えるマルボロ。
腰の括れを必要以上に誇張する穴開きジーンズパンツ。
女性の持つ丸みを具現化させたような尻肉。
極めつけが、野性味を帯びた微妙な童顔。
女と少女の間を行く複雑な年頃を思わせるあどけなさが抜けきっていない。
身長160cmの体躯に宿る女の部分は充分に魅力的だが、性的魅力が必ずしも容貌と一致しているわけではなく、毎日を喧嘩で明け暮れる生粋の不良だった。
その、頭を使う面倒事を何より嫌う高津八重子という、今年19歳に成ったばかりの女は彼女なりに標的たる円城真樹なる人物を自分達のフィールドに引き摺り出したかったのだ。
八重子の取り巻き連中の話を聞く限りでは、真樹という少女は「頭の使い方を知っているらしい」。八重子の経験上、頭の回転より切れ味が鋭い人間の方が始末に悪い。解りやすく表現すれば、右脳が発達した本能的天才より知恵と知識の使いところを弁えた天然の方が怖いのだ。何が怖いかといえば、「怖いということを知っていることが怖い」。引き際と逃げ時を知っていてそのための経路も既に確保しており、尚且つ、追い駆ける人間の心理を逆に利用した周到さを併せ持つタイプが多い。
それらを総括して天才より天然が怖い。寧ろ、始末に困る。
ゆえに執った行動が、八重子的には博打気味な行動……天然が理解できない凡人以下の子供騙し。
無差別に餌をばら撒くのではなく、極限られた眉唾連中を用いて三面記事的情報を水面下で流布する。これならば喰い付く人間は限られる。発信源が高津八重子なら尚更振り分けられる。
幸い、八重子の取り巻きが先日、真樹の友人を通じて接触を持った。9人がたったの3分ほどで一方的に叩きのめされただけに終わった接触だったが、「何人か仲間を引き連れていた」だの「1日すれば痕も残らない怪我を負わされた」だのと情報の真偽を明確にするのが困難な程、奥ゆかしい性格の人物だと見た。
八重子は将棋や囲碁の先手を読み合うゲームは苦手だ。
出来ることなら今直ぐ乗り込んでガチのタイマンでカタを着けたいと願っている。
だが、八重子の経験が警鐘を打ち鳴らすのだ。
「真正面から喧嘩を仕掛けても絶対に勝てない」
だから、真樹自身が正面を向く方策を一考したのだ。
真樹に、「自分を狙っている何者かが居る。だから常に注意しろ」と、警告に似た宣戦布告を仕掛けたのだ。
頭の足りないことを自負する八重子には全くの博打だった。
「真正面から喧嘩を仕掛けても絶対に勝てない相手に真正面を向かせて思いっきり喧嘩をしたい」……それが全ての真意。捻りも謀りも無い。余人が聞けば出汁すら入っていない素うどんだ。
……故に、無用の混乱を招く結果になるのだが。
※ ※ ※
それから数日経過。6月初旬のこと。
中間テストも終わり、鬱陶しい梅雨到来。
この時期ともなると、折角教室内に設置されているエアコンの除湿機能を作動させろ云々で授業開始直後の5分ほどは教師と生徒の間で「微笑ましいコミュニケーション」が交換される。毎回のことながら、必ずと言って良いほど、生徒側は権力に挫かれるわけだが。
「蒸す……」
樋浦美野里のツインテールが元気なく項垂れている。不快指数の高さに真樹は口元をやや「ヘの字」に曲げて、教師が黒板でチョークを走らせている隙に前髪を分けてヘアピンで止める。乱暴な比較だが、中学生の夏休みに滞在したミシシッピーの森林の方が快適だ。元シールズという女性の教官からは「衛生に悪い。肌を見せるな! 精神衛生に悪い。男供に肌を見せるな!」とよく叱られたものだ。
「真樹ちゃーん。湿気と室温が苛めるよう。こんなんじゃ、地球の氷が全部溶けるよー」
と、書かれた紙切れが級友経由で窓際に座る美野里から送られてくる。
「……」
真樹もノートの最後のページを裂いてペンを走らせる。
「ゴメン。美野里までお願い」
隣の席に座る級友に片手拝みで紙切れを渡す。このような風景は珍しくないため、その級友もニコッと笑って頷くと幾つもの席を経由して美野里に真樹の紙切れが到着する。
「……んー」
思わず、素っ頓狂な声を挙げる美野里。
「え、そうなの!」
「なんじゃ! 樋浦!」
現国の男性教師がロイド眼鏡を光らせて美野里を一喝する。
「あ、何でもありませんス! どうぞお気になさらず」
顔を真っ赤にして慌てて首を横に振る。
美野里は「試算では地球上の氷が全て溶けたとしても、海水は今の1.7%しか増えない。と言っても水位は55m、高まる」と書かれた紙切れを後ろ手に隠した。