第三話:「当然の事ながら、それはそれ」
真樹はその違和感を逸早く感知し、対策を練ろうと頭を巡らせたが美野里の手を引いて教室から出るという行動終了フェイズの方が早く廻って来たために、廊下に出るとすぐに美野里の手を離した。
教室から出るまでの短い距離では充分に対策を練ることが出来なかったのだ。
結果として、廊下に出て極自然に美野里の手を離した真樹は出来る限りの平静を保つことしか出来ないでいた。
「荒木田君も黙っていればハンサムなのにねー」
「あっ、うん。そうだね」
廊下に出て2時限目のチャイムが鳴るまで、大した時間はない。満足な立ち話も出来ないまま、あてもなく教室から出てきたので仕方がない。
2時限目の授業中、何度も左手に残った美野里の掌の感触を脳内で再生する。
視線を左掌に落として軽く握る。
――――何でかなー?
――――手を繋いだだけなのに。
――――情緒不安定が著しい。
特に意味もなく左手首のタイメックスに視線を振る。カレンダーが目に止まる。
「……」
――――月曜日なのにな……。
――――土曜日まではこんな気分じゃなかったのに。
真樹が座る窓際の席からはグラウンドの大半が臨める。
昨日――日曜日――の大雨で水捌けの悪いグランドは大きな水溜りを各所にこしらえている。午前中の体育の授業に当たったクラスの男子はこの水溜りをスポンジで吸い上げる作業要員として借り出される。勿論、体育の授業など、そっちのけだ。
――――何だか苦しいな。
黒板に視線を戻し羅列される数式をノートに取る。
「……」
矢張り、視線が美野里に向けられる。
彼女が振り向かない限り、どんな間違いが起きても後ろ姿しか見えないのに。
「!」
トレードマークのツインテールが揺れたと思ったら、「彼女が振り向いた」。
美野里は2秒程、真樹を心配そうに見詰める。
真樹は思わず無理した笑顔で手を小さく振る。
再び違和感。
美野里は可愛い。
確かに可愛いが、それは同性から見て友人としての「可愛い」だ。
性的嗜好や恋愛対象に見られる「可愛い」という感情ではない気がする。
あくまで、友人としての「可愛い」だ。
例えるなら、女の子らしくて可愛い服が似合って男子の支持が高くとも誰も異議を唱えない。……そんな典型的且つ客観的な可愛らしさ。
そういう可愛らしさなら今でも充分に感じられる。
愛情を持って常に手元に置いて愛でていたい……愛玩用小動物――マスコット的――な雰囲気は確かにある。
それではこの思いは何だ?
「……」
頭の中で「美野里にフリフリの可愛い服を着せて足元に侍らせている」絵面が浮かぶ。
余りの恥ずかしさに瞬間湯沸し器のごとく体温が上がり、頬が上気する。
左の頬を思いっ切り摘んで、捻る。
――――駄目!
――――美野里を汚しちゃ駄目!
自分の馬鹿馬鹿しい発想に渇を入れる。
その一方で、万が一……不可思議の果ての確率で美野里が自分を恋人として選んでくれたら、素直に受け入れるかも知れない……とも考える。
ぺしっ
今度は自分の額に自分でデコピン。
荒木田祐輔は頻繁に真樹を盗み見ていたが、真樹の挙動不審の原因と自身が覚えた違和感の正体を掴めずにいた。
奥歯にものが詰まった気持ち悪さ。
祐輔は出来るものならこれを機会にもっと真樹とお近づけになれたらと目論んでいたが、突破口は中々発見できない。
真樹の視線の先にいる美野里との関係性も不透明だ。
二人は唯の親友同士。経験と勘からしてどちらか一方、或いは両方が「そっち方面の嗜好」を持っているとは考え難い。その匂いすら感じられない。ワンランク下げた所で「仲の良い友達」だ。ワンランク上げた所で「女子同士で連れションに行く仲」でもないと思われる。
――――さて。
――――どうしたものかねぇ。
この観測を今後も続けるか否か考えあぐねていたところ、運悪く教師に見咎められて注意力散漫をチクチクと責め立てられる。
――――!
真樹がこっちを見ている。
だが、真樹の口はこう動いていた。
「ばーか」
「って! お前バカっつったよな!」
と祐輔は真樹に詰め寄ってやろうと休み時間になるなり、真樹の席まで来たのだが、不発に終わる。
――――う!
祐輔は必要以上に色っぽく潤んだ瞳で真樹に見詰められた。
「……」
「……」
無言。
――――ひ、卑怯な!
祐輔は思わず怯んだ。
毒舌やなじりで文句が返ってくるとばかり思っていたのにこの「仕打ち」は何だ! ……これが怯まずにいられようか?
――――クソ!
――――新手の迎撃システムか!
僅かに泪が浮かぶ秀麗な瞳に、物欲しそうに訴える可憐な唇。
今までに一度も見せたことがない色香が溢れ出ている。
少女というよりは女の貌。
流石に不安になってくる。
祐輔だけを養豚場の豚でも見るような目が、先程と打って変わって破壊力抜群なサービスで出迎えられたら……祐輔的にはドン引きだ。
嫌われて疎まれて会話が成立する仲だと信じて疑わなかったのに、180度……否、ぐるっと回って少しハミ出して365度くらいの対応だと継ぐ言葉が出てこない。
「あー。荒木田君。又、真樹ちゃんにちょっかい出してるー」
場違いな美野里の台詞が有り難い。
「なー。美野里ちゃん。真樹ちゃんがさぁ……」
「そんなところに立たれていても邪魔なんだけど」
「え?」
祐輔は改めて真樹を見るといつもの真樹がいた。
真樹は腕を組んで苛立ちを隠さず不快な顔で祐輔を睨んでいる。
「え? あ、ああ? ……スマン」
祐輔は錯覚でも見ていたのかと、目を擦りながら教室を出る。
「ん? 荒木田君、おかしかったね」
「それはいつもでしょ」
「……真樹ちゃん、どうしたの? 目が……」
美野里に言われて初めて真樹は目蓋を強く閉じた。
眉間を揉みながら言う。
「さっきの授業が……眠くてね。多分、半分目を開けながら寝てたかも」
「寝不足? 昨日、寝てないの?」
「んー。充分寝てはいたけど……」
――――!
真樹の記憶にフラッシュバック。
「邪魔……服も……肌も」
美野里は吐息混じりに呟くと……。
はっと、真樹は掌で顔面を叩く。
――――え?
――――何?
――――どこかで「見た」?
顔が赤くなる。心臓が跳ねる。全身の汗腺が開く感触。
今確かにはっきりとした映像が脳内で再生された。
瞬間的に映像は流れ去ったが、「確かに、真樹目線からの映像だった」。
唐突に席を立つと「顔を洗ってくる」と言い残してスタスタと教室を出た。
美野里の顔が直視できない。
何もかも放り出して逃げ出したい位に恥ずかしい。
何を思い出したのかは解らない。だが、どこかで見た一番印象的なチャプター。
美野里が目前で横たわり、乱れた制服でこちらを見ていた。
淫猥とは意味合いが違う性的な眼差しで真樹を慈しむ。
それでも何も変わらない可愛らしさ。
その美野里をもっと美しく乱れさせてあげたい衝動が湧き上がる……気分だった。
女子トイレに駆け込むなり、冷水で顔を洗い、思いっきり頬を叩く。
――――えー!
――――そんな!
――――何の願望?
鏡に映る困惑一色の自分を見つめる。
教室から出るまでの短い距離では充分に対策を練ることが出来なかったのだ。
結果として、廊下に出て極自然に美野里の手を離した真樹は出来る限りの平静を保つことしか出来ないでいた。
「荒木田君も黙っていればハンサムなのにねー」
「あっ、うん。そうだね」
廊下に出て2時限目のチャイムが鳴るまで、大した時間はない。満足な立ち話も出来ないまま、あてもなく教室から出てきたので仕方がない。
2時限目の授業中、何度も左手に残った美野里の掌の感触を脳内で再生する。
視線を左掌に落として軽く握る。
――――何でかなー?
――――手を繋いだだけなのに。
――――情緒不安定が著しい。
特に意味もなく左手首のタイメックスに視線を振る。カレンダーが目に止まる。
「……」
――――月曜日なのにな……。
――――土曜日まではこんな気分じゃなかったのに。
真樹が座る窓際の席からはグラウンドの大半が臨める。
昨日――日曜日――の大雨で水捌けの悪いグランドは大きな水溜りを各所にこしらえている。午前中の体育の授業に当たったクラスの男子はこの水溜りをスポンジで吸い上げる作業要員として借り出される。勿論、体育の授業など、そっちのけだ。
――――何だか苦しいな。
黒板に視線を戻し羅列される数式をノートに取る。
「……」
矢張り、視線が美野里に向けられる。
彼女が振り向かない限り、どんな間違いが起きても後ろ姿しか見えないのに。
「!」
トレードマークのツインテールが揺れたと思ったら、「彼女が振り向いた」。
美野里は2秒程、真樹を心配そうに見詰める。
真樹は思わず無理した笑顔で手を小さく振る。
再び違和感。
美野里は可愛い。
確かに可愛いが、それは同性から見て友人としての「可愛い」だ。
性的嗜好や恋愛対象に見られる「可愛い」という感情ではない気がする。
あくまで、友人としての「可愛い」だ。
例えるなら、女の子らしくて可愛い服が似合って男子の支持が高くとも誰も異議を唱えない。……そんな典型的且つ客観的な可愛らしさ。
そういう可愛らしさなら今でも充分に感じられる。
愛情を持って常に手元に置いて愛でていたい……愛玩用小動物――マスコット的――な雰囲気は確かにある。
それではこの思いは何だ?
「……」
頭の中で「美野里にフリフリの可愛い服を着せて足元に侍らせている」絵面が浮かぶ。
余りの恥ずかしさに瞬間湯沸し器のごとく体温が上がり、頬が上気する。
左の頬を思いっ切り摘んで、捻る。
――――駄目!
――――美野里を汚しちゃ駄目!
自分の馬鹿馬鹿しい発想に渇を入れる。
その一方で、万が一……不可思議の果ての確率で美野里が自分を恋人として選んでくれたら、素直に受け入れるかも知れない……とも考える。
ぺしっ
今度は自分の額に自分でデコピン。
荒木田祐輔は頻繁に真樹を盗み見ていたが、真樹の挙動不審の原因と自身が覚えた違和感の正体を掴めずにいた。
奥歯にものが詰まった気持ち悪さ。
祐輔は出来るものならこれを機会にもっと真樹とお近づけになれたらと目論んでいたが、突破口は中々発見できない。
真樹の視線の先にいる美野里との関係性も不透明だ。
二人は唯の親友同士。経験と勘からしてどちらか一方、或いは両方が「そっち方面の嗜好」を持っているとは考え難い。その匂いすら感じられない。ワンランク下げた所で「仲の良い友達」だ。ワンランク上げた所で「女子同士で連れションに行く仲」でもないと思われる。
――――さて。
――――どうしたものかねぇ。
この観測を今後も続けるか否か考えあぐねていたところ、運悪く教師に見咎められて注意力散漫をチクチクと責め立てられる。
――――!
真樹がこっちを見ている。
だが、真樹の口はこう動いていた。
「ばーか」
「って! お前バカっつったよな!」
と祐輔は真樹に詰め寄ってやろうと休み時間になるなり、真樹の席まで来たのだが、不発に終わる。
――――う!
祐輔は必要以上に色っぽく潤んだ瞳で真樹に見詰められた。
「……」
「……」
無言。
――――ひ、卑怯な!
祐輔は思わず怯んだ。
毒舌やなじりで文句が返ってくるとばかり思っていたのにこの「仕打ち」は何だ! ……これが怯まずにいられようか?
――――クソ!
――――新手の迎撃システムか!
僅かに泪が浮かぶ秀麗な瞳に、物欲しそうに訴える可憐な唇。
今までに一度も見せたことがない色香が溢れ出ている。
少女というよりは女の貌。
流石に不安になってくる。
祐輔だけを養豚場の豚でも見るような目が、先程と打って変わって破壊力抜群なサービスで出迎えられたら……祐輔的にはドン引きだ。
嫌われて疎まれて会話が成立する仲だと信じて疑わなかったのに、180度……否、ぐるっと回って少しハミ出して365度くらいの対応だと継ぐ言葉が出てこない。
「あー。荒木田君。又、真樹ちゃんにちょっかい出してるー」
場違いな美野里の台詞が有り難い。
「なー。美野里ちゃん。真樹ちゃんがさぁ……」
「そんなところに立たれていても邪魔なんだけど」
「え?」
祐輔は改めて真樹を見るといつもの真樹がいた。
真樹は腕を組んで苛立ちを隠さず不快な顔で祐輔を睨んでいる。
「え? あ、ああ? ……スマン」
祐輔は錯覚でも見ていたのかと、目を擦りながら教室を出る。
「ん? 荒木田君、おかしかったね」
「それはいつもでしょ」
「……真樹ちゃん、どうしたの? 目が……」
美野里に言われて初めて真樹は目蓋を強く閉じた。
眉間を揉みながら言う。
「さっきの授業が……眠くてね。多分、半分目を開けながら寝てたかも」
「寝不足? 昨日、寝てないの?」
「んー。充分寝てはいたけど……」
――――!
真樹の記憶にフラッシュバック。
「邪魔……服も……肌も」
美野里は吐息混じりに呟くと……。
はっと、真樹は掌で顔面を叩く。
――――え?
――――何?
――――どこかで「見た」?
顔が赤くなる。心臓が跳ねる。全身の汗腺が開く感触。
今確かにはっきりとした映像が脳内で再生された。
瞬間的に映像は流れ去ったが、「確かに、真樹目線からの映像だった」。
唐突に席を立つと「顔を洗ってくる」と言い残してスタスタと教室を出た。
美野里の顔が直視できない。
何もかも放り出して逃げ出したい位に恥ずかしい。
何を思い出したのかは解らない。だが、どこかで見た一番印象的なチャプター。
美野里が目前で横たわり、乱れた制服でこちらを見ていた。
淫猥とは意味合いが違う性的な眼差しで真樹を慈しむ。
それでも何も変わらない可愛らしさ。
その美野里をもっと美しく乱れさせてあげたい衝動が湧き上がる……気分だった。
女子トイレに駆け込むなり、冷水で顔を洗い、思いっきり頬を叩く。
――――えー!
――――そんな!
――――何の願望?
鏡に映る困惑一色の自分を見つめる。