第二話:「やがて始まる路地裏オペラ」
使い捨てライターが3個も有る。
武器らしいものはなかったが、この男の衣服を裂いて目隠し、猿轡をし、足首、手首を背後で縛り上げる。
3個の使い捨てライターを自分のポケットに捩じ込むと、指定された場所に向かって進軍を再開する。
――――……!
路地の奥まったところまで来ると不意に、足元を掬われる。
トラップの類を連想したが、何ということはない。錆びの酷い水栓弁のスチールの蓋を踏み抜いただけだった。
「……ん?」
脳裏に閃くものがある。
――――この場所……。
予想外に出来た足元の四角い穴と付近を交互に見渡す。
ポケットを探って先ほどのライターを手に取る。電気着火式が1つにフリント着火式が2つ。
その場に屈み込むと、350mlのジュースの空き缶をアーミーナイフの缶切りで円周に沿って切る。次にフリント着火式ライターの風防を慎重に爪鑢の先端と多機能プライヤーを用いて外す。建物の外壁の隅でゴミ同然に落ちている発泡スチロールの爪先ほどの粒を、付着している砂粒を払いながら拾い、丁寧に風防を外したライターのガス弁とフリント・ホイールの着火面に押し込む。
切除開封した空き缶に手早く風防を外したライターを放り込んで、塩ビパイプに巻いたビニールテープを捲り、直径1cmほどの接着面が外側を向いている小さな輪を作り、電気着火式ライター底部に貼り付けてそのまま、空き缶の内側底部と簡易的に接着する。
電気着火式ライターの着火ボタン上部にはコンクリの破片を乗せてビニールテープでしっかり固定する。コンクリ片だけが頭を出すようにして、残りの面的スペースはビニールテープで応急の蓋をする。
丁度、ビニールテープで蓋をされた空き缶の上部から小石が覗いている感じだ。
それを自分が踏み抜いた水栓弁のスペースに静かに置くと、少しずらして錆びの酷い蓋を慎重に置く。電動着火式ライターのコンクリ片が邪魔をして完全に元の状態に閉まらない。
――――早く!
早く行動を起こさないと、空き缶の中でフリント式ライターから漏れ出るガスが空き缶内で充満して爆発する恐れがある。
こんなに狭い路地――大人一人がやや半身で歩ける幅――でこれ以上望む材料は見当たらない。
「……緊急避難、だよね? ごめんなさい!」
違法建築物に違いないビルの外壁から50cm平米のブリキのトタンをアーミーナイフの栓抜きの先端に付属している5mm幅のマイナスドライバーで剥がし、地面に落とす。
「!」
遠くで互いを呼び合う男の声が聞こえる。
確認し合っているのは3、4人と推測できた。今し方、ブリキを派手に地面に落とした際の耳障りな金属音が呼び寄せたらしい。そのブリキを慌てて不完全な水栓弁の蓋の上に蔽い被せ、カモフラージュする。
ポケットティッシュを適当に裂いて丸めると、口中でよく咀嚼して充分な水分を吸わせる。感覚が奪われるので警戒面ではかなり危険だが、それで耳栓をする。
再び、塩ビパイプを手に取ると、路地を挟む両側のビル壁を派手に叩く。ブリキやアルミ板を釘で打ち付けただけの、雨を凌ぐことしか考えていない壁は必要以上なほど、良く反響した。見掛けの悪いシンバルを乱雑に叩いている感覚だ。
どれだけ必要なのかは全くの博打だが、残りのビニール紐を結わえ始める。
簡単なロープワークで、テグス結びを作り始める。本来なら滑りやすい釣り糸やビニール紐同士を強固に結ぶ方法だ。
ナイフで紐を50cm単位で切断し、切断した両端同士を重ねて、それぞれの端を緩くカタ結びする。つまり、カタ結び同士の間には完全に結ばれていない空間が出来ることになる。
これでビニール紐の一番端を思いっきり引けば、再び一本のビニール紐になる。
何人の敵を捕縛することができるか全く不明だが、計算通りに計略が進めば、少なくとも1人の自由を短時間束縛する事が出来る。
万が一に備えて1m50cmほどは温存しておく。敵の完全無力化が目的ではない。あくまで、人質奪還が最優先だ。
道すがら、闇討ちの人員を配置する連中をどこまで信用してもいいか知れたモノではない。
急造の耳栓で聴覚は頼りにならないが、夕陽が完全に埋没した暗闇の中、肌を刺す敵意の感触と外壁が僅かに震動する様子を用いて追撃してくる戦力を把握するのに務める。
本来なら既に真樹が到着していなければならない辺り……路地裏の最奥部から複数の気配。
踵を返し、自分がカモフラージュのためにブリキを敷いた位置から4m離れると、塩ビパイプを腹の辺りに挿し、両手にテグス結びの状態で待機しているビニール紐の端を持った。いつでもダッシュで駆けられるようにやや上体を屈めて右足を軽く前に出す。
最悪の場合は不発に終わる。
その時は離脱するしか選択肢は無い。
益々、美野里を危険な連中に抱き抱えさせることになる。
おぞましい想像ばかりが胸を掻き乱す。
鼓動が半鐘の如く喧しい。
――――慌てて解決するのなら幾らでも慌てろ! 馬鹿!
自戒の言葉を叩きつける。
自分一人の危険ならこの状況とは比べものにならないくらいに心は楽だろう。
白昼夢のような遊離感に目眩がする。
だから。
……だから。
『目前で起きた事態にも現実感が無かった。』
白いスーツを着た男が短ドスを腰の辺りに構えて突進してくる。
続いて禿頭に奇怪な刺青をした凶相の男が何事か喚きながら走ってくる。
――――ああ……。
――――失敗だぁ……。
――――離脱しなきゃ。
更に3人目の影がその後に目視出来て、次の選択に移らなければならないのに、真樹は呆けたままだ。
そんな真樹に、一瞬にして地面から噴出すオレンジ色彩が3人分の影を包み込んだなどとは判断できなかった。
自分が仕掛けた罠の完成度すらも幻想の一部に感じ取れるほどに意識と精神が混濁していた。
自分の鼻先10cmの辺りを白いスーツの男が自棄気味に振り下ろした短ドスの風圧を感じると体は勝手に動いた。やや遅れて意識がついてくる。
前のめりに崩れる白いスーツの男の左手首にテグス結びの輪を通し、その後で同じくつんのめって体勢を崩している禿頭の男の右足首にも輪を通した。
最後に尻餅を搗いている、鮫のような前歯をした男の両足首に輪を通す。
あれだけの爆発でも誰一人、傷ついてはいない。
小さな物音でも反響しやすい環境を利用して爆発音だけが派手なトラップを仕掛けた結果だ。
地面のブリキ板が完全に閉まらない水栓弁の蓋に圧力を掛けると、その下に僅かな力で着火ボタンが作動するようにセットした電気着火式ライターが火花を散らして空き缶内部で充満していたライターのガスに引火して派手な爆発を演出する。
空き缶に多数の釘でも巻きつけておけば殺傷力の有るブービートラップの出来上がりだ。
だが、攻撃により無力化する必要は全くない。
耳を聾して平衡器官を一瞬で狂わせる大音量があればいい。後はこの狭い路地に反響して爆発音は文字通り爆発的に拡散する。
顔面ピアスだらけの男は、鮫の歯の男の背中に突き飛ばされたか、背後で、頭をしきりに振っている。どうやら、音響攻撃より頭でも打ち付けて目の前に星が飛んでいるらしい。
「……今!」
一気にテグス結びの一端を引っ張る。解けることなく、確実に簡単なロープワークは用を足した。男達はそれぞれの手や足の要を瞬間的に拘束された。誰か一人が勝手に動けば連動して他の男の行動に支障が出る。
武器らしいものはなかったが、この男の衣服を裂いて目隠し、猿轡をし、足首、手首を背後で縛り上げる。
3個の使い捨てライターを自分のポケットに捩じ込むと、指定された場所に向かって進軍を再開する。
――――……!
路地の奥まったところまで来ると不意に、足元を掬われる。
トラップの類を連想したが、何ということはない。錆びの酷い水栓弁のスチールの蓋を踏み抜いただけだった。
「……ん?」
脳裏に閃くものがある。
――――この場所……。
予想外に出来た足元の四角い穴と付近を交互に見渡す。
ポケットを探って先ほどのライターを手に取る。電気着火式が1つにフリント着火式が2つ。
その場に屈み込むと、350mlのジュースの空き缶をアーミーナイフの缶切りで円周に沿って切る。次にフリント着火式ライターの風防を慎重に爪鑢の先端と多機能プライヤーを用いて外す。建物の外壁の隅でゴミ同然に落ちている発泡スチロールの爪先ほどの粒を、付着している砂粒を払いながら拾い、丁寧に風防を外したライターのガス弁とフリント・ホイールの着火面に押し込む。
切除開封した空き缶に手早く風防を外したライターを放り込んで、塩ビパイプに巻いたビニールテープを捲り、直径1cmほどの接着面が外側を向いている小さな輪を作り、電気着火式ライター底部に貼り付けてそのまま、空き缶の内側底部と簡易的に接着する。
電気着火式ライターの着火ボタン上部にはコンクリの破片を乗せてビニールテープでしっかり固定する。コンクリ片だけが頭を出すようにして、残りの面的スペースはビニールテープで応急の蓋をする。
丁度、ビニールテープで蓋をされた空き缶の上部から小石が覗いている感じだ。
それを自分が踏み抜いた水栓弁のスペースに静かに置くと、少しずらして錆びの酷い蓋を慎重に置く。電動着火式ライターのコンクリ片が邪魔をして完全に元の状態に閉まらない。
――――早く!
早く行動を起こさないと、空き缶の中でフリント式ライターから漏れ出るガスが空き缶内で充満して爆発する恐れがある。
こんなに狭い路地――大人一人がやや半身で歩ける幅――でこれ以上望む材料は見当たらない。
「……緊急避難、だよね? ごめんなさい!」
違法建築物に違いないビルの外壁から50cm平米のブリキのトタンをアーミーナイフの栓抜きの先端に付属している5mm幅のマイナスドライバーで剥がし、地面に落とす。
「!」
遠くで互いを呼び合う男の声が聞こえる。
確認し合っているのは3、4人と推測できた。今し方、ブリキを派手に地面に落とした際の耳障りな金属音が呼び寄せたらしい。そのブリキを慌てて不完全な水栓弁の蓋の上に蔽い被せ、カモフラージュする。
ポケットティッシュを適当に裂いて丸めると、口中でよく咀嚼して充分な水分を吸わせる。感覚が奪われるので警戒面ではかなり危険だが、それで耳栓をする。
再び、塩ビパイプを手に取ると、路地を挟む両側のビル壁を派手に叩く。ブリキやアルミ板を釘で打ち付けただけの、雨を凌ぐことしか考えていない壁は必要以上なほど、良く反響した。見掛けの悪いシンバルを乱雑に叩いている感覚だ。
どれだけ必要なのかは全くの博打だが、残りのビニール紐を結わえ始める。
簡単なロープワークで、テグス結びを作り始める。本来なら滑りやすい釣り糸やビニール紐同士を強固に結ぶ方法だ。
ナイフで紐を50cm単位で切断し、切断した両端同士を重ねて、それぞれの端を緩くカタ結びする。つまり、カタ結び同士の間には完全に結ばれていない空間が出来ることになる。
これでビニール紐の一番端を思いっきり引けば、再び一本のビニール紐になる。
何人の敵を捕縛することができるか全く不明だが、計算通りに計略が進めば、少なくとも1人の自由を短時間束縛する事が出来る。
万が一に備えて1m50cmほどは温存しておく。敵の完全無力化が目的ではない。あくまで、人質奪還が最優先だ。
道すがら、闇討ちの人員を配置する連中をどこまで信用してもいいか知れたモノではない。
急造の耳栓で聴覚は頼りにならないが、夕陽が完全に埋没した暗闇の中、肌を刺す敵意の感触と外壁が僅かに震動する様子を用いて追撃してくる戦力を把握するのに務める。
本来なら既に真樹が到着していなければならない辺り……路地裏の最奥部から複数の気配。
踵を返し、自分がカモフラージュのためにブリキを敷いた位置から4m離れると、塩ビパイプを腹の辺りに挿し、両手にテグス結びの状態で待機しているビニール紐の端を持った。いつでもダッシュで駆けられるようにやや上体を屈めて右足を軽く前に出す。
最悪の場合は不発に終わる。
その時は離脱するしか選択肢は無い。
益々、美野里を危険な連中に抱き抱えさせることになる。
おぞましい想像ばかりが胸を掻き乱す。
鼓動が半鐘の如く喧しい。
――――慌てて解決するのなら幾らでも慌てろ! 馬鹿!
自戒の言葉を叩きつける。
自分一人の危険ならこの状況とは比べものにならないくらいに心は楽だろう。
白昼夢のような遊離感に目眩がする。
だから。
……だから。
『目前で起きた事態にも現実感が無かった。』
白いスーツを着た男が短ドスを腰の辺りに構えて突進してくる。
続いて禿頭に奇怪な刺青をした凶相の男が何事か喚きながら走ってくる。
――――ああ……。
――――失敗だぁ……。
――――離脱しなきゃ。
更に3人目の影がその後に目視出来て、次の選択に移らなければならないのに、真樹は呆けたままだ。
そんな真樹に、一瞬にして地面から噴出すオレンジ色彩が3人分の影を包み込んだなどとは判断できなかった。
自分が仕掛けた罠の完成度すらも幻想の一部に感じ取れるほどに意識と精神が混濁していた。
自分の鼻先10cmの辺りを白いスーツの男が自棄気味に振り下ろした短ドスの風圧を感じると体は勝手に動いた。やや遅れて意識がついてくる。
前のめりに崩れる白いスーツの男の左手首にテグス結びの輪を通し、その後で同じくつんのめって体勢を崩している禿頭の男の右足首にも輪を通した。
最後に尻餅を搗いている、鮫のような前歯をした男の両足首に輪を通す。
あれだけの爆発でも誰一人、傷ついてはいない。
小さな物音でも反響しやすい環境を利用して爆発音だけが派手なトラップを仕掛けた結果だ。
地面のブリキ板が完全に閉まらない水栓弁の蓋に圧力を掛けると、その下に僅かな力で着火ボタンが作動するようにセットした電気着火式ライターが火花を散らして空き缶内部で充満していたライターのガスに引火して派手な爆発を演出する。
空き缶に多数の釘でも巻きつけておけば殺傷力の有るブービートラップの出来上がりだ。
だが、攻撃により無力化する必要は全くない。
耳を聾して平衡器官を一瞬で狂わせる大音量があればいい。後はこの狭い路地に反響して爆発音は文字通り爆発的に拡散する。
顔面ピアスだらけの男は、鮫の歯の男の背中に突き飛ばされたか、背後で、頭をしきりに振っている。どうやら、音響攻撃より頭でも打ち付けて目の前に星が飛んでいるらしい。
「……今!」
一気にテグス結びの一端を引っ張る。解けることなく、確実に簡単なロープワークは用を足した。男達はそれぞれの手や足の要を瞬間的に拘束された。誰か一人が勝手に動けば連動して他の男の行動に支障が出る。