淑女ならざる者の脳科学
右眼窩に38口径の弾頭が叩き込まれたのだ。
自分の戦果を目視で確認するのもそこそこにする。銃声が一つ消えた。
あと2人。
奇妙……違和感とは違う。何かが噛み合っていない。シャツのボタンを一つ掛け違えたような……そんな奇妙な感覚だ。
美妙は牽制射撃はできるだけ避けたかった。
予備の断薬が心許ないだけではない。
再装填のロスが発生する事態はできるだけ少なくしたかった。所謂、リボルバー拳銃故に、大量の弾頭をばらまくようには設計されていない。
「……まいった」
一応、左手の小指と薬指の間に予備のスピードローダーを挟んで待機させる。
遮蔽にしている商用バンが悲鳴を上げる。被弾する度にボディにベコっと大きな孔が開く。
タイヤがパンクさせられたらしく、車体が左前方に傾斜している。
「ああ……」
奇妙な感覚の正体が分かる。強すぎる違和感の正体が分かる。
連中はここで足止めするためだけに雇われた使い捨てだ。放逐された何処かの三下か、少々腕に覚えの有る半グレだろう。
ふと、心が軽くなる。それは殺害するのに呵責の念を抱かずに済むという人間らしい血の通った思考ではなく、敵の正体が不明なれど、敵の思惑が判明しそうだったからだ。
―――連中は私の力量を測るために雇われただけの尖兵だ。
アストラリボルバーの銃口がすうっと左手側に移動し、ビルの室外機や停車している車を遮蔽にして移動を繰り返していた影の一つに狙いを定めると、ダブルアクションの引き金を硬く引き絞った。
2発目の38口径が弾き出された。
標的に吸い込まれるように38口径の熱い弾頭が叩き込まれ、その被害者は体を二つに折ってその場に倒れる。
残存するもう一人は散発的な射撃を繰り返して後退する。
実に分かりやすい撤退目的の牽制射撃だ。
美妙は銃口の向きと視線の向きを一致させたまま、遮蔽としている商用バンの陰から警戒しながら出てきて、更に辺りを広く大きく警戒する。
自身がビルの直下やビルの屋上の直線上に立っていないかを特に警戒する。
自分が狙撃手の狙撃ポイントに追い込まれたのか、狙撃種が狙撃しやすいようにここで足止めさせられていたのかを真っ先に注視した。
この業界では夜間専門の狙撃手も存在する。
―――さては……『誰かに目をつけられたな』……。
仕返しや復讐やお礼参りではない、それは違うと経験と勘が囁く。
ビルの谷間を抜ける強い風が足元から這い上がってくるのを今更ながらに強く感じる。
相棒のアストラを左脇に滑り込ませると、投げ捨てたトートバッグを回収してビル群裏の路地を伝いながら小走りに夜陰に消える。
※ ※ ※
翌日の早朝。午前4時。昨夜の襲撃に関して報告を勤め先にメールで入電したまま就寝。その数時間後に枕元のスマートフォンがバイブレーションで着信を知らせている音で目が覚めた。
まだ寝ぼけ頭の美妙は眉間に皺を寄せながら無言で眠気の抗議を訴える。
「はい……平木です」
電話の相手は自分の書類上の上司だった。昨夜の美妙の報告から、同じフロアで勤務している『名前のない部署』の社員や関係者が次々と襲撃されて何名かは死傷し、『自主退職』扱いとなった。
まだ組織上層部としての見解は発表されていないが、本日中にも何らかの表明が有るとのことで本日は『勤め先』は臨時休業だと伝えられた。
話を聞けば聞くほど、不可解。
襲撃者の意図が読めないのだ。目的は分かる。『名前のない部署』の人間に挑発を仕掛けている。その挑発を仕掛ける意味は? 自分から態々、大手組織に喰いついて面倒を引き起こそうとする意味が理解できない。
少し前なら……経営戦略が纏まっていないほどの昔なら、まだ玉石混交で海千山千で跳梁跋扈で戦国乱世だった時代なら……。
その頃なら、相手の戦力を削ぐために弱小同士が、主力に予備兵力をぶつけて神経を削らせて時間も体力も摩耗させる戦術が度々使われていた。
だが今は……もうそんな時代ではない。そんな戦術は時代遅れになっている。
子犬のような組織が強大な狼のような組織や狐のように賢い組織に噛みついたり吠えたりしたところで、大金で雇われた情報屋を使われてあっという間に身元がばれて叩き潰されてしまう。
生き残った『名前のない部署』の社員は悉く、「組織だった動きは感じられない」「射殺体から身元を割り出しても、その日暮らしのためにコロシをする雑魚」だと証言している。
それは美妙も同じだった。
美妙に確実な止めを刺す機会は幾らでも有った。特に商用バンの陰で潜んでいた時などは、背後から……ビルの屋上や窓から狙撃されれば抵抗のしようがない。
分かり易い尾行で細い路地に追い込んでの襲撃。
どう考えても、明確な殺意が感じられない。
殺意を持つ人間の手段ではない。
探られている予感は当たっていた。
眠い頭には辛い難問が押し寄せる。眉間にさらに皺を寄せて眠気を耐える。欠伸を嚙み殺す。次々と報告される内容とその傾向。それに自身の経験と勘が自動的に加味されて問題の主題を洗い出そうとする。
一種のバイアス。
人間はあるがままの、そのままを正確に見て伝える事は出来ない。
自分と言う個性のフィルターを通過させた情報の残滓だからだ。
スマートフォン越しに伝えられる情報を、まだ完全に眠気から起動していない脳内の思考と記憶に関する組織が結合して火花を散らそうとする。人間の脳味噌の神経の糸は電子顕微鏡で見ないと分からない程に細い。しかも伸びる速度は精子が卵子に到達するよりも遅い。
美妙はスマートフォンを左耳に当てたまま、のそりと起き上がってキッチンに行くと、片手で電気ケトルで湯を沸かす。
頭が回転していない。
昨夜の鉄火場で非常に昂った神経を抑えるために睡眠薬を飲んで寝たのが原因だ。睡眠薬は短時間型なので直ぐに効能は半減期を迎えるがその後の副作用が億劫だった。彼女の場合の副作用は倦怠感と思考鈍麻だ。
眠気なのか睡眠薬の副作用なのかどうでもいい。直ぐに頭脳を叩き起こさなければ。
スマートフォンの向こうの人物は次々と報告を読み上げる。総括すると注意警戒を怠るな、に集約される。
美妙は電気ケトルで湯を沸かしながらも待ち時間中に10インチの電子メモパッドにスタイラスペンを走らせて通話の要点をメモしていた。彼女は普段から電子メモパッドを多用している。自宅内のあらゆる場所に同じモデルが置かれている。情報は逃がしたくない。然し、残してはいけない情報だらけなので瞬間的に全てを消せて復元も不可能なそれは実に有用な文具だった。
スマートフォンからの入電は終了し、左耳から引き剝がす。空いた手を手持ち無沙汰にさせずにドリップパックコーヒーを愛用のコーヒーカップにセットして沸いた湯を淹れる。
寝ぼけ頭だったので間違えて『温存していた高級な珈琲』を開封していたようだ。
少し顔を顰める。心の中で舌打ち。
電子メモパッドに視線を向けながら淹れたばかりのコーヒーを飲む。
舌と唇を焼きそうな熱さが威勢よく神経を叩き起こしてくれる。
自分の戦果を目視で確認するのもそこそこにする。銃声が一つ消えた。
あと2人。
奇妙……違和感とは違う。何かが噛み合っていない。シャツのボタンを一つ掛け違えたような……そんな奇妙な感覚だ。
美妙は牽制射撃はできるだけ避けたかった。
予備の断薬が心許ないだけではない。
再装填のロスが発生する事態はできるだけ少なくしたかった。所謂、リボルバー拳銃故に、大量の弾頭をばらまくようには設計されていない。
「……まいった」
一応、左手の小指と薬指の間に予備のスピードローダーを挟んで待機させる。
遮蔽にしている商用バンが悲鳴を上げる。被弾する度にボディにベコっと大きな孔が開く。
タイヤがパンクさせられたらしく、車体が左前方に傾斜している。
「ああ……」
奇妙な感覚の正体が分かる。強すぎる違和感の正体が分かる。
連中はここで足止めするためだけに雇われた使い捨てだ。放逐された何処かの三下か、少々腕に覚えの有る半グレだろう。
ふと、心が軽くなる。それは殺害するのに呵責の念を抱かずに済むという人間らしい血の通った思考ではなく、敵の正体が不明なれど、敵の思惑が判明しそうだったからだ。
―――連中は私の力量を測るために雇われただけの尖兵だ。
アストラリボルバーの銃口がすうっと左手側に移動し、ビルの室外機や停車している車を遮蔽にして移動を繰り返していた影の一つに狙いを定めると、ダブルアクションの引き金を硬く引き絞った。
2発目の38口径が弾き出された。
標的に吸い込まれるように38口径の熱い弾頭が叩き込まれ、その被害者は体を二つに折ってその場に倒れる。
残存するもう一人は散発的な射撃を繰り返して後退する。
実に分かりやすい撤退目的の牽制射撃だ。
美妙は銃口の向きと視線の向きを一致させたまま、遮蔽としている商用バンの陰から警戒しながら出てきて、更に辺りを広く大きく警戒する。
自身がビルの直下やビルの屋上の直線上に立っていないかを特に警戒する。
自分が狙撃手の狙撃ポイントに追い込まれたのか、狙撃種が狙撃しやすいようにここで足止めさせられていたのかを真っ先に注視した。
この業界では夜間専門の狙撃手も存在する。
―――さては……『誰かに目をつけられたな』……。
仕返しや復讐やお礼参りではない、それは違うと経験と勘が囁く。
ビルの谷間を抜ける強い風が足元から這い上がってくるのを今更ながらに強く感じる。
相棒のアストラを左脇に滑り込ませると、投げ捨てたトートバッグを回収してビル群裏の路地を伝いながら小走りに夜陰に消える。
※ ※ ※
翌日の早朝。午前4時。昨夜の襲撃に関して報告を勤め先にメールで入電したまま就寝。その数時間後に枕元のスマートフォンがバイブレーションで着信を知らせている音で目が覚めた。
まだ寝ぼけ頭の美妙は眉間に皺を寄せながら無言で眠気の抗議を訴える。
「はい……平木です」
電話の相手は自分の書類上の上司だった。昨夜の美妙の報告から、同じフロアで勤務している『名前のない部署』の社員や関係者が次々と襲撃されて何名かは死傷し、『自主退職』扱いとなった。
まだ組織上層部としての見解は発表されていないが、本日中にも何らかの表明が有るとのことで本日は『勤め先』は臨時休業だと伝えられた。
話を聞けば聞くほど、不可解。
襲撃者の意図が読めないのだ。目的は分かる。『名前のない部署』の人間に挑発を仕掛けている。その挑発を仕掛ける意味は? 自分から態々、大手組織に喰いついて面倒を引き起こそうとする意味が理解できない。
少し前なら……経営戦略が纏まっていないほどの昔なら、まだ玉石混交で海千山千で跳梁跋扈で戦国乱世だった時代なら……。
その頃なら、相手の戦力を削ぐために弱小同士が、主力に予備兵力をぶつけて神経を削らせて時間も体力も摩耗させる戦術が度々使われていた。
だが今は……もうそんな時代ではない。そんな戦術は時代遅れになっている。
子犬のような組織が強大な狼のような組織や狐のように賢い組織に噛みついたり吠えたりしたところで、大金で雇われた情報屋を使われてあっという間に身元がばれて叩き潰されてしまう。
生き残った『名前のない部署』の社員は悉く、「組織だった動きは感じられない」「射殺体から身元を割り出しても、その日暮らしのためにコロシをする雑魚」だと証言している。
それは美妙も同じだった。
美妙に確実な止めを刺す機会は幾らでも有った。特に商用バンの陰で潜んでいた時などは、背後から……ビルの屋上や窓から狙撃されれば抵抗のしようがない。
分かり易い尾行で細い路地に追い込んでの襲撃。
どう考えても、明確な殺意が感じられない。
殺意を持つ人間の手段ではない。
探られている予感は当たっていた。
眠い頭には辛い難問が押し寄せる。眉間にさらに皺を寄せて眠気を耐える。欠伸を嚙み殺す。次々と報告される内容とその傾向。それに自身の経験と勘が自動的に加味されて問題の主題を洗い出そうとする。
一種のバイアス。
人間はあるがままの、そのままを正確に見て伝える事は出来ない。
自分と言う個性のフィルターを通過させた情報の残滓だからだ。
スマートフォン越しに伝えられる情報を、まだ完全に眠気から起動していない脳内の思考と記憶に関する組織が結合して火花を散らそうとする。人間の脳味噌の神経の糸は電子顕微鏡で見ないと分からない程に細い。しかも伸びる速度は精子が卵子に到達するよりも遅い。
美妙はスマートフォンを左耳に当てたまま、のそりと起き上がってキッチンに行くと、片手で電気ケトルで湯を沸かす。
頭が回転していない。
昨夜の鉄火場で非常に昂った神経を抑えるために睡眠薬を飲んで寝たのが原因だ。睡眠薬は短時間型なので直ぐに効能は半減期を迎えるがその後の副作用が億劫だった。彼女の場合の副作用は倦怠感と思考鈍麻だ。
眠気なのか睡眠薬の副作用なのかどうでもいい。直ぐに頭脳を叩き起こさなければ。
スマートフォンの向こうの人物は次々と報告を読み上げる。総括すると注意警戒を怠るな、に集約される。
美妙は電気ケトルで湯を沸かしながらも待ち時間中に10インチの電子メモパッドにスタイラスペンを走らせて通話の要点をメモしていた。彼女は普段から電子メモパッドを多用している。自宅内のあらゆる場所に同じモデルが置かれている。情報は逃がしたくない。然し、残してはいけない情報だらけなので瞬間的に全てを消せて復元も不可能なそれは実に有用な文具だった。
スマートフォンからの入電は終了し、左耳から引き剝がす。空いた手を手持ち無沙汰にさせずにドリップパックコーヒーを愛用のコーヒーカップにセットして沸いた湯を淹れる。
寝ぼけ頭だったので間違えて『温存していた高級な珈琲』を開封していたようだ。
少し顔を顰める。心の中で舌打ち。
電子メモパッドに視線を向けながら淹れたばかりのコーヒーを飲む。
舌と唇を焼きそうな熱さが威勢よく神経を叩き起こしてくれる。
