淑女ならざる者の脳科学

 38口径のジャケッテッドホローポイント弾が美妙の右手側斜め30m前方の位置に有る木製パレットを積み上げただけの遮蔽の隙間に飛び込んで、その向こうで肉袋が水分を撒き散らしながらドサリと落ちる音がした。
 背後で滴る水音。先ほど、キャットウォークで仕留めた死体の頭部から漏れ出る脳漿が混じった血液が小さな滝を呈している。
 連なる銃声が急に沈黙する。
 最終的に死体さえ確認すればいいのでこの場に潜む全員を殺害すればいい。
 能面のように表情が無い美妙は一歩二歩と前方に歩き出した。
 気配を元に、銃火が閃いた位置や気配が走る方向、自分が移動した場所を計算してゆらりゆらりと歩く。
 時折、躓いたように大きく右へ左へと移動する。
 その移動した位置こそが潜む連中からは死角になっている部分だった。
 屋内での鉄火場は開けているから必ずしも危険とは限らない。攻撃者が自身を隠している遮蔽物が、遮蔽物同士が邪魔をして標的を見失うこともあるのだ。
 基本的に屋内での銃撃戦は陣取りゲームだ。
 軍隊や警察の室内戦闘術にしてもクリアリングは陣取りを念頭に考案されている。
「……3人。5……いや、計6人……4人かと思った」
 独りごちる。
 これだけの銃声で耳鳴りが酷いであろう連中の喉を鳴らす音が聞こえた。
 美妙は特殊なウレタンで耳栓をしているので鼓膜を酷く損傷する危険性はない。
 背中や頭部を脱力させて神経を尖らせる。背中や頭部に備えられている人間本来のセンサーは【最後に残された野生】の一つとも言われ、直感や第六感に直結していると言われている。
 そのセンサーが感じたものは判別不能の違和感であっても、自らの命の危険を報せる前兆である場合が多い。
 背中と頭部のセンサーが拾った情報を経験と勘を加えて修正する。
 ―――動いた!
 右手にだらりと提げていたアストラカデックス384の銃口を左脇に突っ込んで発砲する。
 ウシガエルを踏み潰したような悲鳴を挙げて影の中で男と思しき人物が背後で大の字になって仰向けにゆっくりと倒れる。
 計算し直して3人だと判明した連中が一斉に拳銃を乱射する。
 この廃工場に踏み込んだ時に嫌な気がした理由はそれだ。
 必ず伏兵を潜ませているに違いない。予め入手している情報とズレがあるに違いないといつも肝に銘じている。
 その予感が当たったのだ。
 この廃工場には4人しか潜んでいないと聞いていたし、踏み込んだ時もそう思っていたが、一歩深く踏み込んだ時に違和感を覚えたのだ。
 6人居る。厳密には3人倒したので残り3人。尚も乱射に近い銃撃を浴びせてくるのを鑑みると、警護すべき対象である、今夜の標的は無傷なようだ。少なくとも1人は生きている。
 美妙は幽霊のようにゆらりと移動を繰り返す。遮蔽の影。射線の直上。キャットウォークの直下……。彼女を追う銃弾は惜しくも衣服一枚の差で躱されてしまう。
 彼女は相棒の拳銃、アストラカデックス384のサムピースを押してシリンダーを開放した。撃痕が有る3個の空薬莢を捨てて新しい実包を3発、薬室に装填する。
 今はもう製造されていない骨董品に近いリボルバー拳銃。アストラカデックス384。
 38口径で4インチ銃身故に名前が384なのだ。同列のモデルで22口径で2インチ銃身だからアストラカデックス222と言う名のスナブノーズも存在する。
 S&W M10に影響を受けたメカニズムとデザイン。大きな差異は精密な射撃に向いたサイトを搭載していることだが、発売当初、工作精度は今一つで命中精度もセールスポイントを掲げられるほどに大きなものではなかった。
 12年前に美妙が処刑現場で検分役の一人にスカウトされた時に、直前に差し出されていた拳銃がコルトガバメントなら今は1911を使っていただろうし、トカレフならトカレフクローンを使っていただろう。
 自分の師匠と同じ38口径を使う輪胴式というだけで使っている。更に言うなら師匠のS&W M36もその当時では充分に骨董品だった。自分も師匠に倣って同じ骨董品を使ってみたくなったのだ。
 性能などどうでもいい。
 自分を鼓舞する何かを秘めているか否かが大事だ。モチベーションが上がる、何かが有るか否かだ。
 国内で激しい市街戦や掃討戦は展開されようはずがない。
 今は……これ――アストラカデックス384――で十分だ。
 鼓動が少し五月蝿い。アドレナリンが軽く沸騰している。
 相手は自分よりも格下の腕前だが、技術を競うためにこの場にいるのではない。
 ゆらり。
 美妙は爪先を地面に固定させたまま、足腰のバネで上半身を揺らす。
 放置された紡績の資材の遮蔽に体を半分潜めた状態。
 連中の乱射に再装填のロスができる。
 この機会を待っていた。
 迷わず……文字通り、雑念や邪念や宗教的意味合いの迷いを感じさせない真っ直ぐな双眸で発砲。
 3発。
 銃声が3つ連なる。
 肉袋が弾ける悍ましい音が聞こえた。
 紫電の速さで銃口が3方向に振られその度に1発ずつ発砲。
 遮蔽の後ろで胸を押さえて没む者。
 迂闊にも覗こうとした眉間の真ん中に孔を開けられた者。
 鳩尾よりも下に被弾して急激な脱力に襲われて行動不能になった者。
 それらの、まともに立っていられない人間の重量をした肉袋が3つ同時に冷たい地面に倒れ込む。
「……居ない? ……もう居ないよね?」 
 気力を感じさせない呟き。
 美妙はアストラリボルバーの空薬莢をポケットに捩じ込んで新しい実包を装填した。
 右手に拳銃を提げ、やる気無さげに廃工場の中を一周し、予め脳内に刻んだ標的の顔と被害者の顔を確認した。
 2人の標的は確かに仕留めた。
 使い終えた財布を懐に収納するのと同じスピードでアストラカデックス384を差し込み、今度は愛飲しているロメオのシガリロを取り出す。
 廃工場の正面出入口に向かって歩きながら背中を丸めて銜えたシガリロにトレンチライターで火を点ける。
 細い紫煙が渦巻く背後では、たったの1発で絶命に近い負傷を負った死体が転がっていた。

   ※ ※ ※

「なあ! 俺にもそいつとヤらせろよ!」
 名護優希(なご ゆうき)は表向きは、兎に角、喧嘩が早いことで有名な半グレだった。
 半グレは暴力を上等とする集団ではない。楽をして愉悦に浸れるのであれば手段を選ばない個人または集団だ。
 彼は明らかに暴力を生業とする世界の住人のはずなのに、あまりの加虐性から使い捨ての三下にも選ばれないはみ出し者だった。
 彼の言葉で言えば、喧嘩が好きなのであって、一方的な暴力は好きではない。とのことだ。
 だが、一度頭に血が上れば見境なく暴れて他人を傷つけ、あまつさえ、味方や目上の人間の区別もつかなくなるほどの凶暴性で自制心が皆無の人間だった。
 その名護優希が。
 まだ22歳になったばかりの青年が、意図的に創り出された都市伝説である、『とある組織の掃除屋』の噂に食い付いた。
 都市伝説というのは余程の執念がなければ追いかけても真相に辿りけ無い。
 名護優希が興味を持ったのは【生きている人間が、生きている人間を始末する】話だ。
 喧嘩の相手に都市伝説を選ぶのも時間の問題だったのかもしれない。
 幽霊や心霊現象のような曖昧な存在ではない。
 銃弾を放って殺人をする都市伝説だ。
 しかも、界隈の引き締めのために意図的に創り出された伝説。
 それを裏付ける事件も続出している。
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