淑女ならざる者の脳科学

 勝利の笑顔が浮かび始める美妙の顔面に黒い小さな物体が叩き込まれる。
 足元に転がったのは空のスピードローダー。彼が先ほどの再装填で用いて使用済みになった物を指で弾いて美妙の『両目を固く閉じさせた』。
「!」
 ―――しまった!
 咄嗟に発砲。弾頭は無為に空を穿つ。
 左手は依然として相手のシリンダーを握ったまま。
 左手を離さんと暴れる彼。両目を防御の涙で潤ませながら続けて引き金を引く。
 パシッと渇いた音の直後に発砲。
 青年がアストラリボルバーの銃身を左掌の甲で叩いて銃口を逸らした。
「……」
「……」
 1秒の沈黙。
 ……そして。
 美妙、構わず右肘を引いた状態から発砲。然し、今度は肘を引く角度が甘かったのか、右脇腹にシリンダーギャップから噴き出る高熱のガスと火炎を自らに浴びせてしまい、歯を食いしばって悲鳴を塞き止める。
 構わずアストラ、発砲。右脇の肘の位置を調整しての発砲。殴り合いができる距離なのに発砲。……否、殴り合いしかできない距離に固定されているのだ。
 美妙の右足の爪先は彼に強く踏みつけられている。その場から移動できない。
 ベニヤ板の遮蔽さえなければ、10m向こうからとっくの昔に発砲してかたがついていたのに……。
 一瞬の現実逃避。
 すぐに意識は戻る。
 発砲。……直前にまたも銃身を左掌で叩かれる。彼の手もまた、銃口から噴き出る高熱のガスや火薬滓によって酷い火傷を負っている。彼は呻きも悲鳴も上げずにコメカミを上下させている。奥歯を噛んで苦痛に耐えているのだろう。
「これなら……」
 ―――どうだ!
 自分がガス熱に晒されるのも構わずに、浅い肘の退き方で3発、発砲。
 これで全弾発射。
 彼が銃身を叩いて弾道を明後日の方向に向ける事ができるのは一度に精々1発。
 3発ならどうだ。
 これは賭けだ。
 3発、空しく……背後の電信柱やベニヤ板に弾痕を残す。
 涙の無い、無情な泣き顔が口元に浮かんで舌唇を噛む。
「甘かったなあ!」
 彼は合気道の達人のように美妙の左手から伝わる力を利用して愛銃のS&Wの3インチを捻って抜き取ると悪辣な笑顔を心の底から押し上げて彼女に銃口を向け迷わず引き金を引いた。
 カシッ。
「!?」
 カシッ。   
「!?」
 彼は二度引き金を引いたが、二度とも不発だった。
「甘いよ、君」
 美妙、呟くと、呆然とする彼のリボルバー拳銃に再び素早く左手を伸ばし、今度はシリンダーの右サイドを指で優しく押す。
 小気味よい乾いた音と共にシリンダーが開放した。
 美妙は左手で彼の拳銃を握っている間に既に、シリンダーを開放するサムピースを押し込み、いつでもシリンダーが解放できる状態にしておいたのだ。この状態では引き金は引けても、撃鉄は起こせても、撃針は雷管を叩かないので発砲はできない。
 優しく包むような手つきで美妙の掌が彼のリボルバー拳銃のエジェクターロッドを押し込み、シリンダーから未使用の5発を押し出し、左掌に全てが収まった。
「…………あ」
「君……あなたの名前は?」
「…………」
 空に高くなりつつ有る太陽。
 その下で彼女の微笑みは後光をまとうほどに美しかった。
 チキ、チキ、チキ……。
 手元ではアストラに5発の38口径が次々と装填されていた。
 無言。
 無言……。
 暫し、無言。
 冬の朝の風が二人の間を、脇を強く吹き抜ける。
 5発装填されたアストラカデックス384。この銃は6発、装填できる。
 彼の銃と同じ実包を用いるからこそ共用できる。
 彼はシリンダーが解放されたS&W M36の3インチモデルを保持したまま呆然としていた。
 自身の最期を悟った人間の顔だ。
 目の前には彼に、自身の最期を悟らせた人間が微笑んでいる女が居る。
 不意に彼女はアストラのシリンダーを左袖に擦り付けて派手に流した。
 シリンダーがルーレットのように回転する。
 数秒後に回転が止まると、美妙は優しい笑顔のままカチリと撃鉄を起こすと、抵抗の意志を失くしてその場に沈むように座り込んだ青年の顔――この期に及んで自分を打ち負かした対象の顔を見据える度胸は感歎に値する――に銃口を押し付けると、いつもの、能面のような顔で引き金を引いた。


   ※ ※ ※
「いや、ごめんて」
「マジ! マジで今度あんなことしたら今度こそブッ殺しますよ!!」
 二つの人影がシャッターが並ぶ商店街の鉛筆ビルから出てきた。
 深夜2時。
「後ろから撃つなんて……マジどうかしてるぜ姐さんよぉ!」
「だから、ごめんて」
 彼と彼女が出てきた正面出入り口の向こうには死屍累々の銃殺体が廊下や階段で転がっていた。
「君は運がいいからあれくらいでは当たっても死なないと思ってたんだよ。そもそも当たら無いと信じてた」
「その考え方、やめてもろて!」
 美妙はフライトジャケットのポケットから取り出したロメオのシガリロを銜える。それに空かさず隣の彼は……前髪が一房だけ白い、整った顔立ちの青年は懐から拳銃を取り出すよりも早くジッポーを取り出して美妙の口元で着火する。
 大きくシガリロを吸い込む。
 一仕事後の一服のために生きている気がする。    
 今から1年前に美妙と名護優希と名乗る青年は邂逅し、対決した。結果として美妙の勝利だが、厳密には試合に勝って勝負で負けたのと同じだった。
 彼に温情をかける事を誓ったのだ。勿論、その陰には打算もあった。
 美妙は彼の正体と『正体不明の敵』の関連性を沈黙し報告しなかった。
 『名前のない部署』では結局、『名前のない部署』を襲撃した犯人は不明で調査は保留となり、お蔵入り確定となった。片付ける要件が多過ぎて敵対脅威を一つずつ精査している暇はないのが実情だ。
 弱体化した『名前のない部署』。常に人員不足。そこへ、美妙と同レベルの腕前を持った名護優希と名乗る青年を予備戦力として組織に『入社』させて『研修』の後に『名前のない部署』に配置させた。
 名護青年は拾った命と誤った価値観での功名心を反省材料として、あの時……海に面した廃棄区画で『引き金を引き絞った直後の美妙』の提案を受け入れた。
 ロシアンルーレット……『6分の1の確率』で命拾いした彼は気が逸るだけの、腕前と心の未成熟さが大きく乖離している自分を叩き直せる機会をくれた彼女の提案を受け入れた。
 受け入れなければ迷わず彼女は二度目の引き金を引いただろう。
 今では名護優希は平木美妙の後輩として『名前のない部署』で所属し、彼が戦ってみたいと所望した都市伝説に、彼自身が謳われる立場として実力を発揮し始めている。



 6分の1の確率。
 そこに至るまでの確率はもっと低い。



 出会いも別れも指先一つで完了するデジタルの時代に、実にアナログな手法と技法と心意気で以て出会った二人が後世に残る殺し屋として名を馳せるのは必然だったのか……。



 尚、平木美妙の師匠と名護優希が所有するリボルバーの元の所有者は同一人物だと判明し、名護優希こそが師匠が残した最後の弟子であるという事実が判明するのは、美妙が老衰でこの世を去る1週間前に風聞にする話だった。

≪淑女ならざる者の脳科学・了≫ 
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